さようなら、私の届かなかった荷物たち
外国で暮らす上で重要なマインドセットは、「期待値を下げる」ことだと思う。すなわち、「日本のサービス水準を所与のものとして捉えない」ということだ。
店員さんの愛想の良さを期待しない。
日曜に買い物ができると期待しない。
注文した料理がちゃんと来ると期待しない。
電車やバスが時間通りに来ると期待しない。
言わずに伝わるとは期待しない。
言っても伝わるとは期待しない。
海外生活の経験がある方なら、おそらく同意いただけるのではないか。日本の恵まれた(いくぶん甘やかされた)環境を遠く離れて、そこであなたが精神の健康を保って暮らしたいのであれば、これはもう、あらゆることの期待値を下げるのがいちばんだ。
相手の「してくれないこと」に腹を立てる不毛な行為をやめて、「してくれたこと」に感謝するような状態に、自分を持っていくのである。
日々、感謝。
感謝の心で人生は成功する。
なんだかPHP文庫のタイトルみたいになってきたが、これは一面の真実であると私は思う。穏やかな心で、期待値を下げ、感謝の気持ちを忘れない。海外生活の秘訣はそこにある。
しかし、そのようにして下がった期待値を、さらに下回るような出来事に、それも立て続けに見舞われることがある。そんなときは、どうすればよいか。感謝をしたらよいのか。それでも感謝をつづけるべきなのか。
否。
断じて否。
そういうときは、ポケットの内側で中指を立て、心の中で四文字言葉をシャウトするのだ。
前置きが長くなった。
これは、オーストリアで、3回連続で荷物が届かなかった私の話である。
オーストリアの物流サービスの遅さ(ドイツもフランスも似たようなものと聞くけれど)については、すでに十分に実体験を積んでいたので、まあ2週間くらいはかかるだろうと覚悟していた。期待値をほどよく下げたというわけだ。
ところが、2週間を過ぎても、荷物が到着する気配はまったくない。
そこでようやく荷物の追跡サイトを調べると、ちゃんと毎日更新されている。しかしこれを(ドイツ語から翻訳して)読んでみると、
3月12日 荷物は倉庫から出ました。
3月13日 移動中です。
3月14日 宅配の倉庫に向かっています。
などと、いかにも順調そうな滑り出しなのだが、
3月15日 宅配の倉庫にすぐに着きます。
3月16日 宅配の倉庫への仕分けを急いでいます。
3月17日 宅配の倉庫への仕分けが迅速に進んでいます。
3月18日 宅配の倉庫への到着がすぐに期待されます。
といった按配で、なにやら「宅配の倉庫」に向かっていることだけはわかるのだが、具体的に何がどのくらい進んでいるのかについては、まったく要領を得ない。というか、そもそも「宅配の倉庫」というのはどこにあるのか。
3月19日 配送は順調に進んでいます。
3月20日 手続きの遅延があり、荷物の到着はほんの少しだけ遅れる見込みです。
だんだん雲行きが怪しくなってきた。
結局、「宅配の倉庫」には着いたのか、着かなかったのか。
3月21日 予期せぬ事態の発生を受けて、あなたの荷物の配送は遅れています。
それはわかっている。状況は理解しているし、覚悟もしている。私が知りたいのは、そのiPadはいまどこにあるのかということだ。私はそれをいつ受け取れるのかということだ。
3月22日 あなたの荷物はDPDに到着しました。以後、DPDのサイトを参照ください。
これは一体どういうことか。更新はここで唐突に中断され、「配送状況のお知らせ」というページの役割を放棄してしまっている。
ちなみにDPDというのは欧州の格安運送会社で、宅配トラブルの多さでよく知られている。不吉な予感を漂わせるには、実力十分なプレイヤーである。しかし、そこに「到着した」というのは、どういうことか。それはよい知らせなのか、そうではないのか。
胸中の不安は雨雲となり、すでに全天を暗く覆いはじめている。そうして指定されたDPDのページを開いてみると、
3月19日 我々はあなたの荷物を届けることができなくなった。
3月26日 我々はあなたの荷物を届けることができなくなった。
いきなりの雷雨、いきなりの最終宣告である。
しかも、ギリシャ悲劇に出てくるコロスのように、ご丁寧に同じ文言を二度繰り返して伝える形式だ。なるほど。これなら誤解はない。私も正しく把握した。つまり、彼らは私の荷物を届けることができなくなったのだ。
