でもウィーンにいるなら、クラシック音楽をやはり聴きたい
ウィーンに旅行する人にも、出張で来る人にも、ウィーン楽友協会(Musikverein)の公演に行くことを私はよくおすすめしている。
夏休みなどのシーズンオフを除けば、ほとんど毎日なにかしらのコンサートがある。夜の部はだいたい19時台か20時台にはじまるので、(世話の焼ける上司がいなければ)無理なく参加できるだろう。
楽友協会の公式サイトでは、ちゃんと日本語も選択できる。オンラインで購入して、渡航前にチケットを印刷すれば、あとは会場に足を運ぶだけだ。行列に並ぶ必要はないし、ダフ屋と取引をする必要もない。まことに便利な世の中である。
体力に自信があれば10ユーロ程度の「立ち見席」。椅子に座りたければ20ユーロ程度の2階の端席、通称「貧民席」がおすすめだ。モーツァルトに扮装した輩から「観光客用チケット」を掴まされるよりはずっといい(註:ウィーンの路上にはそういう客引きがいるのです)。
クラシックはよく知らないとか、セレブに囲まれるのは恥ずかしいとか、そんな心配は無用である。私自身もクラシックには詳しくないし、コンサートの客層だって、(こう言っちゃなんだけど)そんなに立派な人ばかりでもない。まあこれは「貧民席」ばかりに座る私の観察者バイアスかもしれないけれど。
たとえば、シンガポール出張ではエスプラネード・ホールでシンガポール交響楽団のご機嫌なベートーヴェン交響曲第2番を、カナダ出張ではグレン・グールドの出身校として知られるトロント王立音楽院でステファノ・ボラーニ・トリオの熱いモダンジャズをたのしんだ。
仕事での出張という、ほとんど他律的な要素で占められるイベントのなかで、わずかに残された自律的な時間枠をコンサートに充てる。そうすると、通常時とは違ったアングルで音楽が心にしみてくるし、そのときたまたま巡りあわせた演奏という「一期一会」のドライブ感も際立ってくる。事実、上に挙げた2件は、いまでも血の通った記憶として私の内に残っている。
だから日本のビジネスパーソンよ、もっと出張中にコンサートに行くべし、というのが私のささやかな主張である。お義理の飲み会はキックアウトする。上司からのメッセージは「既読無視」する。そうして夜の雑踏を抜け、あなたはウィーン楽友協会に一路向かうべきなのだ。
ここを最初に訪れたとき、私は3つのことに驚いた。
1点目は、ホールの圧倒的なまぶしさだ。
これは物理的な光度が強いのではなくて、ホール自体が黄金の輝きを放っているのだとしばらくして気がついた。慣れてくると、照明は控えめで、むしろ目に穏やかな空間とわかる。
「なんという美しさ・・・目がくらむッ!」みたいな台詞をマンガなどでよく見かけるが、つまり私はあれを実体験したわけなのであった。
2点目は、音響のクオリティの高さだ。
1870年に完成したこのホールが現在的見地からどのくらい理想的な「入れ物」なのか、音響工学の専門家でない私に公平なジャッジは難しい。技術の粋を凝らしているという意味では、あるいは(小澤征爾が東京で最良のホールと評した)すみだトリフォニーホールの方が優れているのかもしれない。
でも客観性と批評性を欠くことで定評のある私の視座からすると、楽友協会で鳴る音の響きは、それはもう無類のすばらしさである。非科学的な表現で恐縮だが、約一世紀半にわたって各時代の最上の演奏ばかりを吸い込んできた、滋養たっぷりの貫禄に満ちているのだ。
貧民席の常連であるところの私は、そのなかでもステージの後ろの(音楽ファンはしばしば「P席」と呼んだりする)2階席――下手をすると指揮者と第1バイオリンくらいしか見えないかわりに、立ち見を除けば常に最安値で販売されている、いわば「選ばれし貧民」のための席――に好んで座っている。
