猫と階段と城壁の街(ドブロブニク)

クロアチアの関係者には初めに謝っておきたいのだけれど、私はウィーンに来るまで、この国に行きたいと思ったことは一度もなかった。

 といっても、クロアチアを積極的に忌避していたというわけではない。私の関心領域の内側に入ってくる機会が、たまたまなかったのである。

 ところが、ウィーンで知り合った人たちは、「クロアチアはすばらしい」「もう最高だよ」「Satoruも行くべき」と、一様に絶賛するのだ。まるで口裏を合わせているかのように。

 なかには話しているうちに昂奮が高まる人もいて、その熱情には、どこか数十年前の日本人にとってのハワイを連想させるものがある。「特賞、夢のハワイ旅行にご招待!」の時代の、夢のハワイだ。

 このクロアチア人気は、一体どこから来るのか。私の仮説は、「内陸国ゆえの海への渇望」と、「旧ハプスブルク帝国としての緩やかな連帯意識」の2点である。実際、推薦者の多くはオーストリア人、ハンガリー人、チェコ人であった。

 この仮説を検証するには、やはり実地を訪れるしかない。理屈は行動により裏付けを得る。そのように奥さんを説得した私は、5月の初旬、クロアチアはドブロブニクまで足を運んだ。


クロアチアのドブロブニク
スルジ山(標高415m)から臨む風景。左側の壁に囲まれたところがドブロブニク旧市街

クロアチアのドブロブニク


猫の街

ドブロブニクは、アドリア海に面した港町である。背後には山々がそびえ、決して広くはない平地のスペースに、統一感のある美しい家々が並ぶ。日本でいえば神戸に似た雰囲気である。

 港町には猫が多い。ドブロブニクも例外ではなく、いかにも自由そうな猫たちが路地を歩いている。ウィーンで猫を見かけることはまずない(ほとんどが室内で飼われている)。子どもたちと一緒に、つい足を止めて撫でてしまう。

 あの猫たちはたぶん野良猫だと思うのだが、よく人馴れしていて、見るからに屈託がない。ころころと太っていて、BMI値も高そうである。

 ふと、10年前にクウェート・シティの海岸で見かけた、警戒心の鋭い瘦せこけた一匹の猫を思い出した。あの孤独な白猫は、最後まで私に懐かなかった。アドリア海とアラビア海では、野良猫のメンタリティにも違いがあるのだ。


クロアチアの港町・ドブロブニクの猫

クロアチアの港町・ドブロブニクの猫


階段の街

ドブロブニクの旧市街には、いわゆる普通のホテルは見当たらない。城壁で囲まれた区画内に中世の建築物が丸ごと残されているので、新しい建物をつくる余地がないのだ。

 ということで、もしあなたが旧市街に泊まりたいのであれば、畢竟、アパートメントホテルがほとんど唯一の選択肢となる。私はもともとアパートメントホテルの愛好家なので、House Katarina - Old townという、準貸切型の民家に5泊することにした。

 しかし、これが大いなる失敗であった。

 いや、アパート自体に不満はない。3階建ての2LDKで、息子たちとかくれんぼもできたし、洗濯機も洗剤も食洗機もあったし、窓の外には滑車式の物干しロープもあったし(これで洗濯物を干すのはちょっとしたアクティビティだった)、2歳の孫娘がいるという大家さんも優しかった。文句を言う筋合いはまったくない。

 問題は、この家の立地である。というのは、大通りから急峻な階段を40段ほど登らないと、アパートの玄関に辿り着けないのだ(旧市街の北半分は裏山の裾野と重なっているので、その路地は概ね階段で構成されている)。

 我々はベビーカーで来てしまったので、状況はなお悪い。これはもうバカンスというより、ちょっとした修行である。まあ、おかげで2歳の息子(4月で2歳になった)は、階段の登り降りがにわかに上手になったのではあるけれど。

 教訓:旧市街に泊まる幼児連れは、ベビーカーではなく背負子(しょいこ)を持参しよう。


ベビーカーを担いでこの階段を登り降りするという苦行

狭い路地は風情があって好きなのだけれど


城壁の街

ドブロブニクは、中世の頃にはラグサ共和国という名前で、約400年も続いた独立の都市国家だった。この時代に築かれた城壁がいまでもそのまま残っていて、これがドブロブニクのいちばんの観光名所ということになっている。

 もちろん私もここに登った。城壁に登るのは、9年前に訪れた「万里の長城」以来である。あちら(中国)の城壁は地平線の向こうまで伸びていたが、こちら(ドブロブニク)の城壁は環状になっている。一周をぐるりと巡れば、約2kmの距離。我々はその半周ほど(海に面した南側)を歩いたが、子連れの足で1時間半はかかった。

