著者解題【2018年】
今回はちょっと趣向を変えて、2018年に書いた記事(全41本)を解題してみたい。
いつもの舞台には上がらずに、楽屋裏かどこかで温かい煎茶でも入れながら、常連の読者にぽつぽつと語りかけるようなイメージだ。
「インターネット上にまとまった文章を発表してみたい」あるいは「すでに発表している」という方には、ひとつの事例として参考になるかもしれない。参考にならないかもしれない。そのどちらかであることは間違いない。
前口上はともかく、やってみよう。なにしろ41本である。
子どもたちはいまでもQちゃんの大ファンだ。先日に訪れた大英博物館の「マンガ展」でも会場の書棚にあった大全集の1巻を熟読していた。同じ本が自宅にあるにもかかわらず。
「ドラえもん」を持参するのは忘れたので、息子たちにとっては「藤子不二雄=Qちゃん」である。この令和の時代にあって彼らだけ昭和40年代を生きているようで、親として少しだけ責任を感じている。
マルタ騎士団教会に絡めて、「領土なき国家」マルタ騎士団の歴史をひもといた記事。
ウィーンといえばシュテファン大聖堂やペーター教会が有名だ。でもそういうのは知識豊かな先達たちがもう書いているし、当時の私には独自の視点を示すだけの蓄積もなかった。
そこで(ウィーンのなかでは)比較的マイナーで、個人的にも惹かれるマルタ騎士団教会を取り上げることにしたのだが、歴史について書くのはあまり経験がなくて苦労した。ファクトを固めつつ、無味乾燥を避け、それでいて傾きすぎずに筆を運んでいくことの難しさよ!
でもこの方向に掘り進んでいくのは手応えがあるし、文章修行の意味からも得るものがありそうだな・・・と本稿を書きながら思った。その実感はいまでも続いている。
目的地を定めずに電車に乗って、ウィーン近郊を小旅行する試みをつづった記事。
「子連れの旅には苦労が多い」の総論につづく、初の紀行文(各論)。20時間くらいかけて推敲し、初稿のボリュームから半分に削った。とくに最後の書きぶりには悩みに悩んで、夜の夢のなかでも文章を直した。
「この記事がいちばん好きです」と言ってくれる読者がたまにいる。とてもうれしい。
ハンガリーのショプロンを日帰り旅行したときのことを書いた記事。
真冬のショプロンには特筆すべきことがほとんどなくて、はじめは「片道千円の外国旅行」というタイトルだけしか決まらなかった。
でも「何もなかったなら、何もなかったことを書けばいい」と気づいてからは、苦労せずにするすると書けた。そのように書き進んでいるうちに、「何もなかったわけでは決してない」ことを発見した。
旅行記を書くことは、ある意味でその場所を再び訪れるような行為なのであった。
ウィーン犯罪博物館の展示内容を紹介した記事。
私は都築響一氏を敬愛しており、彼の著作はほぼ全部読んでいる。だから「珍世界紀行 ヨーロッパ編」で紹介されていた犯罪博物館には(ブログ云々とは関係なく)必ず訪れようと心に決めていた。
そうして実際に行ってみると、やはり心を打たれるものがあり、その勢いを借りて一気呵成に初稿を書き上げた。
館内の展示物は、人間のダークサイドにじりじりと肉薄するようなものばかり。「ウィーンのオシャレな子育て★ライフ」を期待する読者層を突き放してしまいそうな内容だ。それでもいいのか。
でもそこは仕方ないよね、と思った。私は物書きのプロではない(≒注文を受けて書くわけではない)。自らの心のおもむくままに、書きたいものを書くのがいちばんだ。
ただし、写真をどこまで載せるかについては呻吟があった。「四肢を切断された女性の全裸死体」を掲載するか。「処刑された政治犯の頭蓋骨」はどうするか。
いろいろと考えたすえ、「全裸死体」は採らずに、「頭蓋骨」を採ることにした。
初稿ができてから、粘り強く推敲を重ねた。とくに注意を払ったのは、客観(展示内容)と主観(私の感想や仮説)を峻別し、それらの並べ方によって文章に緩急をつけること。
累計PV数こそ少ないけれど(約1,000ビュー)、個人的に思い入れの深い記事である。
年末のヴェネツィア旅行を回想した記事。
いま読み返してみると、改善の余地を大いに感じる。エピソードが散発的で全体の「流れ」がよく見えない。「ジョジョの奇妙な冒険」や「海の都の物語」を引用した前置きはいささか冗長だし、そこで述べたことが本筋に有効にリンクしていない。
でも冬のヴェネツィアはすばらしかった。そして驚くべきことに、息子はまだ「アルビゼ」の単語を覚えている。
「子どもに優しいオーストリアの人たち」のエピソードを紹介した短文。
10本ほども記事を書くと、自分なりに習熟すべきテクニックがわかってくる。
鳥瞰と虫瞰の行き来によって、語り手の視点にダイナミズムを生む方法。
本文中に画像を挟み込むことによるリズムの取りかたと、その崩しかた。
幕が下りるまで読者に付き合ってもらうには、活字媒体だけではなく、マンガや映画からも節操なく手法を盗んで、総合格闘技を戦い抜くような発想が必要だな、と思うようになった。
そう思うだけでたいして実践できていないのが、この記事の読みどころだ。
カナリア諸島のフエルテベントゥラ島を訪れたときのことを書いた記事。
ブログを立ち上げてからの旅行としては――つまり、「この経験をあとで文章に起こそう」とはっきり意識したものとしては――これが最初の案件である。
この島にはいろいろと風変わりなおもしろさがあって、取りあげるネタには困らなかった。むしろ「どのパートを削るべきか」の選択に迷うことになった。
フエルテベントゥラ島を知っている読者なんてまずいないだろうから、導入部で「どういう場所なのか」「なぜそこに行きたかったのか」をしっかり書くように心がけた(以後の旅行記でも基本的にそうしている)。これは、藤田和日郎先生と荒木飛呂彦先生の作品のつくり方を参考にしたものだ。
この旅行記を公開する前には、フエルテベントゥラ島について日本語で紹介したネット記事は1,2件くらいしか存在しなかった。それゆえに「これは検索エンジンからの流入を見込めるに違いない」などとスケベ心を働かせたのだが、その読みは当たり、いまでも「呼び水」として機能している。
子連れ旅行の苦労を減らすためのアイデアについて紹介した記事。
「ライフハック大全」という本を読んだらおもしろかったので、これにあやかって自分でもなにか書いてみようと思ったもの。
当初はもっとコンパクトな記事にするつもりだったが、書いているうちにどんどん「余談」の部分が増えていって、予定と異なる文章になってしまった。でも総じてたのしく書けたのも確かなので、ここは変に刈り込まず、あえてそのままアップすることにした。
ウィーンの花屋をめぐる日常のエピソードをつづった小文。
だんだんとブログ記事が長文化してきたので、このあたりでひとつ、「お茶漬け」みたいにさらっと読める短いエッセイみたいなものを書こうと思ったのだ。
最初のタイトルは「ウィーンの良い花屋と悪い花屋」。ところが、「ウィーン 花屋 押し売り」のような検索ワードからアクセスされる方が続々と現れ、その期待(?)に応える形で(公開から約1年後のタイミングで)記事名を変えた。私にとってはめずらしいパターンだ。
「ドネーションお姉さん」の姿は、いまでも見かける。ウィーンに観光でいらっしゃる方はご留意ください。
ウィーンからもっとも近い外国の首都・ブラチスラバへの訪問記。
ショプロンと同様、この街には観光ガイド的なスウィート・スポットがあまりない。それを飲み込んだ上でどう語るべきか、アイデアが下りてくるのを待つ必要があった。2回目に訪問するまで書きはじめなかったのは、我ながら得策であった。
ウィーン在住者はとても気軽にブラチスラバに出かける。界隈で評判のよいRamen Kazuでラーメンを食べる、そのためだけにスロバキア行きのチケットを買う輩もいる(私は未訪)。これを聞いて私が思い出すのは、「ドラえもん」のスネ夫が札幌ラーメンを食べるためだけにボーイング747に搭乗するエピソードだ。
この稿では、「何かに仮託して別の何かを語る」という、文章を書く人にとってはおそらく初歩的なテクニックをーー麻雀で言えば「筋ひっかけ」みたいなことをーー意識して試みた。
ブラチスラバ動物園から上野動物園を経由して、私の新人時代の憂鬱を呼び寄せる。
チェコスロバキア人との会話から、いまこの世界につながる補助線を引いてもらう。
まだ自分の文体を信じられる域には至らないし、語彙の選択にも粗が目立つ。でもこうした文章を希求することで、三十余年にわたる私の人生の愚かな磁気が引き寄せた鉄クズたちを、その重みをうまく「廃材活用」できるんじゃないか。
書くことで救われる、という使い古された表現は、つまりはそういうことではないか?
