洞窟に入って、市街も歩く、この贅沢な旅の時間(リュブリャナ)

リュブリャナのことを最初に意識したのは、ドブロブニクの空港で帰りのフライト待ちをしていたときだ。

 「リュブリャナ行きがまもなく出発します」のアナウンスを、「ウィーン行きが・・・」と聞き間違えて、私は空港ロビーを大急ぎで走った。

 おいおい、いくらなんでもリュブリャナとウィーンを間違えるか?
 おまえの耳には、ザッハー・トルテのジャムが詰まっているのか?

 と、そのように思われた方もいるだろうか。でもここでエクスキューズをするなら、英語でリュブリャナは「ルビアーナ」のように発音されるのに対して、ウィーンは「ヴィエーナ」

 どうでしょう、少し似ているとは思いませんか。「まったく思わないよ」と即答されると、そこで話が終わってしまうのだけれど。


スロベニアの首都・リュブリャナ(Ljubljana)


ウィーン~リュブリャナは電車で片道6時間

そうしていったん意識してみると、ウィーンに住む人びとにとって、リュブリャナというのは「手軽な旅行先」として定番のポジションを獲得しているのであった。

 彼らの話を綜合してみると、

・ウィーンから飛行機で片道1時間、車で5時間、電車で6時間(直通あり)
・リュブリャナ郊外にあるポストイナ鍾乳洞は子連れでもたのしい観光スポット
・ウィーンに比べれば物価も安いし、ご飯もおいしい
・名産品のはちみつもおいしい

といった按配で、なるほど、これはもう行くしかない。気がつくと、国鉄ÖBBの往復チケット(家族4名分で104ユーロ)のPDFファイルがメールで送られてきた。

 「あそこに旅行しよう」という気持ちの起こりと、チケット購入確認ボタンの左クリック。この両者のリードタイムが、最近とみに短くなっている。


スロベニアの首都・リュブリャナ(Ljubljana)


現地ツアーで鍾乳洞に行く

リュブリャナ市内からポストイナ鍾乳洞へは、公共交通機関(バス等)でも1時間ほどで辿り着ける。でも我々は日帰りツアーを利用した。

 提供はKompas社というスロベニアの老舗旅行会社。「洞窟城」と称されるプレジャマ城の訪問を含め、おとな74ユーロ、子ども(3~14歳)37ユーロ、幼児(0~2歳)無料。入場料も「込み」の料金なので、なかなか良心的な価格である。

 ツアーの参加者は、我々のほか、ドイツ人男性とタイ人女性の老夫婦(ミュンヘンからここまでバスで来たとの由)、ひとり旅のドイツ人青年をあわせて、全部で7名。「旅行好きのドイツ人」のステレオタイプは一面の真実を捉えているようで、待ち合わせの場所にも5分前にちゃんと来る。他の国ではなかなか考えられないことである。

 この小グループを、ドライバー兼ガイドの現地のお爺ちゃんが案内するという形であった。


スロベニアの雄大な自然


 スロベニアは、国土の3分の2が森林地帯。原住民は動物たちで、人間なんてのはその片隅に住まわせてもらっている居候みたいなものである。

 だから観光客のアクティビティも、中世の城めぐりを除けば、スキーとか、気球とか、パラグライダーとか、どうしても自然のコンテンツに頼ったものになる。でもそれで何が悪いんだと開き直れば、スロベニアは疑いなくヨーロッパで最高の場所である。

 そしてそのなかで最もポピュラーなのが洞窟めぐりである。つまりあなたたちの選択は実に正しいのだ・・・といったお爺ちゃんの話をふんふんと聞きながら、我々はポストイナ鍾乳洞に到着した。


スロベニア・リュブリャナ近郊にあるポストイナ鍾乳洞


 ポストイナ鍾乳洞は、全長20kmとも言われるスロベニア最大の洞窟である。

 あまりに長くて、内部もずいぶん入り組んでいるので、最初から最後まで歩いていたら日が暮れてしまう(洞窟なので日が暮れてもわからないけど)。観光客たちの「消化工程」の効率も悪くなってしまう。

