行き先を決めずに電車に乗る(ウィーン近郊)
①部屋遊びに飽きた子どもたちが大騒ぎする。②奥さんの疲労が臨界点に達する。③私の逃避的外出願望が高まりを見せる。この3つの条件が揃ったとき(わりとすぐ揃う)、私は子どもたちを連れて電車に乗り込む。
まず向かうのはウィーン中央駅だ。日本でいう東京駅のような位置づけの駅で、ここからならオーストリア国内、いや近隣国も含め、大体どこにでも行けてしまう。
中央駅に着いた子どもたちと私は、そこで見た電光掲示板だけを頼りに、次に出発する電車に乗ってしまう。地図は見ない。目的地すら決めない。行き先を電車に委ねていくスタイル、というとクールな感じだが、要するにいきあたりばったりということだ。
荷物もほとんど持っていかない。子ども用に水筒、クッキー、おむつを1,2枚。ときどきiPadとキックボード(インターンの学生から25ユーロで買った)を持っていくこともあるが、基本的にはこれだけだ。すかすかのリュックサックを背負って、幼児と手をつないでいる。そんな坊主頭のアジア人をウィーンで見かけたら、それはたぶん私である。
この旅のよいところは、子どもたちの満足がほぼ100%確約されていることだ。なにしろ子どもたちは電車に乗るだけで嬉しいのだ。「手段の目的化」とは悪い意味で使われがちな言葉だが、ここでは何の問題もない。手段の目的化、大いに歓迎なのである。
もうひとつの利点は、ほとんどお金がかからないことだ。オーストリア国鉄ÖBBは6歳未満なら無料だし、私はウィーン近郊で通用する年間パスポート(Jahreskarte)を持っているので、よほどの遠出でなければ交通費はゼロ。あとはせいぜい、出先で追加調達するクッキー代くらいのものである。
あとはもう思いつきである。たとえばある日は、アハウ(Achau)という駅の、その気の抜けたような響きが気に入ったので、そこで降りることにした。「今日はね、アハウに行くよ」「うん」「アハウ、好き?」「好き」 わが子ながら、実に素朴である。
そして、いざアハウに着いてみると、これが見事に何もないのだ。あるのは広大な畑と、まばらな民家だけ。ときどき渡り鳥が鳴くほかは、どこからも何の音も聞こえない。
東京からだと3時間くらい電車に乗らないと見られない風景だが、アハウはウィーン中央駅からわずか20分弱の距離である。「ウィーンは"小さな都市"というよりむしろ"大きな田舎"だよね」と言ったのはモスクワ出身の知り合いだが、そういう実感はたしかにある。
往来を歩く人もほとんどいない。1時間ほど歩いて、路上で雑談に興じるおばさん2人しか見かけなかった。おばさんたちは「ここに何をしに来たのか?」とでも言いたげな視線を我々に向ける。でも実際、何をしに来たのかは自分でもよくわからない。
公園が見つかれば、公園で遊ぶ。猫が見つかれば、猫に話しかける。川が見つかれば、川の流れをじっと見る。私と子どもたちは、そういう旅(のようなもの)をたのしんでいる。
たとえば、前述のアハウについては、ドイツ語版のWikipedia(を英語にGoogle翻訳したもの)を読むと、2017年の人口は1,423人であること(1910年は1,225人というからほとんど変わっていない)、中世の時代には6回も支配者が変わったこと、1650年に建てられたアハウ城という水城(河川などの水域に面する城)が第二次世界大戦の終戦直前に爆撃で失われたことなどがわかる。
そうしたことを知った上で、改めてアハウを思い返してみると、「あの路傍のおばさんたちは1,423人の内数なのだな」とか、「あの広い畑にもきっと連合軍の空襲があったのだろうな」とか、妙なシンパシーが湧き上がってくるものがある。記憶の中の印象が後に得た知識によって変わる、あの独特の感覚を私は個人的に好んでいる。
このような追悼施設は日本の各地にもあるけれど、全体にオーストリアの方がより細かく区分化されている。そこに刻された名前の数は、全部あわせても20名くらいだ。少ないといえば、とても少ない。
でもそのぶんだけ、「この町で生まれた若者たちが亡くなったのだ」という実感のこもった哀しみが、通りすがりの異邦人に過ぎない私にも伝わってくる。同時に、「その血縁者たちがこの土地にいまも住んでいるのだ」という、静かな決意表明のような気持ちも。
ふと目をやると、子どもたちが道路に飛び出そうとしている。あるいは、上の子が下の子をいじめている。瞬時に私の意識は現実へ戻り、「こら!」「やめなさい!」と叱責しながら走り出す。その背後で、沈黙する慰霊碑が我々を見つめている。
まず向かうのはウィーン中央駅だ。日本でいう東京駅のような位置づけの駅で、ここからならオーストリア国内、いや近隣国も含め、大体どこにでも行けてしまう。
中央駅に着いた子どもたちと私は、そこで見た電光掲示板だけを頼りに、次に出発する電車に乗ってしまう。地図は見ない。目的地すら決めない。行き先を電車に委ねていくスタイル、というとクールな感じだが、要するにいきあたりばったりということだ。
ウィーン中央駅(Wien Hauptbahnhof) |