子どもに英語を教えることの難しさについて書いたエッセイ。
読者の関心を集めやすいテーマなので、「安易な決めつけ」みたいなことはしないように、それでいて私の意見を変に遠慮せずに自由に開陳するように心がけた。
私はたいして良いお父さんではないけれど、育児関係の書籍はいろいろと読んだ。私のおすすめは、中島和子「バイリンガル教育の方法」と田中茂樹 「子どもを信じること」。岩波文庫の「育児の百科」のように、どちらも数十年後の読み手に頼られる古典になると思う。
子連れ客にとってのドイツ鉄道の快適さについて述べた体験記。
もともとはユトレヒト旅行記の導入部のつもりだったが、書いても書いてもなかなか目的地にたどり着かないので、移動パートだけ切り出して別記事にしたもの。
ヨーロッパの暮らしで感謝するべき点として、鉄道インフラの充実ぶりは筆頭である。我々はこのあと何度も子連れの電車利用を経験し、いまではすっかり慣れてしまった。フレッシュな感動があるうちに、興奮が持続しているうちに、こうして熱量ある文章を残しておけたのはよかったと思う。
でも「Weißbier(白ビール)を飲むために私は生まれてきた」なんて、いま読むと大げさで恥ずかしいですね。削除したくなってしまう。
ミッフィー博物館を目当てに訪れたユトレヒトの旅行記。
旅の予習として司馬遼太郎の「オランダ紀行」を読んだ。この本は、観光ガイドの観点からすれば、もう笑えるほど参考にならない。しかし著者ならではの融通無碍な余談の運び方には古びないおもしろさがやはりあって(ときどき読みながらツッコミを入れたくなるが)、これは私がブログを書く上でものすごく参考になった。
対象にまつわる情報だけで余白を埋めるのではなく、それについて自分が考えたこと、連想したこと、理解したこと、または理解できなかったこと、要すれば「主観」を、衒うことなく展開してしまえばよいのだ。
もちろんそれがある種の「芸」になっていなければ――文章技術がしかるべきレベルにまで高められていなければ――惨憺たる結果を招いてしまうのだけれど・・・。
ウィーンの大通りで音楽を演奏したりする人たちを描写した短文。
「ウィーンの路上演奏って楽器の種類が豊富だな」とは、住みはじめた頃から思っていた。
でも写真が1,2個では説得力がない。なので、ユニークな演奏者を見つけるたびに撮りためていって、それなりにストックがたまるまで寝かせておいた。そういう「仕込み」のプロセスには、日々の生活をちょっと豊かにさせるものがある。ブログ運営のたのしみは、こんなところにもあると思う。
Amazonで注文したiPadが届かなかったという嘆きを書いたエッセイ。
これは2018年に公開したなかで、もっともアクセス数が多かった記事のひとつだ。
それ自体はもちろんありがたいのだけれど、どういう経緯(チャネル)で人気を得たのか、いまだによくわからないのは奇妙なことである。SNSで拡散されたわけでも、有名サイトからリンクを貼られたわけでも、検索エンジンで上位にランクされたわけでもないのだ。
まあそれはともかく、自分で書きながら笑ってしまったのも事実である。そうやってご機嫌な気持ちで書いた記事が、いくつかの僥倖が重なって、読み手の愛顧を広く得るというのは、これは、これはなんと表現すればよいだろうか・・・世に数多ある喜怒哀楽の感情のなかで、こんなにもディープに沁みわたる「喜」もそうないだろうと信じさせるものがあった。
「魔女の宅急便」のモデルと称されるドブロブニクの旅行記。
ドブロブニクは世界的に人気の観光地なので、先行する旅行記事はたくさんある。そして我々が訪れたのは、旧市街にしろ、城壁にしろ、ロクルム島にしろ、誰もが行くような王道のスポットばかりであった(子連れ旅行で大穴を狙うのは難しい)。
といっても、これじゃあ独自性を醸しだせないな・・・と悩むことは、もうなかった。
なぜなら、先のユトレヒト訪問記の解題でも触れたように、現地で自らが気づいたことや、心を動かされたことなどを枢軸にして、その内容にフィットした文体で走らせれば、私にしか書けないコンテンツができるはずだと信じるようになったからだ。
そのクオリティはともかくとして。
ドブロブニクから日帰りで訪れたモンテネグロの旅行記。
モンテネグロはすてきな国だったけれど、なにしろ日帰りの弾丸ツアーだったので、対象にさほど肉迫できたわけではない。浅い観察からは浅い文章しか生まれない。どうしたものか。腕を組んでASUSの3万円のノートパソコンに対面しているうちに、「それなら今回は、現地で見たものとは異なる点にフォーカスすればいいんじゃないか」と気がついた。
『現地で見たものとは異なる点』とは、ここでは「モンテネグロの十戒」と「日本との百年戦争」である。
怠惰を極め、日本と百年戦争をする。
その結果として――かどうかはわからないのだが――本稿はドブロブニク篇よりもはるかに多くの読者を得ることになった。とくに、テレビ番組「世界ふしぎ発見!」でモンテネグロが取り上げられた直後には(拙ブログが紹介されたわけではない)、尋常ならざる検索エンジン流入をたたき出した。
この経験から私が学んだのは、「アクセス数の増減には偶然の要素がかなりあるのだから、あまり気にせず、自分の好きなものを好きなように書いていこう」ということだ。
ウィーン市内のすばらしき児童公園について紹介した記事。
これは我ながら書いてよかった。なぜなら子連れの旅行者からウィーンのおすすめスポットについて問われたときに、このページを示すことができるからだ。
ちなみに、記事中では触れなかったが、22区の郊外にあるヒルシュシュッテッテン庭園は、ベスト・オブ・子連れに優しいスポットである。児童公園はもちろんのこと、動物園も植物園もあるし、生垣の迷路(写真下)は子どもが大喜びだし、自家製ワインが飲める小酒場は私が大喜びである。これで入場無料なのだから、地元民が集まらないわけがない。
ある手続きミスによってドイツ鉄道のチケットが届かなくなった体験記。
これはイメージとしては「飲み会でウケる失敗談」の文章化である。人間というのは本質的に他人の過誤をよろこぶ性質があるから、語り口の選択さえ誤らなければ確実に盛り上がる。傷つくのは過去の自分だけでよい。教訓みたいなのも、ずっと後方からついてくればよい。
「さようなら、私の届かなかった荷物たち」と「オーストリア航空で6万円のチケットを誤発注した」と本稿をあわせて、私は勝手に「失敗三部作」と呼んでいる。
「Satoruさん、会社で読んでたら吹き出しちゃって、周りから白い目で見られましたよ」という苦情のメールが古巣の職場から送られてきたことがある。「責任を取ってください」
まさに理想の反応である。
アドルフ・ヒトラーが10代の頃に住んでいたリンツの旅行記。
「このロバは、1分後に激しい交尾をした」のキャプションが自分でも気に入っている。
NHKラジオに生放送で10分ほど出演したときの記録。
番組の制作会社の方から、ある日いきなり連絡があった。依頼メールの文面にはどことなく信頼できそうな印象があり、またラジオ出演は私にとって前例なきことだったので、おもしろ半分で受けてみることにした。
「ちきゅうラジオ」は、異文化交流のおかしみを柔らかいトーンで伝える老舗の人気番組である。しかし私は(依頼を受けた時点で)ブログを開始して半年にも満たず、ウィーンに住みはじめてから1年も経っていない。それからドイツ語も不如意である。そのような「素毛者」(=素人に毛の生えた程度の者)に、提供できる付加価値など本当にあるのか?
でもまあ、そんなことを逡巡したのは最初の一瞬だけで、「やってみれば何とかなるんじゃないか」とすぐに思った(私はわりに楽天家なのだ)。その顛末を記したのがこの記事である。
当日に話すべき内容については、まず私が要点を1枚紙にまとめ、これに対して番組ディレクターから修正やコメントをいただいた。このプロセスは刺激的かつ示唆に富み、「第一線で働くプロから批評を受けるのって重要だな」との発見が私にあった。
この2か月後、私は思い立ってデイリーポータルZの投稿コーナーに応募するのだが、それはNHKラジオの経験によるものが大きい。外部レビューの大切さ。
「EU圏内で使える運転免許証」をウィーンで取得するまでの顛末記。
このブログで私が目指しているのは「読み物としてのおもしろさ」である。実用性みたいなものにはプライオリティを置かずに、基本的には舞台の袖のあたりで待機してもらっている。およそ95%は役に立たない内容であるし、それでよいとも思っている。
それでも残りの「5%」を、つまりプラクティカルな記事を書きたくなる日もたまにある。なぜなら私自身が海外在住ブログたちに助けられてきたからだ。「恩返し」ではないのだが、そうして書きあげたものが本稿である。「オーストリア 運転免許証」といった検索ワードで漂着される読者はいまだに多く、狙い通りの効果をあげられたと思っている。
ちなみに私はヨーロッパに来てから交通事故を2回(マヨルカ島とアイスランド)起こしている。無事故で運転できたのはフエルテベントゥラ島だけ。すなわち事故率67%ということで自他ともに認める最悪のドライバーである。いまこうして生きていることの僥倖を噛みしめずにはいられない種類のドライバーである。
それでも日本の免許証はゴールドだ。なぜなら日本では運転をほとんどしないから。
「交通事故を防ぐための最高の方法がひとつある。それは運転をしないことだ」と呟いた人がいる。けだし名言である。はたして誰の言葉であったか。
私の言葉だ。
ウィーンで買った折りたたみベビーカーを称賛した記事。
「子連れ旅行のライフハック」の余談にして、マルタ旅行記の予告篇。
このベビーカーはいまなお現役で活躍しているが、もはやフライトで行く旅には携えない。我々は最近いよいよLCC(格安航空会社)を普段使いするフェーズに至ったので、折りたたみの後ですらサイズ規制に引っかかるからだ。(それでも鉄道旅行には持参する。その便利さはいささかも衰えない)
地中海の小国マルタの旅行記。
ヨーロッパ在住者との雑談において、「おすすめの旅行先」は無害でたのしいトピックだ。そういうとき私はたいていマルタ共和国を挙げている。ひとりで行っても、家族で行っても、歴史が好きでも、自然が好きでも、あるいはグルメやリゾートだけの興味であっても、この国には全方位的な欲求に応える懐の深さがあるからだ。
私もマルタに魅せられて、書きたいことが次から次へとあふれてきた。エピソード・バイ・エピソードのつるべ打ちで、全体の流れをうまく制御できぬまま最終稿に至ってしまった。「ちょっと失敗しちゃったよな」と、書き上げた数ヶ月後にこっそり自省したりした。
でもいまになって読み返してみると――1年前に書いた文章なので、もはや第三者の視点で読むことができる――これはラストの戦没者慰霊碑に向かって、ほかのすべてのエピソードが緩やかにつながりながら流れ込んでいくような構成に(おそらくは企図せずに)なっていて、そしてあるシークエンスにおいてはこのブログの「結論」みたいなことも仄めかされていて、これはこれで悪くないんじゃないかと思えてきた。
2019年7月に、能條純一「昭和天皇物語」からの引用画像を追加した。
ウィーンで英語を話すようになった息子たちについて書いた小文。
「英語の幼児教育は難しい」の続篇。再び「ドラえもん」の画像を引用したのも、もちろん意識してのことである。
前回と同じく、「自身の体験を一般法則化しないこと」に気をつけながら、私なりの諧謔を混ぜて一品に仕上げたつもりだ。
ある国で成功した事例が、ほかの国にそのまま適用できるとは限らない(There is no silver bullet)。これは私が勤める国際機関で、カウンターパートたる政府筋の人たちにお伝えしているメッセージでもある。
「アルプスの秘境」ハルシュタットの旅行記。
ハルシュタットではやはりあの幻妙な風景に目を奪われたし、岩塩坑にも納骨堂にも迫ってくるものがあった。だから今回は変に構えず、感動を素直に書くようにした。
