踏みにじられた孤峰(プラハ、チェスキー・クルムロフ)

 スライスされた生肉が動き出す。彼(肉片)は彼女(肉片)と出会い、踊り、セックスをする。瞬間、フレーム外から人間の手が伸びてきて、たちまち揚げ物にされてしまう。約65秒。

 ある販売員の男が、朝起きたら毒虫になっている。自室に引きこもり、家族との不仲があり、いろいろあり、最後には死ぬ。残された家族の未来にはポジティブな予見がある。約100ページ。


チェコ・プラハで最古の橋「カレル橋」


 チェコ共和国は、ずっと私の「本命」であった。

 ヤン・シュヴァンクマイエル肉片の恋)とフランツ・カフカ変身)。この2人の天才は私の人生観に少なからぬ影響を与えた。少なからぬ可塑性のdistortion(歪曲)をもたらした。

 2人を生んだチェコという国は、調べれば調べるほど奇妙な存在だった。私の思うところ、この国は、多様なヨーロッパ地域にあって孤峰のような独自性を堅持している。チェコの前に類例はなく、その軌跡をたどるものもない。

 チェコとは私にとってそういう国であるから、いきなり足を運ぶのではなく、時間をとってヨーロッパの土を踏みならして、自らの内部にしかるべき視座を蓄えて、それから満を持して初訪問すべきと決めていた。誰に言われたわけでもないのだが、それが礼儀なのだと心得た。distortされた私の精神がそのように語った。

 ウィーンに暮らして約2年。コップになみなみと注がれた水のように「満を持した」実感をついに得た私は、まずプラハを、その2か月後にチェスキー・クルムロフを、それぞれ訪れることにしたのである。


オーストリア・ウィーンからチェコ・プラハへのチェコ鉄道(チェコ・プラハに子連れ旅行)
ウィーン~プラハは、チェコ鉄道(České dráhy)なら4人で片道61ユーロ

オーストリアのリンツからチェコのチェスキー・クルムロフまでのLeo Expressという格安バスの車内風景
リンツ~チェスキー・クルムロフは、Leo Expressのバスなら4人で片道19ユーロ

ウィーンからプラハに向かうチェコ鉄道(České dráhy)車内の子ども映画館で上映されていたチェコアニメ
電車内の「子ども映画館」でやっていたアニメは、やっぱりチェコ製だった

チェコで最も有名なアニメキャラクター・もぐらのクルテクくんのぬいぐるみ(チェコ・プラハに子連れ旅行)
もぐらのクルテクくんのぬいぐるみと、対向車優先の道路標識を買った


これが工業国の実力だ

プラハの地を踏んで実感したのは、「工業国チェコ」としてのプレゼンスの高さだ。

 まず第一に、エスカレーターが故障していない。

 そんなの当たり前じゃないか、と訝しんだあなたは、おそらく日本在住者であろう。

 ウィーンの地下鉄駅にて、約30%のエスカレーターは修理中である(体感ベース)。だから地続きのプラハのそれが遅滞なく動いているのを見ると、これはどうしても感心してしまう。「ハプスブルク帝国の重工業はチェコスロバキア人が支えていた」という説を信じたくなってしまうのだ。
(⇒ 関連記事:そして帝国は滅んだ(ウィーン軍事史博物館)


チェコの首都プラハの郊外の公園にある簡易トイレ
公園の簡易トイレに入ってみても、

チェコの首都プラハの郊外の公園にある簡易トイレの内部
備えつけの紙がちゃんとあるし、なんなら小便器まである。さすがは工業国である


 道路を走る車はシュコダ・オートŠkoda Auto)が大半だ。市営バスも消防車も、ばっちりシュコダ製であった。

 自動車大国であるところの日本では、行政機関などが外国車を選ぶ状況はイメージしづらい(経済産業省の公用車がヒュンダイにはならないだろう)。しかし、世界の水準に照らせば、それは必ずしも当然のことではない。

