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所持金はすべて盗まれたけれど、私は元気です(キエフ)

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いまになって思えば、あのとき――空港から市内へのバスを降りて、ランダム・ウォークする子どもたちをスーツケース片手に叱りつけていたあのとき――妙な角度から私の財布が路上に落ちてきて、あわてて拾ったあのとき――私は正しく疑うべきだった。  けれども私は気づかなかった。「ポケットのボタンは閉めていたはずなのに、おかしいな」と思っただけだった。  なにが起きたかを理解したのは、ウクライナはキエフの地下鉄 ヴォグザーリナ駅 の窓口で、乗車カードを買おうとして財布を取り出したときだった。 「空っ・・・ぽ?」 「う 」 「うわああああああああっ!」 (撮影:当時5歳の息子)  「パパ、お金をBad Manに取られちゃったの?」  当時5歳の息子が言った。 「おかね、なくなった」  当時2歳の息子が言った。 「お金がなくなった」  当時36歳の私が言った。「地下鉄にも乗れなくなった」  私は餓えた狼のような目つきになって、 Bankomat (ヨーロッパのATM)を探し歩いた。  Bankomatは難なく見つかり、オーストリア銀行のカードも通用したが(日本のクレジットカードは駄目だった)、ここでひとつの問題が生じた。  銀行口座の残高が、 32ユーロ しかなかったのだ。  これは、どういうことか。  不逞の輩に、たちまち引き落とされてしまったのか。  そうではない。  私はこのころ給料の大半を日本の銀行に振り込んでおり、それなのにイランとトルクメニスタンへの旅行でお金を濫費してしまい(現地でスマホなどを衝動買いしたのが敗因だった)、さらには子どもたちの学費のまとまった支払いが重なり、十数年前の学生時代の再来とも称すべき金欠状態に陥っていたのだ。愚かさの冪乗が導く、必然の帰結であった。  窮地に追いやられた私は、国際機関に給料の前借りをお願いしたり(最終的に断られた)、また 「イラン・トルクメニスタンから無事に帰国したSatoru君を祝う会」 を自ら開催、同席者の会計をまとめてクレジット決済することで一時的な現金(ユーロ)を回収するなどして生きしのいでいた。  そうしてかき集めた現金も、いますべて盗まれてしまった。  そこで私は、マサチューセッツ工科大学のこ