そしてこういう席は、やはり廉価な席だけあって、繊細なハーモニーを味わうには望ましくない(音の波が偏って届くから)とされている。けれども、楽友協会の「P席」で聴く音は、なかなかどうして悪くないのである。
3点目は、演奏者たちが座る椅子のチープさだ。
これについては、トーンキュンストラー管弦楽団の竹中のりこさんが、「椅子や指揮台は、相当年季が入っている、というかぶっちゃけボロい」という率直な感想を述べている。2階席から遠目で見ても、たしかに小学校の椅子を思い出させるような感じである。
ステージ自体もずいぶん狭い。だからブラームスやマーラーの交響曲を演奏するときには、これはもう満員電車みたいな状況になる(たぶん楽友協会ホールを創ったときには、ここまで大編成の曲がメジャーになるとは想定しなかったのだろう)。
ある日に見たコントラバス奏者は、通勤ピーク時の東京メトロ東西線に誤ってゴルフバッグを持ち込んでしまった人のような悲愴感を漂わせていた。
ところが慣れてくると、そこが妙な味わいというか、ある種の見どころのようになってくるから不思議である。たとえば先に引用した竹中さんの文章は、以下のように続いている。
楽友協会を本拠地とするウィーン・フィルはもちろんのこと、ベルリン・フィルとか、マルタ・フィルとか、イスラエル・フィルとか、オーストリア=韓国・フィルとか、世界各地から選ばれし才能たちが、このクラシックの聖地に続々とやって来るのだ。ウィーンに住む者としては、これを役得と呼ばずに何と呼ぶ、というところである。
冒頭に述べたように、私はクラシック音楽には全然詳しくない。そしてこのジャンルには、すでにして膨大な作品群が積み上がっている。畢竟、こういう機会でもなければ永遠に聴かなかっただろう楽曲に出会うことになる。またウィーンの観客たちは、多少「渋め」のセレクトでもしっかりついてくるんですね。
例を挙げるなら、マックス・ブルッフの「クラリネットとヴィオラのための二重協奏曲」。あるいはベンジャミン・ブリテンの「ピアノ協奏曲」。こうした作品がクラシック愛好家の間でどのように評価されているかは知らないけれど、私は一聴して好きになった。興奮のあまり耳の後ろのあたりが熱くなって、「ひょっとしたら人生には希望があるのではないか」という錯覚を得るまでに至った。
しかし私がウィーンで最も感銘を受けたのは、なんといってもグスタフ・マーラーの交響曲への人びとの視線の熱さである。他の作品とは一線を画する別格の存在として、すでに不動のポジショニングがなされている(気配がある)のだ。「名実ともに超一流の楽団が、バルブを全開にして能力の限りを尽くせる稀少なバトルフィールド」とでも言うべきか。
とはいえ正直なところ、私は長らくマーラーの交響曲が苦手であった。全身全霊を傾けるに値する作品であることは朧げにわかるのだけれど、どうにも胃もたれするというか、いささか長大にして難解すぎる。通勤しながら聴くにはあまり向かない種類の音楽である。
10年前、皇居の周りをぐるぐる走りながらベートーヴェンの交響曲をぜんぶ聴くという無謀なチャレンジをしたことがある。その試みは結局、第7番の第2楽章あたりで吐きそうになって挫折したのだが、もしマーラーで同じことをやったら、たぶんもっと早急に体調が悪くなったのではないか。
そんなわけで、マーラーと私の関係はずいぶん疎遠であった。でもいざウィーンに来てみると、なにしろ名の通った楽団はマーラーを好んで演目に加えるものだから、これはどうしたってマーラーからは逃げられない。ちゃんとマーラーに向き合って、マーラーのことを考えて、マーラーとの関係をやり直さなくてはいけないのだ。
これが、すばらしかった。まあどちらも世界最高峰の楽団なのだから当然といえば当然かもしれないが、響きの美しさ、音域の細密さに驚愕した。私のような素人の耳にも分かるほど、技量の高められ方が尋常でなかった。
