オーストリアの運転免許証を取得する
いま私の手元には、EU圏内で利用可能な運転免許証(Führerschein)がある。有効期間は、2033年6月13日まで。15年間有効というわけだ。
私はこれを、先週ようやく入手した。
ウィーンに住みはじめたのは去年の7月だから、「ようやく」という言葉がふさわしい。
日本の運転免許証からの切り替えは、住民登録から6か月以内に行うのが原則である。
だから私のケースは、本来なら手遅れのはずだ。でもまあ、運がよかったのか(たぶんそうだろう)、無事に手続きを進めることができた。
そのような私の経験が、どれだけ参考になるかはわからない。ひとつの素朴な事例として、以下に経緯を記してみたい。
・・・という答えは、真実の一面しか捉えていない。私が運転免許証の入手を急がなかったのは、つまるところ、自動車を所有していないからである。
赴任直後には、同時期にウィーンを去る人々から、いくつか魅力的なオファーをもらった。たとえば、3年使用の5ドアのミニクーパーを、相場の半値で提示されたりした。
しかし結局、私は車の購入を見送った。その理由は主に2点。①ウィーンの公共交通機関はすこぶる発達していて日常生活に不便を感じないから、そして、②私の住居には駐車場がなく(自動車が発明されるよりもずっと前に建てられた家なので)ガレージを借りるのに別料金が発生するからだ。
ウィーンに来てから車を運転したのは、フエルテベントゥラ島でレンタカーを利用したときだけだ(このときは日本の国外運転免許証を見せた)。そういえば、アメリカで奥さんが出産する前後にも、カーシェアでプリウスを借りて病院まで運転していた。なにか強い信念があるわけではないのだが、これまでのところ、車を所有しない人生を過ごしている。
※ でも子連れでウィーンに住む方であれば、やはり車はあった方がよいと思います。私も郊外に住んでいたら、たぶん車を購入してました。
ひとつは、日本の国外運転免許証を使い続ける方法。
もうひとつは、オーストリアの外交官特権に頼る方法だ。
前者のオプションは、一時帰国の機会を捉えて、1年間有効の国外運転免許証を更新するというものだ。オーストリアを含むヨーロッパのほとんどの国はジュネーブ条約に加盟しているので、赴任期間が3年程度の人であれば、これでなんとかしのげてしまう。実際そうしている人もいる。
とはいえ、この方法には欠点もある。帰国のたびに鮫洲(たとえば)の試験場に足を運ぶのはいかにも面倒だし、そもそも国外運転免許証の制度はこのような使い方を想定していない。近い将来、運用のルールが厳格化されて、明示的に禁止となるリスクもある。
後者のオプションは、国際機関の担当者から教えてもらった。オーストリア運転免許証法の第23条第2項を根拠として、①外交官の身分証(Legitimationskarte)、②日本の運転免許証、③日本大使館が発行する翻訳証明の3点セットがあれば、実質的にEU圏内で自由に運転できるというのだ。
これはなかなかにありがたい話である。でも私はこの権利を行使しなかった。というのは、大事をとって日本大使館の方に相談したところ、
1. 条文には「オーストリア以外の国でも運転できる」という旨の記述はない
2. 当館発行の翻訳証明はドイツ語のみで、非ドイツ語圏でトラブルが生じる可能性あり
という2つの留意点を示唆されたからだ。ただし「1.」については、ウィーン条約の対象国なら問題なし、オール・オーケー、心配いらないヨ、というのが国際機関の担当者の見解ではあったのだが。
私があえて運転免許証の切り替えを決断したのは、正直なところ、冒頭にも記した「15年間有効」というインセンティブに惹かれたからだ。
15年後といえば、私は50歳になっている(はずだ)。そこに至るまでの人生に、紆余と曲折と栄枯と盛衰がどのくらいあるかは知る由もない。でもヨーロッパで車の運転をする機会は、どこかできっとあるだろう。それならば、ここで多少のコストを払って、免許証をコンバートしておく価値はあるのではないか。
そのように考えた私は、ようやく手続きを開始した。この時点で、住民登録した日からとうに6か月以上は経っていたのだけれど。
申請書類は日本大使館のサイトに書かれている。まずは足りないアイテムを揃えるために、あちこちに出向く必要がある。ファミコン世代の私としては、ロールプレイング・ゲームの「おつかい系イベント」をつい思い出してしまう。
