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イスラエルの入出国審査、その詳細を書いておこう

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イスラエル は、入出国審査が世界でいちばん厳しい国と言われている。  セキュリティチェックで、下着姿にさせられた。  別室に放り込まれ、そのまま3時間も放置された。   パレスチナ で働いていたので、入国を拒否された。  そういうアクチュアルなエピソードを仄聞するのだ。  他方で、 近年はかなり緩和された とか、 なんの問題もなかった とかいう話も聞こえてくる。「厳しい系」と「無問題系」の振れ幅が、ずいぶんと大きい。  本当のところは、どうなのか。  以下に、私の体験を紹介したい。あくまで個人の事例に過ぎない、というディスクレーマーを如才なく添えつつ、イスラエル渡航を検討されている方への参考となれば幸いだ。 入国審査(2018年12月19日) ハンガリーの格安航空会社 ウィズ・エアー(Wizz Air) で、 「ウィーン国際空港 ⇒ ベン・グリオン国際空港」 の直行便に搭乗した。往復運賃は約100ユーロ。A321の旧型機で、3時間25分のフライトだった。  飛行機のタラップを降りた途端、マシンガンを携えた軍人風の男が現れて、なぜか私の方に近づいてきた。  Q.  パスポートを見せろ。  A.  はい。  Q.   イスラエルに来た理由は。  A.   観光(Sightseeing)。  Q.  宿泊場所は。  A.  アブラハム・ホステル・テルアビブ 。  Q.  どこから来たのか。  A.  ウィーンから。  「ここで早くも別室送りか」と瞑目したが、このやり取りだけで無事にリリースされた。  最初に怪しい奴を捕まえておけ、という方針なのか、私だけがこの尋問を受けた。  まあ私は唯一のアジア人搭乗客だったし、その服装も控えめに表現して「行儀のよいホームレス」のようなものではあった。でもいきなりこういう待遇を受けるとは思わなかった。  空港内のパスポートコントロールは、 「イスラエル国籍」 と 「その他」 に分けられている。間違えて「イスラエル国籍」に並んでしまったが(ヘブライ語表記なのでわからなかった)、自動読み取り機でエラーとなって、「その他」に並び直した。  早朝ゆえか、それほど長蛇の列ではない。  10分ほど待って、私の審査がはじまった。  Q.

これが人生初の一時帰国だ(東京)

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私の所属する国際機関では、2年に1回の頻度で 一時帰国休暇 (Home Leave)が与えられる。  職員本人だけでなく、同居する家族全員のチケットが(オーストリアから日本は遠いので) ビジネスクラス で手配されるので、かなりの厚遇である。  だが私はこれを固辞し、トルコ航空のエコノミークラスに振り替えた。 「幼いうちからビジネスクラスに乗りつけていると人間が駄目になる」 という信念、いや偏見があったからだ。   赴任時と同じく 、イスタンブール経由。チケットを買ってまもなく ANAから羽田=ウィーン線の発表があり 落ち込む一幕もあったが、しかし帰国の機会をいただけるだけありがたい。  アメリカに住んでいたときは一度も日本に帰らなかったので、考えてみれば、これが人生ではじめての一時帰国である。   デュッセルドルフで郷愁の念に駆られた 、あの新橋にも足を運ぶことができる。  うれしくなって、飛行機の窓を意味もなく開け閉めしたりした。 みすず学苑の車内広告と、ひさしぶりの再会 この人もひさしぶり 東京ミッドタウンの裏手に住む 一時帰国中は、六本木の瀟洒な住宅地に住まいを求めた。連日の予定が東京エリアに集中していたので、どうしても中心部に居を構える必要があったのだ。  今回お世話になった物件は、家具付き、布団付き、Wi-Fi付き、ドラム洗濯機付き、浴室乾燥機付き(ぐんぐん乾いて最高だった)、ジェットバス付き(息子たちが喜んで最高だった)、ウォシュレット付き(私の肛門まわりが綺麗になって最高だった)、43平米の2Kで、家族4名あわせて1泊 13,000円 だった。  これは、どういうことか。なぜ、こんなに安い物件があるのか。国連外交官の特権なのか。それとも前の居住者が 六本木連続強姦殺人事件 の犯人だったからか。  そうではない。  この物件には、何のコネクションも、何の事件性もない(私の知る限りは)。好条件の宅地にたどり着いたのは、ひとえに私がしつこく探しまくったからである。粘り腰の交渉を経て、泥水をすすって(比喩的な表現です)、ようやく契約にこぎつけたのが 東京ミッドタウン から徒歩約5分のここだったのだ。  今回はちょっとした事情があって、具体的な物件名を明らかにできない。でもひとつヒン

ナチスドイツと東京メトロが共存する空間(ウィーン交通博物館)

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ウィーンの冬に、子どものいる家庭は行き場所に困りがちである。  公園は寒すぎるし、動物園は寒すぎるし、テラス席は寒すぎる。とにかく寒すぎるのだ。  そういうわけで、 部屋遊びに飽きた子どもたちの欲求を開放させるためにも 、 技術博物館 (遊び場が充実) とか、 Monki Park (同左)とか、 Dianabad (屋内プール)といった具合に、いくつかの「冬用スポット」を確保することが重要になってくる。  そのひとつに、 交通博物館 (Verkehrsmuseum Remise)がある。 廃止された駅がそのまま博物館に使われていて息子は大興奮。ジャケットを脱ぎだした 線路の区域内に立ち入る「非日常感」に息子は大興奮。ジャケットを脱ぎだした Sonderzug (臨時電車)という既知の単語に息子は大興奮。ジャケットを脱ぎだした 興奮ポイントがあり過ぎる この博物館は、1865年にウィーンではじめて使われた 馬車鉄道 (Pferdetramway)から、現役ばりばりの 地下鉄 「U-bahn」 までの鉄道史を、気前のよい実物展示と子どもたちを喜ばせるギミック満載で紹介する施設である。  我が息子たちは、すでに入り口の時点で声のトーンが1オクターブ高くなっていたが、  車庫に侵入しているような展示手法が醸し出すスリル感や、 (ちなみに1年前、ドイツ語のアナウンスがわからず回送電車に乗ったまま Floridsdorf 駅近くの車庫に運ばれてしまったことがあって、息子はこのときのことをずっと覚えている) 20世紀前半のトラム(路面電車)のシックな内装や、 地下鉄「U1」と「U3」の実路線を運転できるシミュレーターや、 木造りの模型で遊べるコーナーで、その逐一において喜びを全身で表現してゆく。鉄道への愛の追求には果てしがないのであった。 お金を払えばトラムの貸し切りパーティーができる 時間の「遠近法」に危うさが出てくる とはいえ、鉄道への愛については、私にとっても他人事ではない。  幼年から成年に至る過程で、すでに通り過ぎて、鎮静していたはずの情熱。それがウィーンの歴史に触発され、あるいは息子たちの無償の集中に触発され、