「コソボであそぼ」アウトテイクス
(これは、デイリーポータルZへの寄稿記事「コソボであそぼ、子どもとあそぼ ~子連れでたのしむコソボ旅行~」で使われなかったエピソードをまとめたものです。本稿だけでも完結した読みものになっていますが、併せてご覧いただくと、より複層的な味わいが醸し出されるかもしれません)
高層階に泊まるのは気分がよいが、イスラム圏では若干の問題もある。というのも、モスクのミナレット(尖塔)に設置されたスピーカーから大音量で発せられたアザーン(礼拝のお知らせ)が、高層にいる我々に向かって直線距離で飛び込んでくるからだ。
私は5年前のシンガポール出張でもこの過ちを犯して、二日酔いの頭に痛撃が加えられた。時を経て、いま再び早朝のコソボに揺起される、私の哀れな内耳神経。
子どもを連れているとウケがいいのはコソボでも同じだ。7人がすし詰めになった軽トラから、7人ぶんの笑顔と手が振られる。レストランに入れば、子どもの取り皿をくれたり、お水を余計にくれたりする。お水が無料で出てくるのはヨーロッパでは珍しいことである。
あちこちにモスクがあって、立派な髭をたくわえた男たちが目立つ。
でもそのわりには、人びとの服装から不思議にムスリムっぽさを感じない。これはセルビア正教との対立を顕在化させないための知恵なのか、それともアルバニア人としての民族意識が宗教意識を上回っているからか。私の無責任な推量によると、後者の要素が強いようだ。
アルバニア人としての民族意識。
そういえば、都市でも地方でも、アルバニアの国旗が青空にはためく光景をよく見かけた。右翼の街宣車っぽいのにも一度だけ遭遇した。「東欧出身の国連職員がセルビア語を使ったら射殺された」頃ほどではないだろうけれど、どことなくコソボ紛争のテンションが残っているというか、まだ完全には鎮静化していないような不穏な気配がそこにはあった。
といっても、全体的にはもちろん温厚なムードである。
カフェにはなぜだか「男2人」のカップル客が多い。イスラム文化の影で育まれた同性愛者かな、と最初に思ったのだが(私の友人のアフガニスタン人もそのひとりだ)、どうやらそういう感じでもなくて――べつに同性愛者だろうと何の問題もないのだけれど――もっと素朴にヒマを持て余した輩の2人組、みたいな印象だった。
お爺ちゃんがふたり、テラス席でいつまでも談笑している。夕陽が射し込むエスプレッソ・カップの中身は、とうに乾き果てている。私はそれを遠巻きに見ている。人間が生きる意味について、ひとつの示唆がもたらされる。
この世界にひっそりと息づいているコソボ愛好家たちの間で、もっとも信頼に値するガイドブックは、イギリスの独立系出版社の「Bradt Travel Guides」ということになっている。
これに対する私の意見は I couldn’t agree moreである。まったくそのとおりでございます。
本書のすごいところは、本篇に入る前の「総論」が80ページ以上もあって、コソボの歴史・経済・文化について緻密な解説がなされていることだ。
2017年発行の最新版には4名の執筆者が携わっていて(いずれも女性)、「国連」「NGO」「研究者」「記者」などの専門的見地からコソボの内奥があざやかに言語化されている。バスや鉄道などの情報も、この本がいちばん正確だった。
コソボ旅行に関心のある向きには(どのくらい存在するかは知らないけど)、ぜひご一読をおすすめしたい。
もし幸運に恵まれたなら、拙文は10年後にも少数の読者を得ているかもしれない。
21歳のコソボは、11歳の面影をわずかに残しつつ、その姿を大きく変えていることだろう。
そのとき、最若手ゆえの不平等は少しは改善されているだろうか。中国人観光客は群れをなしているだろうか。Booking.comの手数料をちょろまかす必要はなくなっているだろうか。
コソボに幸あれ。
2029年のコソボを訪れるあなたに、大いなる幸あれ。
ホテルの予約が消滅した
コソボでは、物価も安いがホテルも安い。
4人家族に適したアパート型ホテルでも、1泊30ユーロ台からある。内装も立地も悪くない。北欧だったら1泊200ユーロは取られるだろう。
このときはBooking.comで予約した。ただしアパート型ホテルには受付がないケースが多いので――なにしろ普通の民家を間借りしているので――事前の連絡が肝要となる。
