棒を持った人は、ショッピングモールに入れない(ニース、モナコ)
「フランスという国はね、誰からも愛されていないんだよ」と言ったのは、同僚のフランス人のTさんである。
ワールドカップの決勝戦を直前に控えた日のランチで、彼がこの画像を見せてくれた。
世界中の国はおろか、太陽系の惑星まで、みな一様にクロアチアを応援している。
そしてついには、
神さまもクロアチア支持を表明された。
みんな、フランスがきらいなのである。
どちらかといえば趣味の悪いジョークであるが(セルビアなどは反クロアチアだろうし)、みんな腹の底ではこういう危ないジョークがだいすきだ。これは、私が国際機関で学んだことのひとつである。
フランスの人たちは(と、一般論のように語るべきではないと承知しつつ、私が知己を得たn=20程度のサンプル数でいえば)、自虐のみならず、他の国をばかにするのもだいすきだ。
「ドイツ? ああ、あの蛮族たちの国ねぇ」
悪口のスケールが、ローマ帝国時代にまで及んでいる。
日本では京都の人たちに似たものを感じるが(なにしろ「この前の戦争」が応仁の乱のことだったりするから)、ヨーロッパでは全域にわたって歴史と文化がふかふかの腐葉土のように積もっていて、そのなかでも飛びぬけて栄養満点の土壌がフランスなのである。
たとえば、文学ひとつとっても、ラブレーがいて、ユーゴーがいて、サドがいて、セリーヌがいて、バルザックがいて、スタンダールがいて、プルーストがいて、クノーがいて、カミュがいる。糞尿から前衛まで。この振れ幅の広さはただごとではない。
最初に想定していたのは、シュヴァルの理想宮だ。これは、とある無名の郵便配達夫が43歳になってから石を拾い集めて、給料をまるごとセメント購入に充てて、そこから33年をかけて独りで完成させた「宮殿」である。私はこういう話がだいすきで、ぜひ現物を見たかった。
しかしまあ、さすがにこれは個人の趣味にすぎるというか、少なくとも幼児連れの家族旅行に最適なスポットとは言えないだろう。
そこで私は「宮殿」行きを断念し、息子たちから意見(パブリックコメント)を募った。
得られた要望は、「ビーチに行きたい(5歳児)」「うみ(2歳児)」というものだった。
なるほど、マルタやフエルテベントゥラ島への旅は、息子たちにとってよほど鮮烈な体験であったようだ(オーストリアは内陸国なので、海を見るという行為自体が貴重である)。
そういえば先日、私が遊んでいたドラクエ11(3DS版)に出てくる海上都市・ダーハルーネを見た5歳の息子が、「あっ、ここはヴェネツィアだね!」と言った。ヴェネツィアには1年前に訪れたきりなのだが、幼児の記憶力にはなかなか侮れないものがあるようだ。
でもまあ、海を渇望しているのは私も同じである。最後に海を見たのは、夏休みに旅行したヘルシンキだったか。その以前にも遡れば、だいたい四半期に一度くらいの間隔で海に行っている計算になる。
そろそろ海に行く必要があるなあ、と私は思った。いま「必要がある」という言葉が自然に出てきたけれど、小笠原諸島の母島で幼少期を過ごした私は、定期的に海を眺めて、心のなかの何かを鎮静させなければならない。生きていく上で、そういうプロセスが必要なのだ。
とはいえ、フランスで海を見る、という「検索条件」だけでは行き先をほとんど絞れないのも事実である。でもここは直感的にニースを選んだ。近隣にモナコがあって、世界で2番目に小さいこの国にも電車で気軽に行けるらしい、と仄聞したからだ。
小雨が続いて天気には恵まれなかったが、気温は15℃~20℃ほどで、半袖で歩いている人も珍しくない。海沿いの道には椰子の木たちが元気に茂っている。
「おいおい、ニースってこんなに南国みたいだったのか」と驚いた。もちろんそれで不満はない(あるわけがない)。オールオーケー、没问题、Très Bienなのである。
コート・ダジュール空港(Aéroport Côte d'Azur)からニース市内へは、98番・99番の空港直結バスに乗って約20分、片道6ユーロである。
でも我々はこのバスには乗らずに、52番の通常バス(ちゃんと「空港駅」もある)で市内に行った。これだと片道1.5ユーロで、ずいぶん安い(幼児は無料)。
1.5ユーロのバスは、地元民が普段使いしているだけあって、巨大なスーツケースを持った人はドライバーから乗車拒否される。実際に観光客が容赦なく追い出されていた。