そうして私が気づいたのは、「マーラーの交響曲というのは、実にこのように十全な環境で聴くべき音楽なのだ」ということだ。ブログの原稿を書きながらとか、トイレでうんこを気張りながらとか、そういう状況で聴くべき音楽ではないのである。
指揮者アンドリス・ネルソンスの名前には聞き覚えがあった。そこで記憶をたぐってみると、4年前にバークレーで彼の指揮を聴いたのだった(⇒ バークレーと私「バークレーで音楽をたくさん聴いたこと」)。このとき初めて聴いたブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」に打ちのめされ、爾来、中毒のように繰り返し聴くようになったのだ(ちなみに私の愛聴盤は、ブルーノ・ワルター指揮のコロンビア交響楽団)。
ひさしぶりに見たネルソンスは、ダイナミックな指揮ぶりは変わらない一方で、4年前よりもはるかに威風堂々たる佇まいであった。若くしてレジェンドの領域に足を踏み入れた者だけが発する特別なオーラがここにある、と私は思った。視界不良の「P席」からカミツキガメのように首をのばしながら思った。
マーラー交響曲の第3番第3楽章には、ポストホルンが舞台裏に潜んだまま延々とソロを吹くパートがある(マーラーを聴いていると、失礼ながら「こいつは絶対に頭がおかしいよな」と思うときがある)。そこでのネルソンスは完全なる直立不動を保っていて(奏者が見えないので指揮をする必要がないのだ)、それがまた絵になっていてカッコよかった。
来年には、佐渡裕指揮のトーンキュンストラー管弦楽団で第2番と第5番を聴く予定だ(もうチケットを購入した)。マーラーと私の関係は、いま静かな進展をみせている。
それはウィーン・コンツェルトハウスで催された室内楽コンサートで、プログラム前半の見どころ(聴きどころ)は、モーツァルトの弦楽四重奏曲第17番「狩」のはずであった。
いま「はずであった」と書いたのは、それが重心を失ったグライダーのように、調和の綻びを隠しきれない演奏であったからだ(だからプレイヤーの名前はここには記さない)。
そのためか、もう第2楽章に入るというのに、観客の集中力もどことなく弛緩したままだ。見境なくコンサートに足を運んでいるとたまにこういうことがある。誰を憎むでもなく、運が悪かったと思ってあきらめるしかない。
さらにまずいことには、1階席の前方あたりから「ああ」とか「うう」とかいう変なうめき声が聞こえてきた。周りの客たちも当然それに気づいて、嘆息と失笑のハーフ&ハーフのような反応が少し出る。
「あうう」や「おああ」のボリュームは、曲が進むにつれて少しずつ、しかし確実に大きくなってゆく。第3楽章の佳境に至っては、その声が旋律の流れをはっきりと阻むまでになる。
こうなるともう笑い事ではない。この頃には誰もが異変を汲み取って、空気がより一層冷え込んでいった(私は例によって2階席にいたので、良くも悪くも会場全体を俯瞰できた)。
第4楽章がはじまった。
「えええあっ」
「おああああああっ」
2階席にいると、奇声の主は簡単に特定できた。なぜなら、その老人が演奏中に幾度も立ち上がって、再び座りこむという異様な仕草をみせていたから。
でもそれはよく見ると、隣の(彼の妻と思われる)お婆さんが必死で引っ張り上げようとするのに対し、あくまで座ろうとする老翁の抵抗によってなされる、奇矯な往復運動であった。
私はようやく理解した。この人は、認知症を患っているのだ。自分で自分の行動を制御することが、かなり難しい段階に入っているのだ。
そのとき私を包んだのは、深いかなしみの感情だった。
老妻は、おそらく日々の介護に疲れはて、浮き瀬にしがみつくような想いでこのコンサートにやって来たのだ。願わくば、彼が演奏の間だけでも安寧を保っていてくれたら。願わくば、雲海に沈んだ彼の意識へと、モーツァルトの優しい光が差し込む奇跡があったなら。