コソボに到着する前々日に、確認のメッセージを大家さんに送った。
「予約済みのSatoruです。明後日からよろしく。鍵はどこで受け取ればよいですか」
大家さんからの返信がふるっていた。
「別の予約が入っている。すまないが、キャンセルしてくれ」
これは、どういうことか。
到着2日前にして、宿泊のあてを失ったということだ。
4人家族に適したアパート型ホテルでも、1泊30ユーロ台からある。内装も立地も悪くない。北欧だったら1泊200ユーロは取られるだろう。
このときはBooking.comで予約した。ただしアパート型ホテルには受付がないケースが多いので――なにしろ普通の民家を間借りしているので――事前の連絡が肝要となる。
コソボに到着する前々日に、確認のメッセージを大家さんに送った。
「予約済みのSatoruです。明後日からよろしく。鍵はどこで受け取ればよいですか」
大家さんからの返信がふるっていた。
「別の予約が入っている。すまないが、キャンセルしてくれ」
これは、どういうことか。
到着2日前にして、宿泊のあてを失ったということだ。
そうやってお金を稼いでいる
到着2日前にして宿泊のあてを失った私は、Booking.comの事務局に穏やかな筆致でクレームを申し立て、それからすぐに代替候補を探した。
すると十数件ほどのアパートが見つかり、私は1泊50ユーロ台の高級アパートを確保した。
その宿は首都プリシュティナの中心地から徒歩圏内にあって、このあたりでは珍しい(※)高層ビルの一室だった。
※ プリシュティナにあった建物は、コソボ紛争――とくにNATO軍による峻烈な空爆攻撃――によって大半が破壊された。2019年現在でも、いまだに建設中だったり、キャッシュフローが途絶してガラのまま放置されたものが見受けられる。だから完工した高層ビルというのはなかなかの「レアもの」なのである。
すると十数件ほどのアパートが見つかり、私は1泊50ユーロ台の高級アパートを確保した。
その宿は首都プリシュティナの中心地から徒歩圏内にあって、このあたりでは珍しい(※)高層ビルの一室だった。
※ プリシュティナにあった建物は、コソボ紛争――とくにNATO軍による峻烈な空爆攻撃――によって大半が破壊された。2019年現在でも、いまだに建設中だったり、キャッシュフローが途絶してガラのまま放置されたものが見受けられる。だから完工した高層ビルというのはなかなかの「レアもの」なのである。
高層階に泊まるのは気分がよいが、イスラム圏では若干の問題もある。というのも、モスクのミナレット(尖塔)に設置されたスピーカーから大音量で発せられたアザーン(礼拝のお知らせ)が、高層にいる我々に向かって直線距離で飛び込んでくるからだ。
私は5年前のシンガポール出張でもこの過ちを犯して、二日酔いの頭に痛撃が加えられた。時を経て、いま再び早朝のコソボに揺起される、私の哀れな内耳神経。
高層ビルの大家さんは親切だったが、チェックアウトが近くなってから「Booking.comでの予約をキャンセルしてくれないか」との提案がなされた。「この宿には泊まらなかったことにして、それでface to faceの現金払いにしてくれないか」と。
私はようやく理解した。
つまり彼らは、仲介サイトの手数料を回避したいのだ。数パーセントのお金でも、コソボの物価からすれば大した額となる。到着2日前に「別の予約がある」とのリプライを食わされたのも、いまにして思えば同じ背景なのであった。そうやってお金を稼いでいるのだ。
私はしばし逡巡して、最終的には「泊まらなかったことにする」オファーを退けた。追って届いたBooking.comの照会メールに対しても、「たしかに宿泊しました」と正直に申告した。
それは正しい行動だったのか?
私はどうすればよかったのか?
答えは夏の闇にまぎれて、もはや知ることが叶わない。
私はようやく理解した。
つまり彼らは、仲介サイトの手数料を回避したいのだ。数パーセントのお金でも、コソボの物価からすれば大した額となる。到着2日前に「別の予約がある」とのリプライを食わされたのも、いまにして思えば同じ背景なのであった。そうやってお金を稼いでいるのだ。
私はしばし逡巡して、最終的には「泊まらなかったことにする」オファーを退けた。追って届いたBooking.comの照会メールに対しても、「たしかに宿泊しました」と正直に申告した。
それは正しい行動だったのか?