 城壁の上から眺める景色はどこまでも気持ちがよくて、お土産屋さんやカフェもしっかりあって、たしかにこれは観光名所である。けれども、ときおり目にする古びた大砲(石の砲弾が山積みになって残されている)や監視窓の存在が、「城壁とは軍事施設である」という基本的事実を静かに主張している。この壁の外では安全が保障されない時代が、結構長く続いていたのだ。


ドブロブニクの城壁(City Wall)
5月初旬ながら、日中の陽射しは予想以上に強かった。訪れるなら早朝がお薦め

ドブロブニク旧市街の児童公園
旧市街唯一の児童公園(ピレ門の近く)は、城壁に面した奇妙な立地


偉大なる集金装置としての街

旧市街では、日本人の観光客を多く見かけた。ドブロブニクは、ジブリ映画「魔女の宅急便」「紅の豚」の舞台のモデルになったと言われる街なので、その人気ぶりにも不思議はない。

 とはいえ、この街に集まるのは日本人だけではない。韓国人や中国人もあちこちで見かけたし、大通りを練り歩く団体ツアーはポーランドやロシアの国旗を掲げている。路地裏のカフェからはフランス語やスペイン語が聞こえる。アイスクリームを路上に落としてしまった男の子が泣きわめく言葉は、あれはたぶんアラビア語だ。実に全方位的に人気な観光地なのである。

 観光地ゆえに、物価はかなり高い。たとえば、城壁の入場料は、大人1人あたり150クーナ。2018年5月現在のレートで「1ユーロ=7.3クーナ」なので、約20ユーロ(2,600円)ということになる。この料金は、直近数年で値上げされたと聞く。60クーナ ⇒ 100クーナ ⇒ 150クーナという、なかなかのインフレぶりである。


クロアチア、ドブロブニク


 旧市街で食事をするなら、しかるべき出費を覚悟する必要がある。「食前酒とデザートは無料」の惹句に誘われて入ったダルマチア料理の店では、サラダ1皿とスパゲティ2皿、ドリンク4杯で、合計100ユーロ。Cappy(欧州でよく見るジュースブランド)の何の変哲もないアップルジュース200mlが1本10ユーロもして、これを3本も頼んでしまったのが痛恨事であった。

 観光地に来て物価の高さを言い募るのは、自分からサウナに入っておいて蒸し暑いと苦情を申し立てるような行為である。そのことはわかっている。そして「Lonely Planet: Croatia」によれば、2015年時点で1,410万人の観光客がこの国を訪れた(昨年比8.3%増)。これにより得られる年間収益は約80億ユーロ、クロアチアのGDPの約2割に相当するという。

 つまりクロアチアは、これから外資をどんどん獲得して、偉大なる集金装置となって、国民の所得を上げていきたいのだ。20年前まで内戦下にあったこの国は(ドブロブニクにも戦火が広がった。スルジ山へのロープウェイが復旧したのも2008年というから最近だ)、観光産業を頼りにして生きていくという強い決意があって、いまはその過渡期にあるのだ。

 そう考えると、10ユーロのアップルジュースを頼んだ後悔の念も、いつのまにか消え去っている。むしろ「需要の価格弾力性を調べる社会実験に参加したのだ」と捉えられるようになって、ポジティブな気持ちすら芽生えてくる。青い海、青い空。みんなだいすきだ。

 というのは、まったくの嘘である。

 クロアチアの復興は応援したい。でもそれはそれとして、偉大なる集金装置に回収されるのはまっぴら御免である。アップルジュースを買うなら、クロアチアの地元系スーパーPEMOで1ユーロだけ払って済ませたいのである。

 そのような小人物の私は、地元民が普段使いしているレストランを探したのだが、しばらくして、そもそも旧市街には地元民はほとんど住んでいない(働いているだけ)という事実を理解するに至った。

 そこで郊外に目を転じて見つけたのが、ペレ門から6番のバスで10分ほど、グルージュ港(Port Gruž)近くにあるMezzanaveである。ここは、日替わりランチが45クーナ(6ユーロ)前後の価格帯で、魚料理も肉料理もしっかりおいしい。あんまり気に入ったので、短い滞在中に3回も通ってしまった。道路の向かいにはTommyという大型スーパーがあって、ここもよかった。「そうだよな、これこそが生活者の物価だよな」と勝手に得心していた。


