「中央アジアの北朝鮮」に行ってきた(トルクメニスタン)
(1)世界で最も有名な旅行ガイドブック「Lonely Planet」のトルクメニスタン篇には、
との注釈がある(10th ed., p.377)。だから旅行者は自分の目で確かめてくれ、と。
(2)先月、仕事でロシアに行ってきた。
そこで知り合ったロシア人、カザフスタン人、ウズベキスタン人に、(気軽な雑談として)トルクメニスタン旅行の話をしたところ、
「Satoru、おまえ大丈夫か?」
「狂った独裁国家で、国民が悲惨なことになってるんだろう?」
「あそこがいまどうなっているのか、全然わかんないんだよね」
とのコメントが寄せられた。
「中央アジアの北朝鮮」の異名をとるトルクメニスタン。
旧ソ連圏の仲間たち(?)からも、やはりそうしたまなざしを注がれているのであった。
(3)トルクメニスタン政府は、統計資料を公開していない。つまり、
人口:不明
GDP:不明
である。
(註:日本国外務省は基礎データを公表しているが、これらは国際機関からの引用で、しかもすべてが「推計値」だ)
これは、カラクム砂漠にあるダルヴァザ村の近くで1971年から延々と燃えつづけているガスクレーター、通称「地獄の門」で撮影したものだ。
けれども最近になって、トルクメニスタンの大統領がこの場所を埋めようとしているらしい(未確認情報)。
私には旅行先の優先順位を決める判断基準がひとつあって、それは「いましか行けない場所に行く」というものだ。
「地獄の門」は、おそらく、きっと、疑いなく、いましか行けないところである。
ここまでのロジックはシンプルだった。
このロジックは、それほどシンプルではなかった。
なにしろビザ(査証)を取るのが世界でいちばん難しいとされる国である。ホテルを個人で予約するだけで違法行為という国である。
いちばん堅実な方法は、代理店を通じて、国家が承認したツアー会社を使うことだろう。
「でもそれじゃあ、刺激に欠けるよな」と私は思った。
ツアー会社の仕切りではなくて、もっと自由に動けるような選択肢はないものか。
そこで我々が追求したのは、トランジット・ビザの取得可能性であった。
トランジット・ビザとは、「トルクメニスタンには移動の途中で(たまたま)訪れますよ」という建前のもと、最大5日間の滞在を許される査証のことだ。
ただし、トルクメニスタン訪問が主な目的とみなされるような旅程、たとえば飛行機で出国and/or入国をする場合などは、当該ビザの対象外となる。
そこで我々がひねりだしたルートは、
このように、陸路でイランから入って、同じく陸路でカザフスタンに出るというものだ。
(そう、これまでのイラン旅行記は、じつはトルクメニスタンへの前座なのであった!)
ところが、ここで深刻な問題が生じた。
「スタン系」専門サイトCaravanistanによれば、トルクメニスタンとカザフスタンの国境線が、2018年6月から臨時閉鎖されているらしいのだ。
一体、なにがどうなっているのか。
私は、「友人の知人」チャネルを最大限に駆使して、カザフスタン外務省の現地職員に確認したり、トルクメニスタン在住の日本人に照会したりした。
そこでわかったのは、
ということであった。まったく何もわからない、という事実が判明したわけだ。
カザフスタンに出るルートをあきらめるとすると、残るはウズベキスタンとアフガニスタン(危険レベル4:退避勧告)だが、ウィーンに帰る廉価なフライトが見つからないという難点がつきまとった。
それからカスピ海を越えてアゼルバイジャンに行くという案もあった。これは最後まで有力な選択肢だったが、「海路はトランジット・ビザの対象外らしい」との情報がこれを拒んだ。
ツアー会社を選ぶにあたっては、「Lonely Planet」に掲載されていた3社(①Ayan Travel, ②DN Tours, ③Tourism-Owadan)に並行して連絡を取り、こちらの要望に応じたアイテナリ及びコスト見積もりを提示してもらった。
次に、その結果をもとに価格点(100点満点)と技術点(200点満点)を個別に採点。両者の合計が最も高いところに落札することとした。いわゆる総合評価方式というやつだ。調達業務に携わる人ならおなじみのプロセスだろう。
こういうのは、ガチに(真面目に)やるほどおもしろい。ときに仕事以上の情熱を傾けて、我々は厳正な審査を行った。
トルクメニスタン旅行のパートナーは、Ayan Travelに決まった。
さあ、いよいよ冒険のはじまりだ。
Due to extenuating circumstances, our writer was not able to visit Turkmenistan.
(酌量すべき事情により、ライターは現地に行けなかった。)
との注釈がある(10th ed., p.377)。だから旅行者は自分の目で確かめてくれ、と。
(2)先月、仕事でロシアに行ってきた。
そこで知り合ったロシア人、カザフスタン人、ウズベキスタン人に、(気軽な雑談として)トルクメニスタン旅行の話をしたところ、
「Satoru、おまえ大丈夫か?」
「狂った独裁国家で、国民が悲惨なことになってるんだろう?」
「あそこがいまどうなっているのか、全然わかんないんだよね」
とのコメントが寄せられた。
「中央アジアの北朝鮮」の異名をとるトルクメニスタン。
旧ソ連圏の仲間たち(?)からも、やはりそうしたまなざしを注がれているのであった。
(3)トルクメニスタン政府は、統計資料を公開していない。つまり、
人口:不明
GDP:不明
である。
(註:日本国外務省は基礎データを公表しているが、これらは国際機関からの引用で、しかもすべてが「推計値」だ)
トルクメニスタンは、旧ソ連諸国の中であらゆる面で最も研究が遅れている国である。トルクメニスタン政府は厳格な秘密主義で知られており、基礎統計を含む情報公開をほとんど行っていない。また、査証制度が非常に厳しく、外国人研究者の研究目的での入国がほぼシャットアウトされてきたことは、トルクメニスタン政治研究を行う上で大きな足かせとなってきた。
旅の目的:なぜトルクメニスタンに行きたいのか
前段で載せた4枚の写真。これは、カラクム砂漠にあるダルヴァザ村の近くで1971年から延々と燃えつづけているガスクレーター、通称「地獄の門」で撮影したものだ。
けれども最近になって、トルクメニスタンの大統領がこの場所を埋めようとしているらしい(未確認情報)。
私には旅行先の優先順位を決める判断基準がひとつあって、それは「いましか行けない場所に行く」というものだ。
「地獄の門」は、おそらく、きっと、疑いなく、いましか行けないところである。
ここまでのロジックはシンプルだった。
「地獄の門」の近くで野宿をした |
ウィーン名物のツェンメル(丸パン)に似ているラクダのうんこ |
旅の計画①:トランジット・ビザの可能性を模索した
トルクメニスタンに入国するには、どうすればよいか。このロジックは、それほどシンプルではなかった。
なにしろビザ(査証)を取るのが世界でいちばん難しいとされる国である。ホテルを個人で予約するだけで違法行為という国である。
いちばん堅実な方法は、代理店を通じて、国家が承認したツアー会社を使うことだろう。
北朝鮮の代理店とも提携しているとの由 |
「でもそれじゃあ、刺激に欠けるよな」と私は思った。
ツアー会社の仕切りではなくて、もっと自由に動けるような選択肢はないものか。
そこで我々が追求したのは、トランジット・ビザの取得可能性であった。
トランジット・ビザとは、「トルクメニスタンには移動の途中で(たまたま)訪れますよ」という建前のもと、最大5日間の滞在を許される査証のことだ。
ただし、トルクメニスタン訪問が主な目的とみなされるような旅程、たとえば飛行機で出国and/or入国をする場合などは、当該ビザの対象外となる。
そこで我々がひねりだしたルートは、
このように、陸路でイランから入って、同じく陸路でカザフスタンに出るというものだ。
(そう、これまでのイラン旅行記は、じつはトルクメニスタンへの前座なのであった!)