でも我々は(いつものように)機内持ち込み可能なスーツケース2つだけで来ているので、すんなり乗ることができた。荷物が少ないと得をする場面が多いよなと、改めて実感した次第である。まあせこい話ではあるのだけれど。
今回宿泊した場所は、Apartment Unikという家具つきのアパート型ホテル。市内中心部に立地して、45平米の1LDKの2ベッドで、息子たちとかくれんぼもできる広さ。それで4人あわせて1泊8,900円というから悪くない。
でもこのホテルの欠点は、我々の部屋が交差点に面した角部屋だったせいか、夜半にもわりに騒音が漏れてきたことだ。外から「うぅぅ、うぅぅ」などという地縛霊のうめき声みたいなのが聞こえてきて、こわくなって窓を開けたらハトの鳴き声だったりした。
あるいは、これも夜中に「ブォォォ、オォォォオン!」というバイクの爆音で起こされて、「南仏にも暴走族はいるんだ」との気づきを得られた。なんというか、ニースと千葉県市原市の違いがだんだんわからなくなってくるような、貴重な体験ではあった。
このビーチは、ほとんど小石でできている。砂のビーチをたのしむならバスや電車で20分くらいかけてヴィルフランシュ(Villefranche)などに足を運ぶ選択肢もあったが、息子たちは特に不満もなく、ひたすらこの近所のビーチに親しんでいた。一応ここにも(ごく一部だが)砂のスポットがあるにはあるのだ。
朝起きてビーチ、昼間にビーチ、夕方にビーチ、寝る前にビーチ。子どもたちの要望はどこまでもビーチ、ビーチ、ビーチ。ビッチビチのビーチである。奥さんはまもなく音を上げて、旅の終盤では、息子と私だけでひたすらビーチを練り歩いていた。
外気は暖かくとも、10月末の海はさすがに冷たくて、水中に入る気にはならない(それでも泳いでいる人がたまにいたけど)。
それで息子たちが何をするかといえば、ただ波を追いかけて、波から逃げて、これを何度も何度も、飽きずにはしゃいで繰り返している。まったく幼児というのはすごい生き物である。
海岸線から臨む地中海は、どこまでも穏やかに見える。「なるほど、この先にアルジェリアとコルシカ島があるのだな」と私は思った。
そうして、最近知り合ったアルジェリア人の外交官Mさんのこと、フランスがアルジェリアを領有していたこと、コルシカ島出身のナポレオン・ボナパルトのこと、あるいはコルシカ島でいま再びフランスからの独立気運が高まっているらしいことなどを、あてもなく考えた。
もう少しだけ旅程を長くして、わりに退屈だったモナコではなく(すみません)、ニース港からフェリーが出ているコルシカ島を訪れるべきだったか、とちょっぴり後悔したりもした。
息子がいつのまにか木の棒を拾って、これを「相棒」として肌身離さず手にしている。
「汚いから捨てなさい」と言っても聞く耳を持たない。無理に捨てさせようとすると、ついには泣き出してしまう。私にも身の覚えのある、男の子にありがちな展開である。
それから地元のショッピングモールCAP3000に行ったら、警備員に入店を拒否された。私のリュックサックから顔を覗かせている木の棒が、テロリストの武器だと誤解されたのだ。
「木の棒をお持ちの方はショッピングモールには入れません」と警備員は言った。なるほどそうか、と私は思った。木の棒を持った人は、ショッピングモールには入れないのだ。
ぐっとくる街の必要条件とはなにか。それはたとえば、
(1)歩行者用の「道幅」に多様性がある。
⇒ 大通りもあれば、狭い路地もある。
(2)料理店の「価格帯」に多様性がある。
⇒ 清潔で高級なレストランもあれば、汚くて安くてうまい飯屋もある。
(3)道行く人の「風貌」に多様性がある。
⇒ バックパッカー風の白人も、好々爺のアジア人も、貧乏で健康な黒人もいる。
といったものである。心地よいノイズ感というか、滋養のある「ごった煮」感というか。もう1ブロック、2ブロック先にはきっと違う風景が待ち受けているぞ、という仄かな期待が、私の足をドライブさせる。そういう旅は、たのしい旅である。
ニースの街も、海沿いの洗練された観光区画だけで閉じずに、旧市街の自然発生的な路地裏世界や、ニース市駅(Gare de Nice-Ville)の南側あたりの見るからに猥雑なエリアもあって(そういうところで食べるエスニックなジャンクフードのうまさよ!)、GDPや平均年収では計測できない豊かさをそこに感じる。千葉県市原市みたいな暴走族がいるのも仕方ないよな、と寛容な気持ちになる・・・かどうかは別の問題で、やはりヒトの平和な睡眠を妨害する不逞の輩には然るべき罰が下ってほしいと思う(大事な会議の日に寝坊するとか)。