だが、わからないことはある。というか、わからないことだらけだ。eGlobal Centralのサイトでは、3月19日のステータスは「配送は順調に進んでいます。」だったのに、DPDは同日に「届けることができなくなった。」と、早々の撤退宣言を告げている。このタイムラグは何なのか。そして結局、私のiPadはどうなるのか。3月10日にクレジットカードで支払った約400ユーロは、今後どのような扱いを受けるのか。
ひとつだけ明らかな事実がある。それは、私が今後何らかのアクションを起こさなければ、物事は絶対に前進しないことだ。私は日頃から「絶対に」という言葉を安易に使わないように心がけている人間だが、経験に照らして、これは間違いのない点である。
というわけで、私は早速に対策を講じた。DPDにメールを送り、カスタマーサービスに電話をかけ、オーストリア事務所にも電話をかけ、eGlobal Centralにも問い合わせた。それも何度も質問した。そう、私は結構しつこい人間なのである。
そうして判明したのは、「DPDは、私(Satoru)の住所を特定できずに、誤ったものとして内部処理した」ということである。ところが、その住所を変更するには、私ではなく、「送り主=eGlobal Centralの承認を得なければならない」。翻って、eGlobal Centralは「私の住所は実在するもので、誤りはない」と主張する。私もその意見に賛成である。なにしろ、私はその住所に実際に住んでいるのだ。
私の住所について、観測者によってその実在性の解釈に隔たりが生じている。なんだか量子力学みたいな話である。両者の主張は、けれども一向に埋まらず、無為な時間が過ぎてゆく。
先に動いたのは、DPDの方だった。
3月28日 あなたの荷物はイギリスに向かっている。
まさかの展開である。
ウィーンにおける実在性に疑義が呈された私の住所は、ヘーゲル哲学的にアウフヘーベンされて、いまは新天地・イギリスに向かっているというのだ。
次いで、eGlobal Centralからも連絡があった。「iPadは送付元のイギリスに戻し、そこからウィーンに再発送する次第となった。他方で、もしあなたが返金を希望するなら、イギリスに荷物が届いた後なら対応可」とのことであった。もちろん私は、返金を希望する旨を伝える。話が、ようやく合理性を帯びてきた。
それから1か月が経った現在。
eGlobal CentralからもDPDからも、何の音沙汰もない。当然、返金もない。「あなたの荷物はイギリスに向かっている。」というのが、現時点での最終メッセージである。
私の荷物は、イギリスに向かっているのだ。
教訓:通販サイトを使うのはやめて、多少高くても、物販店で買い物をしよう。
こちらの最終消息は、「発送に遅れが生じました。3月20日には到着予定です」というもので、爾来、何の更新もない。歴史はここで唐突な終焉を告げている。
配達者は、オーストリア郵便局(Austrian Post)。こちらもDPDに負けず劣らず、受取人の不安を煽るエキスパティーズにかけては期待を裏切らないプレイヤーだ。
本件で悩ましいのは、Amazon.deでは、一旦荷物を受け取らないことには返金のアクションを起こせないことである。ゆえに、発送はされたけれども受領ができていないという、一種のリンボ(辺獄)のような状態にあっては、なかなか有効な手段を講じづらいのだ。
もちろん、ここでじっと辛抱を重ねていても事態の好転は望めない。そこで私は、郵便局のサイトから調査申し立てを行った。しかし、「あなたの申し立ては1,490,923番目です。」という、冗談なのか狂気なのかちょっと判断のつきかねるメールを受信したきり、明るい展望は一切見られない。実にカフカエスクな状況である。
教訓:通販サイトを使うのはやめよう。
これは私の息子たちへのサプライズ・プレゼントということで、中身が何であるか知らされていないのだが、ここにきて、「到着しない」という形でのサプライズになる可能性が高まりを見せてきた。
教訓:形あるものはいつか壊れるが、あるものは形すら見ぬまま消えてしまう。その酷薄な現実を受け入れよう。