ところが、ここで深刻な問題が生じた。
「スタン系」専門サイトCaravanistanによれば、トルクメニスタンとカザフスタンの国境線が、2018年6月から臨時閉鎖されているらしいのだ。
一体、なにがどうなっているのか。
私は、「友人の知人」チャネルを最大限に駆使して、カザフスタン外務省の現地職員に確認したり、トルクメニスタン在住の日本人に照会したりした。
そこでわかったのは、
・国境線が閉鎖していることは事実。
・トルクメニスタン側の意向を受けたものだが、理由は不明。
・再開の見込みは不明。
・トルクメニスタン側の意向を受けたものだが、理由は不明。
・再開の見込みは不明。
ということであった。まったく何もわからない、という事実が判明したわけだ。
カザフスタンに出るルートをあきらめるとすると、残るはウズベキスタンとアフガニスタン(危険レベル4:退避勧告)だが、ウィーンに帰る廉価なフライトが見つからないという難点がつきまとった。
それからカスピ海を越えてアゼルバイジャンに行くという案もあった。これは最後まで有力な選択肢だったが、「海路はトランジット・ビザの対象外らしい」との情報がこれを拒んだ。
旅の計画②:ツアー会社を「総合評価方式」で選定した
我々はトランジット・ビザを断念し、ツアー会社を通じて観光ビザを取得することにした。ツアー会社を選ぶにあたっては、「Lonely Planet」に掲載されていた3社(①Ayan Travel, ②DN Tours, ③Tourism-Owadan)に並行して連絡を取り、こちらの要望に応じたアイテナリ及びコスト見積もりを提示してもらった。
次に、その結果をもとに価格点(100点満点)と技術点(200点満点)を個別に採点。両者の合計が最も高いところに落札することとした。いわゆる総合評価方式というやつだ。調達業務に携わる人ならおなじみのプロセスだろう。
こういうのは、ガチに(真面目に)やるほどおもしろい。ときに仕事以上の情熱を傾けて、我々は厳正な審査を行った。
![]() |
評価シートの一例。同行者Tさんの才能が炸裂した |
トルクメニスタン旅行のパートナーは、Ayan Travelに決まった。
さあ、いよいよ冒険のはじまりだ。
アシュガバードは白一色だった
イランから陸路でトルクメニスタンに入境した我々は(係官から約1,000ドルの法外な請求を受けたが、こちらが激怒すると取り下げられた)、そこからAyan Travelのピックアップで首都アシュガバードに向かった。
そこでひとつ、奇妙なことに気がついた。
車もビルも、すべてが白いのだ。
聞くと、白以外の車を走らせるのは違法であるらしい。
落書きも、「あまりない」のではなくて、「ひとつもない」。
街なかで頻繁に見かけるのは、清掃員の人たち。次いで、巡邏中の警察官である。
「清潔でないものを排除していこう」という思想の高まりを、ひしひしと感じる。
「これは本物だ」と、私は思った。
コピー&ペーストのように、まったく同じ形状の住宅がならんでいる。
小学生のときによく遊んだゲーム「シムシティ」みたいな画面である。
しばらくすると、少しだけランクの高そうな家が出てきた。これも「シムシティ」っぽい。
「酔っぱらうと自宅がどこか分からなくなっちゃうんだ」とガイドさんが冗談を言った。
おもしろうて、やがてかなしき冗談だ。
国民はみな平等なのかと思いきや、石油・天然ガス関係者の住居だけやたらに豪華だった。
「誰も平等ではない、という一点において誰もが平等。これが共産主義なのだ」と、旧ソ連生まれの知人がわけのわからないことを言っていたが、いまようやくその意味を理解した。
車もビルも、すべてが白いのだ。
聞くと、白以外の車を走らせるのは違法であるらしい。
落書きも、「あまりない」のではなくて、「ひとつもない」。
街なかで頻繁に見かけるのは、清掃員の人たち。次いで、巡邏中の警察官である。
「清潔でないものを排除していこう」という思想の高まりを、ひしひしと感じる。
「これは本物だ」と、私は思った。
コピー&ペーストのように、まったく同じ形状の住宅がならんでいる。
小学生のときによく遊んだゲーム「シムシティ」みたいな画面である。
しばらくすると、少しだけランクの高そうな家が出てきた。これも「シムシティ」っぽい。
「酔っぱらうと自宅がどこか分からなくなっちゃうんだ」とガイドさんが冗談を言った。
おもしろうて、やがてかなしき冗談だ。
国民はみな平等なのかと思いきや、石油・天然ガス関係者の住居だけやたらに豪華だった。
「誰も平等ではない、という一点において誰もが平等。これが共産主義なのだ」と、旧ソ連生まれの知人がわけのわからないことを言っていたが、いまようやくその意味を理解した。
世界最大の「建屋内」観覧車。建屋内にあるので外の景色がよく見えないのが特徴だ |
いまのロシアよりも旧ソ連である
共産国家らしいといえば、ホテルのチェックイン時にパスポートを当局に預けさせられたり、外国人向けのEntry Travel Pass(宿泊証明書のようなもの)が発行されたりする。
現在のロシアやウクライナでは、ここまで厳格に旅行者を管理しない。「これが本で読んだ旧ソ連マナーか」と私は静かに感動した。ある意味、ここは現ロシアよりも旧ソ連なのだ。
ここまでの記述でもいくつか例を挙げたが、禁止行為がやたらに多いというのも共産国家の偉大なる特徴だ。
たとえば、官庁街で車のクラクションを鳴らすのは違法だし(逮捕される)、写真撮影もNGである。そういう注意書きがどこにもないので困るのだが、外国人が秘密警察に捕まった前例もあるらしい。我々の泊まったGrand Turkmen Hotelは運悪く(というべきか)官公庁に面した立地だったので、部屋から外を撮影することも叶わなかった。
私としては、どこかピサの斜塔を彷彿とさせる「最強官庁」エネルギー省(政府予算の7割を握っているとの由)や、外務省や財務省より立派な外観の健康栄養センター(註:現大統領は健康オタクとして知られている)などの写真を紹介したかったが、違法行為とあっては仕方がない。ご関心の向きは、上記リンク先のページからご覧ありたい。
これはおそらく盗聴されている
それからネット接続も規制されている。イランではVPN接続を通じてツイッターやfacebookにアクセスできたが(映画館でツイッターの「口笛」を鳴らしている人がいて、秘密警察に見つからないか勝手にハラハラしていたが)、トルクメニスタンではVPN接続自体が拒否される。政府当局にしかるべき専門家を配置しているな、と推察させる周到さだ。
Googleの検索エンジンも、「Turkmenistan issues」「problems」といったワードで調べていたら、途端に接続が重たくなった。あわてて「Turkmenistan love」「トルクメニスタンは最高」などと打ってゴマをすったが、ややあって日本語の旅行系ブログ(この国の奇天烈ぶりを強調したものが多い)も遮断されるようになった。
電話も盗聴されている気配があった。滞在中に奥さんから電話があって(というのはイランでフライトキャンセルに遭った報告を最後に音信不通にしていたので)、しばし近況を話していると、「ブツっ・・・ブツっ・・・」と、断続的なノイズが入ってくる。これだけで何かを断ずることはできないが、かつて仕事で行ったアジアの某国で経験した状況によく似ていた。
「トルクメニスタンはすばらしいね」と言って、私は唐突に電話を切った。
Googleの検索エンジンも、「Turkmenistan issues」「problems」といったワードで調べていたら、途端に接続が重たくなった。あわてて「Turkmenistan love」「トルクメニスタンは最高」などと打ってゴマをすったが、ややあって日本語の旅行系ブログ(この国の奇天烈ぶりを強調したものが多い)も遮断されるようになった。
電話も盗聴されている気配があった。滞在中に奥さんから電話があって(というのはイランでフライトキャンセルに遭った報告を最後に音信不通にしていたので)、しばし近況を話していると、「ブツっ・・・ブツっ・・・」と、断続的なノイズが入ってくる。これだけで何かを断ずることはできないが、かつて仕事で行ったアジアの某国で経験した状況によく似ていた。