「山奥の洞窟には、魔法使いのお爺さんに助けてもらわないと入れない」
「でもお爺さんは病気で倒れているので、伝説の秘薬がないと動けない」
「そして伝説の秘薬を作るには、3つの材料が・・・」といった按配だ。
運転免許証の切り替えには、伝説の秘薬は必要ない。そのかわり、いくつかの窓口でユーロの支払いを求められる。具体的な出費をまとめると、以下のとおりだ。
日本大使館:運転免許証抜粋証明の取得 17ユーロ (4月13日付け)
Michael Moser医師:健康診断書の取得 40ユーロ (4月19日付け)
ウィーン警察交通局:免許証の切替申請 60.5ユーロ(4月20日付け)
しめて117.5ユーロ。
これで15年間使える免許証が手に入るなら、まあ悪くない投資だ。
日本大使館の手続きは、ずいぶん簡単だった。申請書を携えて、窓口に行く。事前のアポは必要ない。ダンジョンに潜ってドラゴンを倒す必要もない。翌日に再訪して、かしこまった顔をして、運転免許証抜粋証明を受け取ればよい。
健康診断書の発行は、当局が指定する医師に直接頼む。警察交通局のサイトにリスト(Liste der ermächtigten Ärzte in Wien/NÖ)があるので、そこから任意に選べばよい。私はMichael Moser医師にお願いした。診断は5分で終わるが、1時間ほど待たされる。ウィーンの市井の人びとを観察するにはちょうどよい時間だ。
すべての書類が揃ったら、いよいよ警察交通局(地下鉄U3のKardinal-Nagl-Platz駅から徒歩5分)に出発である。ドイツ語で不機嫌な対応をされることに無上の興奮を覚える人にとっては、ここは五つ星のスポットだ。あいにく私にはそういった性癖はないので、ひたすら下腹部に力を入れるばかりであった。
ひとつ留意点を述べたい。身分証等のコピーは、表面と裏面をどちらも提出しなければならない。これを失念すると、1枚34セントという、ラストダンジョンならではの高価格でコピーするはめになる。というか、私はなった。
手続きが終わると、その2か月後に晴れて免許証を受領できる(具体的な期日はメールで知らされる)。受け取りの方法として「自宅に郵送」と「窓口に行く」の2択が示される。オーストリアの郵送システムに懲らしめられた経験を十分に積んだ私は、もちろん後者を選んだ。
EUの免許証を受け取るには、手持ちの日本の免許証を預けなければならない。しかしこれは日本大使館に回送され、そこから私に返還される。
「私 ⇒ 警察交通局 ⇒ 日本大使館 ⇒ 私」。
その循環は一見して無意味だが、フラグを立ててイベントを進めるためには仕方がない。
ゲーム脳は、しばしば現実世界の不合理に対する許容力を育てるのだ。
もっとも、「永遠」の免許証を持つ僥倖を得た人も、現在では一律「15年間」に切り替える義務があると聞く。やはり永遠は存在しないのだ。セゾンカードの「永久不滅ポイント」も、いつかはきっと「15年間限定永久不滅ポイント」という語義矛盾の名称に変じてしまうのだ。
誰もいない部屋で、ひとり、15年間有効の免許証に耳をあててみる。
どこか遠くから、祇園精舎の鐘の声がする。諸行無常の響きがある。
私はこれを、先週ようやく入手した。
ウィーンに住みはじめたのは去年の7月だから、「ようやく」という言葉がふさわしい。
日本の運転免許証からの切り替えは、住民登録から6か月以内に行うのが原則である。
だから私のケースは、本来なら手遅れのはずだ。でもまあ、運がよかったのか(たぶんそうだろう)、無事に手続きを進めることができた。
そのような私の経験が、どれだけ参考になるかはわからない。ひとつの素朴な事例として、以下に経緯を記してみたい。
私の手続きは、いかにして遅れたか
なぜ私は、すぐに運転免許証を切り替えなかったのか。それは、私が怠惰な人間だからだ。・・・という答えは、真実の一面しか捉えていない。私が運転免許証の入手を急がなかったのは、つまるところ、自動車を所有していないからである。
赴任直後には、同時期にウィーンを去る人々から、いくつか魅力的なオファーをもらった。たとえば、3年使用の5ドアのミニクーパーを、相場の半値で提示されたりした。
しかし結局、私は車の購入を見送った。その理由は主に2点。①ウィーンの公共交通機関はすこぶる発達していて日常生活に不便を感じないから、そして、②私の住居には駐車場がなく(自動車が発明されるよりもずっと前に建てられた家なので)ガレージを借りるのに別料金が発生するからだ。
