怠惰を極め、日本と百年戦争をする(モンテネグロ)

世界でいちばん怠惰な国は、どこだろうか。

 世の中というのは広いもので、このほとんど思いつきのような質問に対しても、真面目に研究している人たちがいる。

 たとえば、ハーバード大学が2012年にLancet誌で発表した論文によれば、122ヵ国を対象とした調査研究の結果、運動不足(Physical Inactivity)の項目に該当する国民の割合は、マルタが最も高く(71.9%)、スワジランドサウジアラビアがそれに続くという。

 また、スタンフォード大学が2017年にNature誌で発表した論文によれば、111ヵ国・約72万人のスマホのデータを分析した結果、1日の平均歩数はインドネシアが最も少なかったという(3,513歩)。もっとも、元の研究はむしろ国ごとの活動量の格差に着目したもので、これをジャカルタ現地紙を含むメディアが「世界一怠惰なインドネシア人!」と拡散をしてしまった節はあるのだけれど。

 こうした先行研究は、主として肉体的な怠惰に焦点を当てたものである。それでは、より精神的な――別の言葉を使うなら、より本質的な――怠惰について考えたとき、世界でいちばん怠惰な国は、どこなのだろうか。

 この論点に踏み込んだ学術研究は見当たらない。その理由はおそらく、「精神的な怠惰」の従属変数を決める難しさと、分析結果の取り扱いのややこしさ(上位認定された国はさすがに気分を害するだろう)の、ちょうど中間地点あたりにあるのではないか。

 しかしここに、世界でいちばん(精神的に)怠惰であると、自ら名乗る国がある。

 バルカン半島の小国、モンテネグロである。


モンテネグロのスヴェティ・ステファン島
モンテネグロの景勝地、スヴェティ・ステファン島


モンテネグロの十戒

モンテネグロ人の怠け者ぶりを示す好例として、「モンテネグロの十戒」というものがある。原文はモンテネグロ語なのだが、以下はその英訳である。

1. Man is born tired and lives to get a rest. 
(人は生まれながらに疲れ、休むために生きるのだ)

2. Love thy bed as you love thyself.
(汝自身の如く、汝の布団を愛せ)

3. Rest during the day, so you can sleep at night.
(日中は休め。されば夜に眠れるだろう)

4. Do not work – work kills.
(働くな。働けば死ぬ)

5. If you see someone resting, help him out.
(休む者を見たなら、その者を助けよ)

6. Work as little as you can, and convey all the work you can to another.
(なるべく働くな。労働は他人に譲るものだ)

7. In shade is salvation – nobody died from resting.
(木陰は救いである。休んで死んだ者はいない)

8. Work earns illness – do not pass away young.
(働けば病気になる。若くして死んではならない)

9. If you have an urge to work, sit down, wait and you’ll see it will pass. 
(働きたくなったら、座して待ちなさい。その想いは消え去るだろうから)

10. When you see people eat and drink, approach them. When you see them work, withdraw yourself not to trouble them.
(飲み食いしている人たちを見たら、近づきなさい。働いている人たちを見たら、邪魔しないように遠ざかりなさい)

 なかなかに味わい深い言葉が揃っている。いま日本では「働き方改革」が叫ばれているが、まだここまでラディカルな動きは見られない。霞ヶ関あたりで、この十戒を刻んだポスターを貼ったらいいんじゃないか。


モンテネグロの十戒
現地で買ったポストカード。翻訳の乱れも「怠け者」の巧まざる証左のようで奥深い


ドブロブニクからモンテネグロへ

そんなモンテネグロに、ドブロブニクからの現地ツアーで行ってきた。

 約11時間の日帰りで、コトル(Kotor)とブドヴァ(Budva)という街に各々2時間ほど滞在する行程だ。ペラスト(Perast)とスヴェティ・ステファン島(Sveti Stefan)という景勝地で小休憩を設けるほかは、バスでひたすら移動するという詰め込み型のツアーである。

 といっても、渋滞を回避するためにバスごと大型フェリーに乗ってコトル湾を横切ったり、トイレ休憩で降りた国境付近のスーパーマーケットで買い物をしたりと(物価はドブロブニクよりもずっと安い)、わりにカラフルな道中ではあった。

 このような団体ツアーに参加するのは子どもたちには初めての体験だったが、同行者の方々によく可愛がっていただいて、頭から尻尾までご機嫌な一日となった。

 提供はSupertoursというクロアチアの旅行会社。我々はバスの中に(ドブロブニクの)ホテルの鍵を置き忘れてしまったのだが、迅速に対応いただいて、翌朝には引き渡してもらった(あと1日遅かったらウィーンに帰っていた)。とても良心的な会社であった、ということをここに報告しておきたい。


モンテネグロのコトル湾に浮かぶ小島、岩礁の聖母(Lady of the Rocks)
コトル湾に浮かぶ小島、岩礁の聖母(Our Lady of the Rocks)

コトル湾に浮かぶ小島、岩礁の聖母(Lady of the Rocks)の隣にある島
RPGで終盤にならないと行けないような雰囲気

「ヨーロッパ最南のフィヨルド」とも呼ばれるモンテネグロ
「ヨーロッパ最南のフィヨルド」とも呼ばれるが、実際はリアス式海岸との由


私の見たモンテネグロ人

それでは、モンテネグロ人は実際にどれだけ怠惰なのだろうか。

 往来のレストランに入ったが、シェフもウェイターもハンモックで熟睡。いくら声をかけても目覚めることなく、ついには何も注文できぬまま退店を余儀なくされた・・・といった類のエピソードは、実際には得られたのか。

