航空機を愛するが客船も気になる、この気持ちを何と呼ぶ
昨年の秋、イギリスに住むKさんがウィーンに遊びにきてくれた。
私より少しく年長のKさんは、日本で最高の理工系大学を卒業して、日本の重工メーカーに採用された。爾後、紆余曲折あってイギリスの重工メーカーに転職し、いまでは(1個あたり数億円の付加価値を持つ)ある大型部品の設計責任者という大役を担っている。
Kさんは、学生時代にウィーンの国際機関でインターンをしていた。だから私よりもずっとウィーンに詳しい。とりわけ「安くて怪しくてうまい店」に通暁している。
その夜、Kさんが選んだお店は「7Stern Bräu」。名物の大麻ビール(幻覚作用のない合法のビール)を2人でしこたま痛飲し、実に6時間以上も会話をたのしんだ。
日英の重工メーカーの意思決定システムにはどのような相似と相違があるのか。
最近の政策イシューはもはや霞が関の問題解決能力を超えているのではないか。
カトリックとプロテスタントと正教会の違いは欧米社会にどう影響しているか。
古代ローマ帝国という存在は欧州人の精神性にどれほど深く結びついているか。
会議中にうんこを漏らしても周囲にばれないようにするにはどうすればよいか。
そのような重要テーマが展開されるなかで、「Kさんがウィーン時代に生き急ぐようにしてたのしんだ外国旅行」という話にも及んだ。
「ぼくの場合はひとり旅でしたが、東西南北、あちこち行きました」
「ウィーンから見ると、たしかにどの方角にも何かしらありますよね」
「でもね、Satoruさん。僕がいちばんおすすめしたいのは、客船旅行なんです」
「日経新聞で『地中海クルーズ10日間!』みたいなシニア向けの広告をよく見ます」
「そうそう。だけどヨーロッパのクルーズの世界は、もっと種類が多くて奥深いんです」
「でも、お高いんでしょう?」と、私はTVショッピングの司会者のような発言をした。
「いえいえ、安心なさってください!」と、KさんもTVショッピングの人になった。
それこそフェリーニの「甘い生活」のように退廃的な船上生活をたのしむセレブリティ層から、最下等クラスながら他の交通手段に比べれば快適な貧乏旅行をたのしむバックパッカー層(当時のKさんはこのカテゴリに所属)、さらには糊口をしのぐ手段をリアルタイムで探している移民層まで、一隻の船のなかにヨーロッパ社会の縮図が表現されているという。
こういう船旅を2週間も1か月も続けていると、渡航先の都市を歩き回る以上に人間観察眼が養われ、(自ら求めるならば)より濃密な人間関係も築かれる。また日本のビジネスパースンが1か月も休暇を取るのは難しいが、こちらではごく普通のことである。だからSatoruさんもウィーンに居るうちに、ぜひ客船に搭乗して長期旅行をされるとよい、との示唆であった。
私はその話を聞いて、ふーん、と思った。
興味深いけど、まぁ、おれには関係ねえな、と思った(もちろん口には出さなかった)。
というのは、当時ウィーンに来たばかりの私にとって、客船よりも航空機という移動手段がなにしろ魅力的だったのだ。
LCC(格安航空会社)の威力を真に実感したのも、ヨーロッパに住みはじめてからだ。
ウィーン~マルタの航空券が、片道41ユーロで売られている。破格の安さなのである。
ここでひとつ打ち明けよう。私は、航空機をこよなく愛する者である。
航空機は、たとえばMRJのような小型ジェット機ですら、約100万個もの部品で構成されている(註:自動車は約3万個)。そこから想像される、途方もない作業プロセス、語られない無数のドラマたちが、離着陸のたびに、私の心をフラッター振動させる。
欧州の短距離路線にはA320という機体がよく使われる。これに搭乗するとき、私は必ずエンジンの種類を確認する。CFM56とV2500のどちらかを確認する。そしてV2500と判明すると、少しだけ嬉しくなる。なぜならV2500は、日本の航空機エンジン産業が世界に打って出る契機となった製品だからだ。「V2500がんばれ」と私は思う。前畑がんばれ、V2500がんばれ。
