死ぬ前にここを思い出したい(ハルシュタット)
オーストリアの旅行ガイドには、
こんなものや、
こんなものや、
こんなものや、
こんなものなど、いかにも「アルプスの秘境」といった写真が並んでいる。
それらは、あまりに美しすぎて、あまりに幻想的すぎて、本当は実在しないのではないか、なにか肝心なところで騙されているのではないか、という胸騒ぎを起こさせる。
いざ行ってみたら、暴力団構成員みたいな人たちが、どこからともなく現れて、たこ殴りにされるのではないか。
不安は高まるばかりである。
けれども私は、「アルプスの秘境」としておそらく最も有名な場所へ、ひとつ覚悟を決めて行ってみることにした。
秘境は、しっかりと実在していた。騙されてはいなかった。暴力団構成員みたいな人たちがどこからともなく現れて、たこ殴りにされることもなかった。
たしかに美しく、幻想的だった。
いつか私が死ぬとき、ここで見た風景が、子どもたちと手をつないで見た風景が、まぶたの裏によみがえったらどんなに素敵だろうか。
ハルシュタット(Hallstatt)は、そう思わせるような場所だった。
駅を降りたあと、片道2.5ユーロの渡し舟で、村のある対岸に向かう。自動車のない時代には舟が唯一の交通手段だったというから、まさに秘境である。
ハルシュタットでは、Heritage Hotelに2泊した。ウィーンに来てから1年弱が経つけれど、一般のホテルに泊まるのは今回が初だ。1泊あたり206ユーロ。なかなかの料金である。
私の愛好するアパート型ホテルも探したのだが、ほとんど予約で埋まっている。わずかに空いていたところも、上記のホテルより若干高い。平地のスペースが限られているので、需要と供給のバランスが著しく偏っているのだろう。
Heritage Hotelは、互いに離れた3つの建物で構成されている。私が泊まったのは、Stocker Houseという築500年の家である。
説明書きを読むと、ハルシュタットに現存する一般家屋として最古のものとある。玄関には「皇帝フランツ・ヨーゼフ1世、ここに行幸す」みたいなことが刻まれている。
とんでもないところに来てしまった。
ここでもし、息子が漏らしたうんこが装飾品に付着したり、壁石に強烈な一打が加えられるなどして修復不能なダメージを与えてしまったら、どれほどの文化的損失が、どれほどの損害賠償請求が、我々にもたらされることだろう。
「くれぐれも慎重な行動を」と私は諭した。
「湖が見えるよ」「わああ」と息子たちは応えた。
暗い坑道を延々と歩くこのツアーには、4歳未満の子どもは参加できない。そこで、朝早く起きて、上の息子とふたりで出かけることにした。
ケーブルカーで急斜面を登った先では、霧がかった道を巨大ななめくじが這っている。秘密のトンネルに、秘密の線路がつながっている。いまはパパとふたり、ママと弟はおるすばん。5歳児の興奮ポイントが、ぎゅうぎゅうに詰まった状況となった。
ツアーの参加者は1組で40名ほどで、約8割はアメリカの高校生だった。私の働く国際機関でアメリカ英語を話すのは基本的にはアメリカ人だけなので、スラングにまみれたマシンガン的ネイティブ・イングリッシュに包囲されるのは実にひさしぶりである。まさかオーストリアの山奥の岩塩坑でそういうことになるとは思わなかったけれど。
この賑やかな若者たちは、Global Young Leaders Academyという高校生向けサマースクールの一環でハルシュタットに来ているという。プログラムの提供元は、ペンシルバニア大学ウォートン校。泣く子も黙る名門ビジネススクールである。
要するにエリートの卵たちの集団に巻き込まれたわけだが、「さすがはエリート」と感心したのは、ツアーのガイドさんが説明をはじめたとき、それまで大騒ぎしていた彼らがちゃんと静かになったことだ。いや、ばかにしているのではない。アメリカの高校生の集団を黙らせるのはツキノワグマを素手で倒すくらい難しいことを、私は知っているのである。
高校生たちとはすぐに打ち解けた。なにしろ幼児連れは我々だけなので、向こうから次々に話しかけてくる。坑夫たちが使用していた64メートルのすべり台(ヨーロッパ最長との由)を滑降したときも、「You're Brave!!」とか、「Yeaaaaah!!」とか、「Give Me Five!!」とか、とにかくもう感嘆符だらけの絶賛の嵐なのであった。アメリカのエリートは社会規範として「ナイスガイであること」を暗黙に要求される、という話をよく聞くけれど、それはしっかりと次世代にも引き継がれているようだ。