焦点を欠いたままの弦楽四重奏が終わりを告げた。
誰も立ち上がらない拍手のなかで、老夫妻は係員に連れられ、消え入るように退場した。
インターミッションを挟んで、メンデルスゾーンのピアノ六重奏曲。
これは前半とはうってかわって、瑞々しく洗練された演奏であった。
夏休みなどのシーズンオフを除けば、ほとんど毎日なにかしらのコンサートがある。夜の部はだいたい19時台か20時台にはじまるので、(世話の焼ける上司がいなければ)無理なく参加できるだろう。
楽友協会の公式サイトでは、ちゃんと日本語も選択できる。オンラインで購入して、渡航前にチケットを印刷すれば、あとは会場に足を運ぶだけだ。行列に並ぶ必要はないし、ダフ屋と取引をする必要もない。まことに便利な世の中である。
公式サイトの「3D座席表」は、視認性に優れたデザイン |
体力に自信があれば10ユーロ程度の「立ち見席」。椅子に座りたければ20ユーロ程度の2階の端席、通称「貧民席」がおすすめだ。モーツァルトに扮装した輩から「観光客用チケット」を掴まされるよりはずっといい(註:ウィーンの路上にはそういう客引きがいるのです)。
クラシックはよく知らないとか、セレブに囲まれるのは恥ずかしいとか、そんな心配は無用である。私自身もクラシックには詳しくないし、コンサートの客層だって、(こう言っちゃなんだけど)そんなに立派な人ばかりでもない。まあこれは「貧民席」ばかりに座る私の観察者バイアスかもしれないけれど。
出張の夜に行くコンサートは心にしみる(※ 個人の感想です)
そのような具合に、私はウィーンへの出張者たちに熱心に説いている。というのは、ほかならぬ私が日本にいたとき、出張の夜にあちこち出かけていたからだ。たとえば、シンガポール出張ではエスプラネード・ホールでシンガポール交響楽団のご機嫌なベートーヴェン交響曲第2番を、カナダ出張ではグレン・グールドの出身校として知られるトロント王立音楽院でステファノ・ボラーニ・トリオの熱いモダンジャズをたのしんだ。
仕事での出張という、ほとんど他律的な要素で占められるイベントのなかで、わずかに残された自律的な時間枠をコンサートに充てる。そうすると、通常時とは違ったアングルで音楽が心にしみてくるし、そのときたまたま巡りあわせた演奏という「一期一会」のドライブ感も際立ってくる。事実、上に挙げた2件は、いまでも血の通った記憶として私の内に残っている。
だから日本のビジネスパーソンよ、もっと出張中にコンサートに行くべし、というのが私のささやかな主張である。お義理の飲み会はキックアウトする。上司からのメッセージは「既読無視」する。そうして夜の雑踏を抜け、あなたはウィーン楽友協会に一路向かうべきなのだ。
楽友協会ホールのまぶしさ、音の良さ、そして椅子のチープさ
楽友協会の大ホール(Große Musikvereinssaal)は、ウィーンの数ある名建築のなかでも、私がいちばん好きな場所である。ここを最初に訪れたとき、私は3つのことに驚いた。
1点目は、ホールの圧倒的なまぶしさだ。
これは物理的な光度が強いのではなくて、ホール自体が黄金の輝きを放っているのだとしばらくして気がついた。慣れてくると、照明は控えめで、むしろ目に穏やかな空間とわかる。
「なんという美しさ・・・目がくらむッ!」みたいな台詞をマンガなどでよく見かけるが、つまり私はあれを実体験したわけなのであった。
2点目は、音響のクオリティの高さだ。
1870年に完成したこのホールが現在的見地からどのくらい理想的な「入れ物」なのか、音響工学の専門家でない私に公平なジャッジは難しい。技術の粋を凝らしているという意味では、あるいは(小澤征爾が東京で最良のホールと評した)すみだトリフォニーホールの方が優れているのかもしれない。