ワールドカップの決勝戦を直前に控えた日のランチで、彼がこの画像を見せてくれた。
引用:Polemical Polish memes |
世界中の国はおろか、太陽系の惑星まで、みな一様にクロアチアを応援している。
そしてついには、
引用:Polemical Polish memes |
神さまもクロアチア支持を表明された。
みんな、フランスがきらいなのである。
ふかふかの腐葉土のように積もっている
これは、もちろんジョークである。どちらかといえば趣味の悪いジョークであるが(セルビアなどは反クロアチアだろうし)、みんな腹の底ではこういう危ないジョークがだいすきだ。これは、私が国際機関で学んだことのひとつである。
フランスの人たちは(と、一般論のように語るべきではないと承知しつつ、私が知己を得たn=20程度のサンプル数でいえば)、自虐のみならず、他の国をばかにするのもだいすきだ。
「ドイツ? ああ、あの蛮族たちの国ねぇ」
悪口のスケールが、ローマ帝国時代にまで及んでいる。
日本では京都の人たちに似たものを感じるが(なにしろ「この前の戦争」が応仁の乱のことだったりするから)、ヨーロッパでは全域にわたって歴史と文化がふかふかの腐葉土のように積もっていて、そのなかでも飛びぬけて栄養満点の土壌がフランスなのである。
たとえば、文学ひとつとっても、ラブレーがいて、ユーゴーがいて、サドがいて、セリーヌがいて、バルザックがいて、スタンダールがいて、プルーストがいて、クノーがいて、カミュがいる。糞尿から前衛まで。この振れ幅の広さはただごとではない。
はじめてのフランス訪問は、パリ、2015年。自撮り棒が人気でびっくりした |
出張で来ていたが、上司を放置して「バルザックの家」に行った |
パリも悪くなかったが、その後に訪れた南仏の街・トゥールーズは最高だった |
四半期に一度は海を見る必要がある
そんなわけで、ウィーンに住んでからも、フランスにはどこかで必ず訪れたいと思っていた。最初に想定していたのは、シュヴァルの理想宮だ。これは、とある無名の郵便配達夫が43歳になってから石を拾い集めて、給料をまるごとセメント購入に充てて、そこから33年をかけて独りで完成させた「宮殿」である。私はこういう話がだいすきで、ぜひ現物を見たかった。
しかしまあ、さすがにこれは個人の趣味にすぎるというか、少なくとも幼児連れの家族旅行に最適なスポットとは言えないだろう。
そこで私は「宮殿」行きを断念し、息子たちから意見(パブリックコメント)を募った。
得られた要望は、「ビーチに行きたい(5歳児)」「うみ(2歳児)」というものだった。
なるほど、マルタやフエルテベントゥラ島への旅は、息子たちにとってよほど鮮烈な体験であったようだ(オーストリアは内陸国なので、海を見るという行為自体が貴重である)。
マルタの離島・コミノ島。いま思い出しても最高だった |
そういえば先日、私が遊んでいたドラクエ11(3DS版)に出てくる海上都市・ダーハルーネを見た5歳の息子が、「あっ、ここはヴェネツィアだね!」と言った。ヴェネツィアには1年前に訪れたきりなのだが、幼児の記憶力にはなかなか侮れないものがあるようだ。
でもまあ、海を渇望しているのは私も同じである。最後に海を見たのは、夏休みに旅行したヘルシンキだったか。その以前にも遡れば、だいたい四半期に一度くらいの間隔で海に行っている計算になる。
そろそろ海に行く必要があるなあ、と私は思った。いま「必要がある」という言葉が自然に出てきたけれど、小笠原諸島の母島で幼少期を過ごした私は、定期的に海を眺めて、心のなかの何かを鎮静させなければならない。生きていく上で、そういうプロセスが必要なのだ。
とはいえ、フランスで海を見る、という「検索条件」だけでは行き先をほとんど絞れないのも事実である。でもここは直感的にニースを選んだ。近隣にモナコがあって、世界で2番目に小さいこの国にも電車で気軽に行けるらしい、と仄聞したからだ。
ウィーンからニースへは、飛行機で1時間50分 |
もちろんそれで不満はない