「トルクメニスタンはすばらしいね」と言って、私は唐突に電話を切った。
ホテルのベルボーイが闇両替をオファーしてきた
この国の通貨は「マナト」である。2019年3月末時点の公定レートは、
1ドル=3.5マナト
であった。(ユーロの受け取りは拒否された)
だが、これもイランと同様、公定/実勢レートの間に著しい乖離があった。
最初に接触してきた闇両替は、ホテルのベルボーイ君であった。推定年齢15歳の、おそらくまだ性交渉を経験していないであろうロシア系白人の男の子だった。
部屋まで荷物を運んでくれたベルボーイ君にチップを渡すと、彼はいそいそとドアを閉め、「両替に興味はあるか?」と小声で訊いてきた。「興味はある」と答えた私に、
1ドル=10マナト
が提案された。公定レートよりも3倍ほど良いレートで、これなら悪くない。彼のオファーに乗っかって、まとまった金額を両替してもらうことにした。
ベルボーイ君は「5分だけ待ってくれ」と言ってその場を立ち去り、10分後に再び現れた。ものすごく息を切らしている。走って家に帰ったのだろうか。
現地通貨を入手した我々は、まずはホテルの目の前にあるロシアン・マーケット(ここでの撮影も違法である)を訪れた。するとお店の売り子さんなどが(警察の目を気にしながらも)どこからか電卓を持ちだして我々に「数字」を見せてくる。イランと違って、ここでは一般人が闇両替をやっているのだ。
しかし、ここで私がいちばん驚いたのは、この人たちの提示するレートの平均相場が、
1ドル=18マナト
であったことだ。(ちなみに最高値は「1ドル=18.5マナト」だった)
「やられた!」と私は叫んだ。あのときベルボーイ君が疲れていたのは、あれはロシアン・マーケットまで全力で走ってきたからだろう。トルクメニスタンの平均月収は約2,000マナトらしいので、彼はこの取引で月収の半分以上を稼いだはずだ。
同行者のTさんとEさんは賢明にも少額のみを両替したので、私だけが突出して損をする形となった。「欲にまみれた者は痛い目をみる」という、なんだか昔話の教訓みたいな展開だ。
このエピソードを踏まえて、我々は「10マナト=1ベルボ」という新たな単位を創作した。「牛肉のスープは2ベルボか、安いねぇ」といった会話が交わされるようになった。
ベルボーイ君には、翌日も翌々日も、ホテルのロビーで遭遇した。まあそれは当たり前だ。なにしろ彼の本業はホテルのベルボーイなのである。
私が声をかけると、ベルボーイ君は照れくさそうに笑った。
政府にとっては明白な悲劇だが(実質的には国民からの不信任表明みたいなものだから)、一介の無責任な旅行者にはありがたいことでもある。「トルクメニスタンは物価が高い」との情報に接していたが、この実勢レート下においては完全にひっくり返ってしまう。
いくつか実例を挙げてみよう。
ハンカチ1枚:4マナト=0.4ベルボ≒0.2ドル。
手編みの靴下1足:10マナト=1ベルボ≒0.6ドル。
ビール1杯:15マナト=1.5ベルボ≒0.8ドル。
地産品のはちみつ1瓶:20マナト=2ベルボ≒1.1ドル。
家畜としての羊1頭:500マナト=50ベルボ≒28ドル。
Samsung Galaxy J2 Core(2018年モデル):1,460マナト≒81ドル。
※ おもわず衝動買いしたら中央アジアSIM限定モデルだった(でもウィーンで使えた)。
こういう物価水準なので、(ほのかな罪悪感を漂わせつつ、)高級レストランでも遠慮なく豪遊できてしまう。
「トルクメニスタン料理なんてたいしたことないだろう」などと高をくくっていたのだが、あにはからんや、これがむちゃくちゃに旨かった。
たとえば、Argentina Steak Houseのラムチョップ・ステーキは、率直に言って、数年前に米国ニューヨークで60ドルくらい払って食べたやつよりもおいしかった。これで実質3ドル弱というのだから、もはや理性の崩壊である。私はラムチョップを完食したあと、また同じラムチョップをオーダーしてしまった(店員さんもさすがに驚いていた)。
ところが旅程の半ばで訪れたトルクメニスタン国立博物館で、学芸員のお姉さんが「アシュガバードの人口は100万人です」と、あっさり秘密(?)を開示した。「国全体では600万人。イラン、アフガニスタン、アメリカなどを含む世界全体では2,200万人」と説明は続いた。
アシュガバードに100万人?
街なかを節操なく練り歩いた私の感覚からすると、この数字を信じるのは難しい。100万人規模の都市といえば、フランスのトゥールーズ、オランダのアムステルダム、ベトナムのホーチミンなどである(参照:World City Populations 2019)。これに対して、アシュガバードで見かける人びとは、これらの都市のざっと5分の1くらいだと思われる。
私はここで、政府統計の信憑性に疑義を唱えたいわけではない(80万人が引きこもりの可能性だってある)。私の胸中に宿るのは、「人口とは国力をわかりやすく示す指標なのだな」という静かな実感だけだ。そうしてこれまで旅をした国々で、日本(または東京)の人口をよく質問されたことを思い出すのだ。
そのひとつは、「中央アジアの北朝鮮」という表現は、必ずしもこの国の本質を突いたものではないな、ということだ。
たとえば、トルクメニスタンでは、主として脂肪分で構成された肉体的質量が大きめの人をわりによく見かける。翻って北朝鮮では、例の最高指導者を除けば、ほとんどが痩せた人たちである(私は北朝鮮を訪問していないが、同国に深く関係する知り合いが複数名いる)。
これはやはり、トルクメニスタンが自国に資源を豊富に有するためだろう(天然ガス埋蔵量は世界4位)。北朝鮮も鉱物資源などに高いポテンシャルを持っているが、中国系資本の巧みな進出などにより、一般市民が経済的恩恵を受ける段階には至っていない。
この話を聞いて、「やはり資源国はすごいな」と私は思うし、同時に「国民の反乱を未然に防ぐためでもあるんだろうな」とも思う。一部報道では「政府は電気料金の値上げを検討中」とされているが、そのような動きはいまのところないらしい。
上記の情報ソースは、我々の旅に同行してくれたガイドのAさんだ。彼の本業はインフラ系のエンジニアで、月収1万ドルを稼ぐインテリ富裕層なのだが(2年間で車を9台も買い替えたらしい)、いわゆる趣味の副業として、ガイドを長らく続けているという。
「トルクメニスタンにいると、なかなか外国人と話す機会はないからね。そこから得られる知的刺激こそがこの仕事の最大の報酬だよ」とAさんは語る。これまでの顧客には、タイ王国の王女とかレフ・トルストイの曾孫といったセレブリティも含まれる。トルクメン語も英語もロシア語もできる人材はきわめてレアなのだ。
トルクメニスタンの天然ガスはまだ充分にあるが、目下の輸出先はロシア、中国、イランといった資源国ばかりで、バーゲニング・パワーを発揮するのが難しい(実際にロシアとの交渉が難航しているとの報もある)。
さらに近年はシェールガス増産の影響で、天然ガスの値段が下がっている。市場価値の高いLNG(液化天然ガス)にして日本や韓国などに売りつけたいところだが、そこは内陸国(ここでは「外海に面しない国」の意味)の悲しさ、実現には外交面での課題が山積している。
通貨の価値が暴落しているのは、こうした背景を悲観した結果でもあるのだろう。
いまはそれなりに豊かだけど、それがいつまで続くかはわからない。
30代半ばの日本人として、わりにシンパシーを感じる状況ではある。
けれども、この「独裁」の及ぶ範囲は、ほとんど首都アシュガバードに限られているのではないか、というのが、この地を踏んでから私が抱いた印象である。
トルクメニスタンの面積は日本の約1.3倍だが、8割が砂漠で、1割が山岳地帯。都市生活者が居住可能なエリアは決して広くない。またこの「9割」には数多くの遊牧民が住んでいる。彼らを(軍事力を使わずに)政策的手段でコントロールするのはいかにも困難だろう。