航空機が好きすぎて、ドイツはハンブルクのAircraft Interiors Expoに行ったこともある。これは、航空機の機体やエンジンではなく、内装品、つまり座席とか、トイレ(ラバトリー)とか、厨房(ギャレー)とか、機内食をつくる工作機械とかを展示する見本市である。ボタンを押すと背中が熱くなる座席など、耐空証明を取るのが難しそうなアイデア商品もある。
いま「耐空証明」と書いたが、航空機の世界は、求められる安全性のレベルがすごく高い。まあ人命にかかわるものなので当然とも言えるが、そのために製品開発には並々ならぬ苦労がある。あまりに苦労しすぎて、正気を失ってしまった人を私は知っている。
我々が航空機に乗って、「ちょっとうんこがしたいな」と思って、うんこがしたい気持ちが高まって、トイレで実際にうんこをする。その後に洗浄ボタンを押すと、少しの沈黙を経て、「ズボボんボボゥッ!」という爆裂音があり(あれを恥ずかしく思うお客さまから航空会社にノイズキャンセリング機能追加のニーズが寄せられているとの由)、うんこが一瞬で視界から消える。うんこの即時償却だ。
あの爽快なようで、どこかに一抹の不安が残るプロセス(うんこの吸引プロセス)。あれはエンジニアリング的に考え抜かれたもので、その安全性を事前にテストする必要がある。上空1万メートル前後の機内環境で、システムがうんこを正しく処理できるかを検証するのだ。
そして、その吸引試験に使う「模造うんこ」をつくるメーカーも、世の中にはきちんと存在する。航空機のサプライチェーンを細かく追っていくと、うんこのサプライチェーンにたどり着くのである。
航空機の世界では、その「模造うんこ」の仕様も厳しく定められている。
天然のうんこ、たとえば私のうんこを勝手に使うことは許されていない。
ここで仮に、FAA(米国連邦航空局)とEASA(欧州航空安全機関)が、「うんこ吸引試験においてはSatoruのうんこを使うべし」と規程で定めた平行世界があるとしよう。メーカーが試験をするたびに、私の懐には巨額のリベートが転がり込んでくる。「秒速で数億円稼ぐ男」「ミスター航空機」「ミスターうんこ」の呼称が私に与えられる。うんこで稼いだマネーで、東京都墨田区吾妻橋にうんこのオブジェを冠したビルを建設する。悪くない話である。
しかし、私の体調にはムラがあるので、うんこの固さ・粘り・色・温度・ばらけ具合などのパラメーターは日によって変化する。すると、A機のうんこ吸引試験ではかちかちのうんこでうまく流れず不合格となったのに、B機はふわふわのうんこで合格、といった状況が結果的に生じる。そうなると、A社から「B社に有利な試験環境が与えられており、これは不当である」「B国政府はSatoruのうんこを故意にふわふわにするための補助金措置を講じた疑いがある」との提訴がなされ、WTO(世界貿易機関)を通じて、A社 vs. B社の紛争案件に発展することになる。私に対する巨額の賠償請求がなされ、同時に過去の不祥事も発覚し、私は破滅する。親権も剥奪される。やはりうまい話というのはないものである。
ええと、そうだ、Kさんから客船旅行を薦められたが、当時の私は航空機に執心していた、という話であった。
その後の展開を語ろう。
航空機への愛が減じることはないけれど、主に2つの出来事をきっかけとして、私の視野に鉄道というオプションが大きく迫ってくるようになる。
ひとつめの出来事は、ウィーン~ユトレヒトの片道11時間の鉄道旅行で、食堂車や幼児連れ向けコンパートメントの快適さを存分に味わったことだ。アムトラックや新幹線も悪くない。でも「キッズ・フレンドリー」の観点からすると、(申し訳ないけれど)軽く10馬身くらいは差がついてしまっているな、とそのとき実感した。