私はどうすればよかったのか?
答えは夏の闇にまぎれて、もはや知ることが叶わない。
アルバニアの国旗がはためいている
見知らぬ土地に着いた私は、ひとまずホテルの周辺を歩き回る。
子どもを連れているとウケがいいのはコソボでも同じだ。7人がすし詰めになった軽トラから、7人ぶんの笑顔と手が振られる。レストランに入れば、子どもの取り皿をくれたり、お水を余計にくれたりする。お水が無料で出てくるのはヨーロッパでは珍しいことである。
あちこちにモスクがあって、立派な髭をたくわえた男たちが目立つ。
でもそのわりには、人びとの服装から不思議にムスリムっぽさを感じない。これはセルビア正教との対立を顕在化させないための知恵なのか、それともアルバニア人としての民族意識が宗教意識を上回っているからか。私の無責任な推量によると、後者の要素が強いようだ。
アルバニア人としての民族意識。
そういえば、都市でも地方でも、アルバニアの国旗が青空にはためく光景をよく見かけた。右翼の街宣車っぽいのにも一度だけ遭遇した。「東欧出身の国連職員がセルビア語を使ったら射殺された」頃ほどではないだろうけれど、どことなくコソボ紛争のテンションが残っているというか、まだ完全には鎮静化していないような不穏な気配がそこにはあった。
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アルバニアの国旗。はじめて見るとちょっと緊張するデザイン |
といっても、全体的にはもちろん温厚なムードである。
カフェにはなぜだか「男2人」のカップル客が多い。イスラム文化の影で育まれた同性愛者かな、と最初に思ったのだが(私の友人のアフガニスタン人もそのひとりだ)、どうやらそういう感じでもなくて――べつに同性愛者だろうと何の問題もないのだけれど――もっと素朴にヒマを持て余した輩の2人組、みたいな印象だった。
お爺ちゃんがふたり、テラス席でいつまでも談笑している。夕陽が射し込むエスプレッソ・カップの中身は、とうに乾き果てている。私はそれを遠巻きに見ている。人間が生きる意味について、ひとつの示唆がもたらされる。
破壊された樹々は爆弾のサイン
コソボの治安は良好である。自身の携行品につねに注意を払うべきなのは当然として、街頭犯罪や窃盗の発生率は低いし、暴力犯罪は西欧の多くの都市よりもずっと少ない。
外国人旅行者、とくに女性にとっては、コソボは安全なだけでなく、その安全さを体感できる場所である。
(中略)
他方で、これはめったに起こらないことではあるけれど、ウォーキングやサイクリングのときには地雷やクラスター爆弾のリスクに留意するべきだ。
クラスター爆弾は、丘の頂上や旧ユーゴ陸軍の建物のそばに残存していることが多い。破壊された樹々があれば、そこに爆弾があるというサインと見てよい。
外国人旅行者、とくに女性にとっては、コソボは安全なだけでなく、その安全さを体感できる場所である。
(中略)
他方で、これはめったに起こらないことではあるけれど、ウォーキングやサイクリングのときには地雷やクラスター爆弾のリスクに留意するべきだ。
クラスター爆弾は、丘の頂上や旧ユーゴ陸軍の建物のそばに残存していることが多い。破壊された樹々があれば、そこに爆弾があるというサインと見てよい。
引用:引用:Varena Knaus, et al. (2017) “Kosovo” Bradt Travel Guides;
3rd ed., pp.57-58 より拙訳
3rd ed., pp.57-58 より拙訳
この世界にひっそりと息づいているコソボ愛好家たちの間で、もっとも信頼に値するガイドブックは、イギリスの独立系出版社の「Bradt Travel Guides」ということになっている。
これに対する私の意見は I couldn’t agree moreである。まったくそのとおりでございます。
本書のすごいところは、本篇に入る前の「総論」が80ページ以上もあって、コソボの歴史・経済・文化について緻密な解説がなされていることだ。
2017年発行の最新版には4名の執筆者が携わっていて(いずれも女性)、「国連」「NGO」「研究者」「記者」などの専門的見地からコソボの内奥があざやかに言語化されている。バスや鉄道などの情報も、この本がいちばん正確だった。
