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村上春樹の力を借りて、デイリーポータルZの記事を書く

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デイリーポータルZ のライターになった。   コソボ旅行の処女作 を経て、今度は 「村上春樹の真似をして、僕と同じ名の場所に行く」 という記事を書いた。  自らの名を冠する場所に出かけたのは、村上春樹だけではない。これはデイリーポータルZの伝統的なネタでもある(例: 「自分の名前の町へ行く」 、 「自分と同じ名前の「乙幡榎」を見に行った」 )。  ザ・ビートルズ をカバーする ノエル・ギャラガー のような気持ちになって、私はハンガリーまで足を運んだ。    オチンコのなぞ ブダペストはよいところである。  温泉があり、王宮があり、地下迷宮があり、庭園がある。牛肉とパプリカを煮込んだグヤーシュがあり、トカイ・ワインとフォアグラの組み合わせがあり、生ビールと哄笑の組み合わせがある。物価がウィーンの「七掛け」ほどなのも嬉しい。 ブダ(西側) も ペスト(東側) も、ゆっくり時間をかける価値がある。    我が家はこの古都へ夏に行き、秋に再訪した。  そして私が理解したのは、 ブダペスト動物園 は、(ガイドブックの類にはなぜかあまり紹介されていないが)ヨーロッパのなかでも最高クラスの、子どもを興奮させる仕掛けに満ちた、すばらしい動物園だということだ。  けれどもひとつ奇妙なことがあった。  動物園で 「オチンコ~」 と言い出した6歳の息子を叱責したところ、「だってあの子がそう言ってるよ」との弁解、まさかそんなわけないだろうと疑った矢先に、ハンガリーで出生したとおぼしき幼い男児が 「オチンコ~、 オチンコ~ 」 と、なるほどそのように聞こえる発声で、どこか切なげに繰り返していたことである。   「ある国で普段使いされる単語が、べつの国では卑猥な意味を持つ」 というのは、しばしば語られるエピソードである(例:宴席の歌唱で日本人が「ホイ、ホイ」と合いの手を入れたらロシア人が爆笑)。  だが、そう思って翻訳アプリなどで調べても、マジャール語で「オチンコ」に類する発音の単語は見つからない。あるいは固有名詞なのだろうか。だれかの人の名前とか。 出所:Wikipedia 「ショーン・オチンコ」  「せっかくの貴重な休日に、おれはいったい何を書いているのか」と自問し

可愛い子どもと旅をしよう

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「パパ、ロンドンってアジアなの?」 と、6歳児が言った。  なかなか独自性のある質問だ。  ちがうよ、ロンドンはヨーロッパだよ、と答えたあと、逆に私は訊いてみた。 「どうしてアジアだと思ったの?」 「だって、日本と同じで、ここは車が左側通行だから」 「パパ、イランって、アメリカと喧嘩しているの?」 と、6歳児が言った。  なかなか直球の質問だ。 「うーん、そうだね。仲は良くないね。というか、かなり悪いね」 「トルコとイランも仲が悪いの?」と息子が尋ねる。彼にはトルコ人の級友がいるのだ。 「あんまり良くはないかな」と私は言う。トルコ製のビールがイランに密輸入されていたり、ほかにも水面下で利害が一致している話をしようと思ったが、やっぱりやめた。私にも少しは分別がある。 「それじゃあ、アメリカとトルコは仲がいいんだ」 と息子がひとりでに納得した。「だって、同じ人と喧嘩している同士は、自然と仲良しになるからね」  私はうなった。それは外交の本質であるように思われたからだ。   行き先を決めずに電車に乗る旅 をして、よくわからない駅で下車をする。Googleで調べてもウィキペディア・ドイツ語版くらいしかヒットしない、よくわからない町を散歩する。  その日は(2kmほど離れた)次の駅まで歩くことにした。最短距離の3倍弱の寄り道をして、もうすぐ日が暮れようとする頃合いになって、ようやくゴールが見えてきた。 「さて、どっちがウィーン行きのホームかな」とつぶやいた私に、6歳の息子は迷いなく片方を指さした。 「パパ、行きは右側の線路で降りたから、帰りはきっと左側だよ」 羞恥の念 私はいま、恥ずかしい気持ちになっている。ここまで息子自慢みたいなことを書き連ねていることに気がついて、とても恥ずかしい気持ちになっている。  我が子を誇るのは本題にあらず。というより、むしろ息子は年齢相応の(あるいは性別相応の)不注意をたくさんしでかす。  彼の名誉のためにここには書かないが、パンツの上にべつのパンツを履いたまま通学したり(帰宅まで気づかない)、ジャケットの上にべつのジャケットを着たまま通学したり、ミトンを買った2日後に電車に置き忘れたりする。愛すべき平凡な男の子である。  私

「コソボであそぼ」アウトテイクス

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(これは、 デイリーポータルZ への寄稿記事 「コソボであそぼ、子どもとあそぼ ~子連れでたのしむコソボ旅行~」 で使われなかったエピソードをまとめたものです。本稿だけでも完結した読みものになっていますが、併せてご覧いただくと、より複層的な味わいが醸し出されるかもしれません) ホテルの予約が消滅した コソボでは、物価も安いがホテルも安い。  4人家族に適したアパート型ホテルでも、1泊30ユーロ台からある。内装も立地も悪くない。北欧だったら1泊200ユーロは取られるだろう。  このときはBooking.comで予約した。ただしアパート型ホテルには受付がないケースが多いので――なにしろ普通の民家を間借りしているので――事前の連絡が肝要となる。  コソボに到着する前々日に、確認のメッセージを大家さんに送った。  「予約済みのSatoruです。明後日からよろしく。鍵はどこで受け取ればよいですか」  大家さんからの返信がふるっていた。   「別の予約が入っている。すまないが、キャンセルしてくれ」  これは、どういうことか。  到着2日前にして、宿泊のあてを失ったということだ。 そうやってお金を稼いでいる 到着2日前にして宿泊のあてを失った私は、Booking.comの事務局に穏やかな筆致でクレームを申し立て、それからすぐに代替候補を探した。  すると十数件ほどのアパートが見つかり、私は1泊50ユーロ台の高級アパートを確保した。  その宿は首都プリシュティナの中心地から徒歩圏内にあって、このあたりでは珍しい(※)高層ビルの一室だった。 ※ プリシュティナにあった建物は、コソボ紛争――とくにNATO軍による峻烈な空爆攻撃――によって大半が破壊された。2019年現在でも、いまだに建設中だったり、キャッシュフローが途絶してガラのまま放置されたものが見受けられる。だから完工した高層ビルというのはなかなかの「レアもの」なのである。  高層階に泊まるのは気分がよいが、イスラム圏では若干の問題もある。というのも、モスクのミナレット(尖塔)に設置されたスピーカーから大音量で発せられたアザーン(礼拝のお知らせ)が、高層にいる我々に向かって直線距離で飛び込んでくるからだ。