ふたつめの出来事は、下の息子が満2歳になって、航空機の座席確保に料金がかかるようになったことだ。まあこれは吝嗇な話なのだけど、2歳になった直後にマルタ航空のフライトに乗って、「しまった、もうちょっと早く出発しておくべきだった」と心のなかで後悔をした。これに対してオーストリア国鉄ÖBBでは、6歳未満の子どもは無料なのであった。
この表を見てひとつわかるのは、「航空機は速い」という素朴な事実だ。まことに幼児的な感想ではあるが、たしかに航空機は鉄道よりもずっと速いのだ。ひこうき、はやい。
けれども、大人の視点、つまりお金の出入りに心を砕いて生きていかざるを得ない者の視点からすると、鉄道の安さがやはり際立つ。大人料金の比較だけでもすでにリーズナブルだが、「幼児無料」を加味すると、これはもう鉄道の圧勝ということになる。
幼児向けスペースの潤沢さについても、鉄道旅行にアドバンテージがある。「手荷物検査がない」「飲み物を持ち込める」という利点もあるし、個人的には「車中で他の子どもとの接触が多い」のもうれしい。
そういえばデュッセルドルフ旅行の復路でも、エジプトとレバノンの子どもたちと仲よしになった。同席したドイツ人のお姉さん(生物学の学術書を熱心に読んでいた)が、息子たちのためにかわいい動物のイラストを描いてくれる一幕もあった。
航空機への愛が減じることはないけれど(再掲)、なにより航空機には「空を飛ぶ」という無敵のカードがあることも忘れてはならないけれど、ヨーロッパに来てから鉄道という存在が黄金の輝きを放つようになったことは、もはや隠しがたい事実なのである。
これは、Kさんのいう「2週間も1か月も乗り続ける」ようなクルーズではなく、片道2時間のごく短い船旅だったが、我々の固定観念を気持ちよく瓦解させる体験であった。
いま、タリン旅行のいちばんの思い出について5歳の息子に問うと、「船で遊んだこと!」という答えが元気に返ってくる。それは厳密にはタリンではなくバルト海の思い出なのだが、そのくらい強い印象を残したようだ。
私にも重要な気づきがあった。これまで客船旅行になんとなく不審の念を抱いていたのは、幼少時に乗った「おがさわら丸」(註:かつて私は小笠原諸島の母島に住んでいた)が揺れに揺れて、船酔いで床に臥せった漆黒の記憶が意識の底に沈んでいたからなのだ。
そのことを自覚したのは、今回の旅で乗った「メガスター号」が、穏やかなバルト海を進みはじめたときだ。
あっ、この船、揺れないんだ。
私の小さなトラウマ(の一部)は、そこではじめて引き上げられ、白光にさらされ、やがて蒸発していった。
Kさん、あのとき話をちゃんと聞いてなくて、すみません。
私は心のなかで、約1年越しの謝罪をした。
客船もまた「幼児無料」で、「手荷物検査がなく」、「飲み物を持ち込める」。というか、船内にはコンビニがあるし、バーガーキングがあるし、スターバックスもある。幼児スペースの充実ぶりは、ドイツ鉄道をも遥かにしのぐ。加えてトータルコストが、べらぼうに安い。
航空機への愛が減じることはないけれど(再々掲)、そしてフィンエアーはすばらしい航空会社ではあるけれど(ウィーン~ヘルシンキで利用しました)、ここにきて客船という第三のトリックスターが、圧倒的な集中線を背にして堂々登場してきたのである。
しかし、私と客船の関係は、まだ始まったばかりだ。上に述べた経験も、所詮は片道2時間の旅。Kさんが力説した長期クルーズの醍醐味は、まだ私の知らない場所にある。
さらに先日、ウィーンで知り合った日本人の方から、「船で行けばビザ不要でロシアに入国できる(ただし3日だけ)」という情報をいただいた。
ビザ取得の大変さで知られる、あの国に、手続きコストフリーで訪問できる手段がある?
なんだかゲームの裏技みたいな話だ。ファミコン世代の私としては、裏技を入力したとたんに画面がバグって(変な風になって)、全部のデータが消えた、遠い日の記憶がよみがえる。
あの国の場合は、どうなるのだろうか?
やはり画面がバグって、全部のデータが消えてしまうのか?