ツアーは1時間半の行程で、大人30ユーロ、子ども15ユーロ(往復のケーブルカー込み)。まあはっきり言って高い。とはいえ、参加した価値はあったと思う。
私にとっては、なかんずく、子どもが地学に興味を持つきっかけを得られたのがよかった。大昔に山が海の底にあったなんて、考えてみればむちゃくちゃな話だ。でもそのむちゃくちゃな話に(仮説に)狂った人たちの、発見と検証のはてしない往復運動によって、科学の歴史は一歩ずつ前進され、更新されてきたんだな。そこに人間という存在のすばらしさが、ある場合には救いというものがあるんだな・・・みたいなことを独りごちたところで、5歳児の関心を引くことはできない。けれども、岩石からしたたる水滴を口にふくんだときの激烈な塩辛さ、その驚愕、これは5歳児の心にも確実にインパクトするのである。
もうひとつ、私が訪れたのは納骨堂(Beinhaus)である。12世紀に建てられたこの納骨堂には、約1,200個の人骨が納められている。
市井の人の遺骨を集めた施設なら、ウィーンを含め、それこそヨーロッパ(キリスト教圏)の至るところにある。でもハルシュタットの納骨堂がきわだって異色なのは、ほとんど頭蓋骨だけが陳列されていることだ。
その理由は、やはり利用可能な土地の圧倒的な少なさにある。ハルシュタットの人びとは、墓地を買うのではなく、10年ほどの「リース契約」で、土葬する場所を借り上げる。そうして期限が来ると、頭蓋骨を取り出し、よく洗い、「日干し」をして、地元の職人が彩色をして、それから六畳一間のワンルームのように小さな納骨堂に運ばれるのである。
この特異な空間に身を置いてみて、私が率直に思ったのは、「ここは合理性と宗教性が衝突して空中分解する寸前のところで成り立った場所なのだな」ということだ。
つまり、実務的合理性(あるいは効率性)をひたすらに突き詰めてゆくなら、一定区域に押し込む遺体の数を最大化させるため、より細かく切り刻むとか、より徹底的に打ち砕くとか、どこか「耳塚」的な、「ホロコースト」的な、そういう発想が出てきてもおかしくはない。
けれども実際にそうならなかったのは、ぎりぎりのところでローマ・カトリックの宗教心が働いて、「粉々にしちゃったら最後の審判のときに復活できなくなって困るよね」「うーん」「どうするんだよ」「でも身体ぜんぶは無理だぜ」「じゃあ、頭の骨か」「うーん」みたいな議論がなされて(たぶん)、最終的にこのようなスタイルが選ばれたからではないだろうか。中世を生きたハルシュタットの人びとの、呻吟のはての現実解として。
もちろんこれは私の勝手な想像に過ぎない。でもそう考えると、この納骨堂がなぜ効率的でありながらこれほど静謐な空気に包まれているのかがわかるような気がする。
頭蓋骨たちは時代を呼吸した「しるし」のように注意深く保存されている。私たちはそこでしばし無言の対話の機会を与えられる。
日中のハルシュタットには、いろいろな国からいろいろな観光客が訪れる。ポーランド人、ハンガリー人、ドイツ人、インド人、中国人・・・。案内板の言語も多様である。
よく目立ったのは韓国人の姿だ。というのは、家族連れ and/or 団体ツアーがマジョリティを占めるなかで、韓国人はなぜか女の子だけの「女子旅」風ばかりなのである。
私が見かけたほぼ唯一の例外は、男1名+女3名という大学生っぽいグループだった。なんて羨ましいやつであろうか。私は「ゲスの極み乙女。」のボーカルによく似たその男をしばらく観察していたが、グループ内の人間関係はいまいち見えてこない。でもその川谷絵音はあとで私に「コンニチワ」と日本語で挨拶してくれたので、いいやつだということだけはわかった。
まあ川谷絵音はともかく、ハルシュタットは、韓国の女性になぜここまで支持されるのか。すぐに思いついたのは、なにかの韓国ドラマの舞台になったのかな、ということだ。休み明けに韓国人の同僚に聞いてみたら「Satoruさん、韓国人の誰もが韓国ドラマのファンだと思ってはいけないよ」と諭されてしまったので、ネットで検索したところ、やはり「春のワルツ」というドラマの重要な場面でハルシュタットが出てくるようであった。仮説は正しかったのだ。