でもいまにして思えば、何から何まで褒め称えるのではなく、ごく少量のスパイスとして、衒わずに批判的なことを書いてもよかったかもしれない。
たとえば、観光の価値を最大化させるため、もう旧市街には住民がほとんどおらず、いわばアーティフィシャルな秘境になっていることとか(チェスキー・クルムロフなどにもいくぶんそういう要素はある)。
しかし本稿に手を加えるつもりはない(それをやりはじめると地獄のドアーが開くから)。ここに解題として、密やかにしめやかに申し添えるのみである。
デイリーポータルZの投稿コーナーに採用されたときの短報。
私が投稿行為に手を染めた主な動機は(と書くと犯罪っぽいけど)、本文に記したとおり、プロからの批評をもらうことにあった。
デイリーポータルZは客筋のよい老舗のWebメディアで、投稿コーナーにも傑作が目立つ。ご覧になったことのない方のために例を挙げるなら――いくらでも例示できてしまうのだが――すぐに思いつくものだけでも、
といった具合に、まず発想力と行動力のみごとな乗算があって、なおかつインターネット的な(インディーな)おもしろさを醸成している珠玉のコンテンツが多い。
そうしたなかに私の記事が並ぶのはイメージしがたいものがあったが、「だめでもともと」の軽い気分で、送信ボタンをクリックしていた。
私はこれまで10回ほど投稿した。
落選4回、次点1回、入選5回だ。
ここで投稿をストップした。「私の文章は政治的に機微なトピックを好んで扱うし、小理屈みたいな表現もあるので、やはりDPZの求める基準には満たないのだろう」と察したからだ。そうして再び純粋な一読者となって、常連ライターの更新を(とくに與座ひかるさんとトルーさんの新作を)たのしみに待つ日々に戻った。
でもそれから数ヶ月後、力を入れて書きあげたパレスチナ旅行記をひさしぶりに投稿しようと思い立ち、これに続いてイランやトルクメニスタンの記事も取り上げていただいた。
私はいまや充分に満足した。DPZの好ましい読者層にリーチすることもできた。柔らかくも鋭い選評をいただいた編集部の方々には、本当に感謝するほかない。
ウィーン軍事史博物館について紹介した記事。
これまでの一連の旅行記で、歴史について書くことの妙味が自分なりにわかってきたので、いよいよ満を持して・・・という覚悟で執筆に挑んだ。ウィーンに住んでいる以上、どこかで必ず対峙するべきテーマでもある。当時の持てる力をすべて出し尽くした。アップロードしたあとには少し寝込んだ。
この記事を読んで博物館を訪れた方がいて、そのひとりは航空機エンジンの設計者だった。ブログをやっていてよかったと思うのは、じつにこういうときである。
ヨーロッパ屈指の日本人街を擁するデュッセルドルフの旅行記。
デュッセルドルフと新橋の類似性を述べた記事だが、旅行中にはそこまで熱心に取り上げるつもりはなかった。サラリーマンの写真を撮っていなかったのもそのためだ。
「外国の●●が日本の××に似ている」の着眼点はとりたてて珍しくはないし、書いている当人だけがおもしろがっているケースも少なくない。険峻なる道は敬して遠ざけるべし――なのだけれど、文を連ねるうちに「流れ」がどういうわけか此方に寄ってしまう。小魚が避けがたく岩礁に向かうように、なぜだか新橋のことを書いてしまうのだ。
そうして決着をつけるべきパートに至って――長めの紀行文をものしていると、「そろそろ記事を終わらせる頃合いだな」とふいに自覚されるのだ――現地で私を揺さぶった情動の原形みたいなものがいきなり飛び出してきて、その輪郭が失われる前にと必死になって書き写したのが、あの最後の部分である。
そんなものを読者の目にさらすのは抵抗があるし、そもそも「問われてもないのに自分語りをするやつは疎んじられる」のは国籍を問わない法則であると(これまでの職業経験からも)理解していたのに・・・それなのに300回ほども文章をこねくり回して、ついに私は「公開」ボタンをクリックしてしまう。
クリックから1年。これは4番目にPV数の多い記事となった。
じつに恥ずかしく、じつに信じられぬことである。
じつに平身低頭すべきことである。
ヨーロッパの公共交通インフラのすばらしさを熱弁した記事。
心のバルブを全開にして、私の愛する対象物について好きなように書く。テクニックがなくても、パッションがあれば一点突破できるのだ(できないときもある)。
「私の愛する対象物」とは、航空機と、鉄道と、客船と、それからうんこのことである。
子連れ旅行者にものすごくフレンドリーなフィンランドの旅行記。
このあとフィンランド人と仕事をする機会がいくつかあったが、「ヘルシンキに行ったよ」「スオメンリンナ島で子どもと過ごしたよ」「サウナは天国のようだった」と具体的に語ると喜んでくれるし、雑談も盛り上がる。これも旅行の効用のひとつだろう。
政府のイノベーティブな取り組みで知られるエストニアの旅行記。
本当はもっと「電子国家」の実装ぶりに迫りたかったけれど、ヘルシンキからフェリーでの日帰り旅行だったこともあり(1泊くらいすればよかった)、野外博物館で目撃した「前近代性」とのギャップにフォーカスする形で書きしのいだ。
エストニアに対する私の関心は持続している。ある日本在住の知り合いは電子住民票(e-Residency)を取得し、いつでもエストニアでビジネスを興せるようになっている。「それ、いいな!」と私は思うのだ。
子育てをしながらYouTubeで聴いている曲を紹介したエッセイ。
音楽について、なにかを書いてみたかった。
中学生の頃から憧れだった渋谷陽一。ロキノン文体にもしっかり罹患した思春期だった。
「いつかはこういう文章が書けるようになりたい」と、誰にも言わずに感服した吉田秀和。いまだって沈黙しながらそう思っている。
インターネットの夜空を見上げるなら、私の一等星はいつだって「真顔日記」のaiko評だ。aikoは私には縁遠いものだったが、この惚れ惚れする批評を読んで(何度も何度も読んだ)、はじめてaikoをちゃんと聴くようになった。
よい文章は、読み手に新しい視座(viewpoint)をもたらす。
渋谷陽一も吉田秀和も、「真顔日記」のaiko評もそうだった。
それで私になにが書けるかといえば、これがさわやかなくらい手札不足だ。音楽的な教養もないし、ボキャブラリーにも乏しい。まったくお話にならないのである。
正面から戦っても勝てない際は、角度を変えて攻めてみる――これは兵法の基本でもある。そして拙ブログの特産品は評論ではない。「ウィーン」「旅」「子ども」のいずれかのキーワードに引っかかる内容だけを書くものと決めている。
それならば、と思いついたのが、「子ども」と「YouTube」を先に並べて、そこに「音楽」を加えた三題噺としての語り口だった。
書きながら実力不足が身にしみる。でも好きなものについて「なぜ好きなのか」「どう好きなのか」を説き起こす作業には、ほかでは得られないたのしみがあった。慈しむべきものから暖を取らずに、苦しい人生をしのぎきるすべはない。
文章を書きながらよく音楽をかける。最近は、Mammal Hands、Gogo Penguin、Alfa Mistにハマっている。なぜかイギリスのアーティストばかりだけど、それはたぶん偶然です。
通勤中には邦楽も聴く。あいみょんとか、ぼくのりりっくのぼうよみとか、the chef cooks meとか、Charisma.comとか。
「年を取ると新しい音楽を聴けなくなる」みたいな言説があるが、個人の話を一般化するのはやめてくれよな、と私は思っている。globeとか、BUMP OF CHICKENとか、クラムボンとかもいまだに好んで聴くけれど(Amazon Prime Musicは最高)。
でも90年代ユーロビートだけは選曲しない。あれを聴くと、地中処分を済ませたはずの昏い過去が甦ってしまう危険があるから。
ウィーン楽友協会ホールなどで聴いたクラシック音楽について書いたエッセイ。
タイトルが示すように、前稿からの続きである。今度は「子ども」ではなく「ウィーン」を軸にして、クラシック音楽のことを書きたかった。そして2014年に書いた記事(バークレーで音楽をたくさん聴いたこと)よりも、さらに深いポイントまで到達できるような文章に仕上げてみたいという、これは昔の自分に対するチャレンジでもあった。
この2本を脱稿して私は満ち足りた。しばらく音楽について書くことはないだろう。
スロベニアの首都リュブリャナの旅行記。
我々の体験したリュブリャナは、心の底から居心地のよい街だった。息子たちも「リュブリャナ、よかったね」といまだに称賛する。「パパが転んでケガしちゃったね」とも言う。パパの傷は治ったが、ジーンズの破滅は直らない。
息子の幼稚園で出会ったウィーン生まれの若者との交流を描いたエッセイ。
マンガについて、なにかを書いてみたかった。
世のなかにマンガ評は数あれど、琴線に触れるものは多くない。偏った視座を有することに定評のある私の考えによれば、優れたマンガ評の必要条件は、
(1)批評文自体が「芸」になっていること。読ませる力があること。
(2)読み手の「ものの見方」をアップデートさせる要素があること。
この2点であって、つまりは前述した音楽評とほぼ同じである。
私が好んで読む(繰り返し読む)マンガ評は、まずブルボン小林の「マンガホニャララ」、それからインターネット界の準古典とも称すべき「変ドラ」、「真顔日記」のスラムダンク評、あるいは同作者の「マンガ再々々々々々読!」だ。
といっても、これもまた前述のとおり、このブログの特産品は評論ではない。だから私は、「ウィーン」と「子ども」のタグを取り上げて、私なりの筆致でマンガへの愛と感謝をつづることにした。
これが私の主張である。だけどこんなことを正面から論じても、なんだか新聞の社説みたいでつまらない。だからここでは、アウグストゥスくんと、アフリカ系アメリカ人と、ヤムチャに登場していただいて、いわば三者面談みたいな形をとって、なるべく柔らかい語り口で展開するようにした。
総じてたのしく書けたのだけど、まだまだマンガについては語りたいことがたくさんある。このブログのどこかで、マンガへの愛を再び告白する機会があると思う。
南仏の景勝地ニースと、世界で2番目に小さいモナコの旅行記。
この記事が表面的に語っているのは、子どもと訪れたビーチやショッピングモールだ。けれども私は、その上に自らの職業人生の「重し」を意識して乗せるようにした。そしてまた――この頃になってようやく自覚されたのだが――もとより私の文体には十余年にわたる勤務経験がすべからく反映されているのだ。
このブログをはじめた当初は、仕事を通じて得られた見識を文章に混ぜ込むことには抵抗があった。それはあまり推奨されない行為であるように(あくまで私には)思えたのだ。「本業とは切り離して、肩書も伏せて、純粋にコンテンツだけで勝負したい」という青臭い気持ちもそこにはあった。
でも10本、20本、30本と、恥(もとい、記事)を書き連ねているうちに、その考えは間違いではないかと思うようになった。
本気でよい文章を書きたいなら、そんな理念にこだわる余裕はないはずだ。これまでの人生で「得られたもの」「得られなかったもの」の全部を膝の上に並べて、大本営を大動員して、殲滅される覚悟でやっていくしかないのではないか。
私がいつか死ぬとき――それは明日かもしれない――それでも「これを書けてよかった」と心の底から信じられる文章をひとつでも増やすには、そのクオリティを1ミリでも高めるためには、職業人生をも漏らさぬ無辺際のコミットメントが求められるのではないだろうか。
ここで私が想起したのは、藤沢周平の作品群だった。
藤沢周平は、世間的には「エンターテイメント寄りの時代小説家」と理解されている。
しかし、私の信じるところ、彼は明治以降の日本のすべての文学者と比べても抜群に文章のうまい作家である。自然描写にも人物描写にも才気が迸っている。どうしてこんなにうまいのかよ、と本を閉じて嘆息してしまうレベルのうまさだ。藤沢周平は、私にとって、夏目漱石や谷崎潤一郎と並び立つ頂である。
彼は天才なのか?
