運河と自転車とミッフィーの街(ユトレヒト)
ウィーンから片道11時間の鉄道旅行を終えて、ユトレヒトに到着してみると、ここは思っていた以上にずっと素敵な街であった。
あまりに気に入ったので、当初予定していたアムステルダム行きを取りやめて、5日間――最初と最後の日はひたすら電車に乗っていたので、実質的には3日間――の旅行の間、ずっとユトレヒトの街に滞在していたくらいだ。
ユトレヒトで何をしていたかといえば、いくつかの博物館に行ったほかは、大体ずっと散歩をしていた。私が愛用している活動量計(Vivofit2という安いやつ)によれば、滞在中の歩数は1日あたり約15,000歩。体力の限界を迎えた奥さんと1歳の息子をホテルに残して、春になって日の長くなった街並みを、4歳の息子とひたすら歩いた。
今回の旅行は、もともとはミッフィー博物館を訪ねたい奥さんの発案だったが、いつのまにか私の方が夢中になっていたのだ。
それでも、悩みのなさそうな鴨たちが水面にゆっくりと波紋をつくる様子を眺めていると、この運河はユトレヒトの市民たちの安全を守るだけでなく、見る者の心を穏やかにするという「副次的効果」を長きにわたってもたらしてきたのだ、と思うようになる。そうして、ちょっとした羨望のような感情が湧き上がってくるのに気づくことになる。
運河のある街っていいですね。建物と道路のほかに、もうひとつ水路という要素があるだけで、街の表情は一気に豊かになる。ヴェネツィアもよかったけど、ユトレヒトの味わいもまた格別である。あちらは海水の滋味、こちらは淡水の滋味とでもいうべきか。
あまりに気に入ったので、当初予定していたアムステルダム行きを取りやめて、5日間――最初と最後の日はひたすら電車に乗っていたので、実質的には3日間――の旅行の間、ずっとユトレヒトの街に滞在していたくらいだ。
ユトレヒトで何をしていたかといえば、いくつかの博物館に行ったほかは、大体ずっと散歩をしていた。私が愛用している活動量計(Vivofit2という安いやつ)によれば、滞在中の歩数は1日あたり約15,000歩。体力の限界を迎えた奥さんと1歳の息子をホテルに残して、春になって日の長くなった街並みを、4歳の息子とひたすら歩いた。
今回の旅行は、もともとはミッフィー博物館を訪ねたい奥さんの発案だったが、いつのまにか私の方が夢中になっていたのだ。
運河の街
ユトレヒトの見どころは、街の中心を流れる運河(Oudegracht)である。オランダの正式名称「Nederland」が「海抜の低い土地」を意味する、というのは有名な話だけれど、ユトレヒトも例外ではなく、排水のために運河が造られたという。景観用ではなく、あくまでソリッドな実用としての運河なのだ。それでも、悩みのなさそうな鴨たちが水面にゆっくりと波紋をつくる様子を眺めていると、この運河はユトレヒトの市民たちの安全を守るだけでなく、見る者の心を穏やかにするという「副次的効果」を長きにわたってもたらしてきたのだ、と思うようになる。そうして、ちょっとした羨望のような感情が湧き上がってくるのに気づくことになる。
運河のある街っていいですね。建物と道路のほかに、もうひとつ水路という要素があるだけで、街の表情は一気に豊かになる。ヴェネツィアもよかったけど、ユトレヒトの味わいもまた格別である。あちらは海水の滋味、こちらは淡水の滋味とでもいうべきか。
運河の両端が「地下1階」になっていて、レストランや住宅などが軒を連ねる |
1歳の息子は「鴨さん、鴨さん」と連呼して離れなくなった |
ユトレヒト市民劇場。水没しているのではなく、河面ぎりぎりに建っている |
自転車の街
ユトレヒトはまた自転車の街でもある。たとえば、自転車専用レーン、これ自体はバークレーにもウィーンにもあるけれど、ユトレヒトではその幅が車道と同じくらい(ときにそれ以上)の広さなのだ。自転車がこれほど優遇された街を、私はこれまで見たことがない。
道ゆく自転車の数も、ホーチミンのバイクを思い出させる凄まじさだ。私が驚いたのは、ロードバイクに乗っている本格派の人(意外にも少ない)を除いて、ほとんど誰もヘルメットをしていないことだ。
