殺人はよくない (ウィーン犯罪博物館)

(今回の記事は、やや刺激的な写真・文章を含みます。ご留意ください。)

 先日、ひさしぶりに一人になる時間を得たので、ウィーン犯罪博物館を訪れた。

 ウィーン2区の閑静な住宅地にひっそりと佇むその博物館には、幼児連れの来館を躊躇させる類のコンテンツが揃っているという。一人のときには、一人のときにしかできないことをしようというわけだ。

 入り口のドアを開けると、若いお姉さんが笑顔でチケットを売ってくれた(1枚6ユーロ)。なんというか、ディズニーランドやサンリオピューロランドの受付の方がずっと似合いそうな人である。そして結局、私が館内で出会った「生きた人間」は、このお姉さんだけであった。日曜の朝にわざわざこんなところを訪れる人はいないのかもしれない。

 
ウィーン犯罪博物館(Wiener Kriminalmuseum)の概観写真
ウィーン犯罪博物館(Wiener Kriminalmuseum)

真摯な精神

ウィーン犯罪博物館は、中世から近現代までにウィーン周辺で起きた重大犯罪について、豊富なエビデンスとともにクロノロジカルに紹介する博物館である。

 ここでいう「豊富なエビデンス」とは、たとえば、殺人犯が実際に用いたナイフ。絞首刑に実際に使われた縄。斬首刑に処せられた頭部のミイラ(金髪が生々しく残っている)。四肢を切断された全裸死体の写真。とまあ、そうした按配のものである。

 このように記述すると、いかにも来訪者の恐怖を煽ることを主目的とした、アングラ感満載の施設を想像される向きもあるかもしれない。もう既にブラウザの「閉じる」ボタンを押された向きもあるかもしれない。

 でも実地を訪れてみると、そうではないことがよくわかる。犯罪学というのか、法科学というのか、ある種の学術に通ずるような真摯な精神がそこにはある。それもそのはず、この犯罪博物館の創設には、ウィーンの警察当局が深く関わっているのである。


ウィーン犯罪博物館(Wiener Kriminalmuseum)の営業日、展示内容の説明


 そのように真摯な精神は、館内の展示手法にもよく現れている。

 ひとつの事件を紹介するとき、この博物館は、犯行現場のイラストまたは写真、犯人や被害者のイラストまたは写真(ときにデスマスク、ときに骸骨)、犯行に使われた凶器、処刑に使われた器具などを、コンパクトな空間に集めて並べる。そういうスタイルをとっている。

 陳列されているのはソリッドなファクトに限られていて、だから妙な情緒の入る隙はほとんどない。でもそのぶんだけ、かえって事物の凄みがアクチュアルに伝わってくるものがある。この迫力は、ちょっと類例が見つからない。

 
ウィーン犯罪博物館(Wiener Kriminalmuseum)の展示物


 惜しむらくは、展示室の説明文がほぼ全部ドイツ語であることだ。でも英語の文章もわずかながらあるし、各部屋の梗概を解説した小冊子も売っているので(2ユーロ)、英語さえ読めれば一応の理解は得られるようになっている。

 まあ、strangulation(絞殺)とか、infanticide(嬰児殺し)とか、あまり日常的には使わない英単語が多いのではあるけれど。


ウィーン犯罪博物館(Wiener Kriminalmuseum)の展示物

ウィーン犯罪博物館(Wiener Kriminalmuseum)の展示物


得られる示唆

この尋常ならざる博物館を訪れて、私がひとつ思ったのは、「犯罪の多様化は、技術の進歩によって促される」ということだ。

 たとえば、人間の胴体を切断するという行為は、鋭利な刃物があってはじめて可能になる。撲殺・絞殺メインの世の中から、斬殺というイノベーション(?)が誕生したわけだ。

 ちなみにウィーン初の斬殺事件は、1665年のことで、この博物館のすぐ近くで女性のバラバラ死体が発見された。被害者の素性がわからなかったので、死体の各部位をジグソーパズルのように組み合わせてHoher  Markt(ウィーン中央部にある広場。仕掛け時計で有名)に置き、市民から情報を求めたらしい。

 これは、現在でいえば、道端に落ちていたiPhoneを「誰の忘れ物ですか?」と遺失物保管所に預けてくるようなイメージだろうか。でもiPhoneとバラバラ死体とでは、当然ながら受けるインパクトにかなりの隔たりがある。事件の犯人は結局捕まらなかったらしい。

 技術の進歩が犯罪の多様化を促す。この傾向は、時代が下ってますます顕著になる。ウィーンの犯罪者たちも、密猟者、偽札づくり、爆弾魔と、よりバラエティ豊かになってくる。