彼は天才である。
而して彼は遅咲きの天才である。天賦のみに拠っては立たず、業界紙記者のシビアな観察が鍛えあげた才能である。組織に生きる者の屈託を見つめ、理不尽を眼差し、それらを遠い過去の虚構に(たとえば海坂藩に)トランスレートして、そうして結実した才能である。
藤沢周平の超絶技巧な文体は、私などが盗もうとして盗めるものでは決してない。他方で、時代小説のフォームを取りながらも、戦後を生きた彼自身の職業遍歴が作品のオリジナリティを盤石に支えているという、その「分かちがたさ」には目指せる余地があるのではないか。
もっと文章がうまくなりたい、と私は思った。
そして2018年が終わった。
そして2019年9月14日時点で、直近3カ月間のPV数は約20万。Googleのアクセス解析によれば、ユーザーの実数は約6万人で、うち1万人がリピーターという。
少なくとも10本以上の記事を読まれた方は約6,000人。さらにブログの全記事を読破されたであろう方が、ざっと600人ほどいらっしゃる。
PV数の増加は、おそらく歓迎すべきことだろう。でもそんなことよりも、私の心をしみじみと満たすのは、ここまで『1割』の読み手に届くものを提供できたのだという、不可触ながら確かな、重力つきの実感があることだ。
このブログは、あるタイミングで終わることが決まっている。
終わるまでは続ける。死ぬまでは生きる。これが私の目標だ。
寛容なる読者の皆さまに感謝。引き続きご愛顧のほど、何卒。
いつもの舞台には上がらずに、楽屋裏かどこかで温かい煎茶でも入れながら、常連の読者にぽつぽつと語りかけるようなイメージだ。
「インターネット上にまとまった文章を発表してみたい」あるいは「すでに発表している」という方には、ひとつの事例として参考になるかもしれない。参考にならないかもしれない。そのどちらかであることは間違いない。
前口上はともかく、やってみよう。なにしろ41本である。
1. はじめに
記念すべき1本目。
はじめにブログの性格と終了条件を宣言するのは前作「バークレーと私」と同じ。年明けのタイミングで開始しているのも同様だ。こうすることで、読者との間にわずかながら緊張感が生まれる・・・かどうかはわからないが、それが私の好みなのだ。
ウィーンに来たばかりの頃には、ブログをやるつもりはまったくなかった。少なからぬ時間と労力を持っていかれると知っていたからだ。そうした傾向の行きつく先には、偉大なる家庭不和がもたらされる(かもしれない)。
でも異国の地で半年ばかり暮らしていると、掃除を怠った部屋の隅っこにホコリが積もってくるように、書きたいことがじわじわと溜まってくる。そういうものを発信する場所として、それもフローではなくストックの形で貯められる場所として、私にはブログが念頭にあった。
このように明言することで、想定される読者層はかなり絞られてしまうかもしれない。でもPV(ページビュー:閲覧回数)だけを追うのではなく、「10年後にも読むに堪えうる文章を書くこと」を目指すように心がけた。これは、2012年の記事「人生は手持ちのカードで戦っていくしかない」がいまでも熱心に読まれているという、(小さな)成功体験に拠っている。
とはいえ、子連れで外国に滞在するさまをつづった文章は、すでに世の中にあふれている。私はどのようにして独創性を打ち出せばよいか。「手持ちのカード」内の一節を用いるなら、「世界中で私にしか書けない内容」を、どうやって拵えていくべきか。
でもまあ、このあたりは書きながら考えていくほかにはないだろうな・・・と思いながら、私はこのブログを見切り発車させたのである。
はじめにブログの性格と終了条件を宣言するのは前作「バークレーと私」と同じ。年明けのタイミングで開始しているのも同様だ。こうすることで、読者との間にわずかながら緊張感が生まれる・・・かどうかはわからないが、それが私の好みなのだ。
ウィーンに来たばかりの頃には、ブログをやるつもりはまったくなかった。少なからぬ時間と労力を持っていかれると知っていたからだ。そうした傾向の行きつく先には、偉大なる家庭不和がもたらされる(かもしれない)。
でも異国の地で半年ばかり暮らしていると、掃除を怠った部屋の隅っこにホコリが積もってくるように、書きたいことがじわじわと溜まってくる。そういうものを発信する場所として、それもフローではなくストックの形で貯められる場所として、私にはブログが念頭にあった。
「ウィーン滞在記」と「子連れ旅行記」の、いわばハイブリッドのような内容になる予定です。
このように明言することで、想定される読者層はかなり絞られてしまうかもしれない。でもPV(ページビュー:閲覧回数)だけを追うのではなく、「10年後にも読むに堪えうる文章を書くこと」を目指すように心がけた。これは、2012年の記事「人生は手持ちのカードで戦っていくしかない」がいまでも熱心に読まれているという、(小さな)成功体験に拠っている。
とはいえ、子連れで外国に滞在するさまをつづった文章は、すでに世の中にあふれている。私はどのようにして独創性を打ち出せばよいか。「手持ちのカード」内の一節を用いるなら、「世界中で私にしか書けない内容」を、どうやって拵えていくべきか。
でもまあ、このあたりは書きながら考えていくほかにはないだろうな・・・と思いながら、私はこのブログを見切り発車させたのである。
2. ウィーンで家を探す
https://wienandme.blogspot.com/2018/01/blog-post_3.html
ウィーン赴任にともなうアパート探しの顛末を描いた記事。
いま読むとすべてが懐かしく、あのときの試行錯誤がテクニカラーでよみがえる。記憶の「掘り起こし」の解像度がぐっと上がること、これこそがブログをつづる効用の筆頭だ。
本稿の内容について、いまにして思うのは以下の3点だ。
(1)仲介業者のサービスには頼らなくてもよかったかもしれないこと。
ウィーンの賃貸市場はかなり流動的で、ドイツ語が不如意でも自力で不動産屋を回る人たちが少なくないとわかったからだ。仮宿の住まいをたのしみつつ、最善手が出てくるのを焦らず待つのも一興だったのではないか。
(2)無理して一等地に住まなくても問題なく通勤できたであろうこと。
いまの自宅は東京でいう赤坂一丁目みたいな場所にある。そこに住むのは疑いなく得がたい経験ではある。でもウィーン自体が小さな都市なので、ちょっとくらい郊外の家でも、ふつうに30分以内で通勤できるのだ。
(3)Airbnbのほかにも短期でアパートを借りる手段は存在すること。
これは音楽大学の留学生が多いからだろうし(なにしろ音楽の都である)、国際機関に短期インターンをする若者のためでもあるだろう。需要あるところに供給は生まれる。
そういう人たちに対して、私はしばしば「1ヶ月ごとに住所を変えたら? ショプロンとか、ブラチスラバとか、ヘジェシュハロムとか、隣国から通勤するのもオツなものではないかな。電車で1時間弱だから、千葉県習志野市から東京都文京区に通うのとあまり変わらないよね」などと無責任な提言をしたりする。そう言うと彼らは笑ってくれるのだが、いまのところ本当に実行した方はいないようだ。
これをお読みのあなた、どうですか。
子連れ旅行の「良い面」と「悪い面」を3点ずつ述べた記事。
個別の紀行文、いわば各論に入る前に、まず「子どもと一緒の旅ってこういうものだよね」と総論を語ろうと思った。
それはそれでよかったのだが、こうした文章に取りかかっているうちに2017年9月に訪れたザルツブルクの記憶が古びてしまい、ついにはその旅行記を書けずじまいであった。
旅行記というものは、そこを訪問した直後に書きはじめると主観的に過ぎるし、かといって寝かせすぎても鮮度が落ちてしまう(沢木耕太郎の「深夜特急」のような例外もあるが)。
継続的に紀行文を書くのであれば、そうした頃合いをうまく見極めなければならない。
「現地を去って2~4カ月ほど経ってから完成させるとよい」、これが私の暫定的な結論だ。とはいえ、このあたりは個人差の大きい世界だろう。2千字書くのか、1万字書くのか、本一冊書くのかによっても変わってくるだろう。
「オバケのQ太郎」を愛する息子について書いた短いエッセイ。
これはもともとfacebookの投稿だったが、「こういう類の小文ならいくらでも書けそうだ」「それなら読み手を『友達』に限定せず、もっとオープンな空間に出て勝負したらおもしろいんじゃないか」と思い立つ契機を私に与えた。そういう意味では、もっとも記念すべき稿ともいえる。
いま読むとすべてが懐かしく、あのときの試行錯誤がテクニカラーでよみがえる。記憶の「掘り起こし」の解像度がぐっと上がること、これこそがブログをつづる効用の筆頭だ。
本稿の内容について、いまにして思うのは以下の3点だ。
(1)仲介業者のサービスには頼らなくてもよかったかもしれないこと。
ウィーンの賃貸市場はかなり流動的で、ドイツ語が不如意でも自力で不動産屋を回る人たちが少なくないとわかったからだ。仮宿の住まいをたのしみつつ、最善手が出てくるのを焦らず待つのも一興だったのではないか。
(2)無理して一等地に住まなくても問題なく通勤できたであろうこと。
いまの自宅は東京でいう赤坂一丁目みたいな場所にある。そこに住むのは疑いなく得がたい経験ではある。でもウィーン自体が小さな都市なので、ちょっとくらい郊外の家でも、ふつうに30分以内で通勤できるのだ。
(3)Airbnbのほかにも短期でアパートを借りる手段は存在すること。
これは音楽大学の留学生が多いからだろうし(なにしろ音楽の都である)、国際機関に短期インターンをする若者のためでもあるだろう。需要あるところに供給は生まれる。
そういう人たちに対して、私はしばしば「1ヶ月ごとに住所を変えたら? ショプロンとか、ブラチスラバとか、ヘジェシュハロムとか、隣国から通勤するのもオツなものではないかな。電車で1時間弱だから、千葉県習志野市から東京都文京区に通うのとあまり変わらないよね」などと無責任な提言をしたりする。そう言うと彼らは笑ってくれるのだが、いまのところ本当に実行した方はいないようだ。
これをお読みのあなた、どうですか。
3. 子連れの旅には苦労が多い
https://wienandme.blogspot.com/2018/01/blog-post_8.html子連れ旅行の「良い面」と「悪い面」を3点ずつ述べた記事。
個別の紀行文、いわば各論に入る前に、まず「子どもと一緒の旅ってこういうものだよね」と総論を語ろうと思った。
それはそれでよかったのだが、こうした文章に取りかかっているうちに2017年9月に訪れたザルツブルクの記憶が古びてしまい、ついにはその旅行記を書けずじまいであった。
旅行記というものは、そこを訪問した直後に書きはじめると主観的に過ぎるし、かといって寝かせすぎても鮮度が落ちてしまう(沢木耕太郎の「深夜特急」のような例外もあるが)。
継続的に紀行文を書くのであれば、そうした頃合いをうまく見極めなければならない。
「現地を去って2~4カ月ほど経ってから完成させるとよい」、これが私の暫定的な結論だ。とはいえ、このあたりは個人差の大きい世界だろう。2千字書くのか、1万字書くのか、本一冊書くのかによっても変わってくるだろう。
4. Qちゃんの効用
https://wienandme.blogspot.com/2018/01/q.html「オバケのQ太郎」を愛する息子について書いた短いエッセイ。
これはもともとfacebookの投稿だったが、「こういう類の小文ならいくらでも書けそうだ」「それなら読み手を『友達』に限定せず、もっとオープンな空間に出て勝負したらおもしろいんじゃないか」と思い立つ契機を私に与えた。そういう意味では、もっとも記念すべき稿ともいえる。
子どもたちはいまでもQちゃんの大ファンだ。先日に訪れた大英博物館の「マンガ展」でも会場の書棚にあった大全集の1巻を熟読していた。同じ本が自宅にあるにもかかわらず。
「ドラえもん」を持参するのは忘れたので、息子たちにとっては「藤子不二雄=Qちゃん」である。この令和の時代にあって彼らだけ昭和40年代を生きているようで、親として少しだけ責任を感じている。
5. マルタ騎士団という準国家
https://wienandme.blogspot.com/2018/01/blog-post_14.htmlマルタ騎士団教会に絡めて、「領土なき国家」マルタ騎士団の歴史をひもといた記事。
ウィーンといえばシュテファン大聖堂やペーター教会が有名だ。でもそういうのは知識豊かな先達たちがもう書いているし、当時の私には独自の視点を示すだけの蓄積もなかった。
そこで(ウィーンのなかでは)比較的マイナーで、個人的にも惹かれるマルタ騎士団教会を取り上げることにしたのだが、歴史について書くのはあまり経験がなくて苦労した。ファクトを固めつつ、無味乾燥を避け、それでいて傾きすぎずに筆を運んでいくことの難しさよ!