実際のところ、「自動車や建築物は白色のみ」の適用範囲はどうやらアシュガバードだけのようで、ちょっと郊外まで走ると、赤色やら青色やらの車がぽつぽつ見られる。まあ、砂嵐の激しいところで車を純白に保つのはそもそも無理な話である(ただし、アシュガバード区域に立ち入る前には誰もが洗車をするらしい)。
混沌とした自然環境の前にあっては、いかな独裁者といえども、人為の力で完全に抑えつけるのは不可能に近い。しかしながら――いや、だからこそというべきか――アシュガバードという限定されたエリアに国家権力の射出を集中させ、「すべてを清潔に」「すべてを健康に」保つための努力を惜しみなく払う。そしてそのリソースは主として化石燃料収入に依っている――そういう国がこの地球上にはあって、その名をトルクメニスタン共和国(Republic of Turkmenistan)という――これが私の結論である。偏った視座を有することに定評のある私のエグゼクティブ・サマリー。

トルクメニスタンにも銭湯があると知ったのは、あと12時間後には帰りのフライトに乗ろうとするときだった。
アシュガバード市内を走る非正規の白タク(といっても車はすべて白いのだが)を利用したとき、同乗した地元の人が「ほら、あそこに銭湯があるんだぜ」と教えてくれたのだ。
私は旅先で銭湯に行くのがだいすきだ。アイスランドでも、韓国でも、台湾でも(旧日本軍が持ち込んだ文化と聞く)、細かい名称は違えど、いわゆる公衆浴場の類に入湯してきた。
銭湯の愛すべき点は、身分や所得にかかわらず、みんな一様に裸であるので(水着のところもあるけれど)、その国の人びとの特徴をもろに観察できることだ。
たとえば、ロシアの銭湯では、中年の男たちがーー見たところ恋人ではなく、友人・同僚と思われる関係性であったがーーそれぞれの肉体にぺたぺたと触りあい、まるで6歳と3歳の我が息子たちのようにじゃれ合っていたのが印象的だった。
この観察を経て、「全裸でお互いのペニスを握り合うサウナ外交」はこういう文化の延長線上にあるのだな、と私はそのとき理解した。また、学生時代に何かの書物で読んだ「ウォッカを飲み過ぎて泥酔したエリート官僚の男が翌朝に目を覚ますと口腔内に異物感。それは上官の怒張したペニスだった」といったスターリン時代の逸話についても、そういうことが起きてもおかしくはないだろうな、と、十数年越しの納得感が私の心を満たすに至った。
(そうして私は、以前の職場でお世話になった課長のペニスが、寝起きざまに私の口のなかに押し込められている状態を想像した)
それだから、トルクメニスタンの銭湯にもぜひ訪れてみたい、と思ったのだ。
ところが、ここにひとつの問題が浮上した(いつものパターンだ)。
トルクメニスタンでは、外国人が銭湯に行くのは違法行為であるというのだ。
この国に着いた当初であれば、「なんだそりゃ」と思っただろう。でもいまの私は、大統領の考えを忖度できる。つまり大統領閣下は、清潔でない/漂白されてない/外貌の芳しくない自国の恥部を、外国人の目に晒したくないのだ。だから「地獄の門」もできれば埋めてしまいたいし、市井の人びとの本音が見え隠れする銭湯などには行ってほしくないのだろう。
わたくしは再び車中の人となり、目星をつけたハンマーム(公衆浴場)へと向かいました。アシュガバードの仄白いビルの灯が、車窓から流れてゆきました。そうしてわたくしは、トルクメンたちの入浴作法について、タクシー・ドライバーさんに質問をしました。
「浴場内で、ペニスを露出する行為は、OKでしょうか?」
「OK」
「重要な部分を出しても、本当にOKでありましょうか?」
「OK」
「水着は要らないのでしょうか?」
「OK」
「逮捕されることはありますか?」
「警察は呼ばないから、OK」
タクシー・ドライバーさんは、「OK」「OK」と連呼するばかり。その口調はどこか浮薄と申しましょうか、責任という名の重力から解放されていると申しましょうか。外国語で意思の疎通を図ろうとする際に生まれがちな、ことばの機微がうまく伝わっていないのではないか、という仄かな疑いが、このときもまた、よるべなき産声を上げたのでありました。わたくしの胸中には、どこからか心配色の雲々が立ち込めてまいりました。
けれども万が一の場合にそなえて、わたくしは海水パンツを携行しておりました。トルクメニスタンのみならず、わたくしは旅行をするとき、いつも水着を持参するように心がけているのです。(⇒ 関連記事:1週間の旅行グッズは「40x30x20cm」に詰め込める)
銭湯の入場料は15マナトでした。わたくしはどこから見ても異国人の風貌をしておりましたので、受付のおばさまは「だめです」という素振りをされましたが、いくぶんの逡巡のあと、ひとさし指を優しく紅い唇にあて、「ないしょよ」「でも入っていいわ」といった意味の短いことばを、ロシア語かトルクメン語か、不勉強なわたくしにはどちらとも判別のつかぬことばでおっしゃいました。
わたくしは、受付のおばさまに促されるままに、殿方用の更衣室に行きました。するとどうでしょう、およそ二十名ほどのトルクメンたちが、十二畳ほどの小部屋に敷き詰めておりました。だれもがペニスをまるごと露出した形で、つまり産まれたままの姿になっておりました。なんということでしょう、タクシー・ドライバーさんのご示唆はまったく正しかったのです。わたくしは彼のことばを信じなかったことを恥ずかしくおもいました。
そこへ突然、服を着た妙齢の女性が入ってきました。わたくしは少しく驚きましたが、この女性は、殿方にマッサージを施したり、状況によっては、さらに踏み込んだ特殊なサービスを提供されたりする専門職の方ではあるまいかと考えをめぐらせました。
しかしそれはわたくしの浅ましき誤解でした。筋骨隆々でたくましい裸のトルクメンたちに囲まれて着衣の淑女がひとりだけ、というシチュエーションを刺激的に感じたのは、つまりはひとえに異国人のわたくしの主観にすぎないのでありました。
じつのところ、彼女は殿方たちにビールやおつまみの注文を承ったり(殿方たちは湯上がりに裸のままで飲酒をしたり、トランプや将棋で遊んだりしてました)、場内の備品を整理整頓なさったり、サンダルを履いていないマナー違反の客(これはじつにわたくしのことでした)を叱りつけたり、それは刑務所における刑務官のように、忙しくも重責を担われる方に特有の凛々しい表情をされていらっしゃいました。
いきなり更衣室の小窓が開いて、先ほどの刑務官とは別の女性がするりと顔を覗かせることもありました。女性は裸のトルクメンたちと短い会話を交わし、蜜柑をひとつ取り出したかとおもうと、それを更衣室のテーブルめがけて放り投げました。わたくしの観察によれば、彼女はおそらく二十余名のどなたかの奥方で、「うちの旦那いる?」「いまサウナに入ってるよ」「じゃあこの蜜柑を渡しといて」「あいよ」といった按配の会話が交わされたのでしょう。
浴場内には、サウナ室がふたつ(高温と低温で区別されておりましたが、わたくしには「超高温」と「異常高温」のように感ぜられました)、水風呂がひとつ(水深が2メートルくらいありまして、わたくしは川に落とされた仔犬のように必死で立ち泳ぎをしました)、それから身体を洗うシャワーが五つ六つありました(消防車の放水ポンプのような勢いで、危うく鼓膜が破れるところでした)。サウナ室と水風呂に交互に入ることで心身ともに爽快になり、明日への活力を得る――こうした文化はトルクメニスタンでも息づいているようでありました。
けれども、ひとつトラブルがありました。サウナ室に入ったときに、独りでいらした老齢の先客が、わたくしに向かって怒号を発したのです。トルクメン語かロシア語か、いずれにせよわたくしには聞き取れませんが、異国人は出ていけ、あるいは生命活動を停止してしまえ、といった趣旨であろうことは容易に察せられました。
ここで分が悪いのはわたくしの方ですから――なにしろトルクメニスタンで異国人が銭湯に入るのは違法なのですから――わたくしは短く謝り、なるたけ友好的な態度で老爺に応対いたしました。けれども彼の憤怒は収まらず、更衣室で再会したときも怨嗟の言をわたくしに投げかけてきました。すでにかなり酩酊されているようでもありました。