 たとえば、ロシアで見かける自動車はほとんどがシュコダ製を含む外国車だし、パトカー(の一部)に三菱アウトランダーが採用されたりもする。それを踏まえると、人口1,000万人ながら国産車が大部分を占めるチェコの強さが、いま改めて臓腑にしみわたる。


ロシアはサンクトペテルブルグで売っていた三菱アウトランダーのパトカーのおもちゃ
サンクトペテルブルクで)子どものおみやげにこれを買った


<ロシアの余談①>
 ここでは固有名詞の言及を避けるが、とある施設で活躍する特殊災害対応車は、なんとフォードの既製車を改造したものであった。外国車どころか、よりによってアメリカだ。「それでいいのか?」と担当者に質問したところ、「それでいいのだ」との回答だった。つまりロシア政府は、自動車産業で世界を席巻する未来図を描いていないのだろう。

<ロシアの余談②>
 その一方で、原子力や軍事技術の分野では旧ソ連時代に勝るとも劣らぬ膨大なリソースを投入し、結果として世界的に揺るぎない地位に座している。なるほど、これがロシア式の「選択と集中」なのだ。


プラハにあるチェコ国立技術博物館
技術博物館では「チェコスロバキア製品百選」という国威発揚型の展示をやっていた

プラハの国立技術博物館で展示されていたチェコスロバキア製のバイク・Čechie-Böhmerland 350(1937年)
Čechie-Böhmerland 350(1937年)。いま見てもカッコいいデザインだ

プラハの国立技術博物館のプレイルーム(チェコ・プラハに6歳と3歳をともなう子連れ旅行)
地下階のプレイルームでは、工作好きの息子の心が点火した

プラハの国立技術博物館の食堂
安くてうまい食堂。はちみつケーキ・メドヴニーク(Medovník)もここで賞味した

プラハの国立技術博物館における飛行機や自動車などの展示風景
そんなこんなで、結局この博物館に4時間以上も滞在してしまった


プラハ市電に無言の敬礼

子どもたちが情熱を注いだのは、プラハ市電が運営するトラム(路面電車)であった。

 ヨーロッパの主要都市において、トラムの存在はめずらしいものではない。クラクフでも、ニースでも、デュッセルドルフでも、ヘルシンキでも、そしてもちろんウィーンでも、トラムのデザインに、緻密に計画された路線図に、我が息子たちは常に魅了されてきた。

 プラハのトラムは、そのなかでも「別格」の感じがあった。ほとんど産業遺産の域に入っているような機種とともに、いかにも最新鋭にアップデートされた風の機種があった。そこでは最古と最新がプラハの石畳に同居して、2019年に生きる市井の人びとを悠々と運んでいた。
 
 「すごいな、これは」と私は唸った。「スペアパーツの管理とか大変そうだな」とも思ったけれど、プラハ市電はそのような論点を把握しつつ、その上で多様性を是と判断したのだな、と察せられた。

 私は券売機で24時間乗車券を買うために頭を垂れた姿勢のまま、その覚悟に、その美学に、無言の敬礼を示すのであった。


チェコ・プラハの路面電車(トラム)

チェコ・プラハの路面電車(トラム)

チェコ・プラハの路面電車(トラム)

チェコ・プラハの路面電車(トラム)
このトラムのデザイン、初代ウルトラマンに似ていませんか

ビールを飲みながら漕ぎ進むビール・バイク(Bier Bike)@プラハ
ビールを飲みながら漕ぎ進むビール・バイク


行き先を決めずに電車に乗る(プラハ篇)

プラハの路地はどちらを向いても趣きがあり、トラムの生態系もまた豊饒である。

 ここまで条件がそろえば、我々としてはやはり「行き先を決めないで、とりあえず来た電車に乗る遊び」をするほかない。そう、いまでもウィーンの週末によくやるようなスタイルで。
(⇒ 関連記事:行き先を決めずに電車に乗る(ウィーン近郊)