 それゆえ、スタート地点で訪問者全員がトロッコ列車に乗り、暗い迷宮のはじまりを一気に駆け抜ける手筈になっている。幼児連れの我々にはこれが目当てでもある。

「トロッコ、はやい」
「ぎざぎざ(=鍾乳洞)が、いっぱいで、あああっ!」
「トロッコ、ぎざぎざ、うわあっ!」

 期待どおりの反応である。


スロベニア・リュブリャナ近郊にあるポストイナ鍾乳洞


 鍾乳洞は、ぬらぬらしていて、でも冷ややかで、人間の危うい深層意識を具現化したような形をしている。ずっと見ていると、思わず変な世界に連れ込まれてしまいそうである。

 「鍾乳洞を見ているとね、つい勃起してしまうんです」と告白したのは大学の後輩のSくんであるが、私も(彼ほどではないにせよ)こういう地下世界には惹かれてしまう方である。

 社会人として生きていると、自らの才覚では克服しえない困難に陥ることがある。そういうときに私は、洞窟の奥深くに潜む小動物のことを考える。退化して視覚を失って、でもそれでとくに不便はなくて、そのままに一生を終える無名の存在。そうした生き物のことを想うと、私の心は湿り気を帯びてくるのだ。


スロベニア・リュブリャナ近郊にあるポストイナ鍾乳洞


 とはいえ、そのように屈曲した私の性癖や、Sくんの怒張したペニスの話について、子どもにシェアするのはいささか無防備すぎるものがある。

 そこで私は、鍾乳洞の成長には膨大な時間がかかること、だから一見して小さな「赤ちゃん鍾乳洞」であっても実際にはパパ(私)よりもずっと年長であり、そこには然るべき畏怖の念が必要とされること、などについて、幼児語を交えて解説した。

 結果的にこれはすごくウケて、彼らはいまでも「赤ちゃん鍾乳洞」の話を私に教えてくる。(人から聞いた話を、あたかも自分の発案のように話す。これが我が息子たちの大いなる特徴である)


スロベニア・リュブリャナ近郊にある「洞窟城」・プレジャマ城
ツアー後半ではプレジャマ城(12世紀頃に建てられた洞窟城)を訪ねた

スロベニア・リュブリャナ近郊にある「洞窟城」・プレジャマ城
間近で見ると、断崖絶壁ぶりがよくわかる

スロベニア・リュブリャナ近郊にある「洞窟城」・プレジャマ城
上流階級のみが居住を許された部屋。長い籠城でも快適そうだ

スロベニア・リュブリャナ近郊にある「洞窟城」・プレジャマ城
その近くには拷問部屋がある。こちらはあまり快適ではなさそう

スロベニア・リュブリャナ近郊にある「洞窟城」・プレジャマ城
買収された下級兵が抜け道を漏らし、形勢逆転となった(古今東西を問わない話ですね)


いちばん贅沢なタイプの旅をする

鍾乳洞と洞窟城を訪れたあと、残りの3日間は、ほとんど何も予定を立てなかった。

 その日の朝に「何をするか」を決めるのが、いちばん贅沢な旅のあり方だと思う。これは、36年間にわたり落ち着きのない人生を送ってきた、私のゆるやかな信念のようなものである。


スロバキア・リュブリャナの街並み


 空気の澄んだ朝に、興奮して早起きしがちな上の息子(5歳)と周辺を歩く。1~2時間ほど歩いて、ときには地元の人と言葉を交わして、「このカフェは良さそうだ」とか「この公園はいいね」といった具合に目星をつける。息子が疲れたらおんぶをする。

 そうしていったん宿に戻って、奥さんと下の息子(2歳)を加えて体制を整え、視線の低い散歩を再開する。ときにはバスやトラム(路面電車)も活用する。この方式で1日2万歩くらい歩けば、疲労と充足がほどよくブレンドされてくる。そこに旅の味わいが生まれてくる。


スロバキア・リュブリャナの街並み


 そのようにして見知ったリュブリャナの街は、なるほど前評判のとおり物価が安くて、ご飯もおいしかった。エスプレッソは確信をもって1ユーロ台に抑えられていた。やや意外ながら(失礼)魚料理のクオリティも高かった。

