息子が英語を話しはじめた
私が最も尊敬する同僚は、イラン人のMさんだ。
Mさんは、イランの大学を出てから、英国で博士号を取って、国際機関に入った。そこから実績を重ね、最終的にはDirector(日本の中央省庁でいえば審議官/部長クラス)に出世した。定年後はコンサルタントとして再雇用され、私の所属する部署に身を置いている。
これまで仕事で訪れた国は、ソ連とか、DDR(東ドイツ)とか、ユーゴスラビアとか、いまでは絶対に行けない国も含めて、実に119ヵ国という。大変な国際人なのである。
そんなMさんの持ち味は、人生の酸いも甘いも噛みわけた、注意深く濾された茶葉のようなユーモアセンスだ。
ある日、ギリシャ料理店でMさんは言った。
「ギリシャ・コーヒーを飲むとき、最も注意すべき点を知っているか?」
「なんでしょう」
「トルコ・コーヒーと言わないことだ。もし言えば、きみは店から追い出される」
「なるほど。でもトルコとギリシャのコーヒーは、そりゃあ違いますよね」
「いや、同じなんだけどね」
Mさんの話はつづく。
「ウィーンのカフェ文化は世界中で有名だ。でもそのコーヒーはどこから持ち込まれたか? オスマン帝国、つまりトルコだ。そしてトルコの文化はアラブに影響を受けた。アラブは誰に教わった? そう、ペルシャ(イラン)だよ。すべての道は、イランに通じるんだ」
「ははは」
「宗教も、戦争も、なにもかもね。世界を織りなす善と悪は、ぜんぶイランから来たんだ」
Mさんは、「子どもは同時に7種類の言語を学習できる」と信じている。マジックナンバー・セブンという言葉は聞いたことがあるけれど(人間の短期記憶は7つまでが限界という説)、そこからまたずいぶん踏み込んだ考えである。
「子どもの話し相手は、どんな場合でも同じ言語を使うようにすべき」とも彼は主張する。そうすれば子どもの脳に吸収されやすくなるというのだ。
これはどういうことか。たとえば、家庭内でMさんは、いつもペルシャ語で子どもに話しかけるようにしているという。そしてMさんの奥さんは、スペイン語だけを話すようにする。
シッターさんはドイツ語で、家に来るお客さんは英語・・・といった具合に、言語と人物を1対1対応させることで、子どもの無用な混乱を防ぎ、語学習得もスムースにゆくというのだ。
そして実際、Mさんの子どもはマルチリンガルな教養人として、立派に成人している。幼児教育の理論はときに実証が難しいけれど、ここでは少なくともサンプル数1(N=1)の成功例が提示されているのである。
家の中では、英語(一部ドイツ語)の絵本を読むときを除けば、私は子どもに日本語で話しかけている。奥さんも同様である。
しかし、ひとたび幼稚園に着けば、息子の言語は必然的に英語へと切り替わる。送り迎えをする奥さんと私も、その場ではもちろん英語を話す。だから、「1人につき1言語」というより「1つの場所では1つの言語」というのが我が家の実情に近い。
英語の幼稚園にいるなら、英語を使うのはあたりまえじゃないか、とあなたは思うかもしれない。でも必ずしもそうとは限らない。たとえば、息子と仲良しな韓国人のYくんは、英語の上達が明らかに遅い。その幼稚園には韓国人がほかにも数名いるので(ウィーンには韓国企業の支店が結構多い)、不得手な第二言語を話すインセンティブにどうしても欠けるのだ。
「語学留学したけど、同じ国の生徒とばかりつるんでいた」「なので全然上達しなかった」みたいなケースは大人でもよくある。だから幼稚園児がそうなるのも仕方がない。でも息子にとっては、幸か不幸か、そこには誰も日本人がいないので、がんばって英語でコミュニケートして、自力でサバイブしていくしかなかったのである。
幼稚園と子どもの相性は、かなりの部分「運」の要素が大きいと私は思う。うちの場合は、たまたま運がよかったのだ。スロットマシンを押したあとの、まったくの偶然の結果として、よき先生に恵まれ、よき学友に恵まれたのだ。
息子はまず、唱歌を通じて英語に親しんだ。
「Twinkle, Twinkle, Little Star」「Old MacDonald Had a Farm」「Bits of Paper」など、リストは続く。
幼稚園で教わった曲を、家に帰ってからもYoutubeで繰り返し繰り返し視聴する。そうして結果的に「ものすごく熱心に復習する生徒」みたいなことになって、長い歌詞もすらすら暗唱してしまう。
必然的に、私は息子をたくさん褒めてあげる。褒めて育てるのは大事なことだが、朝から晩まで大声で歌うようになって始末に負えないという面もある。朝の5時に、耳元で熱唱される(息子はなぜか私の耳元に口をつけて歌うことを好む)Twinkle, Twinkle, Little Starで強制的に起こされる日々が続く。こういう種類の拷問をなにかの映画で観たな、と思う。