荷物もほとんど持っていかない。子ども用に水筒、クッキー、おむつを1,2枚。ときどきiPadとキックボード(インターンの学生から25ユーロで買った)を持っていくこともあるが、基本的にはこれだけだ。すかすかのリュックサックを背負って、幼児と手をつないでいる。そんな坊主頭のアジア人をウィーンで見かけたら、それはたぶん私である。
この旅のよいところは、子どもたちの満足がほぼ100%確約されていることだ。なにしろ子どもたちは電車に乗るだけで嬉しいのだ。「手段の目的化」とは悪い意味で使われがちな言葉だが、ここでは何の問題もない。手段の目的化、大いに歓迎なのである。
もうひとつの利点は、ほとんどお金がかからないことだ。オーストリア国鉄ÖBBは6歳未満なら無料だし、私はウィーン近郊で通用する年間パスポート(Jahreskarte)を持っているので、よほどの遠出でなければ交通費はゼロ。あとはせいぜい、出先で追加調達するクッキー代くらいのものである。
ゆとりのあるシートピッチ。日本の電車と比べても遜色ない内装だ |
何もない町
電車に乗り込んで一息ついたところで、ようやく行き先について考える。まずは電車の終着駅を確認し、その駅がウィーンから見てどの方角にあるか、車内の路線図で探し出す。最近は相場観が掴めてきたので、すぐに見つけられるようになった。あとはもう思いつきである。たとえばある日は、アハウ(Achau)という駅の、その気の抜けたような響きが気に入ったので、そこで降りることにした。「今日はね、アハウに行くよ」「うん」「アハウ、好き?」「好き」 わが子ながら、実に素朴である。
そして、いざアハウに着いてみると、これが見事に何もないのだ。あるのは広大な畑と、まばらな民家だけ。ときどき渡り鳥が鳴くほかは、どこからも何の音も聞こえない。
東京からだと3時間くらい電車に乗らないと見られない風景だが、アハウはウィーン中央駅からわずか20分弱の距離である。「ウィーンは"小さな都市"というよりむしろ"大きな田舎"だよね」と言ったのはモスクワ出身の知り合いだが、そういう実感はたしかにある。
往来を歩く人もほとんどいない。1時間ほど歩いて、路上で雑談に興じるおばさん2人しか見かけなかった。おばさんたちは「ここに何をしに来たのか?」とでも言いたげな視線を我々に向ける。でも実際、何をしに来たのかは自分でもよくわからない。
公園が見つかれば、公園で遊ぶ。猫が見つかれば、猫に話しかける。川が見つかれば、川の流れをじっと見る。私と子どもたちは、そういう旅(のようなもの)をたのしんでいる。
エーブライヒスドルフ(Ebreichsdorf)にて |
ブルック・アン・デア・ライタ(Bruck an der Leitha)にて |
レーゲルスブルン(Regelsbrunn)にて |
小さな町の歴史
小さな町を訪れた後に、その成り立ちを調べるのもおもしろい。オーストリア自体が一筋縄ではいかない歴史を持つ国なので、無名の町にもそれ相応の複雑な背景があるのだ。たとえば、前述のアハウについては、ドイツ語版のWikipedia(を英語にGoogle翻訳したもの)を読むと、2017年の人口は1,423人であること(1910年は1,225人というからほとんど変わっていない)、中世の時代には6回も支配者が変わったこと、1650年に建てられたアハウ城という水城(河川などの水域に面する城)が第二次世界大戦の終戦直前に爆撃で失われたことなどがわかる。
そうしたことを知った上で、改めてアハウを思い返してみると、「あの路傍のおばさんたちは1,423人の内数なのだな」とか、「あの広い畑にもきっと連合軍の空襲があったのだろうな」とか、妙なシンパシーが湧き上がってくるものがある。記憶の中の印象が後に得た知識によって変わる、あの独特の感覚を私は個人的に好んでいる。
ドナウ=アウエン国立公園(Nationalpark Donau-Auen)にて |
森の中で自給自足の暮らしをするお爺さんから、ぶどうを頂いた |
沈黙する慰霊碑
ウィーン郊外を散歩していると、よく小さな慰霊碑を見かける。第一次・第二次世界大戦で亡くなった人たちを弔うものだ。このような追悼施設は日本の各地にもあるけれど、全体にオーストリアの方がより細かく区分化されている。そこに刻された名前の数は、全部あわせても20名くらいだ。少ないといえば、とても少ない。
でもそのぶんだけ、「この町で生まれた若者たちが亡くなったのだ」という実感のこもった哀しみが、通りすがりの異邦人に過ぎない私にも伝わってくる。同時に、「その血縁者たちがこの土地にいまも住んでいるのだ」という、静かな決意表明のような気持ちも。
ふと目をやると、子どもたちが道路に飛び出そうとしている。あるいは、上の子が下の子をいじめている。瞬時に私の意識は現実へ戻り、「こら!」「やめなさい!」と叱責しながら走り出す。その背後で、沈黙する慰霊碑が我々を見つめている。
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