我々がニースを訪れたのは、サマータイムも終わろうとする10月末のことだ。小雨が続いて天気には恵まれなかったが、気温は15℃~20℃ほどで、半袖で歩いている人も珍しくない。海沿いの道には椰子の木たちが元気に茂っている。
「おいおい、ニースってこんなに南国みたいだったのか」と驚いた。もちろんそれで不満はない(あるわけがない)。オールオーケー、没问题、Très Bienなのである。
ニースの海岸は空港に近く、離発着する飛行機が頻繁に見られる。子どもたちも大喜び |
コート・ダジュール空港(Aéroport Côte d'Azur)からニース市内へは、98番・99番の空港直結バスに乗って約20分、片道6ユーロである。
でも我々はこのバスには乗らずに、52番の通常バス(ちゃんと「空港駅」もある)で市内に行った。これだと片道1.5ユーロで、ずいぶん安い(幼児は無料)。
1.5ユーロのバスは、地元民が普段使いしているだけあって、巨大なスーツケースを持った人はドライバーから乗車拒否される。実際に観光客が容赦なく追い出されていた。
でも我々は(いつものように)機内持ち込み可能なスーツケース2つだけで来ているので、すんなり乗ることができた。荷物が少ないと得をする場面が多いよなと、改めて実感した次第である。まあせこい話ではあるのだけれど。
市内では縦横無尽にバスが走る(逆にトラムは1路線しかない) |
今回宿泊した場所は、Apartment Unikという家具つきのアパート型ホテル。市内中心部に立地して、45平米の1LDKの2ベッドで、息子たちとかくれんぼもできる広さ。それで4人あわせて1泊8,900円というから悪くない。
でもこのホテルの欠点は、我々の部屋が交差点に面した角部屋だったせいか、夜半にもわりに騒音が漏れてきたことだ。外から「うぅぅ、うぅぅ」などという地縛霊のうめき声みたいなのが聞こえてきて、こわくなって窓を開けたらハトの鳴き声だったりした。
あるいは、これも夜中に「ブォォォ、オォォォオン!」というバイクの爆音で起こされて、「南仏にも暴走族はいるんだ」との気づきを得られた。なんというか、ニースと千葉県市原市の違いがだんだんわからなくなってくるような、貴重な体験ではあった。
「FREXIT」なんていうフレーズがあるんですね |
早朝に5歳児と散歩して、マルシェ(市場)を見つけた |
とにかくビーチにさえいれば満足である
旧市街を歩いたり、シャトーの丘(Colline du Château)に登ったり、美しいニースをのんびりと満喫した我々だったが、いちばん長く過ごしたのは、初心貫徹というか、やはり7kmにもわたるビーチそのものであった。このビーチは、ほとんど小石でできている。砂のビーチをたのしむならバスや電車で20分くらいかけてヴィルフランシュ(Villefranche)などに足を運ぶ選択肢もあったが、息子たちは特に不満もなく、ひたすらこの近所のビーチに親しんでいた。一応ここにも(ごく一部だが)砂のスポットがあるにはあるのだ。
朝起きてビーチ、昼間にビーチ、夕方にビーチ、寝る前にビーチ。子どもたちの要望はどこまでもビーチ、ビーチ、ビーチ。ビッチビチのビーチである。奥さんはまもなく音を上げて、旅の終盤では、息子と私だけでひたすらビーチを練り歩いていた。
外気は暖かくとも、10月末の海はさすがに冷たくて、水中に入る気にはならない(それでも泳いでいる人がたまにいたけど)。
それで息子たちが何をするかといえば、ただ波を追いかけて、波から逃げて、これを何度も何度も、飽きずにはしゃいで繰り返している。まったく幼児というのはすごい生き物である。
海岸線から臨む地中海は、どこまでも穏やかに見える。「なるほど、この先にアルジェリアとコルシカ島があるのだな」と私は思った。
そうして、最近知り合ったアルジェリア人の外交官Mさんのこと、フランスがアルジェリアを領有していたこと、コルシカ島出身のナポレオン・ボナパルトのこと、あるいはコルシカ島でいま再びフランスからの独立気運が高まっているらしいことなどを、あてもなく考えた。
もう少しだけ旅程を長くして、わりに退屈だったモナコではなく(すみません)、ニース港からフェリーが出ているコルシカ島を訪れるべきだったか、とちょっぴり後悔したりもした。
息子がいつのまにか木の棒を拾って、これを「相棒」として肌身離さず手にしている。