クロアチア・ドブロブニクのスルジ山の山頂
スルジ山の山頂で、自撮り棒を駆使する韓国のおばちゃんたち

ドブロブニクの室外機
東南アジアを思わせる室外機の群れ。三菱電機が人気のようだ

戦争写真館(War Photo Limited)にて、紛争下にあった1990年代のドブロブニク

Bellevue beach in ドブロブニク
岩場のビーチが多い中、このBellevue Beachは屈指の好環境だった


ロクルム島の呪いと祝福

個人的に最もおすすめの名所は、ロクルム島(Lokrum Island)である。ドブロブニクの港からも大きく見えるこの島に、私は何の前知識もなく行くことを決めて(島を見かけたらとりあえず行ってみる、というのが私の「後天的本能」のようになっている)、往復150クーナのフェリーに乗って半日ほど滞在した。

 ロクルム島は、ドブロブニクから1kmも離れていないのだが、完全な無人島である。というのは、ベネディクト会の修道士の呪いに端を発する「この島を私利私欲に使う者、あるいは、この島で一夜を過ごす者には災いが降りかかる」という迷信がいまでも残っていて、ナチス支配下の時代にもその信仰(のようなもの)は固く守られていたらしい。だからフェリーも17時には終便となる。

 島に上陸すると、クロアチア本土には明らかに自生していないであろう植物たちに迎えられる。これは、かつてこの島の所有者であったウィーン生まれのマクシミリアン大公が、楽園への憧れを全開にして作り上げたものという。そういうわけで、インド産のイチジクとか、南米産のバニラとか、椰子とか蜜柑とか夾竹桃とか、檸檬とか百合とか薔薇とか、あらゆる美しい草木がこの島に節操なく持ち込まれた。当時は外来生物問題という概念はなかったのだろう。ハプスブルク家の財力をもって、好き放題にやっていたようだ。

 マクシミリアンさんは、植物のみならず、孔雀やオウムなどもカナリア諸島から持ち込ませたようで(彼の生まれたシェーンブルン宮殿でも同じように南洋の珍鳥が集められた。当時の貴族趣味だったのだろう)、このうち孔雀はいまも繁殖して元気に暮らしている。カナリア諸島といえば、ちょうど今年の2月にフエルテベントゥラ島に行ってきたところだ。ウィーンとカナリア諸島とロクルム島。この3点を結ぶ奇妙な因縁があって、欧州にまたがる三角形を、私は偶然にもなぞるような旅をしてきたのだ。

 ちなみに、この島を手に入れた数年後、マクシミリアン大公はメキシコで銃殺される。享年35歳。その後の島の所有者たちも、ある者は財政難に陥り、ある者は学歴詐称が発覚し、またある者は1914年にサラエボでセルビア人青年に暗殺された。これが、先に述べたロクルム島の呪いの顕れであるという。

 そういうわけで、この島は所有者不在の状態が長く続き、しかしそのおかげで変に開発されることなく自然のままに残され(別の言い方をすれば、マクシミリアンさんの節操なき外来種の楽園のままに残され)、祝福されたツーリズムの名所として、いまではドブロブニクの観光経済に大きく貢献しているのである。


ドブロブニク・ロクルム島(Lokrum Island)の孔雀
カメラを向けるとポーズを取ってくれる孔雀。こう見えてハプスブルク家の末裔である

ロクルム島(Lokrum Island)のうさぎと孔雀
うさぎの姿もよく見る。ハプスブルク家との関係は不明だが、子どもたちは大喜び

ロクルム島(Lokrum Island)の死海(Dead Sea)
死海(Dead Sea)の幻想的な美しさは一見の価値あり。泳いでいる人もいた

ロクルム島(Lokrum Island)の岩場ビーチ
ここも岩場のビーチが多い。南東部にはゲイ向けのヌーディストビーチ(FKK)がある


ドブロブニクと子どもたち

というわけで、観光地ならではの物価の高さに辟易しつつも、私は大いにドブロブニクの滞在をたのしんだ。ベビーカーの持ち込みには深慮が必要だが、治安もよいし、子連れの旅にもおすすめだ。

 4歳の息子は、ビーチでの砂遊びが最高にエキサイティングだったようで、ひたすら日没まで遊びたがっていた(これがまた20時くらいにならないと陽が沈まないのだ)。そして、「ここは階段の国だね」と言う。「エスカレーターが無い国なんだね」。いや、そんなことはないと思うけれど。

 2歳の息子は、ウィーンに帰ってきてからも、ロクルム島で見たうさぎの姿を探している。「ねこさん、ねこさん」と言ってきかないので(うさぎと猫の区別がつかないのだ)、今度、ウィーンの猫カフェにでも連れて行こうかと思っているところだ。


ドブロブニクと、ロクラム島


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