コソボ旅行に関心のある向きには(どのくらい存在するかは知らないけど)、ぜひご一読をおすすめしたい。
入場無料のコソボ博物館には、紛争中に使われた武器が無造作に展示されている |
ホチキス針でつくられたマザー・テレサ(コソボ州出身)のモザイク画 |
トルコ式の公衆浴場(ハマーム)。水着を持って行ったら遺跡だった |
窓が開いたまま放置された車をよく見かけた。車上荒らしとか大丈夫なのか |
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バスに乗ると、乗務員がお金を徴収しにくる(片道0.4ユーロ) |
ウィーン行きのバスもあった |
西欧とユーゴの「近さ」を知る
もうひとつ、コソボに着いてから認識したのは、西欧からの物理的な近さだ。
ウィーンに住まう異邦人の私は、旧ユーゴスラビアと聞くとなんとなく「向こう側の世界」と思ってしまう。でもウィーン発プリシュティナ行きのフライトはわずかに1時間半。日本でいえば東京から広島あたりまでの距離感だ。
それほど近しいスポットで「仁義なき紛争」が続いていたのだから、そりゃあEU諸国が音頭をとって復興を支援するのも道理だ、と私は妙な角度から得心した。そしてバルカン半島は、西欧だけでなくロシアからもトルコからも手をのばせば届く場所に――それもほとんど等距離の位置にある。
「地政学」という言葉を不必要に用いて何かを断じた気になるのは趣味ではない。しかし、私が旧ユーゴの絡まった歴史をひもとくとき、「ここを永らく平和に保つのは不可能に近い」という底冷えした憂鬱に取り憑かれそうになる。危うさを振り払うには知的体力が必要だ。
「人間は生まれながらに平等ではない事実」を突きつけられても、それほど深手を負わないくらいに私は逞しく成長した。でもそれが「土地」「国家」となると、冷笑では流しきれない残滓が目詰まりを起こして酸化する。私の内部に被膜ができて、なにも感じなくなるまでにはもう少しだけ時間がかかるだろう。
ウィーンに住まう異邦人の私は、旧ユーゴスラビアと聞くとなんとなく「向こう側の世界」と思ってしまう。でもウィーン発プリシュティナ行きのフライトはわずかに1時間半。日本でいえば東京から広島あたりまでの距離感だ。
それほど近しいスポットで「仁義なき紛争」が続いていたのだから、そりゃあEU諸国が音頭をとって復興を支援するのも道理だ、と私は妙な角度から得心した。そしてバルカン半島は、西欧だけでなくロシアからもトルコからも手をのばせば届く場所に――それもほとんど等距離の位置にある。
「地政学」という言葉を不必要に用いて何かを断じた気になるのは趣味ではない。しかし、私が旧ユーゴの絡まった歴史をひもとくとき、「ここを永らく平和に保つのは不可能に近い」という底冷えした憂鬱に取り憑かれそうになる。危うさを振り払うには知的体力が必要だ。
「人間は生まれながらに平等ではない事実」を突きつけられても、それほど深手を負わないくらいに私は逞しく成長した。でもそれが「土地」「国家」となると、冷笑では流しきれない残滓が目詰まりを起こして酸化する。私の内部に被膜ができて、なにも感じなくなるまでにはもう少しだけ時間がかかるだろう。
「最若手」プレイヤーの苦労と健闘
コソボの独立から11年。広義のヨーロッパ地域において「最若手」のプレイヤーである。
最若手のコソボ選手は、外交面で不利なポジションに置かれがちだ。たとえば、ロシアはコソボを国家として認めていないが、ロシア人がコソボに入境するのは難しくない(らしい)。翻って、逆は然らず、コソボ外交官はロシアからのビザを簡単にはもらえない。関係性が公平ではないのである。
コソボはまた旧ユーゴ諸国からも不平等な扱いを受けている。我々を空港まで運んでくれたドライバー氏(例の高層ビルの大家さんの息子)によれば、コソボ人が陸路でモンテネグロやセルビアに行くときには5ユーロ前後の「出国税」を徴収されるのに、逆方向のとき(つまりコソボに入境するとき)には取られないという。つまりは出稼ぎの労働者を狙い撃ちした課税なのだろうが、ずいぶんと露骨な差別待遇である。

「でもどうやってコソボ人を判別するんですか?」
私は素朴な質問をぶつけてみた。ひとりひとりにパスポートを提示させるのか?