「汚いから捨てなさい」と言っても聞く耳を持たない。無理に捨てさせようとすると、ついには泣き出してしまう。私にも身の覚えのある、男の子にありがちな展開である。
それから地元のショッピングモールCAP3000に行ったら、警備員に入店を拒否された。私のリュックサックから顔を覗かせている木の棒が、テロリストの武器だと誤解されたのだ。
「木の棒をお持ちの方はショッピングモールには入れません」と警備員は言った。なるほどそうか、と私は思った。木の棒を持った人は、ショッピングモールには入れないのだ。
ぐっとくる街の必要条件を満たしている
今回の旅行ではほとんど観光名所や博物館の類には行かなかったが、でもニースは私にとって「ぐっとくる」街であった。その必要条件をしっかり満たしていた。ぐっとくる街の必要条件とはなにか。それはたとえば、
(1)歩行者用の「道幅」に多様性がある。
⇒ 大通りもあれば、狭い路地もある。
(2)料理店の「価格帯」に多様性がある。
⇒ 清潔で高級なレストランもあれば、汚くて安くてうまい飯屋もある。
(3)道行く人の「風貌」に多様性がある。
⇒ バックパッカー風の白人も、好々爺のアジア人も、貧乏で健康な黒人もいる。
といったものである。心地よいノイズ感というか、滋養のある「ごった煮」感というか。もう1ブロック、2ブロック先にはきっと違う風景が待ち受けているぞ、という仄かな期待が、私の足をドライブさせる。そういう旅は、たのしい旅である。
狭い路地とiPadの容量は、多ければ多いほどよい(※個人の感想です) |
ニースの街も、海沿いの洗練された観光区画だけで閉じずに、旧市街の自然発生的な路地裏世界や、ニース市駅(Gare de Nice-Ville)の南側あたりの見るからに猥雑なエリアもあって(そういうところで食べるエスニックなジャンクフードのうまさよ!)、GDPや平均年収では計測できない豊かさをそこに感じる。千葉県市原市みたいな暴走族がいるのも仕方ないよな、と寛容な気持ちになる・・・かどうかは別の問題で、やはりヒトの平和な睡眠を妨害する不逞の輩には然るべき罰が下ってほしいと思う(大事な会議の日に寝坊するとか)。
ニースからモナコへは電車が出ていて、片道8.2ユーロ(幼児は無料) |
第一印象は「旬を過ぎたリゾート地」。日本でいえば熱海あたりか(秘宝館はないけど) |
モナコ海洋博物館の屋上に遊具がある。息子たちが最も喜んだのがここだった |
この屋上から、モナコの「国土」がおおよそ一望できてしまう |
差別ではないが、区別をしている
ニースからの帰路、コート・ダジュール空港にてパスポート・コントロール(出入国審査)があった。シェンゲン協定国へのフライトで審査を受けるのは、これがはじめてのことだ。
待合室の立て札には、審査を要する行き先とそうでない行き先のリストがあって、ウィーンは「要審査」のカテゴリとある。どのような基準で区分けしているのか、法則性はわからないままだった(セキュリティエリアなので撮影できなかった)。
また、フライトを待つ間にラウンジに行ったら(註:私は日本でANAスーパーフライヤーズカードを作ってきたので、スターアライアンス系列の航空会社ならエコノミークラスでもビジネスラウンジに入れる)、我々以外の利用客がほぼ全員白人であった。
そういう状況はちょっと新鮮だなあ(普通はもっといろんな人種がいるので)、と思いつつラウンジ階行きエレベーターの表記を見ると、
「アルジェリア、レバノン、モロッコ、チュニジア・・・(中略)・・・米国、ロシア行きのフライトを利用される方は、こちらではなく【ゾーンB】のラウンジをご利用ください」
といった意味のことが書かれていた。
なるほど、そうやって「区別」をしているのね、と私は思った。
遠距離フライトの搭乗客は別の区画に誘導する。ロジックは正当なもので、これを「差別」だと糾弾するのは難しいだろう。そしてその結果として、【ゾーンA】のラウンジには欧州の白人富裕層が集中することになる。あくまで「結果として」。
「フランスという国はね、誰からも愛されていないんだよ」と言ったのは同僚のフランス人のTさんである。
これはもちろんジョークである。どちらかといえば趣味の悪いジョーク。
趣味の良し悪しはともかく、これがジョークの領域に収まり続けることを願いたい。
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