世界は広く、ときに私の想像を超えた豊かさがある。我々の旅は、これからである。
私より少しく年長のKさんは、日本で最高の理工系大学を卒業して、日本の重工メーカーに採用された。爾後、紆余曲折あってイギリスの重工メーカーに転職し、いまでは(1個あたり数億円の付加価値を持つ)ある大型部品の設計責任者という大役を担っている。
Kさんは、学生時代にウィーンの国際機関でインターンをしていた。だから私よりもずっとウィーンに詳しい。とりわけ「安くて怪しくてうまい店」に通暁している。
その夜、Kさんが選んだお店は「7Stern Bräu」。名物の大麻ビール(幻覚作用のない合法のビール)を2人でしこたま痛飲し、実に6時間以上も会話をたのしんだ。
日英の重工メーカーの意思決定システムにはどのような相似と相違があるのか。
最近の政策イシューはもはや霞が関の問題解決能力を超えているのではないか。
カトリックとプロテスタントと正教会の違いは欧米社会にどう影響しているか。
古代ローマ帝国という存在は欧州人の精神性にどれほど深く結びついているか。
会議中にうんこを漏らしても周囲にばれないようにするにはどうすればよいか。
そのような重要テーマが展開されるなかで、「Kさんがウィーン時代に生き急ぐようにしてたのしんだ外国旅行」という話にも及んだ。
「ぼくの場合はひとり旅でしたが、東西南北、あちこち行きました」
「ウィーンから見ると、たしかにどの方角にも何かしらありますよね」
「でもね、Satoruさん。僕がいちばんおすすめしたいのは、客船旅行なんです」
「日経新聞で『地中海クルーズ10日間!』みたいなシニア向けの広告をよく見ます」
「そうそう。だけどヨーロッパのクルーズの世界は、もっと種類が多くて奥深いんです」
「でも、お高いんでしょう?」と、私はTVショッピングの司会者のような発言をした。
「いえいえ、安心なさってください!」と、KさんもTVショッピングの人になった。
うんこのサプライチェーン
Kさんによれば、クルーズとひとくちに言ってもその客層はさまざまである。それこそフェリーニの「甘い生活」のように退廃的な船上生活をたのしむセレブリティ層から、最下等クラスながら他の交通手段に比べれば快適な貧乏旅行をたのしむバックパッカー層(当時のKさんはこのカテゴリに所属)、さらには糊口をしのぐ手段をリアルタイムで探している移民層まで、一隻の船のなかにヨーロッパ社会の縮図が表現されているという。
こういう船旅を2週間も1か月も続けていると、渡航先の都市を歩き回る以上に人間観察眼が養われ、(自ら求めるならば)より濃密な人間関係も築かれる。また日本のビジネスパースンが1か月も休暇を取るのは難しいが、こちらではごく普通のことである。だからSatoruさんもウィーンに居るうちに、ぜひ客船に搭乗して長期旅行をされるとよい、との示唆であった。
私はその話を聞いて、ふーん、と思った。
興味深いけど、まぁ、おれには関係ねえな、と思った(もちろん口には出さなかった)。
というのは、当時ウィーンに来たばかりの私にとって、客船よりも航空機という移動手段がなにしろ魅力的だったのだ。
LCC(格安航空会社)の威力を真に実感したのも、ヨーロッパに住みはじめてからだ。
ウィーン~マルタの航空券が、片道41ユーロで売られている。破格の安さなのである。
欧州で浸透するLCC(出所:Boeing「Commercial Market Outlook 2018–2037」, p.15) |
ここでひとつ打ち明けよう。私は、航空機をこよなく愛する者である。
航空機は、たとえばMRJのような小型ジェット機ですら、約100万個もの部品で構成されている(註:自動車は約3万個)。そこから想像される、途方もない作業プロセス、語られない無数のドラマたちが、離着陸のたびに、私の心をフラッター振動させる。
欧州の短距離路線にはA320という機体がよく使われる。これに搭乗するとき、私は必ずエンジンの種類を確認する。CFM56とV2500のどちらかを確認する。そしてV2500と判明すると、少しだけ嬉しくなる。なぜならV2500は、日本の航空機エンジン産業が世界に打って出る契機となった製品だからだ。「V2500がんばれ」と私は思う。前畑がんばれ、V2500がんばれ。
航空機が好きすぎて、ドイツはハンブルクのAircraft Interiors Expoに行ったこともある。これは、航空機の機体やエンジンではなく、内装品、つまり座席とか、トイレ(ラバトリー)とか、厨房(ギャレー)とか、機内食をつくる工作機械とかを展示する見本市である。ボタンを押すと背中が熱くなる座席など、耐空証明を取るのが難しそうなアイデア商品もある。