でも客観性と批評性を欠くことで定評のある私の視座からすると、楽友協会で鳴る音の響きは、それはもう無類のすばらしさである。非科学的な表現で恐縮だが、約一世紀半にわたって各時代の最上の演奏ばかりを吸い込んできた、滋養たっぷりの貫禄に満ちているのだ。
貧民席の常連であるところの私は、そのなかでもステージの後ろの(音楽ファンはしばしば「P席」と呼んだりする)2階席――下手をすると指揮者と第1バイオリンくらいしか見えないかわりに、立ち見を除けば常に最安値で販売されている、いわば「選ばれし貧民」のための席――に好んで座っている。
そしてこういう席は、やはり廉価な席だけあって、繊細なハーモニーを味わうには望ましくない(音の波が偏って届くから)とされている。けれども、楽友協会の「P席」で聴く音は、なかなかどうして悪くないのである。
「P席」から見える景色の例(これは最前列なのでまだ良い方) |
3点目は、演奏者たちが座る椅子のチープさだ。
これについては、トーンキュンストラー管弦楽団の竹中のりこさんが、「椅子や指揮台は、相当年季が入っている、というかぶっちゃけボロい」という率直な感想を述べている。2階席から遠目で見ても、たしかに小学校の椅子を思い出させるような感じである。
ステージ自体もずいぶん狭い。だからブラームスやマーラーの交響曲を演奏するときには、これはもう満員電車みたいな状況になる(たぶん楽友協会ホールを創ったときには、ここまで大編成の曲がメジャーになるとは想定しなかったのだろう)。
ある日に見たコントラバス奏者は、通勤ピーク時の東京メトロ東西線に誤ってゴルフバッグを持ち込んでしまった人のような悲愴感を漂わせていた。
ところが慣れてくると、そこが妙な味わいというか、ある種の見どころのようになってくるから不思議である。たとえば先に引用した竹中さんの文章は、以下のように続いている。
インテリア関係の仕事をしている私の夫に至っては、初めて楽友協会でトーンキュンストラーのコンサートを見に来た時、
「えっ!?あの椅子は何?あの指揮台はどうしたの!?ウィーン・フィルもあの椅子で弾いてるの!?」
と完全にパニックに陥っていた。
いや、ウィーン・フィルはピカピカの社長椅子で演奏して,トーンキュンストラーはボロい椅子で演奏会とか、そんなリアル格付け番付は、さすがに存在していない。
どのオーケストラが演奏しても、椅子は平等にボロいのである。
でも私、実はあのボロさが風情だと思っている。
この傾いた椅子に、どんな大スターバイオリニストが座ったか、あのグラグラ揺れる指揮台に、どんな有名指揮者が立ったのか、そう考えてワクワクするのは、私にとってなかなか楽しい時間なのだ。
「えっ!?あの椅子は何?あの指揮台はどうしたの!?ウィーン・フィルもあの椅子で弾いてるの!?」
と完全にパニックに陥っていた。
いや、ウィーン・フィルはピカピカの社長椅子で演奏して,トーンキュンストラーはボロい椅子で演奏会とか、そんなリアル格付け番付は、さすがに存在していない。
どのオーケストラが演奏しても、椅子は平等にボロいのである。
でも私、実はあのボロさが風情だと思っている。
この傾いた椅子に、どんな大スターバイオリニストが座ったか、あのグラグラ揺れる指揮台に、どんな有名指揮者が立ったのか、そう考えてワクワクするのは、私にとってなかなか楽しい時間なのだ。
小ホール(Brahms Saal)で聴く室内楽もいいですね |
コンサートで聴くまで知らなかった曲もたくさんある
貧民席の常連であることの利点は、わずかでも心を惹かれた公演があれば、節操なくチケットを購入できてしまうことだ。楽友協会を本拠地とするウィーン・フィルはもちろんのこと、ベルリン・フィルとか、マルタ・フィルとか、イスラエル・フィルとか、オーストリア=韓国・フィルとか、世界各地から選ばれし才能たちが、このクラシックの聖地に続々とやって来るのだ。ウィーンに住む者としては、これを役得と呼ばずに何と呼ぶ、というところである。