これは原始的だが、それゆえに実効性の高い方針だ。M君には日本語対応のUSBキーボードを、Kさんにはインスタントのカレールウ10箱を、Tさんには息子への絵本を、それぞれ日本から持ってきていただいた。
いずれも、「何か欲しいものはありますか」という先方の好意に思いきり甘えた形である。そういえば、バークレーに留学していたときも、友人やブログ読者から物資をいただいて暮らしていたのであった。
しかし、上述したTさんの役職は、英語でいえばDirector Generalのようなものであって、そのような方に「こぐまちゃんとどうぶつえん」を持参させるというのは、改めてどうなのだろうか。ゆめゆめ、日本に足を向けて寝ることはできない・・・と思って、いま調べてみたら、私が寝室で足を向けているのはイギリスの方角であった。イギリスに向かっているのは、私のiPadだけではなかったのだ。
本記事で触れた問題は、その後、すべて決着を見た。
(1)返送されたiPadは、5月上旬にイギリスに到着。eGlobal Centralからも連絡があり、5月16日付けで返金処理がなされた。eGlobal Centralには大いに感謝である。
(2)調査申し立てを行ったHDMIケーブルについて、Austrian Postから手紙が届いた。「段ボールは損傷され(damaged)、中身が失われた状態で見つかった」との由。おそらく不逞の輩が盗んだのだろう。「その後の対応については、発送元のAmazon.deと調整されたい」との指示には面食らったが、私からAmazon.deのカスタマーサポートに事情を説明したところ、約2日後に返金処理がなされた。実にスムースな対応だ。Amazon.deには大いに感謝である。
(3)奥さんの実家から郵送された荷物も、5月上旬に無事に受け取った。どうやらオーストリア税関で処理手続きに時間を要したようである。
というわけで、結局無事に到着したのは(3)のケースだけで、(1)(2)とも、発送元から返金処理がなされたのは救いではあるけれど、届かなかった事実に変わりはない。そういうわけで、ここで改めてお別れ(farewell)を述べ、この稿を締めくくることにしたい。
さようなら、私の届かなかった荷物たち。
(2019年2月4日追記)
その後、さらなる試行錯誤を経て、当座の結論としては「国連ビルの職場を宛先とする」というのが最も確実であるとわかった。
というのは、国連ビルには数千人の職員に荷物を届ける巨大な集配システムがあるので、受取人である私の名前さえ合っていれば事務所が私の職場メールに連絡してくれるからだ。配達者にしても、国連ビルの住所を間違えることはまずないだろう。
この記事を書いてから20件弱ほど郵送を受け取る機会があったが、これまでのところ受け取り成功率は100%である。
というわけで、これは国連職員の人にしか適用できないTIPで恐縮ではあるが、該当する方にはこれをおすすめしたい。電子レンジを抱えて家に帰るのは結構大変でしたけど。
店員さんの愛想の良さを期待しない。
日曜に買い物ができると期待しない。
注文した料理がちゃんと来ると期待しない。
電車やバスが時間通りに来ると期待しない。
言わずに伝わるとは期待しない。
言っても伝わるとは期待しない。
海外生活の経験がある方なら、おそらく同意いただけるのではないか。日本の恵まれた(いくぶん甘やかされた)環境を遠く離れて、そこであなたが精神の健康を保って暮らしたいのであれば、これはもう、あらゆることの期待値を下げるのがいちばんだ。
相手の「してくれないこと」に腹を立てる不毛な行為をやめて、「してくれたこと」に感謝するような状態に、自分を持っていくのである。
日々、感謝。
感謝の心で人生は成功する。
なんだかPHP文庫のタイトルみたいになってきたが、これは一面の真実であると私は思う。穏やかな心で、期待値を下げ、感謝の気持ちを忘れない。海外生活の秘訣はそこにある。
しかし、そのようにして下がった期待値を、さらに下回るような出来事に、それも立て続けに見舞われることがある。そんなときは、どうすればよいか。感謝をしたらよいのか。それでも感謝をつづけるべきなのか。
否。
断じて否。