いま「耐空証明」と書いたが、航空機の世界は、求められる安全性のレベルがすごく高い。まあ人命にかかわるものなので当然とも言えるが、そのために製品開発には並々ならぬ苦労がある。あまりに苦労しすぎて、正気を失ってしまった人を私は知っている。
我々が航空機に乗って、「ちょっとうんこがしたいな」と思って、うんこがしたい気持ちが高まって、トイレで実際にうんこをする。その後に洗浄ボタンを押すと、少しの沈黙を経て、「ズボボんボボゥッ!」という爆裂音があり(あれを恥ずかしく思うお客さまから航空会社にノイズキャンセリング機能追加のニーズが寄せられているとの由)、うんこが一瞬で視界から消える。うんこの即時償却だ。
あの爽快なようで、どこかに一抹の不安が残るプロセス(うんこの吸引プロセス)。あれはエンジニアリング的に考え抜かれたもので、その安全性を事前にテストする必要がある。上空1万メートル前後の機内環境で、システムがうんこを正しく処理できるかを検証するのだ。
そして、その吸引試験に使う「模造うんこ」をつくるメーカーも、世の中にはきちんと存在する。航空機のサプライチェーンを細かく追っていくと、うんこのサプライチェーンにたどり着くのである。
航空機の世界では、その「模造うんこ」の仕様も厳しく定められている。
天然のうんこ、たとえば私のうんこを勝手に使うことは許されていない。
ここで仮に、FAA(米国連邦航空局)とEASA(欧州航空安全機関)が、「うんこ吸引試験においてはSatoruのうんこを使うべし」と規程で定めた平行世界があるとしよう。メーカーが試験をするたびに、私の懐には巨額のリベートが転がり込んでくる。「秒速で数億円稼ぐ男」「ミスター航空機」「ミスターうんこ」の呼称が私に与えられる。うんこで稼いだマネーで、東京都墨田区吾妻橋にうんこのオブジェを冠したビルを建設する。悪くない話である。
しかし、私の体調にはムラがあるので、うんこの固さ・粘り・色・温度・ばらけ具合などのパラメーターは日によって変化する。すると、A機のうんこ吸引試験ではかちかちのうんこでうまく流れず不合格となったのに、B機はふわふわのうんこで合格、といった状況が結果的に生じる。そうなると、A社から「B社に有利な試験環境が与えられており、これは不当である」「B国政府はSatoruのうんこを故意にふわふわにするための補助金措置を講じた疑いがある」との提訴がなされ、WTO(世界貿易機関)を通じて、A社 vs. B社の紛争案件に発展することになる。私に対する巨額の賠償請求がなされ、同時に過去の不祥事も発覚し、私は破滅する。親権も剥奪される。やはりうまい話というのはないものである。
マルタで購入したヨーグルト(写真と本文は関係ありません) |
10馬身くらい差がついている
なんの話をしていたのか、わからなくなってしまった。
ええと、そうだ、Kさんから客船旅行を薦められたが、当時の私は航空機に執心していた、という話であった。
その後の展開を語ろう。
航空機への愛が減じることはないけれど、主に2つの出来事をきっかけとして、私の視野に鉄道というオプションが大きく迫ってくるようになる。
ひとつめの出来事は、ウィーン~ユトレヒトの片道11時間の鉄道旅行で、食堂車や幼児連れ向けコンパートメントの快適さを存分に味わったことだ。アムトラックや新幹線も悪くない。でも「キッズ・フレンドリー」の観点からすると、(申し訳ないけれど)軽く10馬身くらいは差がついてしまっているな、とそのとき実感した。
ふたつめの出来事は、下の息子が満2歳になって、航空機の座席確保に料金がかかるようになったことだ。まあこれは吝嗇な話なのだけど、2歳になった直後にマルタ航空のフライトに乗って、「しまった、もうちょっと早く出発しておくべきだった」と心のなかで後悔をした。これに対してオーストリア国鉄ÖBBでは、6歳未満の子どもは無料なのであった。
4年前、カリフォルニアからシカゴまで1歳児を連れて鉄道旅行をした。51時間かかった |
そのとき乗ったアムトラックのハッピーな車内風景。でも子連れ向けの設備はあまりなかった |
オーストリア国鉄ÖBBには「うるさくしてOK」のファミリー車両がある。テレビ上映もあり |
鉄道と航空機を比べてみる
ここで実際に、私が経験したデュッセルドルフ旅行を俎上に載せつつ、鉄道と航空機の諸条件を比較した結果を以下に示したい。この表を見てひとつわかるのは、「航空機は速い」という素朴な事実だ。まことに幼児的な感想ではあるが、たしかに航空機は鉄道よりもずっと速いのだ。ひこうき、はやい。
けれども、大人の視点、つまりお金の出入りに心を砕いて生きていかざるを得ない者の視点からすると、鉄道の安さがやはり際立つ。大人料金の比較だけでもすでにリーズナブルだが、「幼児無料」を加味すると、これはもう鉄道の圧勝ということになる。