 「イタリアに隣接した国は食事がおいしい(海を挟んだマルタを含む)」というのは、私の暫定的かつ個人的な仮説だが、それはスロベニアでも立証されたのである。


リュブリャナ動物園(Ljubljana Zoo)
リュブリャナ動物園では、トランポリン・コーナーが動物よりも人気

リュブリャナ動物園(Ljubljana Zoo)
人「象」一体の芸も見られる

カピバラは安定のやる気のなさ


 リュブリャナでは「Pekarna Apartments」というアパートホテルに泊まった。カーテンが電動で操作できたり、iPadが備えつけてあったり、とにかく瀟洒な気くばりがなされている。それでいて1泊あたり8,100円という安さである。まことに重畳というほかない。

ここの管理人さんに「リュブリャナでおすすめのレストランはどこですか」と尋ねて即答された「Slovenska Hiša - Figovec」というスロベニア料理のお店が、リーズナブルで味つけも日本人好みで、最高であった。あんまり気に入ったので、滞在中に2回も来店したほどだ。

 ところが2回目の訪問は、日曜の夜だったこともあって、予約がいっぱいで入れなかった。「だから言ったじゃないの」と後方から厳しい、しかし正当なる叱責を身に受けつつも、日没後の旧市街をそぞろ歩き、ええい、ままよ、とばかりに入店したリュブリャニツァ川沿いの某イタリアン・レストランのメニューを一瞥すると、パスタ一皿で20ユーロ、眼球が前面に迫り出してくるような高さで、すぐさま退店の決意を固めた次の刹那、5歳児がガラス製の灰皿を机上から払い落し、これを破壊、然して紳士的な笑みを湛えた店員が我々の弁償責任を厚意で免除、その手前、出るに出られなくなって泣く泣く注文、高額な請求書を懐に携え、捨て鉢な気持ちに襲われ、2歳児を抱えて闇夜に向かって猛烈ダッシュするも、足元に予期せぬ段差、思いきり転んで右膝のジーンズが破滅、思わぬ大流血、泣き叫ぶ幼児、このダメージを契機に数日後に風邪を罹患、スロベニア名産のはちみつが不本意にも役立ったのは、エー、私という愚かな人間でございます、愚かさが服を着て歩いているような始末でございます、エー、読者の皆々様におかれましては、これを他山の石としてご笑覧賜れれば何より幸いに存じます。

 教訓1:混雑が予想される時間帯には予約を入れよう。

 教訓2:リュブリャナ城とリュブリャニツァ川に挟まれたエリアは「観光客料金」のレストランが多いので気をつけよう。


スロベニア・リュブリャナ大学そばの市立公園で開催されていたオリンピック・フェスティバル(Olimpijski Festival)
リュブリャナ大学そばの市立公園で、オリンピック・フェスティバルをやっていた

スロベニア・リュブリャナ大学そばの市立公園で開催されていたオリンピック・フェスティバル(Olimpijski Festival)
次期開催地がスロベニアとか、そういうわけではなく、素朴な啓蒙活動であるようだ

スロベニア・リュブリャナ大学そばの市立公園で開催されていたオリンピック・フェスティバル(Olimpijski Festival)
約40種類の競技を模擬体験して、スタンプを集めると景品(メダルとか)がもらえる

スロベニア・リュブリャナ大学そばの市立公園で開催されていたオリンピック・フェスティバル(Olimpijski Festival)
兄弟対決がはじまった

スロベニア・リュブリャナ大学そばの市立公園で開催されていたオリンピック・フェスティバル(Olimpijski Festival)


スロベニア・リュブリャナ大学そばの市立公園で開催されていたオリンピック・フェスティバル(Olimpijski Festival)


スロベニア・リュブリャナ大学そばの市立公園で開催されていたオリンピック・フェスティバル(Olimpijski Festival)
会員証な


 前述した宿の近隣にあって、なんとなしに入店したイタリアン・レストラン「Pizzeria FoculuS」。ここのピッツァを載せる使い捨ての敷き紙に、「20年間、愛し合ってきました」なる文言が十数ヵ国語で書かれていた。愛し合ってきた、とはなかなかに強い言葉である。

 そのときには気づかなかったけれど、これはおそらく、スロベニアが(ユーゴスラビア崩壊によって1991年に成立した)若い国であることを踏まえた表現なのですね。東京やウィーンで「20年」と言われてもインパクトはないけれど、ここでは然るべき重みのある年月なのだ。

 10年後に再訪したら、この敷き紙は、「30年間、愛し合ってきました」と修正されているのだろうか。スロベニアが平和なままに、そうなることを私は願う。


スロベニア・リュブリャナ城にて

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