この事件は不幸なことでしたが、わたくしにとってありがたかったのは、刑務官のおばさまをはじめとして、裸のトルクメンたちが、一斉にわたくしを弁護してくださったことでした。「失礼じゃないか」「せっかく異国から来てくれたんだぞ」といった意味でありましょうか、仔細のニュアンスはわかりませんが、老爺は鋭い批判に包囲され、ついに彼は浴場を退くことになりました。わたくしはもちろん安堵いたしました。しかし同時に、えもいわれぬ、苦みをともなう波紋のようなものが、わたくしの心のなかにゆっくりと広がっていくのでした。
「どうしてトルクメニスタンに来たの?」とサウナ室で話しかけてくださる方がいました。俳優のトム・クルーズに容貌が少しだけ似ておりました。この銭湯にいらしたトルクメンのなかで、彼がほとんど唯一の英語話者のようでした。
「とてもユニークな国であるからです」と、相手の心証を害さぬよう注意深く答えたつもりでしたが、トム・クルーズ氏はわたくしの含意をすぐに理解されたようでした。「そうだね。僕もそうおもう」
「古い世代には頭の固い人もいてね。申し訳ない。あまり気にしないでくれ」と言われて、はじめは何のことやら判じかねましたが、先ほどの老爺との一件のことだと気がつきました。
わたくしは好奇心のおもむくまま、トム・クルーズ氏に質問を投げかけました。
「大統領がメロン好きで、メロン記念日という祝日があるのは本当ですか?」
「そうだよ。でも推奨されるのはメロンだけじゃない。それから来月は『健康推進月間』で、国民はフィットネスをがんばらないといけない。やれやれ、だよね」
「大統領が『地獄の門』を埋めようとしているのは本当ですか?」
「わからない。でも、好むと好まざるとにかかわらず、あの観光スポットのおかげで政府が外貨収入を得られているのは確かだ。最近になってクレーターの周りに柵が設置されるようになったのも、観光地化に向けた当局の意思の表れだとはおもうけどね」
「『中央アジアの北朝鮮』と呼ばれていることについて、どうおもわれてますか?」
「申し訳ないけれど、北朝鮮のことはよく知らないんだ。でもまあ、あなたの言うとおり、トルクメニスタンは、ユニークな国、ではあるよね」
トム・クルーズ氏は流暢な英語を話されました。また、ことばの端々に知性の閃きを感じさせるものがありました。現政権に対するシニカルな視座を抱きつつ、自らを育んだトルクメニスタンという国を愛する気持ちをまだ失ってはいない気配がありました。わたくしは彼と固い握手を交わしました。お互いのペニスを握り合うところにまでは至りませんでした。
「僕の家には、代々こんな言い伝えがあるんだ」とトム・クルーズ氏が最後に言いました。「言い伝えというか、警句というか、まあ、よくわからないんだけどさ」
「いつか日本にいらしてください」と言おうとして、わたくしには言えませんでした。
なぜならトルクメンたちの多くは、外国に行くことが容易に叶わないのでしょうから。
わたくしが銭湯を出た直後に、パトロール中の警察官が目の前を通りがかりました。
このタイミングがあと三秒ずれていたら、わたくしは逮捕されていたことでしょう。
1ドル=3.5マナト
であった。(ユーロの受け取りは拒否された)
だが、これもイランと同様、公定/実勢レートの間に著しい乖離があった。
最初に接触してきた闇両替は、ホテルのベルボーイ君であった。推定年齢15歳の、おそらくまだ性交渉を経験していないであろうロシア系白人の男の子だった。
部屋まで荷物を運んでくれたベルボーイ君にチップを渡すと、彼はいそいそとドアを閉め、「両替に興味はあるか?」と小声で訊いてきた。「興味はある」と答えた私に、
1ドル=10マナト
が提案された。公定レートよりも3倍ほど良いレートで、これなら悪くない。彼のオファーに乗っかって、まとまった金額を両替してもらうことにした。
ベルボーイ君は「5分だけ待ってくれ」と言ってその場を立ち去り、10分後に再び現れた。ものすごく息を切らしている。走って家に帰ったのだろうか。
現地通貨を入手した我々は、まずはホテルの目の前にあるロシアン・マーケット(ここでの撮影も違法である)を訪れた。するとお店の売り子さんなどが(警察の目を気にしながらも)どこからか電卓を持ちだして我々に「数字」を見せてくる。イランと違って、ここでは一般人が闇両替をやっているのだ。
しかし、ここで私がいちばん驚いたのは、この人たちの提示するレートの平均相場が、
1ドル=18マナト
であったことだ。(ちなみに最高値は「1ドル=18.5マナト」だった)
「やられた!」と私は叫んだ。あのときベルボーイ君が疲れていたのは、あれはロシアン・マーケットまで全力で走ってきたからだろう。トルクメニスタンの平均月収は約2,000マナトらしいので、彼はこの取引で月収の半分以上を稼いだはずだ。
同行者のTさんとEさんは賢明にも少額のみを両替したので、私だけが突出して損をする形となった。「欲にまみれた者は痛い目をみる」という、なんだか昔話の教訓みたいな展開だ。
このエピソードを踏まえて、我々は「10マナト=1ベルボ」という新たな単位を創作した。「牛肉のスープは2ベルボか、安いねぇ」といった会話が交わされるようになった。
ベルボーイ君には、翌日も翌々日も、ホテルのロビーで遭遇した。まあそれは当たり前だ。なにしろ彼の本業はホテルのベルボーイなのである。
私が声をかけると、ベルボーイ君は照れくさそうに笑った。
現地通貨の価値が暴落していた
公定レートと実勢レートが5倍以上も乖離している。これは、現地通貨の価値がすごい勢いで暴落していて、みんなが外資(=米ドル)を欲しがっているためだろう。トルクメニスタンを訪れる旅行者はほとんどいないので、外資の価値は高騰する一方だ。政府にとっては明白な悲劇だが(実質的には国民からの不信任表明みたいなものだから)、一介の無責任な旅行者にはありがたいことでもある。「トルクメニスタンは物価が高い」との情報に接していたが、この実勢レート下においては完全にひっくり返ってしまう。
いくつか実例を挙げてみよう。
ハンカチ1枚:4マナト=0.4ベルボ≒0.2ドル。
手編みの靴下1足:10マナト=1ベルボ≒0.6ドル。
ビール1杯:15マナト=1.5ベルボ≒0.8ドル。
地産品のはちみつ1瓶:20マナト=2ベルボ≒1.1ドル。
家畜としての羊1頭:500マナト=50ベルボ≒28ドル。
Samsung Galaxy J2 Core(2018年モデル):1,460マナト≒81ドル。
※ おもわず衝動買いしたら中央アジアSIM限定モデルだった(でもウィーンで使えた)。
こういう物価水準なので、(ほのかな罪悪感を漂わせつつ、)高級レストランでも遠慮なく豪遊できてしまう。
「トルクメニスタン料理なんてたいしたことないだろう」などと高をくくっていたのだが、あにはからんや、これがむちゃくちゃに旨かった。
たとえば、Argentina Steak Houseのラムチョップ・ステーキは、率直に言って、数年前に米国ニューヨークで60ドルくらい払って食べたやつよりもおいしかった。これで実質3ドル弱というのだから、もはや理性の崩壊である。私はラムチョップを完食したあと、また同じラムチョップをオーダーしてしまった(店員さんもさすがに驚いていた)。
韓国料理に似た骨髄スープもべらぼうに旨く、シルクロードの恩恵を実感した |
スーパーマーケットは店舗数こそ少ないが、かなり豊富な品ぞろえだった |
青空市場で共産国家のムード溢れる紙芝居を買った(子どもたちに喜ばれた) |
トルクメニスタンの(公称)人口が判明した
本稿の冒頭で触れたように、トルクメニスタン人(トルクメンと呼ぶ)の人口は、私にとって灰褐色の、謎のベールに包まれていた。ところが旅程の半ばで訪れたトルクメニスタン国立博物館で、学芸員のお姉さんが「アシュガバードの人口は100万人です」と、あっさり秘密(?)を開示した。「国全体では600万人。イラン、アフガニスタン、アメリカなどを含む世界全体では2,200万人」と説明は続いた。
アシュガバードに100万人?