幼児向けスペースの潤沢さについても、鉄道旅行にアドバンテージがある。「手荷物検査がない」「飲み物を持ち込める」という利点もあるし、個人的には「車中で他の子どもとの接触が多い」のもうれしい。
そういえばデュッセルドルフ旅行の復路でも、エジプトとレバノンの子どもたちと仲よしになった。同席したドイツ人のお姉さん(生物学の学術書を熱心に読んでいた)が、息子たちのためにかわいい動物のイラストを描いてくれる一幕もあった。
航空機への愛が減じることはないけれど(再掲)、なにより航空機には「空を飛ぶ」という無敵のカードがあることも忘れてはならないけれど、ヨーロッパに来てから鉄道という存在が黄金の輝きを放つようになったことは、もはや隠しがたい事実なのである。
ドイツ人のお姉さんが描いてくれたクジラ(うまいですよね)。これで30分くらい遊んだ |
ドイツ鉄道がくれたミニ貨物車。ヘルシンキ空港でドイツ人から「レアものだね」と言われた |
北欧の客船に乗って、私の小さなトラウマが白光にさらされる
そして先月、客船に乗る機会をついに得た。フィンランドのヘルシンキを起点に、エストニアのタリンへ、日帰り旅行をしたのである。これは、Kさんのいう「2週間も1か月も乗り続ける」ようなクルーズではなく、片道2時間のごく短い船旅だったが、我々の固定観念を気持ちよく瓦解させる体験であった。
いま、タリン旅行のいちばんの思い出について5歳の息子に問うと、「船で遊んだこと!」という答えが元気に返ってくる。それは厳密にはタリンではなくバルト海の思い出なのだが、そのくらい強い印象を残したようだ。
ヘルシンキとタリンは意外に近い(画像引用:Tallink & Silja Line) |
今回はこの「メガスター号」に乗った(画像引用:Tallink & Silja Line) |
私にも重要な気づきがあった。これまで客船旅行になんとなく不審の念を抱いていたのは、幼少時に乗った「おがさわら丸」(註:かつて私は小笠原諸島の母島に住んでいた)が揺れに揺れて、船酔いで床に臥せった漆黒の記憶が意識の底に沈んでいたからなのだ。
そのことを自覚したのは、今回の旅で乗った「メガスター号」が、穏やかなバルト海を進みはじめたときだ。
あっ、この船、揺れないんだ。
私の小さなトラウマ(の一部)は、そこではじめて引き上げられ、白光にさらされ、やがて蒸発していった。
Kさん、あのとき話をちゃんと聞いてなくて、すみません。
私は心のなかで、約1年越しの謝罪をした。
燃料はLNG(液化天然ガス)。二酸化炭素の排出も少なくてよかった |
朝食ビュッフェのドリンクバーがiPadで操作する仕組みで、これは21世紀だと思った |
客船と航空機を比べてみる
ここで再び、航空機との詳細比較を以下に示したい。客船もまた「幼児無料」で、「手荷物検査がなく」、「飲み物を持ち込める」。というか、船内にはコンビニがあるし、バーガーキングがあるし、スターバックスもある。幼児スペースの充実ぶりは、ドイツ鉄道をも遥かにしのぐ。加えてトータルコストが、べらぼうに安い。
航空機への愛が減じることはないけれど(再々掲)、そしてフィンエアーはすばらしい航空会社ではあるけれど(ウィーン~ヘルシンキで利用しました)、ここにきて客船という第三のトリックスターが、圧倒的な集中線を背にして堂々登場してきたのである。
プレイルームの内装①。息子たちの興奮は一瞬でピークに達した |
内装②。スペイン人の親子と仲よくなった。「スペイン人も北欧に旅行するんだ」と思った |
流し台があり、電子レンジがあり、プレイルームの様子が放映される。最高のインフラ環境 |
クルーズの終盤ではスタッフのお姉さんが登場。バルーン・アートが無料でふるまわれた |
新たな旅がはじまる(予感がする)
まずは航空機を愛し、つぎに鉄道に目覚め、そして客船という未踏を知った。ヨーロッパの「空」と「陸」と「海」が、ここに揃った。しかし、私と客船の関係は、まだ始まったばかりだ。上に述べた経験も、所詮は片道2時間の旅。Kさんが力説した長期クルーズの醍醐味は、まだ私の知らない場所にある。
さらに先日、ウィーンで知り合った日本人の方から、「船で行けばビザ不要でロシアに入国できる(ただし3日だけ)」という情報をいただいた。
ビザ取得の大変さで知られる、あの国に、手続きコストフリーで訪問できる手段がある?
なんだかゲームの裏技みたいな話だ。ファミコン世代の私としては、裏技を入力したとたんに画面がバグって(変な風になって)、全部のデータが消えた、遠い日の記憶がよみがえる。
あの国の場合は、どうなるのだろうか?
やはり画面がバグって、全部のデータが消えてしまうのか?
世界は広く、ときに私の想像を超えた豊かさがある。我々の旅は、これからである。
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