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3月, 2018の投稿を表示しています

英語の幼児教育は難しい

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英語の幼児教育は難しい。  その難しさは、「どのように教えたらよいか」という方法論の難しさだけではない。「幼児に英語を教えるのは本当に良いことなのか」という根源的な問いに、自信を持ってそうだと答えられない種類の難しさがある。少なくとも私にとってはそうである。 私の英語 息子の英語教育には、いまでもずっと戸惑っている。それはたぶん、自分の経験に依って立つものが無いからだ。  私は就職するまで、一度も外国に行ったことが無かった。TOEICも400点くらいで、まったく論外の英語力であった。  初めて海外に行ったのは、社会人2年目のときのシドニー出張だ。「出発前にビザを取っておくように」と上司に言われて、クレジットカードのVISAを見せたら、えらく叱られた記憶がある。当時の私は、ビザ(査証)という概念すら知らなかったのだ。  そんなレベルであるから、英語には当然ながら苦労した。いまでも苦労は続いている。言葉がうまく出てこないばかりに、愚かな人間のように思われて――いや、実際に私は愚かなのだが――その実際以上にさらに愚かに思われてしまう悔しさは、私にはたぶん、どこまでいっても振り切ることのできないものだろう。  とはいえ、「帰国子女はいいよな」「私も子どもの頃に外国に住んでいればな」「両親が貧乏じゃなかったらな」などと呑気な願望を口にしていたのは、もはや昔のことである。  いまの私は、帰国子女のよるべない苦しさや、セミリンガル(複数の言語を話せるが、どれもネイティブレベルには未達の状態)のまま年齢を重ねることのつらさを想像できるくらいには経験を重ねてきた。愚かは愚かなりに、複合的な視座を得るに至ったのである。  「幼児に英語を教えるのは、本当に良いことなのか?」  だから私は、その問いに正面から答えることができないのだ。 息子の英語 4歳の息子は、バークレーで生まれた。アメリカと日本の二重国籍である。「息子は3億分の1の確率でアメリカ大統領になりますよ」というのは、私がよく言っていたつまらない冗談だ。  日本に帰国したのは彼が1歳のときで、そこから東京都内のプリスクールに通いはじめた。息子が英語を学びはじめたのは、実質的にはこのときからだ。  まあ、学ぶといっても、「ABCの歌」などの童謡を歌ったり、りんごの絵を見て「Ap

離婚した国の穏やかな首都(ブラチスラバ)

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 ウィーンに来て最初に訪れた「外国」が、スロバキアであった。  スロバキアの首都・ブラチスラバは、ウィーンから電車でわずか1時間。ハンガリーの ショプロン を訪問したときにも思ったが、これだけ近いと、外国旅行という気構えがほとんどいらない。この気楽さは、ヨーロッパに住んではじめて知る感覚だ。 離婚した国 勤務先の同僚に、Jさんというスロバキア人がいる。  Jさんはかなり偉い人で(ある省庁の事務次官的な役職を経験)、仕事の知識も人脈も比類なきレベルにあるのだが、驕り高ぶるようなところがまったくない。いつもしょうもない冗談ばかり言っている。そして私によくビールを奢ってくれる。好きになる要素しかない人なのである。  Jさんはチェコスロバキアに生まれた。ご存知のように、この国はもう存在しない。1993年に、俗に ビロード離婚 と呼ばれる無血革命のような出来事があって、現在のチェコとスロバキアに分離することになった。  「社会主義はよかった」というのがJさんの口癖だ。「小学校の教育水準は、ヨーロッパのどの国にも負けてなかった。みんな算数もよくできた。でも社会主義が解体してからは駄目になっちゃった」  「技術も芸術も、おいしいところは全部チェコにあるんだよ。スロバキアには山しかない。いやあ、離婚するんじゃなかったよ」と彼は笑いながら言う。  でもチェコ人とスロバキア人は、特に仲が悪いわけではないようだ。言語も似ているし、ロシアやドイツに翻弄された歴史的シンパシーもある。だから「いろいろあって離婚したけど、いまでもよく連絡を取り合う元夫婦」みたいな関係らしい。  「それは羨ましい。うちなんて隣の国からミサイルが飛んでくるからね」としみじみ言ったのは、韓国人の同僚であった。 1回目の訪問(2017年10月:旧市街) オーストリアの国鉄ÖBBは、 「BratisLover」 という周遊チケットを発行している。  ブラチスラバが好き ⇒ ブラチスLover。なんだか職場で煙たがられているおじさんの駄洒落みたいなひどい名称だけど、ウィーン~ブラチスラバ間の鉄道とブラチスラバ市内のバス等が4日間乗り放題で16ユーロという、なかなかに強力なチケットである。我が家はウィーン中央駅の券売機でこれを買って、意気揚々とブラチスラバに出発した