街なかを節操なく練り歩いた私の感覚からすると、この数字を信じるのは難しい。100万人規模の都市といえば、フランスのトゥールーズ、オランダのアムステルダム、ベトナムのホーチミンなどである(参照:World City Populations 2019)。これに対して、アシュガバードで見かける人びとは、これらの都市のざっと5分の1くらいだと思われる。
私はここで、政府統計の信憑性に疑義を唱えたいわけではない(80万人が引きこもりの可能性だってある)。私の胸中に宿るのは、「人口とは国力をわかりやすく示す指標なのだな」という静かな実感だけだ。そうしてこれまで旅をした国々で、日本(または東京)の人口をよく質問されたことを思い出すのだ。
博物館の展示によれば、日本人のルーツ(の一部)もトルクメンであるとの由 |
大統領を描いた絨毯。「これを踏んだらどうなりますか」と学芸員に尋ねたら苦笑された |
この国の印象が少しずつ変容してゆく
トルクメニスタンには4日間ほど滞在したのだが、この国のユニークな文化に目が慣れてくるにつれて、私のなかで印象が少しずつ変容してゆくのを感じた。そのひとつは、「中央アジアの北朝鮮」という表現は、必ずしもこの国の本質を突いたものではないな、ということだ。
たとえば、トルクメニスタンでは、主として脂肪分で構成された肉体的質量が大きめの人をわりによく見かける。翻って北朝鮮では、例の最高指導者を除けば、ほとんどが痩せた人たちである(私は北朝鮮を訪問していないが、同国に深く関係する知り合いが複数名いる)。
これはやはり、トルクメニスタンが自国に資源を豊富に有するためだろう(天然ガス埋蔵量は世界4位)。北朝鮮も鉱物資源などに高いポテンシャルを持っているが、中国系資本の巧みな進出などにより、一般市民が経済的恩恵を受ける段階には至っていない。
北朝鮮の人たちは痩せている(画像引用:リュブリャナの公民館で開催された個展「Real People in the DPRK」にて、写真家Martin Von Den Driesch氏の作品。以下4枚も同様) |
社会福祉政策が充実している
北朝鮮とトルクメニスタンのもうひとつの相違点。それは「トルクメニスタンの社会福祉政策が北欧なみに充実している」ことだ。
・国民健康保険料は月収の3%。これに加入すれば医療費の5割は政府負担。
・子どもの学費は小学校から大学まで無料。幼稚園は有料(月額80マナト)。
・電気代は固定料金で、18カ月26マナト(月額ではなく、18か月の合計)。
・子どもの学費は小学校から大学まで無料。幼稚園は有料(月額80マナト)。
・電気代は固定料金で、18カ月26マナト(月額ではなく、18か月の合計)。
この話を聞いて、「やはり資源国はすごいな」と私は思うし、同時に「国民の反乱を未然に防ぐためでもあるんだろうな」とも思う。一部報道では「政府は電気料金の値上げを検討中」とされているが、そのような動きはいまのところないらしい。
上記の情報ソースは、我々の旅に同行してくれたガイドのAさんだ。彼の本業はインフラ系のエンジニアで、月収1万ドルを稼ぐインテリ富裕層なのだが(2年間で車を9台も買い替えたらしい)、いわゆる趣味の副業として、ガイドを長らく続けているという。
「トルクメニスタンにいると、なかなか外国人と話す機会はないからね。そこから得られる知的刺激こそがこの仕事の最大の報酬だよ」とAさんは語る。これまでの顧客には、タイ王国の王女とかレフ・トルストイの曾孫といったセレブリティも含まれる。トルクメン語も英語もロシア語もできる人材はきわめてレアなのだ。
見た目は普通のおっさんだが(失礼)、じつはインテリ富裕層である |
エネルギー政策は転機を迎える
天然資源に裏打ちされた豊かさは、その枯渇とともに終焉を迎える。トルクメニスタンの天然ガスはまだ充分にあるが、目下の輸出先はロシア、中国、イランといった資源国ばかりで、バーゲニング・パワーを発揮するのが難しい(実際にロシアとの交渉が難航しているとの報もある)。
さらに近年はシェールガス増産の影響で、天然ガスの値段が下がっている。市場価値の高いLNG(液化天然ガス)にして日本や韓国などに売りつけたいところだが、そこは内陸国(ここでは「外海に面しない国」の意味)の悲しさ、実現には外交面での課題が山積している。
通貨の価値が暴落しているのは、こうした背景を悲観した結果でもあるのだろう。
いまはそれなりに豊かだけど、それがいつまで続くかはわからない。
30代半ばの日本人として、わりにシンパシーを感じる状況ではある。
天然ガスのパイプラインは道路に沿ってむき出しで、セキュリティ上の不安を感じた |
独裁の範囲には限界があるみたいだ
独裁国家トルクメニスタン。とくに前大統領の剛腕ぶりはとんでもなかったと仄聞する。
<前大統領のエピソード例>
アシュガバード郊外に、中央アジア最大のモスクがある。その内装は絢爛の限りを尽くしているが、上層の壁には「コーランの箴言」と「大統領の箴言」が交互に彫られている。私はイスラム教徒ではないが、これは相当にインパクトのある行為だと推察される。
アシュガバード郊外に、中央アジア最大のモスクがある。その内装は絢爛の限りを尽くしているが、上層の壁には「コーランの箴言」と「大統領の箴言」が交互に彫られている。私はイスラム教徒ではないが、これは相当にインパクトのある行為だと推察される。
(モスク内部は許可を得て撮影) |
けれども、この「独裁」の及ぶ範囲は、ほとんど首都アシュガバードに限られているのではないか、というのが、この地を踏んでから私が抱いた印象である。
トルクメニスタンの面積は日本の約1.3倍だが、8割が砂漠で、1割が山岳地帯。都市生活者が居住可能なエリアは決して広くない。またこの「9割」には数多くの遊牧民が住んでいる。彼らを(軍事力を使わずに)政策的手段でコントロールするのはいかにも困難だろう。
実際のところ、「自動車や建築物は白色のみ」の適用範囲はどうやらアシュガバードだけのようで、ちょっと郊外まで走ると、赤色やら青色やらの車がぽつぽつ見られる。まあ、砂嵐の激しいところで車を純白に保つのはそもそも無理な話である(ただし、アシュガバード区域に立ち入る前には誰もが洗車をするらしい)。
混沌とした自然環境の前にあっては、いかな独裁者といえども、人為の力で完全に抑えつけるのは不可能に近い。しかしながら――いや、だからこそというべきか――アシュガバードという限定されたエリアに国家権力の射出を集中させ、「すべてを清潔に」「すべてを健康に」保つための努力を惜しみなく払う。そしてそのリソースは主として化石燃料収入に依っている――そういう国がこの地球上にはあって、その名をトルクメニスタン共和国(Republic of Turkmenistan)という――これが私の結論である。偏った視座を有することに定評のある私のエグゼクティブ・サマリー。
砂漠地帯にある遊牧民の集落。白い建物は見あたらない |
地方に行くと、数キロの通学路を(大人の付き添いなしで)歩く子どもたちがいた |
5つの「州旗」が随所にある。他民族を束ねる政府の配慮だろうか |
アシュガバードから離れると、笑顔で「撮影OK」の割合が増えた |
アシュガバード市内で結婚式に遭遇した |
参列者からダンス・バトルの挑戦を受けた。もちろん私は踊りまくった |
テレビをつけたら、9閣僚による大統領レク(チャー)が放映されていた |
ときどき大統領の真剣な表情が挟み込まれた(動画だったり静止画だったりした) |
この大臣は、なぜか同じページの同じ部分だけに筆を走らせていた |
しばらく観ていると、小池百合子東京都知事がいきなり出てきた |
トルクメニスタン政府のミッション団が訪日しているというニュースだった |
この作品はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
本稿の最後に、銭湯の話をしたい。トルクメニスタンにも銭湯があると知ったのは、あと12時間後には帰りのフライトに乗ろうとするときだった。
アシュガバード市内を走る非正規の白タク(といっても車はすべて白いのだが)を利用したとき、同乗した地元の人が「ほら、あそこに銭湯があるんだぜ」と教えてくれたのだ。
私は旅先で銭湯に行くのがだいすきだ。アイスランドでも、韓国でも、台湾でも(旧日本軍が持ち込んだ文化と聞く)、細かい名称は違えど、いわゆる公衆浴場の類に入湯してきた。
銭湯の愛すべき点は、身分や所得にかかわらず、みんな一様に裸であるので(水着のところもあるけれど)、その国の人びとの特徴をもろに観察できることだ。
たとえば、ロシアの銭湯では、中年の男たちがーー見たところ恋人ではなく、友人・同僚と思われる関係性であったがーーそれぞれの肉体にぺたぺたと触りあい、まるで6歳と3歳の我が息子たちのようにじゃれ合っていたのが印象的だった。
