ヤムチャはすぐ死ぬ、という世界の共通理解
「おっぱいって、なんですか」と私の奥さんに質問をしたのは、アウグストゥスくん(仮名)である。
外形的には、かなりの問題発言だ。出るところに出れば、懲戒免職ものだろう。
けれどもアウグストゥスくんは、オーストリア人の高校生である。息子が通う幼稚園では、園長先生の長男にあたる彼もときどきお手伝いをしている(させられている)のだ。
15歳の彼の口から発せられた質問は、だからセクハラ的なそれではない。「ワンパンマン」という漫画の主人公・サイタマが着用するパーカーに記された「OPPAI」の意味を、私の妻に素朴に問うたのだ。
その回答を妻から聞いたアウグストゥスくんは、赤面して謝ったという。
乱暴に要約すると、先生と親子が集まって、聖マーティン(に扮装した職員)からもらったパンを皆で分け合い、それからレストランでガチョウ料理を食べる。宗教観を抜きにしても、なかなかたのしい催しである。
この食事会で、例のアウグストゥスくんとはじめて言葉を交わす機会があった。これまでは専ら奥さんを通じた伝聞で、同氏が日本の漫画オタク(geek)であるとは知っていたが、逆もまた然りであったようで、私の姿を見るや向こうから距離を詰めてきた。
でも口火を切ったのは私の方だ。
「ドラゴンボールの日本語版をウィーン日本人学校のバザーで買ったんだけど、これを君にプレゼントするよ」
「えっ・・・ええっ!!!!!!?」
初手から大興奮のアウグストゥスくん。
ビックリマークの数も、思わずドラゴンボールみたいになってしまった。
アウグストゥスくんは、オーストリアのほとんどの高校生がそうであるように、日本語の読み書きがまったくできない。
しかし、前途洋々たる漫画オタクとしての彼は、ドラゴンボールの原書(つまり日本語版)に触れることを長らく切望していて、それはちょうどキリスト教の神学者がヘブライ語の旧約聖書を求めるようなものなのだ・・・といった趣旨を、私は奥さんを通じて仄聞していた。
こうした背景を見越した上での、私からの突然の謹呈オファー。これは欣喜せざるを得ない展開だろう。1冊1ユーロの古本でこんなに興奮してくれて、私としても非常に嬉しい。
「でもクリリンって、いつも殺されてますよね」と言ったのはアウグストゥスくんだ。
英文法の参考書に校正ミスで載ったみたいな、妙な引っかかりのある表現だ。
「それからヤムチャもね」
「そうそう」
主語が複数なので、be動詞が「are」となる。マーカーを引いておきたい箇所である。
ヤムチャ当人にとってみれば、風評被害もいいところである。だが事実として、「ヤムチャがすぐ死ぬ」というのは、もはや人種や国籍を超えた世界の共通理解となっているのだ。
外形的には、かなりの問題発言だ。出るところに出れば、懲戒免職ものだろう。
けれどもアウグストゥスくんは、オーストリア人の高校生である。息子が通う幼稚園では、園長先生の長男にあたる彼もときどきお手伝いをしている(させられている)のだ。
15歳の彼の口から発せられた質問は、だからセクハラ的なそれではない。「ワンパンマン」という漫画の主人公・サイタマが着用するパーカーに記された「OPPAI」の意味を、私の妻に素朴に問うたのだ。
その回答を妻から聞いたアウグストゥスくんは、赤面して謝ったという。
商品化もされたOPPAIパーカー(引用:ONE「ワンパンマン」16撃目) |
「バイブル」としてのドラゴンボール
オーストリアの11月11日は聖マーティンの日という祝日で、我が幼稚園でもキリスト教の故事にちなんだイベントがある。乱暴に要約すると、先生と親子が集まって、聖マーティン(に扮装した職員)からもらったパンを皆で分け合い、それからレストランでガチョウ料理を食べる。宗教観を抜きにしても、なかなかたのしい催しである。
この食事会で、例のアウグストゥスくんとはじめて言葉を交わす機会があった。これまでは専ら奥さんを通じた伝聞で、同氏が日本の漫画オタク(geek)であるとは知っていたが、逆もまた然りであったようで、私の姿を見るや向こうから距離を詰めてきた。
でも口火を切ったのは私の方だ。
「ドラゴンボールの日本語版をウィーン日本人学校のバザーで買ったんだけど、これを君にプレゼントするよ」
「えっ・・・ええっ!!!!!!?」
初手から大興奮のアウグストゥスくん。
ビックリマークの数も、思わずドラゴンボールみたいになってしまった。