 「パパ、あの『階段の電車』に乗ろう!」
 『階段の電車』とは、乗降部に階段のある旧式トラムを指す息子の造語である。

 「パパ、この電車、どこに行くと思う?」
 「うーん、チェコ語だから、読めないね」

 「わからないの?」
 「わからないな」

 「こわいねぇ」
 「こわいねぇ」

 「たのしいねぇ」
 「たのしいねぇ」

 息子たちは見たものをそのまま口にする。マクドナルド、ふんすい、とけいやさん。
 ゆったりと進むトラムとは、まさに路上観察のためにあるような乗り物ではないか。

 私もぼんやりと夢想する。公務員だったカフカは、このトラムに乗って通勤していたのか。若き日のミュシャも、晩年のドヴォルザークも、当時としては最新鋭の乗り物に揺られ、構図やら楽想やらを瞑目のうちに練っていたのか。

 そして私は、ラインハルト・ハイドリヒの暗殺に重要な役割を果たした、『あの』トラムのことを思い出す(私は小説「HHhH」でこの事件を知った)。分解されたステンMk-II短機関銃の重みを想像してみる。いま乗っているトラムも、そのことと地続きでつながっている。

 「パパ、終点についたよ!」と息子が言う。「ここはどこ?」
 「わからない」と応えると、子どもたちはますます嬉しそう。
 
 「パパ、おしっこいきたくなっちゃった!」「パパ、うんこ」
 オーケー、とりあえずあそこのマクドナルドに入店しようか。
 

プラハ城から臨む美しい街並み

プラハ城敷地内のマーケット

プラハ城でやっていたミニコンサート

プラハ城と3歳の子ども

カレル橋と白鳥たち

古めかしいベビーカーを机のようにつかうおじさん(チェコ・プラハに子連れ旅行)

チェコ・プラハの路上清掃車

カフカ博物館の前にある「放尿する男たち」(デヴィッド・チェルニー)
カフカ博物館の前にある「放尿する男たち」デヴィッド・チェルニー)。腰回りが動く

チェコ・プラハの共産主義博物館のシンボルキャラクター(?)・マトリョーシカ
共産主義博物館のマトリョーシカの顔が、「反ソ連」のスタンスを雄弁に語る

チェコ・プラハの共産主義博物館に展示されていた絞首刑の縄
絞首刑に使用された縄

チェコ・プラハの子連れ旅行で、モールの遊具コーナー
ショッピングモールにて、現地の親子連れに後部座席を「奢られて」しまった

プラハの聖堂のなか



ただ無心に散歩するのがよい(チェスキー・クルムロフ)

チェスキー・クルムロフは、ヨーロッパ随一と言われる景勝地だ。

 プラハからくねくねと流れるヴルタヴァ川が、ずうっと南下していって、ようやくオーストリア国境線の近くまで来たあたり、水域が描く「S字」の傍らに静かな古城が佇んでいる。

 川に抱かれた集落は、中世の頃からほとんど化粧を変えていないようでもある。だから不便な立地であるのに、世界中の旅行者たちがこの小さな町を目指している。

 それがČeský Krumlovである。


チェコの田舎町/チェスキー・クルムロフの美しい風景(チェスキー・クルムロフの子連れ旅行)

チェスキー・クルムロフ城

チェコの田舎町/チェスキー・クルムロフの旧市街通り(チェスキー・クルムロフの子連れ旅行)


 旅行ガイドというのは、しばしば情報過多なものである。だが、チェスキー・クルムロフについては、どの本も示し合わせたように「この町は、ただ無心に散歩するのがよい」といった意味の言葉が連ねてあった。

 「ただ無心に散歩する」といえば、これはもう我々の十八番(おはこ)である。

 こうして我々は、1泊2日の貴重な週末を、ただ無心に散歩することに費やした。


チェコの田舎町/チェスキー・クルムロフの橋から見おろした川(チェスキー・クルムロフの子連れ旅行)

チェコの田舎町/チェスキー・クルムロフの美しい川(チェスキー・クルムロフの子連れ旅行)

チェコの田舎町/チェスキー・クルムロフで川下り/ラフティングをたのしむ人たち(チェスキー・クルムロフの子連れ旅行)
ラフティングに興じる人をよく見かけた(私も参加したかったが息子が怖がった)