でもこの方向に掘り進んでいくのは手応えがあるし、文章修行の意味からも得るものがありそうだな・・・と本稿を書きながら思った。その実感はいまでも続いている。
6. 行き先を決めずに電車に乗る(ウィーン近郊)
https://wienandme.blogspot.com/2018/01/blog-post_18.html目的地を定めずに電車に乗って、ウィーン近郊を小旅行する試みをつづった記事。
「子連れの旅には苦労が多い」の総論につづく、初の紀行文(各論)。20時間くらいかけて推敲し、初稿のボリュームから半分に削った。とくに最後の書きぶりには悩みに悩んで、夜の夢のなかでも文章を直した。
「この記事がいちばん好きです」と言ってくれる読者がたまにいる。とてもうれしい。
7. 片道千円の外国旅行 (ショプロン)
https://wienandme.blogspot.com/2018/01/blog-post_26.htmlハンガリーのショプロンを日帰り旅行したときのことを書いた記事。
真冬のショプロンには特筆すべきことがほとんどなくて、はじめは「片道千円の外国旅行」というタイトルだけしか決まらなかった。
でも「何もなかったなら、何もなかったことを書けばいい」と気づいてからは、苦労せずにするすると書けた。そのように書き進んでいるうちに、「何もなかったわけでは決してない」ことを発見した。
旅行記を書くことは、ある意味でその場所を再び訪れるような行為なのであった。
8. 殺人はよくない (ウィーン犯罪博物館)
https://wienandme.blogspot.com/2018/02/blog-post.htmlウィーン犯罪博物館の展示内容を紹介した記事。
私は都築響一氏を敬愛しており、彼の著作はほぼ全部読んでいる。だから「珍世界紀行 ヨーロッパ編」で紹介されていた犯罪博物館には(ブログ云々とは関係なく)必ず訪れようと心に決めていた。
そうして実際に行ってみると、やはり心を打たれるものがあり、その勢いを借りて一気呵成に初稿を書き上げた。
館内の展示物は、人間のダークサイドにじりじりと肉薄するようなものばかり。「ウィーンのオシャレな子育て★ライフ」を期待する読者層を突き放してしまいそうな内容だ。それでもいいのか。
でもそこは仕方ないよね、と思った。私は物書きのプロではない(≒注文を受けて書くわけではない)。自らの心のおもむくままに、書きたいものを書くのがいちばんだ。
ただし、写真をどこまで載せるかについては呻吟があった。「四肢を切断された女性の全裸死体」を掲載するか。「処刑された政治犯の頭蓋骨」はどうするか。
いろいろと考えたすえ、「全裸死体」は採らずに、「頭蓋骨」を採ることにした。
初稿ができてから、粘り強く推敲を重ねた。とくに注意を払ったのは、客観(展示内容)と主観(私の感想や仮説)を峻別し、それらの並べ方によって文章に緩急をつけること。
累計PV数こそ少ないけれど(約1,000ビュー)、個人的に思い入れの深い記事である。
9. 世界のどこにも似ていない街(ヴェネツィア)
https://wienandme.blogspot.com/2018/02/blog-post_13.html年末のヴェネツィア旅行を回想した記事。
いま読み返してみると、改善の余地を大いに感じる。エピソードが散発的で全体の「流れ」がよく見えない。「ジョジョの奇妙な冒険」や「海の都の物語」を引用した前置きはいささか冗長だし、そこで述べたことが本筋に有効にリンクしていない。
でも冬のヴェネツィアはすばらしかった。そして驚くべきことに、息子はまだ「アルビゼ」の単語を覚えている。
10. ウィーンで施しを受ける息子たち
https://wienandme.blogspot.com/2018/02/blog-post_19.html「子どもに優しいオーストリアの人たち」のエピソードを紹介した短文。
10本ほども記事を書くと、自分なりに習熟すべきテクニックがわかってくる。
鳥瞰と虫瞰の行き来によって、語り手の視点にダイナミズムを生む方法。
本文中に画像を挟み込むことによるリズムの取りかたと、その崩しかた。
幕が下りるまで読者に付き合ってもらうには、活字媒体だけではなく、マンガや映画からも節操なく手法を盗んで、総合格闘技を戦い抜くような発想が必要だな、と思うようになった。
そう思うだけでたいして実践できていないのが、この記事の読みどころだ。
11. 地獄のような天国(フエルテベントゥラ島)
https://wienandme.blogspot.com/2018/02/blog-post_25.htmlカナリア諸島のフエルテベントゥラ島を訪れたときのことを書いた記事。
ブログを立ち上げてからの旅行としては――つまり、「この経験をあとで文章に起こそう」とはっきり意識したものとしては――これが最初の案件である。
この島にはいろいろと風変わりなおもしろさがあって、取りあげるネタには困らなかった。むしろ「どのパートを削るべきか」の選択に迷うことになった。
フエルテベントゥラ島を知っている読者なんてまずいないだろうから、導入部で「どういう場所なのか」「なぜそこに行きたかったのか」をしっかり書くように心がけた(以後の旅行記でも基本的にそうしている)。これは、藤田和日郎先生と荒木飛呂彦先生の作品のつくり方を参考にしたものだ。
何回言ってもなかなかできないみたいだけど、キミのネームは「読者はこれくらいわかるだろう」という甘えとか「とにかく絵をかっこよく見せたい」という気持ちが先走ってるよ。どの情報を捨てて、何を入れれば読み手がスムーズに理解できるのか、もっと考えて。(略)
キミの頭のなかでは何か月も考えてきた常識になっていることだろうけど、読者にはそれをものの10秒で、ゼロから理解させないといけないんだよ。
キミの頭のなかでは何か月も考えてきた常識になっていることだろうけど、読者にはそれをものの10秒で、ゼロから理解させないといけないんだよ。
「導入部は5秒か10秒で理解できる情報量に絞って丁寧に説明を!」
この時に一番大事なのは「動機」です。主人公は何をしたい人なのか、その行動の動機をはっきり描かないと、キャラクターというものは出来上がっていきません。「人がなぜ行動するのか」を描くのは非常に重要で、ここが曖昧だと、読者は主人公に感情移入できないのです。(略)
動機は、読者の共感や興味を得なければなりません。読者が「この主人公はいったいどうなるんだろう」「何をする人なんだろう」と気になって、先を読みたくなるような動機が、よい動機なのです。
動機は、読者の共感や興味を得なければなりません。読者が「この主人公はいったいどうなるんだろう」「何をする人なんだろう」と気になって、先を読みたくなるような動機が、よい動機なのです。
引用:荒木飛呂彦「荒木飛呂彦の漫画術」集英社
「第三章 キャラクターの作り方」
この旅行記を公開する前には、フエルテベントゥラ島について日本語で紹介したネット記事は1,2件くらいしか存在しなかった。それゆえに「これは検索エンジンからの流入を見込めるに違いない」などとスケベ心を働かせたのだが、その読みは当たり、いまでも「呼び水」として機能している。
12. 子連れ旅行のライフハック
https://wienandme.blogspot.com/2018/03/blog-post.html子連れ旅行の苦労を減らすためのアイデアについて紹介した記事。
「ライフハック大全」という本を読んだらおもしろかったので、これにあやかって自分でもなにか書いてみようと思ったもの。
当初はもっとコンパクトな記事にするつもりだったが、書いているうちにどんどん「余談」の部分が増えていって、予定と異なる文章になってしまった。でも総じてたのしく書けたのも確かなので、ここは変に刈り込まず、あえてそのままアップすることにした。
13. ウィーンの花の押し売りには気をつけた方がいい
https://wienandme.blogspot.com/2018/03/blog-post_14.htmlウィーンの花屋をめぐる日常のエピソードをつづった小文。
だんだんとブログ記事が長文化してきたので、このあたりでひとつ、「お茶漬け」みたいにさらっと読める短いエッセイみたいなものを書こうと思ったのだ。
最初のタイトルは「ウィーンの良い花屋と悪い花屋」。ところが、「ウィーン 花屋 押し売り」のような検索ワードからアクセスされる方が続々と現れ、その期待(?)に応える形で(公開から約1年後のタイミングで)記事名を変えた。私にとってはめずらしいパターンだ。
「ドネーションお姉さん」の姿は、いまでも見かける。ウィーンに観光でいらっしゃる方はご留意ください。
14. 離婚した国の穏やかな首都(ブラチスラバ)
https://wienandme.blogspot.com/2018/03/blog-post_19.htmlウィーンからもっとも近い外国の首都・ブラチスラバへの訪問記。
ショプロンと同様、この街には観光ガイド的なスウィート・スポットがあまりない。それを飲み込んだ上でどう語るべきか、アイデアが下りてくるのを待つ必要があった。2回目に訪問するまで書きはじめなかったのは、我ながら得策であった。
ウィーン在住者はとても気軽にブラチスラバに出かける。界隈で評判のよいRamen Kazuでラーメンを食べる、そのためだけにスロバキア行きのチケットを買う輩もいる(私は未訪)。これを聞いて私が思い出すのは、「ドラえもん」のスネ夫が札幌ラーメンを食べるためだけにボーイング747に搭乗するエピソードだ。
![]() |
画像引用:「ドラえもん」42巻(てんとう虫コミックス) 「やりすぎ! のぞみ実現機」 |
この稿では、「何かに仮託して別の何かを語る」という、文章を書く人にとってはおそらく初歩的なテクニックをーー麻雀で言えば「筋ひっかけ」みたいなことをーー意識して試みた。
ブラチスラバ動物園から上野動物園を経由して、私の新人時代の憂鬱を呼び寄せる。
チェコスロバキア人との会話から、いまこの世界につながる補助線を引いてもらう。
まだ自分の文体を信じられる域には至らないし、語彙の選択にも粗が目立つ。でもこうした文章を希求することで、三十余年にわたる私の人生の愚かな磁気が引き寄せた鉄クズたちを、その重みをうまく「廃材活用」できるんじゃないか。
書くことで救われる、という使い古された表現は、つまりはそういうことではないか?