この観察を経て、「全裸でお互いのペニスを握り合うサウナ外交」はこういう文化の延長線上にあるのだな、と私はそのとき理解した。また、学生時代に何かの書物で読んだ「ウォッカを飲み過ぎて泥酔したエリート官僚の男が翌朝に目を覚ますと口腔内に異物感。それは上官の怒張したペニスだった」といったスターリン時代の逸話についても、そういうことが起きてもおかしくはないだろうな、と、十数年越しの納得感が私の心を満たすに至った。
(そうして私は、以前の職場でお世話になった課長のペニスが、寝起きざまに私の口のなかに押し込められている状態を想像した)
それだから、トルクメニスタンの銭湯にもぜひ訪れてみたい、と思ったのだ。
ところが、ここにひとつの問題が浮上した(いつものパターンだ)。
トルクメニスタンでは、外国人が銭湯に行くのは違法行為であるというのだ。
この国に着いた当初であれば、「なんだそりゃ」と思っただろう。でもいまの私は、大統領の考えを忖度できる。つまり大統領閣下は、清潔でない/漂白されてない/外貌の芳しくない自国の恥部を、外国人の目に晒したくないのだ。だから「地獄の門」もできれば埋めてしまいたいし、市井の人びとの本音が見え隠れする銭湯などには行ってほしくないのだろう。
そして、私は常より遵法精神が服を着ているような人間である。当然ながら法律違反をするわけにはいかない。私は銭湯に行くのをあきらめた。断念した。やめにした。
というわけで、以下に続く記述はすべてフィクションである。純度100%のまごうことなき虚構である。そのあたりの事情についてお含み置きの程、何卒宜しくお願い申し上げます。
短篇小説「アシュガバード銭湯訪問記」
わたくしはそこで同行者諸氏に別れを告げました。「自分の性癖は自分で責任を取らなければならない」などと申した者がありますが、これはわたくしの小さな信条とも云うべきものでもあったからです。わたくしは再び車中の人となり、目星をつけたハンマーム(公衆浴場)へと向かいました。アシュガバードの仄白いビルの灯が、車窓から流れてゆきました。そうしてわたくしは、トルクメンたちの入浴作法について、タクシー・ドライバーさんに質問をしました。
「浴場内で、ペニスを露出する行為は、OKでしょうか?」
「OK」
「重要な部分を出しても、本当にOKでありましょうか?」
「OK」
「水着は要らないのでしょうか?」
「OK」
「逮捕されることはありますか?」
「警察は呼ばないから、OK」
タクシー・ドライバーさんは、「OK」「OK」と連呼するばかり。その口調はどこか浮薄と申しましょうか、責任という名の重力から解放されていると申しましょうか。外国語で意思の疎通を図ろうとする際に生まれがちな、ことばの機微がうまく伝わっていないのではないか、という仄かな疑いが、このときもまた、よるべなき産声を上げたのでありました。わたくしの胸中には、どこからか心配色の雲々が立ち込めてまいりました。
けれども万が一の場合にそなえて、わたくしは海水パンツを携行しておりました。トルクメニスタンのみならず、わたくしは旅行をするとき、いつも水着を持参するように心がけているのです。(⇒ 関連記事:1週間の旅行グッズは「40x30x20cm」に詰め込める)
銭湯の入場料は15マナトでした。わたくしはどこから見ても異国人の風貌をしておりましたので、受付のおばさまは「だめです」という素振りをされましたが、いくぶんの逡巡のあと、ひとさし指を優しく紅い唇にあて、「ないしょよ」「でも入っていいわ」といった意味の短いことばを、ロシア語かトルクメン語か、不勉強なわたくしにはどちらとも判別のつかぬことばでおっしゃいました。
わたくしは、受付のおばさまに促されるままに、殿方用の更衣室に行きました。するとどうでしょう、およそ二十名ほどのトルクメンたちが、十二畳ほどの小部屋に敷き詰めておりました。だれもがペニスをまるごと露出した形で、つまり産まれたままの姿になっておりました。なんということでしょう、タクシー・ドライバーさんのご示唆はまったく正しかったのです。わたくしは彼のことばを信じなかったことを恥ずかしくおもいました。
そこへ突然、服を着た妙齢の女性が入ってきました。わたくしは少しく驚きましたが、この女性は、殿方にマッサージを施したり、状況によっては、さらに踏み込んだ特殊なサービスを提供されたりする専門職の方ではあるまいかと考えをめぐらせました。
しかしそれはわたくしの浅ましき誤解でした。筋骨隆々でたくましい裸のトルクメンたちに囲まれて着衣の淑女がひとりだけ、というシチュエーションを刺激的に感じたのは、つまりはひとえに異国人のわたくしの主観にすぎないのでありました。
じつのところ、彼女は殿方たちにビールやおつまみの注文を承ったり(殿方たちは湯上がりに裸のままで飲酒をしたり、トランプや将棋で遊んだりしてました)、場内の備品を整理整頓なさったり、サンダルを履いていないマナー違反の客(これはじつにわたくしのことでした)を叱りつけたり、それは刑務所における刑務官のように、忙しくも重責を担われる方に特有の凛々しい表情をされていらっしゃいました。
いきなり更衣室の小窓が開いて、先ほどの刑務官とは別の女性がするりと顔を覗かせることもありました。女性は裸のトルクメンたちと短い会話を交わし、蜜柑をひとつ取り出したかとおもうと、それを更衣室のテーブルめがけて放り投げました。わたくしの観察によれば、彼女はおそらく二十余名のどなたかの奥方で、「うちの旦那いる?」「いまサウナに入ってるよ」「じゃあこの蜜柑を渡しといて」「あいよ」といった按配の会話が交わされたのでしょう。
浴場内には、サウナ室がふたつ(高温と低温で区別されておりましたが、わたくしには「超高温」と「異常高温」のように感ぜられました)、水風呂がひとつ(水深が2メートルくらいありまして、わたくしは川に落とされた仔犬のように必死で立ち泳ぎをしました)、それから身体を洗うシャワーが五つ六つありました(消防車の放水ポンプのような勢いで、危うく鼓膜が破れるところでした)。サウナ室と水風呂に交互に入ることで心身ともに爽快になり、明日への活力を得る――こうした文化はトルクメニスタンでも息づいているようでありました。
けれども、ひとつトラブルがありました。サウナ室に入ったときに、独りでいらした老齢の先客が、わたくしに向かって怒号を発したのです。トルクメン語かロシア語か、いずれにせよわたくしには聞き取れませんが、異国人は出ていけ、あるいは生命活動を停止してしまえ、といった趣旨であろうことは容易に察せられました。
ここで分が悪いのはわたくしの方ですから――なにしろトルクメニスタンで異国人が銭湯に入るのは違法なのですから――わたくしは短く謝り、なるたけ友好的な態度で老爺に応対いたしました。けれども彼の憤怒は収まらず、更衣室で再会したときも怨嗟の言をわたくしに投げかけてきました。すでにかなり酩酊されているようでもありました。
この事件は不幸なことでしたが、わたくしにとってありがたかったのは、刑務官のおばさまをはじめとして、裸のトルクメンたちが、一斉にわたくしを弁護してくださったことでした。「失礼じゃないか」「せっかく異国から来てくれたんだぞ」といった意味でありましょうか、仔細のニュアンスはわかりませんが、老爺は鋭い批判に包囲され、ついに彼は浴場を退くことになりました。わたくしはもちろん安堵いたしました。しかし同時に、えもいわれぬ、苦みをともなう波紋のようなものが、わたくしの心のなかにゆっくりと広がっていくのでした。
「どうしてトルクメニスタンに来たの?」とサウナ室で話しかけてくださる方がいました。俳優のトム・クルーズに容貌が少しだけ似ておりました。この銭湯にいらしたトルクメンのなかで、彼がほとんど唯一の英語話者のようでした。
「とてもユニークな国であるからです」と、相手の心証を害さぬよう注意深く答えたつもりでしたが、トム・クルーズ氏はわたくしの含意をすぐに理解されたようでした。「そうだね。僕もそうおもう」
「古い世代には頭の固い人もいてね。申し訳ない。あまり気にしないでくれ」と言われて、はじめは何のことやら判じかねましたが、先ほどの老爺との一件のことだと気がつきました。
わたくしは好奇心のおもむくまま、トム・クルーズ氏に質問を投げかけました。
「大統領がメロン好きで、メロン記念日という祝日があるのは本当ですか?」
「そうだよ。でも推奨されるのはメロンだけじゃない。それから来月は『健康推進月間』で、国民はフィットネスをがんばらないといけない。やれやれ、だよね」
「大統領が『地獄の門』を埋めようとしているのは本当ですか?」
「わからない。でも、好むと好まざるとにかかわらず、あの観光スポットのおかげで政府が外貨収入を得られているのは確かだ。最近になってクレーターの周りに柵が設置されるようになったのも、観光地化に向けた当局の意思の表れだとはおもうけどね」
「『中央アジアの北朝鮮』と呼ばれていることについて、どうおもわれてますか?」