そういうときは、ポケットの内側で中指を立て、心の中で四文字言葉をシャウトするのだ。
前置きが長くなった。
これは、オーストリアで、3回連続で荷物が届かなかった私の話である。
虚無に吸い込まれた私のiPad
eGlobal Centralという通販サイトで、新型iPadの購入ボタンをクリックしたのは、3月初旬のことである。オーストリアの物流サービスの遅さ(ドイツもフランスも似たようなものと聞くけれど)については、すでに十分に実体験を積んでいたので、まあ2週間くらいはかかるだろうと覚悟していた。期待値をほどよく下げたというわけだ。
ところが、2週間を過ぎても、荷物が到着する気配はまったくない。
そこでようやく荷物の追跡サイトを調べると、ちゃんと毎日更新されている。しかしこれを(ドイツ語から翻訳して)読んでみると、
3月12日 荷物は倉庫から出ました。
3月13日 移動中です。
3月14日 宅配の倉庫に向かっています。
などと、いかにも順調そうな滑り出しなのだが、
3月15日 宅配の倉庫にすぐに着きます。
3月16日 宅配の倉庫への仕分けを急いでいます。
3月17日 宅配の倉庫への仕分けが迅速に進んでいます。
3月18日 宅配の倉庫への到着がすぐに期待されます。
といった按配で、なにやら「宅配の倉庫」に向かっていることだけはわかるのだが、具体的に何がどのくらい進んでいるのかについては、まったく要領を得ない。というか、そもそも「宅配の倉庫」というのはどこにあるのか。
3月19日 配送は順調に進んでいます。
3月20日 手続きの遅延があり、荷物の到着はほんの少しだけ遅れる見込みです。
だんだん雲行きが怪しくなってきた。
結局、「宅配の倉庫」には着いたのか、着かなかったのか。
3月21日 予期せぬ事態の発生を受けて、あなたの荷物の配送は遅れています。
それはわかっている。状況は理解しているし、覚悟もしている。私が知りたいのは、そのiPadはいまどこにあるのかということだ。私はそれをいつ受け取れるのかということだ。
3月22日 あなたの荷物はDPDに到着しました。以後、DPDのサイトを参照ください。
これは一体どういうことか。更新はここで唐突に中断され、「配送状況のお知らせ」というページの役割を放棄してしまっている。
ちなみにDPDというのは欧州の格安運送会社で、宅配トラブルの多さでよく知られている。不吉な予感を漂わせるには、実力十分なプレイヤーである。しかし、そこに「到着した」というのは、どういうことか。それはよい知らせなのか、そうではないのか。
胸中の不安は雨雲となり、すでに全天を暗く覆いはじめている。そうして指定されたDPDのページを開いてみると、
3月19日 我々はあなたの荷物を届けることができなくなった。
3月26日 我々はあなたの荷物を届けることができなくなった。
いきなりの雷雨、いきなりの最終宣告である。
しかも、ギリシャ悲劇に出てくるコロスのように、ご丁寧に同じ文言を二度繰り返して伝える形式だ。なるほど。これなら誤解はない。私も正しく把握した。つまり、彼らは私の荷物を届けることができなくなったのだ。
だが、わからないことはある。というか、わからないことだらけだ。eGlobal Centralのサイトでは、3月19日のステータスは「配送は順調に進んでいます。」だったのに、DPDは同日に「届けることができなくなった。」と、早々の撤退宣言を告げている。このタイムラグは何なのか。そして結局、私のiPadはどうなるのか。3月10日にクレジットカードで支払った約400ユーロは、今後どのような扱いを受けるのか。
ひとつだけ明らかな事実がある。それは、私が今後何らかのアクションを起こさなければ、物事は絶対に前進しないことだ。私は日頃から「絶対に」という言葉を安易に使わないように心がけている人間だが、経験に照らして、これは間違いのない点である。
というわけで、私は早速に対策を講じた。DPDにメールを送り、カスタマーサービスに電話をかけ、オーストリア事務所にも電話をかけ、eGlobal Centralにも問い合わせた。それも何度も質問した。そう、私は結構しつこい人間なのである。