15. 英語の幼児教育は難しい
https://wienandme.blogspot.com/2018/03/blog-post_26.html子どもに英語を教えることの難しさについて書いたエッセイ。
読者の関心を集めやすいテーマなので、「安易な決めつけ」みたいなことはしないように、それでいて私の意見を変に遠慮せずに自由に開陳するように心がけた。
私はたいして良いお父さんではないけれど、育児関係の書籍はいろいろと読んだ。私のおすすめは、中島和子「バイリンガル教育の方法」と田中茂樹 「子どもを信じること」。岩波文庫の「育児の百科」のように、どちらも数十年後の読み手に頼られる古典になると思う。
16. 片道11時間の鉄道旅行(ウィーン ~ ユトレヒト)
https://wienandme.blogspot.com/2018/04/11.html子連れ客にとってのドイツ鉄道の快適さについて述べた体験記。
もともとはユトレヒト旅行記の導入部のつもりだったが、書いても書いてもなかなか目的地にたどり着かないので、移動パートだけ切り出して別記事にしたもの。
ヨーロッパの暮らしで感謝するべき点として、鉄道インフラの充実ぶりは筆頭である。我々はこのあと何度も子連れの電車利用を経験し、いまではすっかり慣れてしまった。フレッシュな感動があるうちに、興奮が持続しているうちに、こうして熱量ある文章を残しておけたのはよかったと思う。
でも「Weißbier(白ビール)を飲むために私は生まれてきた」なんて、いま読むと大げさで恥ずかしいですね。削除したくなってしまう。
17. 運河と自転車とミッフィーの街(ユトレヒト)
https://wienandme.blogspot.com/2018/04/blog-post.htmlミッフィー博物館を目当てに訪れたユトレヒトの旅行記。
旅の予習として司馬遼太郎の「オランダ紀行」を読んだ。この本は、観光ガイドの観点からすれば、もう笑えるほど参考にならない。しかし著者ならではの融通無碍な余談の運び方には古びないおもしろさがやはりあって(ときどき読みながらツッコミを入れたくなるが)、これは私がブログを書く上でものすごく参考になった。
対象にまつわる情報だけで余白を埋めるのではなく、それについて自分が考えたこと、連想したこと、理解したこと、または理解できなかったこと、要すれば「主観」を、衒うことなく展開してしまえばよいのだ。
もちろんそれがある種の「芸」になっていなければ――文章技術がしかるべきレベルにまで高められていなければ――惨憺たる結果を招いてしまうのだけれど・・・。
18. ウィーンの路上の表現者たち
https://wienandme.blogspot.com/2018/04/blog-post_21.htmlウィーンの大通りで音楽を演奏したりする人たちを描写した短文。
「ウィーンの路上演奏って楽器の種類が豊富だな」とは、住みはじめた頃から思っていた。
でも写真が1,2個では説得力がない。なので、ユニークな演奏者を見つけるたびに撮りためていって、それなりにストックがたまるまで寝かせておいた。そういう「仕込み」のプロセスには、日々の生活をちょっと豊かにさせるものがある。ブログ運営のたのしみは、こんなところにもあると思う。
19. さようなら、私の届かなかった荷物たち
https://wienandme.blogspot.com/2018/04/blog-post_28.htmlAmazonで注文したiPadが届かなかったという嘆きを書いたエッセイ。
これは2018年に公開したなかで、もっともアクセス数が多かった記事のひとつだ。
それ自体はもちろんありがたいのだけれど、どういう経緯(チャネル)で人気を得たのか、いまだによくわからないのは奇妙なことである。SNSで拡散されたわけでも、有名サイトからリンクを貼られたわけでも、検索エンジンで上位にランクされたわけでもないのだ。
まあそれはともかく、自分で書きながら笑ってしまったのも事実である。そうやってご機嫌な気持ちで書いた記事が、いくつかの僥倖が重なって、読み手の愛顧を広く得るというのは、これは、これはなんと表現すればよいだろうか・・・世に数多ある喜怒哀楽の感情のなかで、こんなにもディープに沁みわたる「喜」もそうないだろうと信じさせるものがあった。
20. 猫と階段と城壁の街(ドブロブニク)
https://wienandme.blogspot.com/2018/05/blog-post.html「魔女の宅急便」のモデルと称されるドブロブニクの旅行記。
ドブロブニクは世界的に人気の観光地なので、先行する旅行記事はたくさんある。そして我々が訪れたのは、旧市街にしろ、城壁にしろ、ロクルム島にしろ、誰もが行くような王道のスポットばかりであった(子連れ旅行で大穴を狙うのは難しい)。
といっても、これじゃあ独自性を醸しだせないな・・・と悩むことは、もうなかった。
なぜなら、先のユトレヒト訪問記の解題でも触れたように、現地で自らが気づいたことや、心を動かされたことなどを枢軸にして、その内容にフィットした文体で走らせれば、私にしか書けないコンテンツができるはずだと信じるようになったからだ。
そのクオリティはともかくとして。
21. 怠惰を極め、日本と百年戦争をする(モンテネグロ)
https://wienandme.blogspot.com/2018/05/blog-post_23.htmlドブロブニクから日帰りで訪れたモンテネグロの旅行記。
モンテネグロはすてきな国だったけれど、なにしろ日帰りの弾丸ツアーだったので、対象にさほど肉迫できたわけではない。浅い観察からは浅い文章しか生まれない。どうしたものか。腕を組んでASUSの3万円のノートパソコンに対面しているうちに、「それなら今回は、現地で見たものとは異なる点にフォーカスすればいいんじゃないか」と気がついた。
『現地で見たものとは異なる点』とは、ここでは「モンテネグロの十戒」と「日本との百年戦争」である。
怠惰を極め、日本と百年戦争をする。
その結果として――かどうかはわからないのだが――本稿はドブロブニク篇よりもはるかに多くの読者を得ることになった。とくに、テレビ番組「世界ふしぎ発見!」でモンテネグロが取り上げられた直後には(拙ブログが紹介されたわけではない)、尋常ならざる検索エンジン流入をたたき出した。
この経験から私が学んだのは、「アクセス数の増減には偶然の要素がかなりあるのだから、あまり気にせず、自分の好きなものを好きなように書いていこう」ということだ。
22. ウィーンの児童公園には井戸がある
https://wienandme.blogspot.com/2018/06/blog-post.htmlウィーン市内のすばらしき児童公園について紹介した記事。
これは我ながら書いてよかった。なぜなら子連れの旅行者からウィーンのおすすめスポットについて問われたときに、このページを示すことができるからだ。
ちなみに、記事中では触れなかったが、22区の郊外にあるヒルシュシュッテッテン庭園は、ベスト・オブ・子連れに優しいスポットである。児童公園はもちろんのこと、動物園も植物園もあるし、生垣の迷路(写真下)は子どもが大喜びだし、自家製ワインが飲める小酒場は私が大喜びである。これで入場無料なのだから、地元民が集まらないわけがない。
23. ドイツ鉄道のオンラインチケットが届かない
https://wienandme.blogspot.com/2018/06/blog-post_5.htmlある手続きミスによってドイツ鉄道のチケットが届かなくなった体験記。
これはイメージとしては「飲み会でウケる失敗談」の文章化である。人間というのは本質的に他人の過誤をよろこぶ性質があるから、語り口の選択さえ誤らなければ確実に盛り上がる。傷つくのは過去の自分だけでよい。教訓みたいなのも、ずっと後方からついてくればよい。
「さようなら、私の届かなかった荷物たち」と「オーストリア航空で6万円のチケットを誤発注した」と本稿をあわせて、私は勝手に「失敗三部作」と呼んでいる。
「Satoruさん、会社で読んでたら吹き出しちゃって、周りから白い目で見られましたよ」という苦情のメールが古巣の職場から送られてきたことがある。「責任を取ってください」
まさに理想の反応である。
24. ヒトラーが愛した街は、皆が愛する街だった(リンツ)
https://wienandme.blogspot.com/2018/06/blog-post_15.htmlアドルフ・ヒトラーが10代の頃に住んでいたリンツの旅行記。
「このロバは、1分後に激しい交尾をした」のキャプションが自分でも気に入っている。
25. NHK「ちきゅうラジオ」に出演した
https://wienandme.blogspot.com/2018/06/nhk.htmlNHKラジオに生放送で10分ほど出演したときの記録。
番組の制作会社の方から、ある日いきなり連絡があった。依頼メールの文面にはどことなく信頼できそうな印象があり、またラジオ出演は私にとって前例なきことだったので、おもしろ半分で受けてみることにした。
「ちきゅうラジオ」は、異文化交流のおかしみを柔らかいトーンで伝える老舗の人気番組である。しかし私は(依頼を受けた時点で)ブログを開始して半年にも満たず、ウィーンに住みはじめてから1年も経っていない。それからドイツ語も不如意である。そのような「素毛者」(=素人に毛の生えた程度の者)に、提供できる付加価値など本当にあるのか?