 もっとも、密猟者については、裕福な地主だけが狩猟を許されていた時代に、食料不足に苦しむ貧民たちが銃を携えて森林に入った・・・という背景があるので、善悪の判断はなかなか難しい。「犯罪を規定するのは社会システムである」という新たな示唆がここから得られる。なにかと示唆の多い博物館なのである。(生活水準の向上により密猟は激減したという)


ウィーン犯罪博物館(Wiener Kriminalmuseum)の展示物


 もうひとつ、私がしみじみ思ったのは、「殺人はよくない」ということだ。いや、そんなの当たり前じゃないかと思われるかもしれないが、でも殺人に対する刑罰の多寡は、どの時代にも同じというわけではない。

 国家から罰されない殺人という意味では、戦争はその最たる例だろう。日本にもかつては仇討ちという制度があって、その文脈に即した殺人は社会的に許された。ウィーンでも殺人犯が女性のときには極刑を免れたケースがあるし、逆に政治犯の場合は未遂でも即座に斬首されたことを、私はこの博物館から学んだ。許される殺人と、許されない殺人があるのだ。

 しかし、そうした歴史的事実を超えて、やはり殺人は原則的によくない行為なのだ、というのが、今回私の心に深く刻まれた実感であった。「悪」の定義はとても難しいが、仮に「自分の目的を達成するために他の人を踏みつけにする行為」とするならば、殺人は最悪の「悪」である。なにせ殺された人はそこで(文字どおり)人生が終わってしまうわけなのだから。

 これまでのところ、私は殺人を犯したことはない。今後そのようなスケジュールも入っていない。これはありがたいことである。数多くの示唆に加えて、そのような「ありがたさ」を留保ぬきにわからせてくれる、ここは稀有な博物館である。

 
ウィーン犯罪博物館(Wiener Kriminalmuseum)の中庭


コメント

匿名 さんのコメント…
ウィーン犯罪博物館を調べていてたどり着きました。ウィーンを訪れる際には行ってみたいと思います^_^
Satoru さんの投稿…
お役に立てたようで幸いです。ニッチな博物館ですが、ウィーンの負の部分が凝縮されていて、お好きな人にはたまらないスポットだと思います。

また博物館の周辺はウィーン屈指のユダヤ人街でして、そのあたりもガイドブックにはあまり載らない類の見所と言えます。このエリアに住む日本人の友人曰く、安息日(土曜日)の前夜はユダヤ人が集まってよく大騒ぎをしているようです。
bayreuth さんのコメント…
デイリーポータルZからsatoruさんのブログを知り、時間があるときに少しずつ拝読しています。

2014年度に1年間、家族(当時10歳の息子、当時7歳の娘、年齢不詳の妻の4人)でドイツの人口7万人程度の街で生活し、時間のある週末にはレンタカーやICEを利用し、主にドイツ国内を中心に旅行していました。ウィーンにも11月末にクリスマスマーケットに訪れました。とても寒かったです。
satoruさんの記事で当時の自分たちを思い出すこともあります。もっとも、私も遵法意識が高く、また、法の限界に挑む友人もいないことから、びっくりするようなうらやましいお話しもありますが(ここら辺は、下川裕治さんの旅行記とともに、実現できない(できなかった)疑似体験として楽しませていただいています)。

さて、ウィーン犯罪博物館の記事(も)、とても面白く拝読しました。
ドイツ・バイエルン州ローテンブルクにも「中世犯罪博物館」があり、これまで5回ほど訪れたことがあります。「世界で唯一の犯罪博物館」という説明も聞いたことがあったような気がするのですが(おそらく訪れる前に呑んだビールとワインで、いつも以上にドイツ語が理解できていなかったのだと思います)。
https://www.kriminalmuseum.eu/

例年は、年に2回ほど各2週間ほどドイツを訪れているのですが、また、訪れることができるようなったならば、是非ウィーンも滞在先のひとつとし、ウィーン犯罪博物館を訪れたいと思います。

このブログが終わってしまったことは残念ですが、何度も読み直し、これからも楽しませていただきます。

Satoru さんの投稿…
bayreuthさん、温かいコメントありがとうございます。下川裕治さんの著書は私も愛読してますが、あそこまで(主に金銭的に)ぎりぎりの旅は未経験ではあります。いずれにせよ、そのような形で拙文を楽しんでいただけるのは無上の喜びです。

なんと、ローテンブルクの中世犯罪博物館に5回も訪問されたのですね。よほど印象深く刻まれたのでしょうか。ヨーロッパにはやはり人間の暗部に迫る博物館が数多くあり、歴史の厚みを感じさせます。世界の陰影は奥深く、未踏の領域は果てしなく。