冒頭に述べたように、私はクラシック音楽には全然詳しくない。そしてこのジャンルには、すでにして膨大な作品群が積み上がっている。畢竟、こういう機会でもなければ永遠に聴かなかっただろう楽曲に出会うことになる。またウィーンの観客たちは、多少「渋め」のセレクトでもしっかりついてくるんですね。
例を挙げるなら、マックス・ブルッフの「クラリネットとヴィオラのための二重協奏曲」。あるいはベンジャミン・ブリテンの「ピアノ協奏曲」。こうした作品がクラシック愛好家の間でどのように評価されているかは知らないけれど、私は一聴して好きになった。興奮のあまり耳の後ろのあたりが熱くなって、「ひょっとしたら人生には希望があるのではないか」という錯覚を得るまでに至った。
「全員チェロの5人組」という変態的な編成の路上演奏者もウィーンならでは |
マーラーと私
もちろんメジャーな曲も演奏される。モーツァルトとベートーヴェンはもとより、ハイドン、シューベルト、ブラームスもやはり定番だし、今年(2018年)で生誕100年となるバーンスタインの作品も好んで取り上げられている。没後100年のドビュッシーも(アンコールでかかるのを含めて)根強い人気を誇っているようだ。しかし私がウィーンで最も感銘を受けたのは、なんといってもグスタフ・マーラーの交響曲への人びとの視線の熱さである。他の作品とは一線を画する別格の存在として、すでに不動のポジショニングがなされている(気配がある)のだ。「名実ともに超一流の楽団が、バルブを全開にして能力の限りを尽くせる稀少なバトルフィールド」とでも言うべきか。
とはいえ正直なところ、私は長らくマーラーの交響曲が苦手であった。全身全霊を傾けるに値する作品であることは朧げにわかるのだけれど、どうにも胃もたれするというか、いささか長大にして難解すぎる。通勤しながら聴くにはあまり向かない種類の音楽である。
10年前、皇居の周りをぐるぐる走りながらベートーヴェンの交響曲をぜんぶ聴くという無謀なチャレンジをしたことがある。その試みは結局、第7番の第2楽章あたりで吐きそうになって挫折したのだが、もしマーラーで同じことをやったら、たぶんもっと早急に体調が悪くなったのではないか。
そんなわけで、マーラーと私の関係はずいぶん疎遠であった。でもいざウィーンに来てみると、なにしろ名の通った楽団はマーラーを好んで演目に加えるものだから、これはどうしたってマーラーからは逃げられない。ちゃんとマーラーに向き合って、マーラーのことを考えて、マーラーとの関係をやり直さなくてはいけないのだ。
4年ぶりのアンドリス・ネルソンス
今年になって、アンドリス・ネルソンス指揮のボストン交響楽団によるマーラー交響曲第3番と、ダニエル・ハーディング指揮のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が奏でる第5番を、それぞれ楽友協会ホールで鑑賞した。これが、すばらしかった。まあどちらも世界最高峰の楽団なのだから当然といえば当然かもしれないが、響きの美しさ、音域の細密さに驚愕した。私のような素人の耳にも分かるほど、技量の高められ方が尋常でなかった。
そうして私が気づいたのは、「マーラーの交響曲というのは、実にこのように十全な環境で聴くべき音楽なのだ」ということだ。ブログの原稿を書きながらとか、トイレでうんこを気張りながらとか、そういう状況で聴くべき音楽ではないのである。
指揮者アンドリス・ネルソンスの名前には聞き覚えがあった。そこで記憶をたぐってみると、4年前にバークレーで彼の指揮を聴いたのだった(⇒ バークレーと私「バークレーで音楽をたくさん聴いたこと」)。このとき初めて聴いたブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」に打ちのめされ、爾来、中毒のように繰り返し聴くようになったのだ(ちなみに私の愛聴盤は、ブルーノ・ワルター指揮のコロンビア交響楽団)。