調べてみると、オランダの法律では、ヘルメットを着用していなくても罰せられることはないようだ。安全を担保するのは充実したインフラであって、ヘルメットの義務付けみたいなことはやらないという考えだろうか。他方、夜間の無灯火運転には厳しく罰金が課せられるとのこと。独自の線引きに、オランダ人の個性がよく表れている。
冒頭にも書いたように、この旅行はミッフィーをこよなく愛する奥さんが企画したものだ。とはいえ私も、ブルーナの絵は結構好きな方だ。私がアンリ・マティスを知ったのも、思えば「ブルーナが影響を受けた画家」という文脈だったか。
ブルーナの逸話で私が好きなのは、ある女性にプロポーズしたけど断られ、時をおいて同じ人に求婚したけどまた駄目で、3度目か4度目のチャレンジで、根負けした先方が承諾して、それから共に白髪の生えるまで仲睦まじく暮らしたという話である。ブルーナさんは老年になっても子どものように純真な瞳を失わなかった人だが、その実、なかなかのタフネスを持ち合わせた人でもあったみたいだ。
でもこれ、結果的にうまくいったから美談のような形で語れるけれど、状況によっては「ストーカ―被害の訴え ⇒ 逮捕」みたいな流れもあり得たわけで、そうしたらミッフィーのパブリック・イメージもかなり変容して、「犯罪者のアート」みたいな分類になっていたかもしれない。そう考えると、ブルーナの配偶者の方には感謝をするほかない。
館内を歩き回って(しばしば息子を追いかけ回って)ひとつ気がついたのは、ミッフィーは世界各国で認知されているけれど、なかでも日本での人気は突出しているということだ。
そういえば、仕事で知り合ったオランダ人に「今度ユトレヒトに旅行するよ。Nijntje(ミッフィーのオランダ語名称)を見に行くんだ」と言ったら、「Nijntjeなんてよく知ってるね」という反応だった。なんとなく、「ミッフィーはそこまでメジャーではないキャラクター」といったニュアンスがそこにはあった。
日本での人気を裏付ける証拠のひとつは、博物館の案内文である。たとえば、
とか、
とか、
といった按配に、オランダ語、英語と並んで日本語で書かれている。ヨーロッパに暮らして、日本人のマイノリティぶりを日々実感する身としては、これは本当にすごいことである。
ミッフィー博物館の向かいの中央美術館(Centraal Museum)の売店には、ミッフィー絵本の翻訳書が並んでいる。ここでも、フランス語や韓国語などに比べて、日本語の点数が明らかに多い。「うさこちゃん」の名訳を生み出した翻訳者・石井桃子さんの功績を、ユトレヒトで改めて感じ入ることになった。
新たな土地を訪れたとき、治安の良し悪しを見分ける判断基準がいくつかある。そのひとつは「公共施設・一般住宅のセキュリティの本気度」だ。たとえば、チェーンソーでも壊せなさそうな鉄格子がどの窓にも嵌めてある街並みでは、そういうレベルの犯罪が多発していることが示唆されるわけで、これはちょっと不要な外出は控えた方がよいだろうということになる。
ところがこのユトレヒトでは、鉄格子はおろか、カーテンすら付けていない窓が多かった。往来に面した地上階の部屋でもそうなので、結果的に、道行く人から私生活が丸見えになる。
私も人の視線をあまり気にしない方だが(奥さんのボキャブラリーを借りれば「面の皮が厚い」ということになるが)、自分のだらけた生活ぶりを他人の視線に晒しつづける度胸まではさすがにない。ところがユトレヒトの人たちは、プライバシーとか周りの目とかいった概念をやすやすと乗り越えた場所に、まったくの自然体で生きている(ように見える)のである。
そういうわけで、(特に覗き見する意図はなかったにせよ)ユトレヒト住民の私生活をしばしば目視する機会を得たのだが、大半はテレビかゲームに興じていて、スナック菓子を傍らに置いたりして、意識が高い感じがまったくしないのがよかった。
印象深かったのは、プレステ4のサッカーゲームを無表情でプレイする40代半ばくらいのお父さんと、それを後ろのソファーで、これまた無表情にじっと見つめている、息子とおぼしき3兄弟だ。このいかにも無為な時間の濫費ぶりは、これこそ日常、これこそ平和、と私に感じさせるものがあって、目に入ったのはほんの1,2秒だったのに、不思議にいまでも心に残っている光景だ。
ウィーンは、生活の質の高さランキング(Quality of Living City Ranking)で世界1位を9年連続で獲得している街である(2018年現在)。たしかに、パリよりも、ロンドンよりも、ベルリンよりも、ウィーンの方が住みやすいと私も思う。