ウィーンに来てから車を運転したのは、フエルテベントゥラ島でレンタカーを利用したときだけだ(このときは日本の国外運転免許証を見せた)。そういえば、アメリカで奥さんが出産する前後にも、カーシェアでプリウスを借りて病院まで運転していた。なにか強い信念があるわけではないのだが、これまでのところ、車を所有しない人生を過ごしている。
※ でも子連れでウィーンに住む方であれば、やはり車はあった方がよいと思います。私も郊外に住んでいたら、たぶん車を購入してました。
ふたつの選択肢
実は、運転免許証を切り替えずとも、オーストリアで車を運転する選択肢がふたつある。ひとつは、日本の国外運転免許証を使い続ける方法。
もうひとつは、オーストリアの外交官特権に頼る方法だ。
前者のオプションは、一時帰国の機会を捉えて、1年間有効の国外運転免許証を更新するというものだ。オーストリアを含むヨーロッパのほとんどの国はジュネーブ条約に加盟しているので、赴任期間が3年程度の人であれば、これでなんとかしのげてしまう。実際そうしている人もいる。
とはいえ、この方法には欠点もある。帰国のたびに鮫洲(たとえば)の試験場に足を運ぶのはいかにも面倒だし、そもそも国外運転免許証の制度はこのような使い方を想定していない。近い将来、運用のルールが厳格化されて、明示的に禁止となるリスクもある。
後者のオプションは、国際機関の担当者から教えてもらった。オーストリア運転免許証法の第23条第2項を根拠として、①外交官の身分証(Legitimationskarte)、②日本の運転免許証、③日本大使館が発行する翻訳証明の3点セットがあれば、実質的にEU圏内で自由に運転できるというのだ。
これはなかなかにありがたい話である。でも私はこの権利を行使しなかった。というのは、大事をとって日本大使館の方に相談したところ、
1. 条文には「オーストリア以外の国でも運転できる」という旨の記述はない
2. 当館発行の翻訳証明はドイツ語のみで、非ドイツ語圏でトラブルが生じる可能性あり
という2つの留意点を示唆されたからだ。ただし「1.」については、ウィーン条約の対象国なら問題なし、オール・オーケー、心配いらないヨ、というのが国際機関の担当者の見解ではあったのだが。
免許証切り替えのインセンティブ
めったに車を運転することのない私にとって、国外運転免許証でしのぐオプションも、外交官の権利を使うオプションも、ともに現実的な解ではあった。私があえて運転免許証の切り替えを決断したのは、正直なところ、冒頭にも記した「15年間有効」というインセンティブに惹かれたからだ。
15年後といえば、私は50歳になっている(はずだ)。そこに至るまでの人生に、紆余と曲折と栄枯と盛衰がどのくらいあるかは知る由もない。でもヨーロッパで車の運転をする機会は、どこかできっとあるだろう。それならば、ここで多少のコストを払って、免許証をコンバートしておく価値はあるのではないか。
そのように考えた私は、ようやく手続きを開始した。この時点で、住民登録した日からとうに6か月以上は経っていたのだけれど。
ウィーン警察交通局(Verkehrsamt)。営業時間のユニークさが目をひく |
117.5ユーロを払い、2か月ほど待つ
具体的な手続きは、今年の4月から一気に進めた。申請書類は日本大使館のサイトに書かれている。まずは足りないアイテムを揃えるために、あちこちに出向く必要がある。ファミコン世代の私としては、ロールプレイング・ゲームの「おつかい系イベント」をつい思い出してしまう。
「山奥の洞窟には、魔法使いのお爺さんに助けてもらわないと入れない」
「でもお爺さんは病気で倒れているので、伝説の秘薬がないと動けない」
「そして伝説の秘薬を作るには、3つの材料が・・・」といった按配だ。
運転免許証の切り替えには、伝説の秘薬は必要ない。そのかわり、いくつかの窓口でユーロの支払いを求められる。具体的な出費をまとめると、以下のとおりだ。
日本大使館:運転免許証抜粋証明の取得 17ユーロ (4月13日付け)
Michael Moser医師:健康診断書の取得 40ユーロ (4月19日付け)
ウィーン警察交通局:免許証の切替申請 60.5ユーロ(4月20日付け)
しめて117.5ユーロ。