「ドラゴンボールZ」の「Z」はアニメ版だけの呼称、という解説を必要とした |
アウグストゥスくんは、オーストリアのほとんどの高校生がそうであるように、日本語の読み書きがまったくできない。
しかし、前途洋々たる漫画オタクとしての彼は、ドラゴンボールの原書(つまり日本語版)に触れることを長らく切望していて、それはちょうどキリスト教の神学者がヘブライ語の旧約聖書を求めるようなものなのだ・・・といった趣旨を、私は奥さんを通じて仄聞していた。
こうした背景を見越した上での、私からの突然の謹呈オファー。これは欣喜せざるを得ない展開だろう。1冊1ユーロの古本でこんなに興奮してくれて、私としても非常に嬉しい。
「クリリンとヤムチャはいつも殺されます」
アウグストゥスくんの好みは、いわゆるジャンプ系の王道バトル漫画のようで、幽★遊★白書とか、BLEACHとか、青の祓魔師といった作品名が次々に出てくる。
でもやはりドラゴンボールは別格であるようだ。彼のお気に入りはフリーザ編というので「私が小学生のとき、クリリンがフリーザに殺されて、クラス中に衝撃が走ったんだよ」と話したところ、アウグストゥスくんが私を見るまなざしに、なにか異様なほど尊敬の念が現れてくるのであった。
さしづめ私にとっては、古今亭志ん生の高座を聞いた人とか、カルロス・クライバーの公演に間に合った人に対して湧き上がる感情に近いだろうか。「このレジェンドの目撃者よ!」という、叫びにも似た羨望の想いだ。
一時帰国時に、彼へのお土産を買った。たぶん「ビックリマン」は知らないだろうが |
「でもクリリンって、いつも殺されてますよね」と言ったのはアウグストゥスくんだ。
Krillin is always killed.
クリリンはいつも殺されています。
クリリンはいつも殺されています。
英文法の参考書に校正ミスで載ったみたいな、妙な引っかかりのある表現だ。
「それからヤムチャもね」
「そうそう」
Krillin and Yamcha are always killed.
クリリンとヤムチャはいつも殺されます。
クリリンとヤムチャはいつも殺されます。
主語が複数なので、be動詞が「are」となる。マーカーを引いておきたい箇所である。
「スーパーサイヤ人になるにはどうしたらいいか」
そういえばアメリカに留学していたときにも、熱心なドラゴンボールのファンがいた。
当時のクラスメートのサニィ(仮名)は、スキンヘッドの強面なアフリカ系アメリカ人なのだが、話してみるとくだけた奴で、「ヘイ、マン。おれはスーパーサイヤ人(Super Saiyan)になりたい。どうしたらいい?」というのが、彼から最初に話しかけられた言葉である。
「まずは髪の毛を生やしたら良いのではないか」という、いま考えると結構ひどい私のレスポンスにも笑って答えて、「髪の毛が無くても栽培マンには勝てる。おれはヤムチャより強くなれるぜ」と謎の自信。「なんたってあいつはすぐ死ぬからね」
He's easy to die, man?
あいつはすぐ死ぬからね。
あいつはすぐ死ぬからね。
ヤムチャ当人にとってみれば、風評被害もいいところである。だが事実として、「ヤムチャがすぐ死ぬ」というのは、もはや人種や国籍を超えた世界の共通理解となっているのだ。
このあと、死ぬ (引用:鳥山明「ドラゴンボール」18巻) |
アウグストゥスくんへの「課題図書」
アウグストゥスくんとひとしきり漫画談義に花を咲かせたのち、今後の「課題図書」の提示を求められたので、HUNTER×HUNTERと鬼滅の刃をおすすめしておいた。
けれども彼はHUNTER×HUNTERについて知らない様子で、どのような漫画かと訊かれた。そこで私は「幽★遊★白書と同じ作者だが、より残酷で、より趣味的で、より連載休止のインターバルの長い作品」という短評を述べた。うまくイメージが伝わったかどうか。
そしてアウグストゥスくんが大学生になった暁には、メジャーなジャンプ漫画に留まらず、アドルフに告ぐやらオルフェウスの窓やら無能の人やら、あるいは狂四郎2030やら野望の王国やら国民クイズやらを次から次へと推薦して、その人生観を穏やかに狂わせてあげたいものである・・・などと訳の分からないことを言ってくる日本のオタクとは決して付き合いを深めぬよう、厳格にアドバイスしておきたいものである。
サンクトペテルブルクの本屋で見かけた、キリル文字の「バクマン。」 |
コメント