でも、このユトレヒトという街には、ウィーンを上回る暮らしやすさがあるように思えた。もちろん、「隣の芝生は青い」という人類普遍の法則は無視できない。でも想像の中の私は、すでにユトレヒトの優しい陽光に包まれている。運河のほとりに住んで、休みの日には自転車を漕いで郊外のカフェバーに出かけ、子どもにミッフィーの絵本を読んで、そして家に帰ってプレステ4のサッカーゲームをするのだ。
道ゆく自転車の数も、ホーチミンのバイクを思い出させる凄まじさだ。私が驚いたのは、ロードバイクに乗っている本格派の人(意外にも少ない)を除いて、ほとんど誰もヘルメットをしていないことだ。
調べてみると、オランダの法律では、ヘルメットを着用していなくても罰せられることはないようだ。安全を担保するのは充実したインフラであって、ヘルメットの義務付けみたいなことはやらないという考えだろうか。他方、夜間の無灯火運転には厳しく罰金が課せられるとのこと。独自の線引きに、オランダ人の個性がよく表れている。
自転車専用レーンの贅沢な広さ。ときどきバイクも走っている |
子どもを乗せる前かご付きの自転車。これをレンタルしたかったが、在庫が無かった |
この前かご、日本でビール瓶を運ぶやつにそっくりだ(わりによく見かけた) |
ミッフィーの街
そしてユトレヒトは、ミッフィーの作者であるディック・ブルーナ(1927-2017)が生まれ育った街としても有名である。この運河と自転車の街で、ブルーナさんは生涯のほとんどを過ごしたという。冒頭にも書いたように、この旅行はミッフィーをこよなく愛する奥さんが企画したものだ。とはいえ私も、ブルーナの絵は結構好きな方だ。私がアンリ・マティスを知ったのも、思えば「ブルーナが影響を受けた画家」という文脈だったか。
ブルーナの逸話で私が好きなのは、ある女性にプロポーズしたけど断られ、時をおいて同じ人に求婚したけどまた駄目で、3度目か4度目のチャレンジで、根負けした先方が承諾して、それから共に白髪の生えるまで仲睦まじく暮らしたという話である。ブルーナさんは老年になっても子どものように純真な瞳を失わなかった人だが、その実、なかなかのタフネスを持ち合わせた人でもあったみたいだ。
でもこれ、結果的にうまくいったから美談のような形で語れるけれど、状況によっては「ストーカ―被害の訴え ⇒ 逮捕」みたいな流れもあり得たわけで、そうしたらミッフィーのパブリック・イメージもかなり変容して、「犯罪者のアート」みたいな分類になっていたかもしれない。そう考えると、ブルーナの配偶者の方には感謝をするほかない。
街の中心部にあるミッフィー信号機。切り替えが早いので、もたもたしていると車に轢かれる |
道路の標識にもブルーナの絵が |
公衆トイレにもブルーナの絵が |
ミッフィー博物館(Nijntje Museum)
ユトレヒト旧市街の中心部から10分ほど歩いた場所にあるミッフィー博物館は、2016年に全面改装されて、より子ども向けにフォーカスした体験型の展示内容になったという。なるほど、見た限り来館者の99%くらいは親子連れで、うちの息子たちも頭から尻尾まで大喜びだった。館内を歩き回って(しばしば息子を追いかけ回って)ひとつ気がついたのは、ミッフィーは世界各国で認知されているけれど、なかでも日本での人気は突出しているということだ。
そういえば、仕事で知り合ったオランダ人に「今度ユトレヒトに旅行するよ。Nijntje(ミッフィーのオランダ語名称)を見に行くんだ」と言ったら、「Nijntjeなんてよく知ってるね」という反応だった。なんとなく、「ミッフィーはそこまでメジャーではないキャラクター」といったニュアンスがそこにはあった。
日本での人気を裏付ける証拠のひとつは、博物館の案内文である。たとえば、
とか、
とか、
といった按配に、オランダ語、英語と並んで日本語で書かれている。ヨーロッパに暮らして、日本人のマイノリティぶりを日々実感する身としては、これは本当にすごいことである。
ミッフィー博物館の向かいの中央美術館(Centraal Museum)の売店には、ミッフィー絵本の翻訳書が並んでいる。ここでも、フランス語や韓国語などに比べて、日本語の点数が明らかに多い。「うさこちゃん」の名訳を生み出した翻訳者・石井桃子さんの功績を、ユトレヒトで改めて感じ入ることになった。