「申し訳ないけれど、北朝鮮のことはよく知らないんだ。でもまあ、あなたの言うとおり、トルクメニスタンは、ユニークな国、ではあるよね」
トム・クルーズ氏は流暢な英語を話されました。また、ことばの端々に知性の閃きを感じさせるものがありました。現政権に対するシニカルな視座を抱きつつ、自らを育んだトルクメニスタンという国を愛する気持ちをまだ失ってはいない気配がありました。わたくしは彼と固い握手を交わしました。お互いのペニスを握り合うところにまでは至りませんでした。
「僕の家には、代々こんな言い伝えがあるんだ」とトム・クルーズ氏が最後に言いました。「言い伝えというか、警句というか、まあ、よくわからないんだけどさ」
生きる者の努めは、ここまで生きることができなかった者のぶんまで生きることだ。
旅する者の努めは、ここまで旅することができなかった者のぶんまで旅することだ。
旅する者の努めは、ここまで旅することができなかった者のぶんまで旅することだ。
「いつか日本にいらしてください」と言おうとして、わたくしには言えませんでした。
なぜならトルクメンたちの多くは、外国に行くことが容易に叶わないのでしょうから。
わたくしが銭湯を出た直後に、パトロール中の警察官が目の前を通りがかりました。
このタイミングがあと三秒ずれていたら、わたくしは逮捕されていたことでしょう。
コメント
白で統一されている国、ベルボーイのお小遣い稼ぎ、平等のくだり、人口のくだり、とても楽しく拝見しました。
ツアー会社の比較もありがとうございます、私も使いたいです。
イランは訪れたことがあるのですが、たしかに空港のレートが一番良かったです。
ペルシャ語と間違えてネパール語の指差し会話帳を買ってきてたので(アホ)現地で必死に数字を覚えたのを思い出しました。
私は4年前当時20代前半 かつ 女性なのでアライバルビザもドキドキでした💓
(アメリカに観光で行く際には観光ビザすんなりおりましたが、「イラン渡航歴があると観光ビザの面接が必要ってどこで知ったか?」と聞かれるほど浸透していないようですね)
近い将来サウジに出張行かれるそうなので期待しています。
イランが好きな方はウズベクも合うと思うので機会あれば行ってみてください
楽しく拝読させていただきました。
5月にトランジットビザで私も
トルクメニスタンにいきました。
出国に船を使ってカスピ海を渡るルートでも
無事にトランジットビザは発券されます。
なぜ白ばかりなのか、なぜSim city のようなのか、の問いに対する答えが分かりやすくてストン、と落ちました。なるほどな、と。
最後のくだり、ドキュメントではなくフィクションまで面白くてとても文才のある方なのだなと思いました☆
さとるさんのトルクメニスタン記事をツイッターのまとめサイトから拝見しましたが極度の興奮と共に読破しました。文才が凄すぎるし語彙の端々から知性を感じましま。自分も卒業までに旧ソ連圏を旅行して人間の幅を拡大したいと思います。感服しました。これからも応援してます。
● 「ペルシャ語と間違えてネパール語の指差し会話帳を買ってきてた」というのは最高ですね。そのことに気がついた瞬間の(おそらくは現地での)驚愕の表情がイメージできます。これを奇貨として、いっそネパールに出かけてしまうのも妙案かもしれません。
● じつは今回のトルクメニスタンが「初スタン」でして――それは「生まれて初めて食べた魚料理が【くさや】」みたいなシチュエーションであることは理解しておりますが――そして私にはカザフやウズベクの方が現地に知り合いがいるので、行かない理由はないのですが、思わずトルクメを優先させてしまいました。ちなみにヨーロッパから中央アジアに行くとなると、私の調べた限りでは、ハンガリー系のLCC "Wizz Air"でブダペストからヌル・スルタンの直行便を使うのが最も廉価なのですが、まだ実現には至っておりません。
● サウジには仕事で行くのでブログ記事にする予定はありませんが(秘密保持などの理由で書ける事柄がどうしても制限されてしまうので)、約10年前にも同国を訪問したことがあります。公開処刑がいまも行われている国なので、なかなか緊張感がありました。私の信頼できない記憶によれば、たしか「気温が50℃以上の日は祝日とする」という法律があるのですが、温度計が54℃くらいを指している日でも「大本営発表」はなぜか49℃で、結局は休みにならなかったのでした。
● 「出国に船を使ってカスピ海を渡るルートでも無事にトランジットビザは発券されます」との情報をお寄せいただき感謝です。この点がクリアにならずに及び腰となり、ゆえに港町トルクメンバシにも訪問できずじまいでした。私はアゼルバイジャンには未踏で、わけても未承認国家ナゴルノ=カラバフ(アルツァフ共和国)に強い関心を持っております。各国政府は危険度の高い「渡航すべきでない」地域として扱われていますが、翻ってLonely Planetシリーズの"Georgia, Armenia & Azerbaijan"には普通に「準国家」的な項目として扱われていて(タイトルに明記していないのは政治的配慮と推察されますが)、そこでは「アルメニアとアゼルバイジャンの二国間情勢に急変がなければ、まぁ、安全ですわ」みたいなことが書かれていて驚きました。
● トルクメニスタンの鉄道インフラって、意外にも(失礼)しっかりしているんですよね。聞くと、1883年にロシア軍がカスピ海から攻撃してきたことがあって、そのときに軍事的ニーズから堅牢な線路をつくったとの由。だから中央アジア圏はもとより、世界的にも最古の鉄道のひとつであると仄聞しました。けれども今回の旅行では乗れなかった。心残りのひとつでした。
● これも本文では記しませんでしたが、トルクメニスタンの銭湯にいた人たちは、NHK教育テレビ番組「できるかな」でノッポさんが着用されている帽子みたいなサウナハットや、サウナの床が熱すぎるので断熱するためのゴム状のマット(私はこれが無かったので尻の肉が焦げ付きそうになりました)などを持参されていました。ベースはロシア風なんだけど、中東の文化も少なからず入っているというか。いや、もちろん銭湯のくだりは100%フィクションなので、いま申し上げたこともすべて虚構なのではありますが。
● ツアー会社の「総合評価」を行う上では、我々からは「地獄の門に行く途中でも砂漠地帯で見るべきものがあれば寄ってほしい」とか、「アシュガバード以外の郊外にも訪れたい」といった注文を出しました。これは一般的な仕事でもそうだと思いますが、やや内角高めのボールを投げるというか、ちょっとだけハードルを上げた注文を出してみると、複数候補の比較がしやすくなります。我々の場合はAyan Travelに決めましたが、他の会社も評判は全体に良いようです。
● ちなみに前者(地獄の門以外のスポット)の要望については、最近になって火がつきはじめた新しいガスクレーターや、セミ=ノルマンディーの集落などに寄りました。後者(アシュガバード以外の郊外)については、洞窟内の地下温泉(ヨーロッパにも地下湖はいくつかあるけれど、それが温泉になっているというのは聞いたことがなかった。しかし観光地的な整備は全然されてなくて、三歩くらい進むとめちゃくちゃ深くなって足が届かないし、漆黒の闇にあって監視員もいないし、どこからか蝙蝠のキュッキュッという鳴き声が聞こえてくるし、硫化水素が充満していてずっと泳いでいると意識が薄らいでいくしで、かなりエキサイティングなスポットでしたが本文中では省略)であるとか、奇抜な設計の建物内にある結婚式場(結婚の1ヶ月前に要予約。婚約解消や離婚した場合には国家に罰金を支払う必要あり。しかしトルクメニスタンでは「離婚は恥」という価値観が生きている国なので実際の離婚率は著しく低いとの由)であるとか、トルクメニスタンの有名な馬主の家などに連れて行ってもらいました。
● ロシア文学は私も好きです。先日、サンクトペテルブルグに行ったのですが、もちろんドストエフスキーの墓参りをしてきました。大学の学部時代には(物理学科でしたが)「カラマーゾフ研究会」の会長をしておりました。これは半年くらいの頻度で皆で大長編小説を読み、その感想を肴に日本酒などを飲むというまことにゆるやかな会で、ショーロホフ「静かなドン」やゲーテ「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代/遍歴時代」などを読みふけっておりました。サラリーマンになってから初任給で買ったのはチェーホフ全集の中央公論社版(村上春樹がカーヴァー全集を翻訳したときに判型の手本としたもの)でした。社会人をしていると、あの異様に分厚い(登場人物の台詞からして病的に長い)書物に向き合う時間と気力を用意するのは難しいものがありますが、ときどき、後戻りできない中毒者のようにロシア文学(的なもの)を渇望する瞬間が、この歳になってもたまにあります。ロシア文学、いいですよね。