ウィーンの花の押し売りには気をつけた方がいい

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 3月8日の朝9時。いつものように勤務先のセキュリティゲートの列に並んでいると、人の流れに逆らって外に出てくる輩がいた。リトアニア人の同僚である。  「ずいぶん早い退社だね」と冗談を言うと、「いや、重要ミッションなんだ。これから花を買うんだよ」。  なんだそりゃ、と首を傾げた私はまったく野暮天で、実はこの日は  International Women's Day (国際女性デー)なのであった。国連が定めたというこの記念日には、男性が日頃お世話になっている女性にお花を贈る慣習がある。同僚は、課内の男性陣を代表して、紅白のバラを買いに出かけるところだったのだ。 「富士そば」としての花屋さん ウィーンには、花屋(Blumenladen)があちこちにある。たいていの駅前にはあって、東京でいえば立ち食いそば屋くらいの頻度だろうか。「富士そば」としての花屋さん。  売るお店が多いのは、つまり買うお客が多いということだろう。どのお店も、わりに朝早くからやっている。通勤の途中で買っていく人も結構いる。オフィスに飾るためか、それともちょっとした人に贈るためか。  花束を小脇に抱えている人というのは、見ていてなかなかいいものだ。  背筋の伸びたお兄さんでも、物腰柔らかなお婆さんでも、サングラスをかけたマフィア風のおっさん(というのは前述の同僚のこと)でも、ひとつ花束を手にするだけで、不思議に「絵」になるものがある。  私の息子も、ときどき幼稚園にお花を持っていく。「Flower Run」といって、教室に添える花々を、児童が持ち回りで準備する決まりなのだ。  小さな花束を携えて、息子は大声で歌いながら往来を歩く。でも幼稚園に着くと、なぜだか急に静かになって、たくさん練習したはずの「 Would you like flowers? 」のフレーズが、どうしても口から出てこない。花束を抱えて、うつむいて立ちすくむばかりである。  その姿を見て私は、ああ、いいなあ、これは「絵」になっているなあ、と感心してしまう。  花のある暮らしには味わいがある。ウィーンに来て、はじめて私はそう思うようになった。 花の押し売りは「Donation」を騙った しかし、ウィーンにあるのは良い花屋ばかりとは限らない。  あれはま

子連れ旅行のライフハック

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 子連れ旅行には苦労が多い、ということを 以前の記事 に書いた。  今回は、そうした苦労を少しでも減らすためのライフハック(生産性を高めるための工夫、コツ、テクニックのようなもの)について記してみたい。  これらはすべて私の個人的経験に基づく主観であり、その効果を完全に保証するものではありません・・・という免責事項を前提として。 【子連れ旅行のライフハック】 1. 準備段階 仲介サイトを使わない選択肢も考慮する  ホテルやフライトを予約するとき、ExpediaやBooking.comなどの仲介サイトを利用する人は多いだろう。私もよく使う(Expediaは3年連続シルバー会員で、今年からゴールド会員)。ポイントも貯まるし、会員専用割引もあるし、なんとなく得をする印象がある。  けれども、そうしたサイトを介さずに、直接予約を入れた方が安くなるケースもある。航空券の場合は特に顕著で、航空会社の直営サイトでは(Expediaに比べて)半額以下の値段で買えることもあった。キャンセルや日程変更などの融通が利きやすいのもメリットだ。  後述するように、私はアパートメントホテルの愛好者なのだが、宿主から 「次回はExpediaを使わずに直接予約してくれたら、もっと値引くよ」 と示唆されたこともある。  私はここで、仲介サイトの便利さを否定したいわけではない。Expediaの利用も続けるつもりだ(特に熱心なファンというわけではないが、一度「キャンセル不可」の予約を無理言ってキャンセルしてもらったことがあり、恩義を感じている)。でもホテルやフライトの目星をつけた後に、もうひと手間かけて元のサイトを見るのも罪はない。 レストランのレビューサイトに頼り過ぎない  旅行先のレストランを探すのはたのしい作業だ。YelpやTripAdvisorで高評価のお店に、どんどんチェックを入れていく。そのうち1日10食くらいしないと足りなくなって、人間の胃袋の有限性に思いを馳せることになる。  こうしたサイトのレビュー点数を鵜呑みにするのは、しかし大いなる過ちのはじまりである。その理由は、私の思うところ、各個人がレストランに求める価値に関する分散値の高さ(=多種多様さ)にある。そして欧米人のレビュー点数は、日本人に比べるとかなり甘い