驚いたのは、お兄ちゃんへの憧れを持つ2歳の息子も英語を喋るようになってきたことだ。食卓でオレンジジュースを手に取って、「Would you like orange juice?」などと私に薦めてくる。空に浮かぶ雲を見て「Would you like くも?」とも薦めてくる。それはもはや神の視点である。
息子が2人とも英語に慣れてきたのは喜ばしい。翻って、いま私が少し心配しているのは、上の息子がよく「正義」をふりかざすようになってきたことだ。
たとえば、私が家の中で裸で踊っていると、「It's not allowed!」とか「Satoru, stop it!」とか、頭ごなしに叱りつけてくる。いや、たしかに裸で踊っていた私の方に否があるのだが、5歳児に「Satoru!」と呼び捨てにされるのはあまり愉快なものではない。まあ、幼稚園の先生の真似をしたい気持ちはわからないでもないけれど。
そして彼の批判精神はすこぶる全方位的に発揮され、しばしば他の子どもと衝突を起こす。リンツに旅行したとき、木の棒を振り回して遊んでいた往来の子どもたちに「You are bad!」といきなり喧嘩を売ったこともあった。
Mさんは、イランの大学を出てから、英国で博士号を取って、国際機関に入った。そこから実績を重ね、最終的にはDirector(日本の中央省庁でいえば審議官/部長クラス)に出世した。定年後はコンサルタントとして再雇用され、私の所属する部署に身を置いている。
これまで仕事で訪れた国は、ソ連とか、DDR(東ドイツ)とか、ユーゴスラビアとか、いまでは絶対に行けない国も含めて、実に119ヵ国という。大変な国際人なのである。
そんなMさんの持ち味は、人生の酸いも甘いも噛みわけた、注意深く濾された茶葉のようなユーモアセンスだ。
ある日、ギリシャ料理店でMさんは言った。
「ギリシャ・コーヒーを飲むとき、最も注意すべき点を知っているか?」
「なんでしょう」
「トルコ・コーヒーと言わないことだ。もし言えば、きみは店から追い出される」
「なるほど。でもトルコとギリシャのコーヒーは、そりゃあ違いますよね」
「いや、同じなんだけどね」
Mさんの話はつづく。
「ウィーンのカフェ文化は世界中で有名だ。でもそのコーヒーはどこから持ち込まれたか? オスマン帝国、つまりトルコだ。そしてトルコの文化はアラブに影響を受けた。アラブは誰に教わった? そう、ペルシャ(イラン)だよ。すべての道は、イランに通じるんだ」
「ははは」
「宗教も、戦争も、なにもかもね。世界を織りなす善と悪は、ぜんぶイランから来たんだ」
7種類の言語
そんなMさんはベネズエラ人と結婚して、子どもにも恵まれた。Mさんは、「子どもは同時に7種類の言語を学習できる」と信じている。マジックナンバー・セブンという言葉は聞いたことがあるけれど(人間の短期記憶は7つまでが限界という説)、そこからまたずいぶん踏み込んだ考えである。
「子どもの話し相手は、どんな場合でも同じ言語を使うようにすべき」とも彼は主張する。そうすれば子どもの脳に吸収されやすくなるというのだ。
これはどういうことか。たとえば、家庭内でMさんは、いつもペルシャ語で子どもに話しかけるようにしているという。そしてMさんの奥さんは、スペイン語だけを話すようにする。
シッターさんはドイツ語で、家に来るお客さんは英語・・・といった具合に、言語と人物を1対1対応させることで、子どもの無用な混乱を防ぎ、語学習得もスムースにゆくというのだ。
そして実際、Mさんの子どもはマルチリンガルな教養人として、立派に成人している。幼児教育の理論はときに実証が難しいけれど、ここでは少なくともサンプル数1(N=1)の成功例が提示されているのである。
1つの場所では1つの言語
この成功例に照らして、我が家の状況はどうか。家の中では、英語(一部ドイツ語)の絵本を読むときを除けば、私は子どもに日本語で話しかけている。奥さんも同様である。
しかし、ひとたび幼稚園に着けば、息子の言語は必然的に英語へと切り替わる。送り迎えをする奥さんと私も、その場ではもちろん英語を話す。だから、「1人につき1言語」というより「1つの場所では1つの言語」というのが我が家の実情に近い。
英語の幼稚園にいるなら、英語を使うのはあたりまえじゃないか、とあなたは思うかもしれない。でも必ずしもそうとは限らない。たとえば、息子と仲良しな韓国人のYくんは、英語の上達が明らかに遅い。その幼稚園には韓国人がほかにも数名いるので(ウィーンには韓国企業の支店が結構多い)、不得手な第二言語を話すインセンティブにどうしても欠けるのだ。