ともあれ、ハルシュタットは、これ以上はないくらいにフォトジェニックなところである。「インスタ映え」のしない場所を探すほうが難しいくらいだし、なんなら歩いているだけでもfacebookの「いいね!」がもらえそうな勢いだ。だからポーズを決めたまま死後硬直のように動かなくなる人が続出するし、天を突きあげる自撮り棒の数もおびただしい。
そして私は「記念写真を撮る人」を撮るのが好きなので(悪趣味であることは自覚しております)、その観点からもハルシュタットは満足度の高いスポットなのであった。
しかし、もしあなたが人混みを避けたいのであれば、(今回我々がそうしたように)町の中心部に宿泊して、早朝か夜中に湖畔を歩くのがよいだろう。
これまで記してきたように、平地の少ないハルシュタットでは、ホテルの部屋数も限られている。だから鉄道や渡し舟が眠る時間帯には、観光客の数も一気に絞られるのだ。
そういう頃合いにハルシュタットの幻想的な町並みを歩くのは格別である。
ハルシュタット、よかったなあ。
死ぬ前にここを思い出したい。
こんなものや、
こんなものや、
こんなものや、
こんなものなど、いかにも「アルプスの秘境」といった写真が並んでいる。
それらは、あまりに美しすぎて、あまりに幻想的すぎて、本当は実在しないのではないか、なにか肝心なところで騙されているのではないか、という胸騒ぎを起こさせる。
いざ行ってみたら、暴力団構成員みたいな人たちが、どこからともなく現れて、たこ殴りにされるのではないか。
不安は高まるばかりである。
けれども私は、「アルプスの秘境」としておそらく最も有名な場所へ、ひとつ覚悟を決めて行ってみることにした。
秘境は、しっかりと実在していた。騙されてはいなかった。暴力団構成員みたいな人たちがどこからともなく現れて、たこ殴りにされることもなかった。
たしかに美しく、幻想的だった。
いつか私が死ぬとき、ここで見た風景が、子どもたちと手をつないで見た風景が、まぶたの裏によみがえったらどんなに素敵だろうか。
ハルシュタット(Hallstatt)は、そう思わせるような場所だった。
塩のある場所
オーストリアの湖水地帯ザルツカンマーグート(Salzkammergut)の深奥にあるハルシュタットは、人口800名にも満たない小さな村である。
こんなに住民が少ないのは、アルプスの山と湖の狭間にあって、まともな人間の住める平地がほとんどないからだ。
小さな家たちが、断崖を背に、ぎゅっとしがみつくようにして建っている。アスファルトの割れ目からしぶとく生えてくる雑草たち、という喩えは不適切かもしれないけれど、なんだかそういう趣きがある。
ハルシュタットの歴史は、意外にも古い。鉄器時代のはじめ、紀元前800年頃にケルト人が移り住んだ痕跡があるという。なぜこんな大変な土地にやってきたのか。それは、このあたり一帯から、品質のよい岩塩が採れたからだ(かつてアルプス山脈は海の底にあった)。
当時、塩はとても貴重だったので、ケルト人たちは裕福に暮らしていたようだ。ちなみに、ハル(Hall)はケルト語で「塩」、シュタット(Statt)はドイツ語で「場所」を意味する。
塩の採掘はまだ現役で、お土産屋さんなどで買うことができる。
ハルシュタットは、今も昔も、「塩のある場所」なのである。
築500年のホテルに泊まる
ウィーン中央駅からハルシュタットへは、国鉄ÖBBの快速でおよそ3時間30分。年間割引パス「Vorteilscard Family」を使えば片道26ユーロ(≒3,400円)の料金だ。子どもは無料なので、かなり割安といえる。駅を降りたあと、片道2.5ユーロの渡し舟で、村のある対岸に向かう。自動車のない時代には舟が唯一の交通手段だったというから、まさに秘境である。
ハルシュタットでは、Heritage Hotelに2泊した。ウィーンに来てから1年弱が経つけれど、一般のホテルに泊まるのは今回が初だ。1泊あたり206ユーロ。なかなかの料金である。
私の愛好するアパート型ホテルも探したのだが、ほとんど予約で埋まっている。わずかに空いていたところも、上記のホテルより若干高い。平地のスペースが限られているので、需要と供給のバランスが著しく偏っているのだろう。
Heritage Hotelは、互いに離れた3つの建物で構成されている。私が泊まったのは、Stocker Houseという築500年の家である。
説明書きを読むと、ハルシュタットに現存する一般家屋として最古のものとある。玄関には「皇帝フランツ・ヨーゼフ1世、ここに行幸す」みたいなことが刻まれている。
