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「世界の半分」でフライトキャンセルに喘ぐ(イスファハーン)

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テヘランを東京とするなら、 イスファハーン は京都である。  16世紀末に、サファヴィー朝のアッバース大帝がここを首都に定めた。技術の粋を凝らした宮殿、寺院、バザールがつくられ、後世の人びとに Esfahan nesfe jahan(イスファハーンは世界の半分) と言わしめた。賛辞はそのまま古都の代名詞となり、現在に至る。  世界の半分、イスファハーン。  ゲーム「ドラゴンクエスト」の最終ボス・ りゅうおう は、主人公に 「もし わしの みかたになれば せかいの はんぶんを XXXXに やろう」 と持ちかけて、日本全国の小学生に衝撃を与えた。  あのときの「せかいの はんぶん」とは、つまりイスファハーンのことだったのだ。 悩ましいオファー(画像提供:日本を支えるスーパー銀行員 Tさん) ※ これは 「経済制裁下のイランに、それでも行くべき3つの理由(テヘラン)」 の続篇ですが、この記事だけを読まれても特に支障はありません。 イランのご機嫌な正月ムード イスファハーンを散歩して、イランのご機嫌な正月ムードをたっぷり味わう。  バザールの回廊に、イマーム広場に、ザーヤンデ川のほとりに、おばあちゃんが、おとうさんが、ちびっこが、それぞれにひしめきあっている。歩くのをたのしむために歩いている。  イランの正月は日本でいう 春分の日 の時期にあって、だいたい1週間くらいは役所も学校もお休みになる。その間、人びとは実家に帰省したり、親戚の家を訪ねたり、子どもにお年玉をあげたり、寺院に行ってお参りをしたり、家で縁起物をお供えしたりする。露店では金魚やらお菓子やらを売っている。こう書くと日本とイランの違いがわからなくなってくる。  そしてまた日本と同じく 十二支 もあって、今年(=イラン暦1398年)は豚年なのだという。  ・・・「豚」?  あれっ、  イスラム教は、  豚って大丈夫なんだっけ?  心配になってイランの人に尋ねてみると、 これは大丈夫 、ということであった。  豚は「不浄の生き物」であるし、豚肉を食べるのは当然ながら禁忌だが(お酒は逮捕覚悟で隠れて飲んでいる人がわりにいるのだが)、干支の文脈における

経済制裁下のイランに、それでも行くべき3つの理由(テヘラン)

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イラン に行くには、それなりの覚悟が必要となる。  具体的には、イランと緊張関係にある国(例: イスラエル 、 サウジアラビア 、 アメリカ )に渡航する難易度が跳ね上がることを覚悟しなければならない。   イスラエルには昨年末に旅行したので 、「まあ仕方ないか」と思えるが、近い将来にサウジアラビア出張を控える身としては、苦しい展開が予想される。  そして、ユナイテッド・ステーツ・オブ・アメリカ。  私はこの国の大学院を卒業した。上の息子はこの国で生まれた。そのときの医療費は州政府が全額負担してくれた(我々は低所得世帯にカテゴライズされていた)。この国にはずいぶんお世話になった。これからお世話になる機会も必ずやあるだろう。  だが、イランの渡航歴を獲得したとき、私とアメリカの関係性は一変する。 アメリカ国籍を持つ男児の父 から、 テロリスト渡航防止法の対象者 に降格(または昇格)するのだ。 アメリカだけが世界ではない 「ウィーンに来て、はじめてアメリカを遠くに感じるようになった気がします」  何気なしにつぶやいた私の言葉に、ウィーンの某ホテルで朝食をご一緒した 寺島実郎 さんが不思議に感心されていたのを思い出す。  あれは他意のない素朴な実感を口にしたものだった。「反」やら「親」やらの二元論の冠がつかない領域で、 「アメリカだけが世界じゃないよな」 と、文字に起こすとなんだか当たり前すぎるようなことを、ウィーンで私は深く得心するに至ったのである。  そうした考えを、日々の生活のさなかに、少しずつ糸のようにより合わせ、伸ばしてゆき、その先端が指す方向を見つめてみる。そこに開けてくるものがあるのではないか。  このとき私の結論が出た。  これはもう、 イラン・イスラム共和国 に行くしかない。私の好奇心はテロリスト渡航防止法のリスクをすでに上回っていた。 ※ これは 「イラン政府からビザ申請を拒否された」 の続篇ですが、この記事だけを読まれても特に支障はありません。   テヘラン 、 イスファハーン 、 マシュハド の3都市を巡って、ひとつわかったことがある。「この国は最高におもしろい」ということだ。  イランは最高だ。  いや、イランがすばらしい国であろうことは