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子どもたちは笑顔で中指を突き立てた(パレスチナ)

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装甲車の窓がゆっくりと開いて、軍用スコープの照準が私の姿を捉える。  そのとき私は、荒野にも似たパレスチナの農園を抜けて、イスラエルの高速道路に立ち入っていた。泥まみれの格好で、ぼろぼろの自転車を担いで歩いていた。  外形的には、私はテロリストと同じような行動を取っていたのである。  ※ これは 「理想の光、暴力の影(イスラエル)」 の続篇ですが、この記事だけを読まれても特に支障はありません。 ガザ地区に行くのは断念した はじめは、 ガザ地区 に行こうと考えていた。特別な許可がなければ立ち入れないエリアだが、そこで暮らす日本人もわずかにいると聞いていた。  せめて 国境線 (という言葉も使い方が難しいのだけれど)の近くで、その空気に触れてみたかった。そして私には、そうした方面における個人的な「ツテ」がないわけではなかった。  しかし最終的には断念した。出発まぎわに、治安面でかなり緊張が高まっているとの一報があったからだ(その数日後、実際にパレスチナ人4名がイスラエル軍に殺害された)。  私がもしジャーナリストだったら、そうした現場にこそ肉薄すべきだと考えるだろう。でも私はジャーナリストではなかった。ごく平均的な、いや平均よりもいくぶん劣った、しがない2児の父親であった。  そしてまた、私が行き先で肉薄したいのは、事件ではなく「日常」であった。パレスチナのごく普通の人びとたちが、どんな風に暮らしているのか。どんな顔つきをして、どんな歩き方をしているのか。それをこの目で見たかった。そのように思いを巡らせたとき、ガザへの訪問は今回は見送るべきとわかった。 それが失敗のはじまりだった そこで私は河岸を変えて、 ジェリコ(Jericho) を訪れることにした。  一説によれば、ジェリコは世界でいちばん古い都市であるという。それから聖書に出てくる ジェリコの壁(Walls of Jericho) の逸話が有名らしい。  私は聖書のことをよく知らない。でも映画への愛なら過剰に蓄えている。だから私にとってジェリコといえば、 「或る夜の出来事」 というコメディ映画である(主人公の男女が相部屋になって、間違いを起こさないために毛布で敷居をつくって ジェリコの壁 と呼ぶ場面がある)。そういえば 「新世紀エヴ

三賢人に聞く、ウィーンで豊かに暮らす方法 

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今回は、ウィーンの国際機関で働く3名の日本人――仕事での関係はないが、個人的に懇意にさせていただいている賢人たち――に投げかけた、6つの質問に対する回答を共有したい。  このブログの全記事を通して、おそらく最も有益なコンテンツになることだろう。 30代・Eさん Q1. ウィーン在住期間と、これまでの海外赴任・出張等のご経験を教えてください。 ウィーンには仕事の関係で住んで約2年になります。学生時代に留学や国際協力関係で英国、中国、インドに長期滞在していた他、社会人になりウィーンをはじめヨーロッパへ度々出張していました。 Q2. ウィーンで暮らしはじめた最初の頃、いちばん驚いたことは何でしょうか? <関西に似ている? ウィーンのマダム> ウィーンはロンドンやパリといったヨーロッパの大都市に比べると小さな街で、以前は排他的で外国人にも厳しいといわれていましたが、近年は外国人にも寛容で、比較的穏やかであり人懐っこい印象を受けます。 地下鉄などでは、向い合って座ったお互いに知らないオーストリア人同士が世間話をしていたりするのはもとより、レストランで隣に座っている人が、アジア人の私にも積極的に話しかけてくることもしばしばです。 そんなウィーンの中で、特に存在感を見せるのがマダムたち。「監視カメラのかわりにおばちゃんたちが街を守っている」と言う地元の人がいるほど、マダムたちはちょっとでも気になることがあると、すぐに我々に干渉してきます。 例えば、街中で子供が泣いていたりすると、「足が寒いからじゃないか」とか、「お菓子が足りないからじゃないか」とか、どこまで状況を見ているのか分かりませんが、こちらがドイツ語を理解しているかなんてお構いなく自分の言いたいことを言ってきます。急いでいるときなど、若干ウザく感じるほどの勢いですが(笑)、一方で子供を一生懸命あやしてくれたり、そのために用意しているかのようにカバンからアメを出してくれたりするなど、関西のおばちゃんのようなノリに、最初はとても驚きました。 Q3. 日本から持ってくればよかったと後悔しているもの、あるいは持ってきてよかったなあと噛みしめているものはありますか?   <日本から持ってきて良かったもの> ラップ …こちらにもラップは売っているものの、日本の製品の方が当地の製品と