でもまあ、そんなことを逡巡したのは最初の一瞬だけで、「やってみれば何とかなるんじゃないか」とすぐに思った(私はわりに楽天家なのだ)。その顛末を記したのがこの記事である。
当日に話すべき内容については、まず私が要点を1枚紙にまとめ、これに対して番組ディレクターから修正やコメントをいただいた。このプロセスは刺激的かつ示唆に富み、「第一線で働くプロから批評を受けるのって重要だな」との発見が私にあった。
この2か月後、私は思い立ってデイリーポータルZの投稿コーナーに応募するのだが、それはNHKラジオの経験によるものが大きい。外部レビューの大切さ。
26. オーストリアの運転免許証を取得する
https://wienandme.blogspot.com/2018/06/blog-post_28.html「EU圏内で使える運転免許証」をウィーンで取得するまでの顛末記。
このブログで私が目指しているのは「読み物としてのおもしろさ」である。実用性みたいなものにはプライオリティを置かずに、基本的には舞台の袖のあたりで待機してもらっている。およそ95%は役に立たない内容であるし、それでよいとも思っている。
それでも残りの「5%」を、つまりプラクティカルな記事を書きたくなる日もたまにある。なぜなら私自身が海外在住ブログたちに助けられてきたからだ。「恩返し」ではないのだが、そうして書きあげたものが本稿である。「オーストリア 運転免許証」といった検索ワードで漂着される読者はいまだに多く、狙い通りの効果をあげられたと思っている。
ちなみに私はヨーロッパに来てから交通事故を2回(マヨルカ島とアイスランド)起こしている。無事故で運転できたのはフエルテベントゥラ島だけ。すなわち事故率67%ということで自他ともに認める最悪のドライバーである。いまこうして生きていることの僥倖を噛みしめずにはいられない種類のドライバーである。
それでも日本の免許証はゴールドだ。なぜなら日本では運転をほとんどしないから。
「交通事故を防ぐための最高の方法がひとつある。それは運転をしないことだ」と呟いた人がいる。けだし名言である。はたして誰の言葉であったか。
私の言葉だ。
アイスランドの哀しみ |
27. 折りたたみ式ベビーカーは機内に持ち込める
https://wienandme.blogspot.com/2018/07/blog-post.htmlウィーンで買った折りたたみベビーカーを称賛した記事。
「子連れ旅行のライフハック」の余談にして、マルタ旅行記の予告篇。
このベビーカーはいまなお現役で活躍しているが、もはやフライトで行く旅には携えない。我々は最近いよいよLCC(格安航空会社)を普段使いするフェーズに至ったので、折りたたみの後ですらサイズ規制に引っかかるからだ。(それでも鉄道旅行には持参する。その便利さはいささかも衰えない)
28. くらげに刺され、戦没者を追悼する(マルタ)
https://wienandme.blogspot.com/2018/07/blog-post_17.html地中海の小国マルタの旅行記。
ヨーロッパ在住者との雑談において、「おすすめの旅行先」は無害でたのしいトピックだ。そういうとき私はたいていマルタ共和国を挙げている。ひとりで行っても、家族で行っても、歴史が好きでも、自然が好きでも、あるいはグルメやリゾートだけの興味であっても、この国には全方位的な欲求に応える懐の深さがあるからだ。
私もマルタに魅せられて、書きたいことが次から次へとあふれてきた。エピソード・バイ・エピソードのつるべ打ちで、全体の流れをうまく制御できぬまま最終稿に至ってしまった。「ちょっと失敗しちゃったよな」と、書き上げた数ヶ月後にこっそり自省したりした。
でもいまになって読み返してみると――1年前に書いた文章なので、もはや第三者の視点で読むことができる――これはラストの戦没者慰霊碑に向かって、ほかのすべてのエピソードが緩やかにつながりながら流れ込んでいくような構成に(おそらくは企図せずに)なっていて、そしてあるシークエンスにおいてはこのブログの「結論」みたいなことも仄めかされていて、これはこれで悪くないんじゃないかと思えてきた。
2019年7月に、能條純一「昭和天皇物語」からの引用画像を追加した。
29. 息子が英語を話しはじめた
https://wienandme.blogspot.com/2018/07/blog-post_27.htmlウィーンで英語を話すようになった息子たちについて書いた小文。
「英語の幼児教育は難しい」の続篇。再び「ドラえもん」の画像を引用したのも、もちろん意識してのことである。
前回と同じく、「自身の体験を一般法則化しないこと」に気をつけながら、私なりの諧謔を混ぜて一品に仕上げたつもりだ。
ある国で成功した事例が、ほかの国にそのまま適用できるとは限らない(There is no silver bullet)。これは私が勤める国際機関で、カウンターパートたる政府筋の人たちにお伝えしているメッセージでもある。
30. 死ぬ前にここを思い出したい(ハルシュタット)
https://wienandme.blogspot.com/2018/08/blog-post.html「アルプスの秘境」ハルシュタットの旅行記。
ハルシュタットではやはりあの幻妙な風景に目を奪われたし、岩塩坑にも納骨堂にも迫ってくるものがあった。だから今回は変に構えず、感動を素直に書くようにした。
でもいまにして思えば、何から何まで褒め称えるのではなく、ごく少量のスパイスとして、衒わずに批判的なことを書いてもよかったかもしれない。
たとえば、観光の価値を最大化させるため、もう旧市街には住民がほとんどおらず、いわばアーティフィシャルな秘境になっていることとか(チェスキー・クルムロフなどにもいくぶんそういう要素はある)。
しかし本稿に手を加えるつもりはない(それをやりはじめると地獄のドアーが開くから)。ここに解題として、密やかにしめやかに申し添えるのみである。
31. デイリーポータルZで紹介された
https://wienandme.blogspot.com/2018/08/z.htmlデイリーポータルZの投稿コーナーに採用されたときの短報。
私が投稿行為に手を染めた主な動機は(と書くと犯罪っぽいけど)、本文に記したとおり、プロからの批評をもらうことにあった。
デイリーポータルZは客筋のよい老舗のWebメディアで、投稿コーナーにも傑作が目立つ。ご覧になったことのない方のために例を挙げるなら――いくらでも例示できてしまうのだが――すぐに思いつくものだけでも、
- 「経費で飲む」ために架空の会社を設立してみた (CRAZY STUDY)
- いつかキリマンジャロでコーヒーを (私立ねお学園)
- 「伏線見破りパーティ」で、靴を削り時計を自作する人が出現した話 (こっちは遊びでやってんだよ!)
- 異国のおじさんがデカイ鍋で料理する一部始終 (つるんとしている)
といった具合に、まず発想力と行動力のみごとな乗算があって、なおかつインターネット的な(インディーな)おもしろさを醸成している珠玉のコンテンツが多い。
そうしたなかに私の記事が並ぶのはイメージしがたいものがあったが、「だめでもともと」の軽い気分で、送信ボタンをクリックしていた。
私はこれまで10回ほど投稿した。
落選4回、次点1回、入選5回だ。
- 死ぬ前にここを思い出したい(ハルシュタット) 【入選】
- そして帝国は滅んだ(ウィーン軍事史博物館) 【落選】
- ドイツの日本人街で「新橋」を感じた(デュッセルドルフ) 【次点】
- 航空機を愛するが客船も気になる、この気持ちを何と呼ぶ 【落選】
- ザ・ベスト・オブ・子連れに優しい街である(ヘルシンキ) 【落選】
- 「電子国家」を見るつもりが、竹馬に乗っていた(タリン) 【落選】
ここで投稿をストップした。「私の文章は政治的に機微なトピックを好んで扱うし、小理屈みたいな表現もあるので、やはりDPZの求める基準には満たないのだろう」と察したからだ。そうして再び純粋な一読者となって、常連ライターの更新を(とくに與座ひかるさんとトルーさんの新作を)たのしみに待つ日々に戻った。
でもそれから数ヶ月後、力を入れて書きあげたパレスチナ旅行記をひさしぶりに投稿しようと思い立ち、これに続いてイランやトルクメニスタンの記事も取り上げていただいた。
- 子どもたちは笑顔で中指を突き立てた(パレスチナ)【入選】
- 経済制裁下のイランに、それでも行くべき3つの理由(テヘラン)【入選】
- 「世界の半分」でフライトキャンセルに喘ぐ(イスファハーン)【入選】
- 「中央アジアの北朝鮮」に行ってきた(トルクメニスタン)【入選】
私はいまや充分に満足した。DPZの好ましい読者層にリーチすることもできた。柔らかくも鋭い選評をいただいた編集部の方々には、本当に感謝するほかない。
32. そして帝国は滅んだ(ウィーン軍事史博物館)
https://wienandme.blogspot.com/2018/08/blog-post_18.htmlウィーン軍事史博物館について紹介した記事。
これまでの一連の旅行記で、歴史について書くことの妙味が自分なりにわかってきたので、いよいよ満を持して・・・という覚悟で執筆に挑んだ。ウィーンに住んでいる以上、どこかで必ず対峙するべきテーマでもある。当時の持てる力をすべて出し尽くした。アップロードしたあとには少し寝込んだ。
この記事を読んで博物館を訪れた方がいて、そのひとりは航空機エンジンの設計者だった。ブログをやっていてよかったと思うのは、じつにこういうときである。
33. ドイツの日本人街で「新橋」を感じた(デュッセルドルフ)
https://wienandme.blogspot.com/2018/08/blog-post_26.htmlヨーロッパ屈指の日本人街を擁するデュッセルドルフの旅行記。
デュッセルドルフと新橋の類似性を述べた記事だが、旅行中にはそこまで熱心に取り上げるつもりはなかった。サラリーマンの写真を撮っていなかったのもそのためだ。
「外国の●●が日本の××に似ている」の着眼点はとりたてて珍しくはないし、書いている当人だけがおもしろがっているケースも少なくない。険峻なる道は敬して遠ざけるべし――なのだけれど、文を連ねるうちに「流れ」がどういうわけか此方に寄ってしまう。小魚が避けがたく岩礁に向かうように、なぜだか新橋のことを書いてしまうのだ。
そうして決着をつけるべきパートに至って――長めの紀行文をものしていると、「そろそろ記事を終わらせる頃合いだな」とふいに自覚されるのだ――現地で私を揺さぶった情動の原形みたいなものがいきなり飛び出してきて、その輪郭が失われる前にと必死になって書き写したのが、あの最後の部分である。
そんなものを読者の目にさらすのは抵抗があるし、そもそも「問われてもないのに自分語りをするやつは疎んじられる」のは国籍を問わない法則であると(これまでの職業経験からも)理解していたのに・・・それなのに300回ほども文章をこねくり回して、ついに私は「公開」ボタンをクリックしてしまう。
クリックから1年。これは4番目にPV数の多い記事となった。
じつに恥ずかしく、じつに信じられぬことである。
じつに平身低頭すべきことである。
34. 航空機を愛するが客船も気になる、この気持ちを何と呼ぶ
https://wienandme.blogspot.com/2018/09/blog-post.htmlヨーロッパの公共交通インフラのすばらしさを熱弁した記事。
心のバルブを全開にして、私の愛する対象物について好きなように書く。テクニックがなくても、パッションがあれば一点突破できるのだ(できないときもある)。
「私の愛する対象物」とは、航空機と、鉄道と、客船と、それからうんこのことである。
35. ザ・ベスト・オブ・子連れに優しい街である(ヘルシンキ)
https://wienandme.blogspot.com/2018/09/blog-post_22.html子連れ旅行者にものすごくフレンドリーなフィンランドの旅行記。
このあとフィンランド人と仕事をする機会がいくつかあったが、「ヘルシンキに行ったよ」「スオメンリンナ島で子どもと過ごしたよ」「サウナは天国のようだった」と具体的に語ると喜んでくれるし、雑談も盛り上がる。これも旅行の効用のひとつだろう。