そうして判明したのは、「DPDは、私(Satoru)の住所を特定できずに、誤ったものとして内部処理した」ということである。ところが、その住所を変更するには、私ではなく、「送り主=eGlobal Centralの承認を得なければならない」。翻って、eGlobal Centralは「私の住所は実在するもので、誤りはない」と主張する。私もその意見に賛成である。なにしろ、私はその住所に実際に住んでいるのだ。
私の住所について、観測者によってその実在性の解釈に隔たりが生じている。なんだか量子力学みたいな話である。両者の主張は、けれども一向に埋まらず、無為な時間が過ぎてゆく。
先に動いたのは、DPDの方だった。
3月28日 あなたの荷物はイギリスに向かっている。
まさかの展開である。
ウィーンにおける実在性に疑義が呈された私の住所は、ヘーゲル哲学的にアウフヘーベンされて、いまは新天地・イギリスに向かっているというのだ。
次いで、eGlobal Centralからも連絡があった。「iPadは送付元のイギリスに戻し、そこからウィーンに再発送する次第となった。他方で、もしあなたが返金を希望するなら、イギリスに荷物が届いた後なら対応可」とのことであった。もちろん私は、返金を希望する旨を伝える。話が、ようやく合理性を帯びてきた。
それから1か月が経った現在。
eGlobal CentralからもDPDからも、何の音沙汰もない。当然、返金もない。「あなたの荷物はイギリスに向かっている。」というのが、現時点での最終メッセージである。
私の荷物は、イギリスに向かっているのだ。
教訓:通販サイトを使うのはやめて、多少高くても、物販店で買い物をしよう。
虚無に吸い込まれた私のHDMIケーブル
同時期にAmazon.de(ドイツのAmazon)で注文したHDMIケーブルも、いまだに私の手元に届いていない。私はiPadとテレビをつないで、息子たちにYoutubeを見せたり、Netflixを大画面でたのしむつもりだったのだ。こちらの最終消息は、「発送に遅れが生じました。3月20日には到着予定です」というもので、爾来、何の更新もない。歴史はここで唐突な終焉を告げている。
配達者は、オーストリア郵便局(Austrian Post)。こちらもDPDに負けず劣らず、受取人の不安を煽るエキスパティーズにかけては期待を裏切らないプレイヤーだ。
本件で悩ましいのは、Amazon.deでは、一旦荷物を受け取らないことには返金のアクションを起こせないことである。ゆえに、発送はされたけれども受領ができていないという、一種のリンボ(辺獄)のような状態にあっては、なかなか有効な手段を講じづらいのだ。
もちろん、ここでじっと辛抱を重ねていても事態の好転は望めない。そこで私は、郵便局のサイトから調査申し立てを行った。しかし、「あなたの申し立ては1,490,923番目です。」という、冗談なのか狂気なのかちょっと判断のつきかねるメールを受信したきり、明るい展望は一切見られない。実にカフカエスクな状況である。
教訓:通販サイトを使うのはやめよう。
虚無に吸い込まれた奥さんの実家からのプレゼント
今月初旬に、私の奥さんの実家から郵送されたという荷物も、いまだに存在を確認できない。どうやら4月10日頃にオーストリア国内に到着したらしいのだが、その後の消息が、杳として知れない。これは私の息子たちへのサプライズ・プレゼントということで、中身が何であるか知らされていないのだが、ここにきて、「到着しない」という形でのサプライズになる可能性が高まりを見せてきた。
教訓:形あるものはいつか壊れるが、あるものは形すら見ぬまま消えてしまう。その酷薄な現実を受け入れよう。
平身低頭してウィーンへの物資調達を乞う、という生き方
形あるものはいつか壊れるが、あるものは形すら見ぬまま消えてしまう。その酷薄な現実を受け入れた私は、「ウィーンを訪れる知人に頭を下げて、物資の調達をお願いする」という方針にシフトすることにした。これは原始的だが、それゆえに実効性の高い方針だ。M君には日本語対応のUSBキーボードを、Kさんにはインスタントのカレールウ10箱を、Tさんには息子への絵本を、それぞれ日本から持ってきていただいた。
いずれも、「何か欲しいものはありますか」という先方の好意に思いきり甘えた形である。そういえば、バークレーに留学していたときも、友人やブログ読者から物資をいただいて暮らしていたのであった。