とんでもないところに来てしまった。
ここでもし、息子が漏らしたうんこが装飾品に付着したり、壁石に強烈な一打が加えられるなどして修復不能なダメージを与えてしまったら、どれほどの文化的損失が、どれほどの損害賠償請求が、我々にもたらされることだろう。
「くれぐれも慎重な行動を」と私は諭した。
「湖が見えるよ」「わああ」と息子たちは応えた。
Stocker Houseの最上階に泊まった |
「ドローン禁止」の張り紙。空撮したくなる気持ちはわからないでもないけど |
欧州系スーパー「SPAR」ハルシュタット店は、民家の地下蔵をそのまま使っている |
幼児連れの方には、名もなき小島(町の中心から徒歩10分)がおすすめ |
児童公園のはずなのに、なんだか現実世界から遊離しているような気配がある |
誇張されたような断崖絶壁。こういう場所で暮らすと、どんな気持ちになるのか |
岩塩坑ツアーに参加する
ハルシュタット観光の定番は、岩塩坑ツアー(SalzWelten)である。暗い坑道を延々と歩くこのツアーには、4歳未満の子どもは参加できない。そこで、朝早く起きて、上の息子とふたりで出かけることにした。
ケーブルカーで急斜面を登った先では、霧がかった道を巨大ななめくじが這っている。秘密のトンネルに、秘密の線路がつながっている。いまはパパとふたり、ママと弟はおるすばん。5歳児の興奮ポイントが、ぎゅうぎゅうに詰まった状況となった。
ツアーの参加者は1組で40名ほどで、約8割はアメリカの高校生だった。私の働く国際機関でアメリカ英語を話すのは基本的にはアメリカ人だけなので、スラングにまみれたマシンガン的ネイティブ・イングリッシュに包囲されるのは実にひさしぶりである。まさかオーストリアの山奥の岩塩坑でそういうことになるとは思わなかったけれど。
この賑やかな若者たちは、Global Young Leaders Academyという高校生向けサマースクールの一環でハルシュタットに来ているという。プログラムの提供元は、ペンシルバニア大学ウォートン校。泣く子も黙る名門ビジネススクールである。
要するにエリートの卵たちの集団に巻き込まれたわけだが、「さすがはエリート」と感心したのは、ツアーのガイドさんが説明をはじめたとき、それまで大騒ぎしていた彼らがちゃんと静かになったことだ。いや、ばかにしているのではない。アメリカの高校生の集団を黙らせるのはツキノワグマを素手で倒すくらい難しいことを、私は知っているのである。
高校生たちとはすぐに打ち解けた。なにしろ幼児連れは我々だけなので、向こうから次々に話しかけてくる。坑夫たちが使用していた64メートルのすべり台(ヨーロッパ最長との由)を滑降したときも、「You're Brave!!」とか、「Yeaaaaah!!」とか、「Give Me Five!!」とか、とにかくもう感嘆符だらけの絶賛の嵐なのであった。アメリカのエリートは社会規範として「ナイスガイであること」を暗黙に要求される、という話をよく聞くけれど、それはしっかりと次世代にも引き継がれているようだ。
ツアーは1時間半の行程で、大人30ユーロ、子ども15ユーロ(往復のケーブルカー込み)。まあはっきり言って高い。とはいえ、参加した価値はあったと思う。
私にとっては、なかんずく、子どもが地学に興味を持つきっかけを得られたのがよかった。大昔に山が海の底にあったなんて、考えてみればむちゃくちゃな話だ。でもそのむちゃくちゃな話に(仮説に)狂った人たちの、発見と検証のはてしない往復運動によって、科学の歴史は一歩ずつ前進され、更新されてきたんだな。そこに人間という存在のすばらしさが、ある場合には救いというものがあるんだな・・・みたいなことを独りごちたところで、5歳児の関心を引くことはできない。けれども、岩石からしたたる水滴を口にふくんだときの激烈な塩辛さ、その驚愕、これは5歳児の心にも確実にインパクトするのである。
納骨堂を訪れる
(閲覧注意:頭蓋骨の並んだ写真が出てきます)もうひとつ、私が訪れたのは納骨堂(Beinhaus)である。12世紀に建てられたこの納骨堂には、約1,200個の人骨が納められている。
市井の人の遺骨を集めた施設なら、ウィーンを含め、それこそヨーロッパ(キリスト教圏)の至るところにある。でもハルシュタットの納骨堂がきわだって異色なのは、ほとんど頭蓋骨だけが陳列されていることだ。