これで15年間使える免許証が手に入るなら、まあ悪くない投資だ。
日本大使館の手続きは、ずいぶん簡単だった。申請書を携えて、窓口に行く。事前のアポは必要ない。ダンジョンに潜ってドラゴンを倒す必要もない。翌日に再訪して、かしこまった顔をして、運転免許証抜粋証明を受け取ればよい。
健康診断書の発行は、当局が指定する医師に直接頼む。警察交通局のサイトにリスト(Liste der ermächtigten Ärzte in Wien/NÖ)があるので、そこから任意に選べばよい。私はMichael Moser医師にお願いした。診断は5分で終わるが、1時間ほど待たされる。ウィーンの市井の人びとを観察するにはちょうどよい時間だ。
すべての書類が揃ったら、いよいよ警察交通局(地下鉄U3のKardinal-Nagl-Platz駅から徒歩5分)に出発である。ドイツ語で不機嫌な対応をされることに無上の興奮を覚える人にとっては、ここは五つ星のスポットだ。あいにく私にはそういった性癖はないので、ひたすら下腹部に力を入れるばかりであった。
ひとつ留意点を述べたい。身分証等のコピーは、表面と裏面をどちらも提出しなければならない。これを失念すると、1枚34セントという、ラストダンジョンならではの高価格でコピーするはめになる。というか、私はなった。
手続きが終わると、その2か月後に晴れて免許証を受領できる(具体的な期日はメールで知らされる)。受け取りの方法として「自宅に郵送」と「窓口に行く」の2択が示される。オーストリアの郵送システムに懲らしめられた経験を十分に積んだ私は、もちろん後者を選んだ。
EUの免許証を受け取るには、手持ちの日本の免許証を預けなければならない。しかしこれは日本大使館に回送され、そこから私に返還される。
「私 ⇒ 警察交通局 ⇒ 日本大使館 ⇒ 私」。
その循環は一見して無意味だが、フラグを立ててイベントを進めるためには仕方がない。
ゲーム脳は、しばしば現実世界の不合理に対する許容力を育てるのだ。
警察交通局のコピー機は、1枚34セント。しかもおつりが出ない仕様 |
「永遠」の免許証
かつて、オーストリアの運転免許証の有効期間は「永遠」であったという。この世の中に永遠という概念は存在しないと思っていた私にとって、これは大きな驚きであった。もっとも、「永遠」の免許証を持つ僥倖を得た人も、現在では一律「15年間」に切り替える義務があると聞く。やはり永遠は存在しないのだ。セゾンカードの「永久不滅ポイント」も、いつかはきっと「15年間限定永久不滅ポイント」という語義矛盾の名称に変じてしまうのだ。
誰もいない部屋で、ひとり、15年間有効の免許証に耳をあててみる。
どこか遠くから、祇園精舎の鐘の声がする。諸行無常の響きがある。
コメント
2014年にドイツに住んだときにEUの免許証を取得しました。
取得方法・経緯の詳細は省きますが、発行の連絡があり市当局に行ったところ、日本の免許証との引き換えで公布するといわれました(実は、この情報はすでに知っていました)。「度々日本に帰るので、それでは困る」と言ったところ(これでうまくいったという人の情報があったので)、「大丈夫、そのたびにここに来れば交換してあげるよ」と言われ、結局、日本の免許証は預けました。
帰国に際し、免許証は返還しなければならなかったのですが、記念にそのまま持ち帰り、2029年まで有効期限のある免許証は手元にあります。
その後、ドイツに行ったときにレンタカーを借りようとしたところ、空港のレンタカー屋で、「この免許はなぜか入力してもはじかれてしまう」といわれ、結局その免許証で車を借りることはできませんでした(日本の国外免許証も携帯していたので、そちらで借りました。こちらも余談ですが、ドイツはオーストリアと異なり運転免許に関するジュネーブ条約締結国ではなく、2国間の個別の取決めによるようです。また、国外免許証は滞在期間が6ヶ月未満とされています)。
これは想像なのですが、住民登録が外れた後に、コンピュータネットワークで免許も失効してしまったのではないかと思っています。それ以来、その免許証で借りようとしていないので、たまたまなのかもしれませんが。
つまりは私も将来EU圏内のレンタカー会社を使った際に、「なぜか弾かれてしまう」などと言われる可能性が結構あるということなのですね。心の準備をしておこうと思います。感謝です…!