しかし、上述したTさんの役職は、英語でいえばDirector Generalのようなものであって、そのような方に「こぐまちゃんとどうぶつえん」を持参させるというのは、改めてどうなのだろうか。ゆめゆめ、日本に足を向けて寝ることはできない・・・と思って、いま調べてみたら、私が寝室で足を向けているのはイギリスの方角であった。イギリスに向かっているのは、私のiPadだけではなかったのだ。
後日譚
(2018年5月17日追記)本記事で触れた問題は、その後、すべて決着を見た。
(1)返送されたiPadは、5月上旬にイギリスに到着。eGlobal Centralからも連絡があり、5月16日付けで返金処理がなされた。eGlobal Centralには大いに感謝である。
(2)調査申し立てを行ったHDMIケーブルについて、Austrian Postから手紙が届いた。「段ボールは損傷され(damaged)、中身が失われた状態で見つかった」との由。おそらく不逞の輩が盗んだのだろう。「その後の対応については、発送元のAmazon.deと調整されたい」との指示には面食らったが、私からAmazon.deのカスタマーサポートに事情を説明したところ、約2日後に返金処理がなされた。実にスムースな対応だ。Amazon.deには大いに感謝である。
(3)奥さんの実家から郵送された荷物も、5月上旬に無事に受け取った。どうやらオーストリア税関で処理手続きに時間を要したようである。
というわけで、結局無事に到着したのは(3)のケースだけで、(1)(2)とも、発送元から返金処理がなされたのは救いではあるけれど、届かなかった事実に変わりはない。そういうわけで、ここで改めてお別れ(farewell)を述べ、この稿を締めくくることにしたい。
さようなら、私の届かなかった荷物たち。
(2019年2月4日追記)
その後、さらなる試行錯誤を経て、当座の結論としては「国連ビルの職場を宛先とする」というのが最も確実であるとわかった。
というのは、国連ビルには数千人の職員に荷物を届ける巨大な集配システムがあるので、受取人である私の名前さえ合っていれば事務所が私の職場メールに連絡してくれるからだ。配達者にしても、国連ビルの住所を間違えることはまずないだろう。
この記事を書いてから20件弱ほど郵送を受け取る機会があったが、これまでのところ受け取り成功率は100%である。
というわけで、これは国連職員の人にしか適用できないTIPで恐縮ではあるが、該当する方にはこれをおすすめしたい。電子レンジを抱えて家に帰るのは結構大変でしたけど。
コメント
送料無料・翌日配達・荷物追跡とかそんなのが当たり前になってしまっていて期待するサービスレベルが高くなっている日本では、そのせいかわからないけど配達業はすごく大変らしいので、配達が一部テキトーなことがある地域/会社ではどのくらい楽になっているかな〜と思います。
(その分、労働者が楽になってるのならそれもアリ)
かつてアメリカに住んでいたとき、Amazon.comで注文すると不在通知のかわりに玄関前に段ボール箱が(ときにむき出しのままの商品が)乱暴に投げ込まれていて、「こりゃひどいな。でもまあ、佐川急便と不在票のやり取りをひたすら繰り返すよりは効率的かな?」などと思ったものでした。
そしてオーストリアでは、不在票が置かれないのに返送される(DHLなどの中央集荷所に差し戻される)という、完全ノーヒントなケースがあったりするので、まったくもって油断なりません。
発送局で持ち帰るよう言われました。EMSでは送れないのですか?
心の持ちようが参考になりました。自宅で働いているので、国連を受取先には出来ませんが、笑
1日中家にいてもピンポンも不在票も入っておらず、先日もGLSとゆう酷いヨーロッパ間宅配業者に勝手に不在で、25km離れた村の倉庫?かどこかに配達済みにされ、村の名前だけで住所も出ていないし遠すぎて取りに行けず、セラーに返送されて、返金を待つしか出来ない状態です…
このままやり場のない怒りとともに、セラーとPayPalに連絡しましたが、今のところ返事がなく、検索でこちらに辿り着いて達観したような文章に惹かれましたww