トートバックとハンガーを買った。併せて15ユーロくらいだったと思う |
館内は子どもたちの興奮のるつぼ |
中央美術館に併設されたカフェのメニューに、ミッフィー・パンケーキ(Nijntje Pancake)というのがあったので、試しにこれを頼んでみた。
そうしたら、こんなものが出てきた。
うーん。
悪くはない。悪くはないんだけど、もうちょっと――川崎市の藤子・F・不二雄ミュージアムのレストランの「アンキパン」とまでは言わないまでも――あと少しの工夫の余地はあったのではないか。それともこれは、「ミッフィーのおばけごっこ」の回を再現しているつもりなのか。しかしそれなら、顔の輪郭と目の位置を・・・
などと、やくたいもないことを考えていると、4歳の息子がおもむろに手を動かしはじめて、ミッフィーの顔を完成させた。
おなじみの「×」の口が添えられて、これで一気にミッフィーになった。我が子ながら、なかなかの出来である。日本のディック・ブルーナが、ここに誕生したと言ってさしつかえないのではあるまいか。
しかし、いま思ったのだが、これは最初から子どもたちに「×」の部分をつくらせるつもりで、あえて不完全なパンケーキを供したのかもしれない。画竜点睛を委ねるタイプの、参加型芸術としての、ミッフィー・パンケーキ。いや、ちょっと善意に考えすぎか。
安全な街
運河と自転車とミッフィーの街、ユトレヒト。もうひとつ付け加えるなら、ここは見るからに安全な街であった。新たな土地を訪れたとき、治安の良し悪しを見分ける判断基準がいくつかある。そのひとつは「公共施設・一般住宅のセキュリティの本気度」だ。たとえば、チェーンソーでも壊せなさそうな鉄格子がどの窓にも嵌めてある街並みでは、そういうレベルの犯罪が多発していることが示唆されるわけで、これはちょっと不要な外出は控えた方がよいだろうということになる。
ところがこのユトレヒトでは、鉄格子はおろか、カーテンすら付けていない窓が多かった。往来に面した地上階の部屋でもそうなので、結果的に、道行く人から私生活が丸見えになる。
私も人の視線をあまり気にしない方だが(奥さんのボキャブラリーを借りれば「面の皮が厚い」ということになるが)、自分のだらけた生活ぶりを他人の視線に晒しつづける度胸まではさすがにない。ところがユトレヒトの人たちは、プライバシーとか周りの目とかいった概念をやすやすと乗り越えた場所に、まったくの自然体で生きている(ように見える)のである。
そういうわけで、(特に覗き見する意図はなかったにせよ)ユトレヒト住民の私生活をしばしば目視する機会を得たのだが、大半はテレビかゲームに興じていて、スナック菓子を傍らに置いたりして、意識が高い感じがまったくしないのがよかった。
印象深かったのは、プレステ4のサッカーゲームを無表情でプレイする40代半ばくらいのお父さんと、それを後ろのソファーで、これまた無表情にじっと見つめている、息子とおぼしき3兄弟だ。このいかにも無為な時間の濫費ぶりは、これこそ日常、これこそ平和、と私に感じさせるものがあって、目に入ったのはほんの1,2秒だったのに、不思議にいまでも心に残っている光景だ。
遊具を併設したカフェやバーをよく見かけた。子連れで酒を飲むには最高の環境だ |
物価はウィーンより若干安い。キッチンペーパーや電源タップなどを買い込んだ |
ウィーンは、生活の質の高さランキング(Quality of Living City Ranking)で世界1位を9年連続で獲得している街である(2018年現在)。たしかに、パリよりも、ロンドンよりも、ベルリンよりも、ウィーンの方が住みやすいと私も思う。
でも、このユトレヒトという街には、ウィーンを上回る暮らしやすさがあるように思えた。もちろん、「隣の芝生は青い」という人類普遍の法則は無視できない。でも想像の中の私は、すでにユトレヒトの優しい陽光に包まれている。運河のほとりに住んで、休みの日には自転車を漕いで郊外のカフェバーに出かけ、子どもにミッフィーの絵本を読んで、そして家に帰ってプレステ4のサッカーゲームをするのだ。
記事では紹介しきれなかったが、鉄道博物館(Het Spoorwegmuseum)もよかったです |
コメント