「ああ、それはね、車のナンバーでわかるんだ」とドライバー氏が言った。「最初の2桁が【01】ならプリシュティナ、【03】ならプリズレン」
ちょうどそのとき、装飾されたスポーツカーが我々を追い越していった。
「あれは結婚式の帰りだ。ナンバー【01】だから、プリシュティナの人が結婚したんだ」
新郎新婦を乗せた車にはアルバニアの国旗が立っている。
コソボの首都に暮らす人たちが掲げるアルバニアの国旗。
「コソボ人は、そういう扱いを受けているんだ」とドライバー氏は続けた。「でもね、出国のたびに5ユーロを取られても、それ以上に稼ぐよ。コソボ人は元気が取り柄だから。もっともっと稼いで、プリシュティナの街を、もっともっと成長させるよ」
「コソボはこれからどんどん発展していくと思いますよ」と私は言った。「道路はしっかり整備されているし、なにより若い人が多いわけだから」
「でもまあ、コソボ人は怠け者が多いから、東京だったら1年で建つようなビルが、3年経っても完成しなかったりするんだけどね」
我々は笑った。
それからしばらくして空港に着いた。
我々はまた笑って、握手をして、わずかばかりのチップを渡して、そうして手を振って別れを告げた。
最若手のコソボ選手は、外交面で不利なポジションに置かれがちだ。たとえば、ロシアはコソボを国家として認めていないが、ロシア人がコソボに入境するのは難しくない(らしい)。翻って、逆は然らず、コソボ外交官はロシアからのビザを簡単にはもらえない。関係性が公平ではないのである。
コソボはまた旧ユーゴ諸国からも不平等な扱いを受けている。我々を空港まで運んでくれたドライバー氏(例の高層ビルの大家さんの息子)によれば、コソボ人が陸路でモンテネグロやセルビアに行くときには5ユーロ前後の「出国税」を徴収されるのに、逆方向のとき(つまりコソボに入境するとき)には取られないという。つまりは出稼ぎの労働者を狙い撃ちした課税なのだろうが、ずいぶんと露骨な差別待遇である。
「でもどうやってコソボ人を判別するんですか?」
私は素朴な質問をぶつけてみた。ひとりひとりにパスポートを提示させるのか?
「ああ、それはね、車のナンバーでわかるんだ」とドライバー氏が言った。「最初の2桁が【01】ならプリシュティナ、【03】ならプリズレン」
ちょうどそのとき、装飾されたスポーツカーが我々を追い越していった。
「あれは結婚式の帰りだ。ナンバー【01】だから、プリシュティナの人が結婚したんだ」
新郎新婦を乗せた車にはアルバニアの国旗が立っている。
コソボの首都に暮らす人たちが掲げるアルバニアの国旗。
「コソボ人は、そういう扱いを受けているんだ」とドライバー氏は続けた。「でもね、出国のたびに5ユーロを取られても、それ以上に稼ぐよ。コソボ人は元気が取り柄だから。もっともっと稼いで、プリシュティナの街を、もっともっと成長させるよ」
「コソボはこれからどんどん発展していくと思いますよ」と私は言った。「道路はしっかり整備されているし、なにより若い人が多いわけだから」
「でもまあ、コソボ人は怠け者が多いから、東京だったら1年で建つようなビルが、3年経っても完成しなかったりするんだけどね」
我々は笑った。
それからしばらくして空港に着いた。
我々はまた笑って、握手をして、わずかばかりのチップを渡して、そうして手を振って別れを告げた。
おわりにーー10年後の読者へ
本稿は、2019年夏に子連れで旅行したコソボの記憶の断片である。もし幸運に恵まれたなら、拙文は10年後にも少数の読者を得ているかもしれない。
21歳のコソボは、11歳の面影をわずかに残しつつ、その姿を大きく変えていることだろう。
そのとき、最若手ゆえの不平等は少しは改善されているだろうか。中国人観光客は群れをなしているだろうか。Booking.comの手数料をちょろまかす必要はなくなっているだろうか。
コソボに幸あれ。
2029年のコソボを訪れるあなたに、大いなる幸あれ。
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