チェスキー・クルムロフ旅行の思い出を描いた子ども(6歳男児)の絵
チェスキー・クルムロフの川下り(6歳の息子作)。マティスを思わせるタッチだ

チェコの田舎町/チェスキー・クルムロフの静謐な川べり(チェスキー・クルムロフの子連れ旅行)

チェコの田舎町/チェスキー・クルムロフの、川と調和した古い街並み(チェスキー・クルムロフの子連れ旅行)


 この小さな町の思い出のために、キツツキのおもちゃを買うことにした。

 私はこれまで、世界のあちこちで節操なく玩具を買ってきたが、(いまのところ)いちばん気に入っているのがこれである。もちろん子どもたちも大喜びだ。

 いい買い物をしたな、と自分でも思った。




踏みにじられた孤峰

チェコは孤峰である、と冒頭に記した。

 この孤峰は、列強に踏みにじられた孤峰である。南から、西から、東から、蹂躙され続けた歴史を有する孤峰である。

 南から現れたハプスブルク家には、約3世紀にわたって支配され、母なる言語を奪われた。西からはアドルフ・ヒトラー率いる暴力装置によって、ズデーテン地方が喪われた。ようやく独立の暁をみると、今度は東からヨシフ・スターリンの亡霊が出現し、自由を尊ぶ精神が泥と血に流された。

 冷戦が終わり、ひとときの安寧を得たかと思うと、配偶者・スロバキアとの無血の離婚届が提出された。そしていま「チェコのドナルド・トランプ」と称される右派の首相が誕生して、ヨーロッパの混沌はいよいよ深まる。

 このように書くと、まったく休まることのないチェコの後影が印象づけられるが、私の知る限り――チェコスロバキア生まれの複数の知己から聴取する限り――この国の「黄金時代」は意外にも社会主義化してからプラハの春が弾圧されるまでの約20年間なのだという。

 そこにはある種の日本人が語らう「昭和の高度経済成長期への過度の憧憬」みたいな気配があって、そのまま信じるわけにもいかないのだが、当時に旅行した人の記録を読んでみると、たしかに特別な輝きを窺い知ることができる。

 ここにふたつの紀行文を引用したい。ガルシア=マルケス開高健。私が最高クラスに敬愛している小説家である。興味深いのは、どちらも「ちょうど30歳」のタイミングで黄金時代のチェコスロバキアに行っていることだ。文学の神様は、ときどきこういう種類の偶然を好む。

 ガブリエル・ガルシア=マルケス、1957年。

 まず驚かされたのは、官僚制で凝り固まった東ドイツと違い、この国の入国手続きが実に簡単なことだった。以後、さらにいろいろな違いを体験することになった。清涼飲料水、チェコのすばらしくおいしいビールは紙コップに入って売られていて、そこには《使用後容器は廃棄してください》と注意書きが印刷されている。衛生面での気配りは行き届いている。レストランは明るく清潔で、しかも効率がよく、トイレも西ヨーロッパのどの国よりも清潔である。もちろん、パリに比べても格段にきれいである。

引用:ガブリエル・ガルシア=マルケス「ガルシア=マルケス「東欧」を行く」新潮社
「チェコの女性にとってナイロンの靴下は宝石である」(1957年)

 開高健、1960年。

 かいま見ただけのプラーハの街は繁栄していて安定している。北京、ソフィア、ブカレスト、ワルシャワの、私のかいま見たどの社会主義国の首都よりも夜は明るく、飾窓の商品は口紅から機関車までずいぶん上質の物が多種多彩にならんでネオンや蛍光灯に輝やいている。生活必需品のほかにカメラや猟銃といった高級奢侈品もたくさんある。街をゆく人びとの服装も上質である。栄養は街路を流れてすみずみまでしみとおり、血液や脂肪は澄んで輝やき、よい光沢をおびているように思われた。若い作家の一人はキャフェの巨大なガラス窓ごしに道をゆく散歩者の群れや、また、窓べりで一杯のコーヒーをまえに果てしないおしゃべりをつづけている婆さんたちを眺めて、