ひさしぶりに見たネルソンスは、ダイナミックな指揮ぶりは変わらない一方で、4年前よりもはるかに威風堂々たる佇まいであった。若くしてレジェンドの領域に足を踏み入れた者だけが発する特別なオーラがここにある、と私は思った。視界不良の「P席」からカミツキガメのように首をのばしながら思った。
マーラー交響曲の第3番第3楽章には、ポストホルンが舞台裏に潜んだまま延々とソロを吹くパートがある(マーラーを聴いていると、失礼ながら「こいつは絶対に頭がおかしいよな」と思うときがある)。そこでのネルソンスは完全なる直立不動を保っていて(奏者が見えないので指揮をする必要がないのだ)、それがまた絵になっていてカッコよかった。
来年には、佐渡裕指揮のトーンキュンストラー管弦楽団で第2番と第5番を聴く予定だ(もうチケットを購入した)。マーラーと私の関係は、いま静かな進展をみせている。
その旋律は、彼の意識に届いたのだろうか
演奏とは別の文脈で忘れられないコンサートもあった。そのことを書いて、本稿を終えたい。それはウィーン・コンツェルトハウスで催された室内楽コンサートで、プログラム前半の見どころ(聴きどころ)は、モーツァルトの弦楽四重奏曲第17番「狩」のはずであった。
いま「はずであった」と書いたのは、それが重心を失ったグライダーのように、調和の綻びを隠しきれない演奏であったからだ(だからプレイヤーの名前はここには記さない)。
そのためか、もう第2楽章に入るというのに、観客の集中力もどことなく弛緩したままだ。見境なくコンサートに足を運んでいるとたまにこういうことがある。誰を憎むでもなく、運が悪かったと思ってあきらめるしかない。
さらにまずいことには、1階席の前方あたりから「ああ」とか「うう」とかいう変なうめき声が聞こえてきた。周りの客たちも当然それに気づいて、嘆息と失笑のハーフ&ハーフのような反応が少し出る。
「あうう」や「おああ」のボリュームは、曲が進むにつれて少しずつ、しかし確実に大きくなってゆく。第3楽章の佳境に至っては、その声が旋律の流れをはっきりと阻むまでになる。
こうなるともう笑い事ではない。この頃には誰もが異変を汲み取って、空気がより一層冷え込んでいった(私は例によって2階席にいたので、良くも悪くも会場全体を俯瞰できた)。
第4楽章がはじまった。
「えええあっ」
「おああああああっ」
2階席にいると、奇声の主は簡単に特定できた。なぜなら、その老人が演奏中に幾度も立ち上がって、再び座りこむという異様な仕草をみせていたから。
でもそれはよく見ると、隣の(彼の妻と思われる)お婆さんが必死で引っ張り上げようとするのに対し、あくまで座ろうとする老翁の抵抗によってなされる、奇矯な往復運動であった。
私はようやく理解した。この人は、認知症を患っているのだ。自分で自分の行動を制御することが、かなり難しい段階に入っているのだ。
そのとき私を包んだのは、深いかなしみの感情だった。
老妻は、おそらく日々の介護に疲れはて、浮き瀬にしがみつくような想いでこのコンサートにやって来たのだ。願わくば、彼が演奏の間だけでも安寧を保っていてくれたら。願わくば、雲海に沈んだ彼の意識へと、モーツァルトの優しい光が差し込む奇跡があったなら。
焦点を欠いたままの弦楽四重奏が終わりを告げた。
誰も立ち上がらない拍手のなかで、老夫妻は係員に連れられ、消え入るように退場した。
インターミッションを挟んで、メンデルスゾーンのピアノ六重奏曲。
これは前半とはうってかわって、瑞々しく洗練された演奏であった。
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