36. 「電子国家」を見るつもりが、竹馬に乗っていた(タリン)
https://wienandme.blogspot.com/2018/10/blog-post.html政府のイノベーティブな取り組みで知られるエストニアの旅行記。
本当はもっと「電子国家」の実装ぶりに迫りたかったけれど、ヘルシンキからフェリーでの日帰り旅行だったこともあり(1泊くらいすればよかった)、野外博物館で目撃した「前近代性」とのギャップにフォーカスする形で書きしのいだ。
エストニアに対する私の関心は持続している。ある日本在住の知り合いは電子住民票(e-Residency)を取得し、いつでもエストニアでビジネスを興せるようになっている。「それ、いいな!」と私は思うのだ。
37. ウィーンにいても、クラシック音楽ばかり聴くわけではない
https://wienandme.blogspot.com/2018/10/blog-post_31.html子育てをしながらYouTubeで聴いている曲を紹介したエッセイ。
音楽について、なにかを書いてみたかった。
中学生の頃から憧れだった渋谷陽一。ロキノン文体にもしっかり罹患した思春期だった。
「いつかはこういう文章が書けるようになりたい」と、誰にも言わずに感服した吉田秀和。いまだって沈黙しながらそう思っている。
インターネットの夜空を見上げるなら、私の一等星はいつだって「真顔日記」のaiko評だ。aikoは私には縁遠いものだったが、この惚れ惚れする批評を読んで(何度も何度も読んだ)、はじめてaikoをちゃんと聴くようになった。
よい文章は、読み手に新しい視座(viewpoint)をもたらす。
渋谷陽一も吉田秀和も、「真顔日記」のaiko評もそうだった。
それで私になにが書けるかといえば、これがさわやかなくらい手札不足だ。音楽的な教養もないし、ボキャブラリーにも乏しい。まったくお話にならないのである。
正面から戦っても勝てない際は、角度を変えて攻めてみる――これは兵法の基本でもある。そして拙ブログの特産品は評論ではない。「ウィーン」「旅」「子ども」のいずれかのキーワードに引っかかる内容だけを書くものと決めている。
それならば、と思いついたのが、「子ども」と「YouTube」を先に並べて、そこに「音楽」を加えた三題噺としての語り口だった。
書きながら実力不足が身にしみる。でも好きなものについて「なぜ好きなのか」「どう好きなのか」を説き起こす作業には、ほかでは得られないたのしみがあった。慈しむべきものから暖を取らずに、苦しい人生をしのぎきるすべはない。
文章を書きながらよく音楽をかける。最近は、Mammal Hands、Gogo Penguin、Alfa Mistにハマっている。なぜかイギリスのアーティストばかりだけど、それはたぶん偶然です。
通勤中には邦楽も聴く。あいみょんとか、ぼくのりりっくのぼうよみとか、the chef cooks meとか、Charisma.comとか。
「年を取ると新しい音楽を聴けなくなる」みたいな言説があるが、個人の話を一般化するのはやめてくれよな、と私は思っている。globeとか、BUMP OF CHICKENとか、クラムボンとかもいまだに好んで聴くけれど(Amazon Prime Musicは最高)。
でも90年代ユーロビートだけは選曲しない。あれを聴くと、地中処分を済ませたはずの昏い過去が甦ってしまう危険があるから。
38. でもウィーンにいるなら、クラシック音楽をやはり聴きたい
https://wienandme.blogspot.com/2018/11/blog-post.htmlウィーン楽友協会ホールなどで聴いたクラシック音楽について書いたエッセイ。
タイトルが示すように、前稿からの続きである。今度は「子ども」ではなく「ウィーン」を軸にして、クラシック音楽のことを書きたかった。そして2014年に書いた記事(バークレーで音楽をたくさん聴いたこと)よりも、さらに深いポイントまで到達できるような文章に仕上げてみたいという、これは昔の自分に対するチャレンジでもあった。
この2本を脱稿して私は満ち足りた。しばらく音楽について書くことはないだろう。
39. 洞窟に入って、市街も歩く、この贅沢な旅の時間(リュブリャナ)
https://wienandme.blogspot.com/2018/11/blog-post_19.htmlスロベニアの首都リュブリャナの旅行記。
我々の体験したリュブリャナは、心の底から居心地のよい街だった。息子たちも「リュブリャナ、よかったね」といまだに称賛する。「パパが転んでケガしちゃったね」とも言う。パパの傷は治ったが、ジーンズの破滅は直らない。
40. ヤムチャはすぐ死ぬ、という世界の共通理解
https://wienandme.blogspot.com/2018/12/blog-post.html息子の幼稚園で出会ったウィーン生まれの若者との交流を描いたエッセイ。
マンガについて、なにかを書いてみたかった。
世のなかにマンガ評は数あれど、琴線に触れるものは多くない。偏った視座を有することに定評のある私の考えによれば、優れたマンガ評の必要条件は、
(1)批評文自体が「芸」になっていること。読ませる力があること。
(2)読み手の「ものの見方」をアップデートさせる要素があること。
この2点であって、つまりは前述した音楽評とほぼ同じである。
私が好んで読む(繰り返し読む)マンガ評は、まずブルボン小林の「マンガホニャララ」、それからインターネット界の準古典とも称すべき「変ドラ」、「真顔日記」のスラムダンク評、あるいは同作者の「マンガ再々々々々々読!」だ。
といっても、これもまた前述のとおり、このブログの特産品は評論ではない。だから私は、「ウィーン」と「子ども」のタグを取り上げて、私なりの筆致でマンガへの愛と感謝をつづることにした。
外国に住んでいると、日本のマンガ文化がいかに愛されているかを実感する。その無形の便益は、かつて諸外国のインフラ建設に貢献した偉大なる先達たちにも劣らぬほどだ。
これが私の主張である。だけどこんなことを正面から論じても、なんだか新聞の社説みたいでつまらない。だからここでは、アウグストゥスくんと、アフリカ系アメリカ人と、ヤムチャに登場していただいて、いわば三者面談みたいな形をとって、なるべく柔らかい語り口で展開するようにした。
総じてたのしく書けたのだけど、まだまだマンガについては語りたいことがたくさんある。このブログのどこかで、マンガへの愛を再び告白する機会があると思う。
マンガの文化は受け継がれてゆく 画像引用:「原作版 左ききのエレン」10巻(ナンバーナイン) |
41. 棒を持った人は、ショッピングモールに入れない(ニース、モナコ)
https://wienandme.blogspot.com/2018/12/blog-post_16.html南仏の景勝地ニースと、世界で2番目に小さいモナコの旅行記。
この記事が表面的に語っているのは、子どもと訪れたビーチやショッピングモールだ。けれども私は、その上に自らの職業人生の「重し」を意識して乗せるようにした。そしてまた――この頃になってようやく自覚されたのだが――もとより私の文体には十余年にわたる勤務経験がすべからく反映されているのだ。
このブログをはじめた当初は、仕事を通じて得られた見識を文章に混ぜ込むことには抵抗があった。それはあまり推奨されない行為であるように(あくまで私には)思えたのだ。「本業とは切り離して、肩書も伏せて、純粋にコンテンツだけで勝負したい」という青臭い気持ちもそこにはあった。
でも10本、20本、30本と、恥(もとい、記事)を書き連ねているうちに、その考えは間違いではないかと思うようになった。
本気でよい文章を書きたいなら、そんな理念にこだわる余裕はないはずだ。これまでの人生で「得られたもの」「得られなかったもの」の全部を膝の上に並べて、大本営を大動員して、殲滅される覚悟でやっていくしかないのではないか。
私がいつか死ぬとき――それは明日かもしれない――それでも「これを書けてよかった」と心の底から信じられる文章をひとつでも増やすには、そのクオリティを1ミリでも高めるためには、職業人生をも漏らさぬ無辺際のコミットメントが求められるのではないだろうか。
ここで私が想起したのは、藤沢周平の作品群だった。
藤沢周平は、世間的には「エンターテイメント寄りの時代小説家」と理解されている。
しかし、私の信じるところ、彼は明治以降の日本のすべての文学者と比べても抜群に文章のうまい作家である。自然描写にも人物描写にも才気が迸っている。どうしてこんなにうまいのかよ、と本を閉じて嘆息してしまうレベルのうまさだ。藤沢周平は、私にとって、夏目漱石や谷崎潤一郎と並び立つ頂である。
彼は天才なのか?
彼は天才である。
而して彼は遅咲きの天才である。天賦のみに拠っては立たず、業界紙記者のシビアな観察が鍛えあげた才能である。組織に生きる者の屈託を見つめ、理不尽を眼差し、それらを遠い過去の虚構に(たとえば海坂藩に)トランスレートして、そうして結実した才能である。
藤沢周平の超絶技巧な文体は、私などが盗もうとして盗めるものでは決してない。他方で、時代小説のフォームを取りながらも、戦後を生きた彼自身の職業遍歴が作品のオリジナリティを盤石に支えているという、その「分かちがたさ」には目指せる余地があるのではないか。
もっと文章がうまくなりたい、と私は思った。
そして2018年が終わった。
おわりに――『1割』に届くものを書く
私の信頼できない記憶によれば、作家の村上春樹さんは若い頃にジャズ喫茶を経営していて、その「商売のコツ」について尋ねた読者に、以下のような趣旨の回答をされていた。
「すべてのお客さんに好かれようとしないこと。全員に好かれようとすると、結局は誰にも好かれない。そうではなくて、『1割』に愛されるように努力した方がいい。全体の『1割』がリピーターになってくれたら、商売というものはうまく回るものです。ジャズ喫茶をたたんで小説家になってからも、僕は基本的にそのようなスタイルでやってきました。全員に愛される必要はない。『1割』に届くものを書けばいいんだ、とね」
ウィーンの自宅に本がなく、朧げな引用であることをご容赦ありたい。でも私は(自営業でもないのに)この内容を長らく覚えていて、ブログを立ち上げるときにも意識した。
はじめの3カ月は、およそ300人からアクセスがあって、そのうち30人ほどが固定客となってくれた。なるほど『1割』だ、と私は唸った。
「すべてのお客さんに好かれようとしないこと。全員に好かれようとすると、結局は誰にも好かれない。そうではなくて、『1割』に愛されるように努力した方がいい。全体の『1割』がリピーターになってくれたら、商売というものはうまく回るものです。ジャズ喫茶をたたんで小説家になってからも、僕は基本的にそのようなスタイルでやってきました。全員に愛される必要はない。『1割』に届くものを書けばいいんだ、とね」
ウィーンの自宅に本がなく、朧げな引用であることをご容赦ありたい。でも私は(自営業でもないのに)この内容を長らく覚えていて、ブログを立ち上げるときにも意識した。
はじめの3カ月は、およそ300人からアクセスがあって、そのうち30人ほどが固定客となってくれた。なるほど『1割』だ、と私は唸った。
そして2019年9月14日時点で、直近3カ月間のPV数は約20万。Googleのアクセス解析によれば、ユーザーの実数は約6万人で、うち1万人がリピーターという。
少なくとも10本以上の記事を読まれた方は約6,000人。さらにブログの全記事を読破されたであろう方が、ざっと600人ほどいらっしゃる。
PV数の増加は、おそらく歓迎すべきことだろう。でもそんなことよりも、私の心をしみじみと満たすのは、ここまで『1割』の読み手に届くものを提供できたのだという、不可触ながら確かな、重力つきの実感があることだ。
このブログは、あるタイミングで終わることが決まっている。
終わるまでは続ける。死ぬまでは生きる。これが私の目標だ。
寛容なる読者の皆さまに感謝。引き続きご愛顧のほど、何卒。
コメント