その理由は、やはり利用可能な土地の圧倒的な少なさにある。ハルシュタットの人びとは、墓地を買うのではなく、10年ほどの「リース契約」で、土葬する場所を借り上げる。そうして期限が来ると、頭蓋骨を取り出し、よく洗い、「日干し」をして、地元の職人が彩色をして、それから六畳一間のワンルームのように小さな納骨堂に運ばれるのである。
この特異な空間に身を置いてみて、私が率直に思ったのは、「ここは合理性と宗教性が衝突して空中分解する寸前のところで成り立った場所なのだな」ということだ。
つまり、実務的合理性(あるいは効率性)をひたすらに突き詰めてゆくなら、一定区域に押し込む遺体の数を最大化させるため、より細かく切り刻むとか、より徹底的に打ち砕くとか、どこか「耳塚」的な、「ホロコースト」的な、そういう発想が出てきてもおかしくはない。
けれども実際にそうならなかったのは、ぎりぎりのところでローマ・カトリックの宗教心が働いて、「粉々にしちゃったら最後の審判のときに復活できなくなって困るよね」「うーん」「どうするんだよ」「でも身体ぜんぶは無理だぜ」「じゃあ、頭の骨か」「うーん」みたいな議論がなされて(たぶん)、最終的にこのようなスタイルが選ばれたからではないだろうか。中世を生きたハルシュタットの人びとの、呻吟のはての現実解として。
もちろんこれは私の勝手な想像に過ぎない。でもそう考えると、この納骨堂がなぜ効率的でありながらこれほど静謐な空気に包まれているのかがわかるような気がする。
頭蓋骨たちは時代を呼吸した「しるし」のように注意深く保存されている。私たちはそこでしばし無言の対話の機会を与えられる。
頭蓋骨には、氏名、没年、月桂樹などの模様が印されている |
書籍の上に置かれた頭蓋骨は神父たちのものという |
湖のほとりを歩く
岩塩坑や納骨堂もすばらしかったが、やはりハルシュタットの最大の見どころは、湖に面した町の風景そのものである。日中のハルシュタットには、いろいろな国からいろいろな観光客が訪れる。ポーランド人、ハンガリー人、ドイツ人、インド人、中国人・・・。案内板の言語も多様である。
よく目立ったのは韓国人の姿だ。というのは、家族連れ and/or 団体ツアーがマジョリティを占めるなかで、韓国人はなぜか女の子だけの「女子旅」風ばかりなのである。
私が見かけたほぼ唯一の例外は、男1名+女3名という大学生っぽいグループだった。なんて羨ましいやつであろうか。私は「ゲスの極み乙女。」のボーカルによく似たその男をしばらく観察していたが、グループ内の人間関係はいまいち見えてこない。でもその川谷絵音はあとで私に「コンニチワ」と日本語で挨拶してくれたので、いいやつだということだけはわかった。
まあ川谷絵音はともかく、ハルシュタットは、韓国の女性になぜここまで支持されるのか。すぐに思いついたのは、なにかの韓国ドラマの舞台になったのかな、ということだ。休み明けに韓国人の同僚に聞いてみたら「Satoruさん、韓国人の誰もが韓国ドラマのファンだと思ってはいけないよ」と諭されてしまったので、ネットで検索したところ、やはり「春のワルツ」というドラマの重要な場面でハルシュタットが出てくるようであった。仮説は正しかったのだ。
ともあれ、ハルシュタットは、これ以上はないくらいにフォトジェニックなところである。「インスタ映え」のしない場所を探すほうが難しいくらいだし、なんなら歩いているだけでもfacebookの「いいね!」がもらえそうな勢いだ。だからポーズを決めたまま死後硬直のように動かなくなる人が続出するし、天を突きあげる自撮り棒の数もおびただしい。
そして私は「記念写真を撮る人」を撮るのが好きなので(悪趣味であることは自覚しております)、その観点からもハルシュタットは満足度の高いスポットなのであった。
しかし、もしあなたが人混みを避けたいのであれば、(今回我々がそうしたように)町の中心部に宿泊して、早朝か夜中に湖畔を歩くのがよいだろう。
これまで記してきたように、平地の少ないハルシュタットでは、ホテルの部屋数も限られている。だから鉄道や渡し舟が眠る時間帯には、観光客の数も一気に絞られるのだ。
そういう頃合いにハルシュタットの幻想的な町並みを歩くのは格別である。
ハルシュタット、よかったなあ。
死ぬ前にここを思い出したい。
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