「アジャンス・フランス・プレス(AFP)に調査をたのんで調べてもらったら、チェコの生活水準はだいたいフランスとおなじだということがわかったんだ。ある点ではおくれているがね。たとえば住宅問題だね。これはおくれている。だけど国家負担の社会保障の高さではフランスをはるかにしのいでいる。学生は授業料がいらないし、奨学金制度は発達しているしね。失業の心配はまったくない。チェコの最大の問題は永遠の労働力の不足ということで、ほかにはいまのところなにもない」



チェコ・プラハの共産主義博物館に展示されていた、スターリン像の完成と爆破の写真
プラハに作られたスターリンの巨像(1955年に完成し、1962年に爆破)


 独立の日から現在に至るまで、チェコの人びとが失ったものはいろいろあるが、その最たるものは神を信じる心だ――といった旨の論説を、私は以前に雑誌で読んだ。

 たしかにチェコは、ヨーロッパのなかでも信仰心の低いことで知られている。欧州委員会が2012年に実施した調査によれば無神論者(Atheist)と不可知論者(Agnostic)を足した割合は、ポーランド5%、オーストリア11%、ドイツ27%に対して、チェコは59%と、ヨーロッパのなかでも飛びぬけて高い値である(ちなみにEU平均は23%)。

 そういえば、プラハ城の敷地内にある聖ヴィート大聖堂は、噂にたがわず荘厳で美しい建物だったが、そのなかにあるロウソクの献火コーナーは、


プラハ城の敷地内にある聖ヴィート大聖堂にあるフェイクのロウソク献火コーナー


コインを入れると電気がつくという、なんだか場末のゲームセンターみたいな仕組みだった。俗人たる私にとっては、ありがたみが薄れる感じが否めない。


チェスキー・クルムロフの教会にあったロウソク献火コーナー
チェスキー・クルムロフの教会も同じだった


 これまでヨーロッパ各地のキリスト教会を訪問してきたが、本物の火を使わないパターンは初めてだ。こんな国は、ほかにはなかった。

 これは、どういうことか。

 私はここに、チェコ人のあくなき合理性というか、宗教に対しても透明な薄膜を挟まずにはいられない精神を見てしまう。考えすぎかもしれないが、「踏みにじられた孤峰」の不可触な傷跡を、このフェイクの献火ごしに見てしまうのだ。

 そうした仮説を、私は、チェコスロバキア生まれのJさん(このブログにも何度か登場している好々爺だ)に投げつけてみることにした。すなわち、「チェコ人の多くが信仰心を失ったのは、侵略に抗う過酷な歳月があまりにも長く、あるとき宗教の無力を感じてしまったからではないか」と。イワン・カラマーゾフを無神論者にせしめた心の動きが、チェコの人びとにもトレースされたのではないか、と。


チェコの教会の絢爛な内装


 「Satoruさんの言うとおりだろうね。あるいは、そうではないだろうね」
 彼の回答には、苦汁に濾された諧謔があった。「そのどちらかだろうね」

 「ただひとつ、私が知っているのは、より簡素で、より小規模な――つまりは、より純朴な信仰心に支えられた教会が、ボヘミアの田舎にはたくさんあるということだ」

 Jさんの見立ては、このように続いた。

 「チェコスロバキアの人びとは、長らく秘密警察の恐怖に曝されてきたものだから、本音をなかなか言わないようになったんだ。『あなたは神さまを信じますか?』なんてのはとりわけセンシティブな質問だ。答え方を間違えると牢獄行きになる時代もあった。そんなわけだから『もちろん信じます』なんて歯切れのいいレスポンスは、そりゃあ簡単には出てこない」

 「この話の要点は」と、わずかな沈黙のあとにJさんが言った。「統計に出てくる数字は、いつも真実とは限らない、ということだ」

 この箴言に絡めて、Jさんはあぶないジョークをひとつ飛ばした。
 それはあまりにもあぶないジョークなので、ここには載せることができないのである。
 

コメント