「語学留学したけど、同じ国の生徒とばかりつるんでいた」「なので全然上達しなかった」みたいなケースは大人でもよくある。だから幼稚園児がそうなるのも仕方がない。でも息子にとっては、幸か不幸か、そこには誰も日本人がいないので、がんばって英語でコミュニケートして、自力でサバイブしていくしかなかったのである。
歌を覚えて英語に親しむ
そういうわけで、最初の頃こそ心細そうにしていた息子であったが、いまではすっかり慣れたようで、毎朝のテンションがやたら高い。海外に住む日本人の「そうではないケース」を知る私としては、これは素直に感謝をするほかない。幼稚園と子どもの相性は、かなりの部分「運」の要素が大きいと私は思う。うちの場合は、たまたま運がよかったのだ。スロットマシンを押したあとの、まったくの偶然の結果として、よき先生に恵まれ、よき学友に恵まれたのだ。
息子はまず、唱歌を通じて英語に親しんだ。
「Twinkle, Twinkle, Little Star」「Old MacDonald Had a Farm」「Bits of Paper」など、リストは続く。
幼稚園で教わった曲を、家に帰ってからもYoutubeで繰り返し繰り返し視聴する。そうして結果的に「ものすごく熱心に復習する生徒」みたいなことになって、長い歌詞もすらすら暗唱してしまう。
必然的に、私は息子をたくさん褒めてあげる。褒めて育てるのは大事なことだが、朝から晩まで大声で歌うようになって始末に負えないという面もある。朝の5時に、耳元で熱唱される(息子はなぜか私の耳元に口をつけて歌うことを好む)Twinkle, Twinkle, Little Starで強制的に起こされる日々が続く。こういう種類の拷問をなにかの映画で観たな、と思う。
息子が英語に慣れてきた
それから少し遅れて、英語の日常会話もだんだんできるようになる。あいさつからはじまり、自分の意図を伝える単文を作れるようになる。発音などはもう、私よりもずっとうまい。驚いたのは、お兄ちゃんへの憧れを持つ2歳の息子も英語を喋るようになってきたことだ。食卓でオレンジジュースを手に取って、「Would you like orange juice?」などと私に薦めてくる。空に浮かぶ雲を見て「Would you like くも?」とも薦めてくる。それはもはや神の視点である。
息子が2人とも英語に慣れてきたのは喜ばしい。翻って、いま私が少し心配しているのは、上の息子がよく「正義」をふりかざすようになってきたことだ。
たとえば、私が家の中で裸で踊っていると、「It's not allowed!」とか「Satoru, stop it!」とか、頭ごなしに叱りつけてくる。いや、たしかに裸で踊っていた私の方に否があるのだが、5歳児に「Satoru!」と呼び捨てにされるのはあまり愉快なものではない。まあ、幼稚園の先生の真似をしたい気持ちはわからないでもないけれど。
そして彼の批判精神はすこぶる全方位的に発揮され、しばしば他の子どもと衝突を起こす。リンツに旅行したとき、木の棒を振り回して遊んでいた往来の子どもたちに「You are bad!」といきなり喧嘩を売ったこともあった。
正しさを追求することは、もちろん人生において大切なことである。しかし、自らの正しさを信じて疑わないようになったり、その考えを無理に人に押しつけたりするようになったら、それはもはや正義ではない。人類が何度も犯してきた、あの大いなる過ちをなぞる行為にほかならないのだ。
そういうことを、5歳児にわかってもらうのは難しい。
こんなとき、漫画の力は偉大である。
藤子不二雄先生の作品はレジェンドである。
どっちも、
自分が
正しいと
思って
るよ。
戦争なんて
そんなもんだよ。
22世紀から来た猫型ロボットが、歴史の真理を一言で切り抜く。
すべての道がイランに通じるとしても、漫画の道(まんが道)は日本に通じるのだ。
そういうことを、5歳児にわかってもらうのは難しい。
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出所:「ドラえもん」1巻(てんとう虫コミックス) 「ご先祖さまがんばれ」より |
こんなとき、漫画の力は偉大である。
藤子不二雄先生の作品はレジェンドである。
どっちも、
自分が
正しいと
思って
るよ。
戦争なんて
そんなもんだよ。
22世紀から来た猫型ロボットが、歴史の真理を一言で切り抜く。
すべての道がイランに通じるとしても、漫画の道(まんが道)は日本に通じるのだ。
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