 結論からいえば、そこまで突出した怠け者ぶりは、確認されなかった。日帰りの滞在では、彼らの怠惰な精神の深奥部(というほど大げさなものでもないけど)に迫ることはできないようだった。

 そのかわり、というべきか、金銭に関する印象的なやり取りが3件ほどあったので、これを以下に紹介することにしたい。

(1)コトル市内のレストラン。
モンテネグロの地ビール「Nikšićko」のジョッキを片手にカラマリのグリルを食べていると(これはすごくおいしかった)、やおらウェイターが近寄ってきて、「あんたは日本人かい」と訊いてくる。
 「日本は好きだよ」「わたしはセルビア出身なんだ」「セルビアは名古屋と姉妹都市だよ(註:後で調べたがそのような事実はなかった)」と、すこぶる友好的な態度である。
 彼が懐中から財布を取り出し、「いろんな国の紙幣を集めているんだ」と見せてきたとき、話の展開はもう半ば予測できたが、やはり「日本の紙幣はまだ持ってないんだ」「見せてくれるかい?」と来る。
そこで手持ちの千円札を渡すと、「いいデザインだ」「いいね」と頷きながら、そのまま、自然な手つきで財布にしまうのであった。

(2)コトル市内のお土産屋さん。
モンテネグロの写真がプリントされたマグネット(冷蔵庫とかに貼るやつ)を買おうとしたところ、おじいちゃんの店員が熱心に語りかけてくる。
 「お前の息子は可愛いね!」とか、「ああ、何という可愛さだろう!」みたいな感じなのだが、モンテネグロ語なので、何を言っているのかはよくわからない。
 おじいちゃんの激賞はエスカレートして、貝がら2枚と、ポストカード(どちらも売り物)を無料で添えてくれた。1ユーロのマグネットで、5ユーロ分のおまけがついてしまった。
 例の千円札のウェイターから教わったモンテネグロ語「Hvala(ありがとう)」が、ここで早速役に立った。

(3)ブドヴァ市内の洋服屋さん。
4歳の息子が、トイレでおしっこをズボンにかけてしまった。代替のズボンを買う必要が、にわかに生じた。
 そこでショッピングモールの子ども服売場に入ると、おばちゃんの店員が、「あなたの子どもはなんて可愛いの!」「何という可愛さ!」という、こうして書いていても気恥ずかしくなるようなテンションで迫ってくる。
 ちょうど良いサイズのズボンが見つかったので、これを購入したいと申し出ると、「あなたラッキーね、いまちょうどセール中なのよ!」「でも・・・ああっ・・・このズボンは・・・セール対象外なのよ・・・!」「ああっ・・・ごめんなさいね・・・!」と謝られてしまう。
 でもまあいいです、これをください。私がそう言うと、「ああっ・・・でも・・・ああああっ・・・!」と、感極まったおばちゃんのレジの操作によって、どういうわけかズボンは半額になったのである。


 以上の3つの逸話から、「モンテネグロ人はあまりお金に頓着しない」との結論が導けそうだ。他人の財布と自分の財布の境界線が曖昧というか、鷹揚というか、まあルーズである。

 そしてそのルーズ(Loose)さは、怠惰(Lazy)という名の水源に、暗渠のように一本道につながっているような気配もあるのだが、それはさすがに短絡にすぎるかもしれない。

 いずれにせよ、いま私の手元には、マグネットがあり、貝がらが2枚あり、ポストカードがあって、幼児用のズボンがある。そして千円札が失われている。それが私の、モンテネグロにおける貸借対照表である。


世界遺産となったコトルの旧市街
世界遺産となったコトルの旧市街

モンテネグロ・ブドヴァの子どもの乗り物
時間ごとに料金が違うのは初めて見た。合理的なシステムではある

モンテネグロ・ブドヴァのカフェバー
ブドヴァで見かけたカフェバー。緊縛プレイをたのしむ場所ではないようだ


過渡期にある国

もうひとつ、モンテネグロを訪問して私が思ったのは、「この国は観光地化の過渡期にある」ということだ。

 ドブロブニクでも似たようなことを感じたが、あちらがほぼ「後期」に差し掛かっているのに対し、こちらは「中期」ともいうべき趣きがある。我々を含め、団体ツアーの姿もちらほら見えるのだが、それを受け入れる側では、まだ完全に観光地として(つまり集金装置として)洗練されきっていないところが多分にある。

 コトルが世界遺産に登録されたのは1979年で、ずいぶん前のことなのだが、2018年の路地裏には修復されていない壁の瓦礫が転がっており、物乞いの目にはユーゴ紛争を思わせる影がさしている。

 そうした雰囲気も、あと10年後くらいに再訪したら、きっと大きく変わるのだろう。建物は然るべく補修され、物価は然るべく高騰するのだろう。

 モンテネグロを訪れるなら、いまが最良のタイミングなのかもしれない。


モンテネグロの世界遺産の街・コトルの路地裏の風景


日本と百年戦争をした(らしい)国

いまから20年ほど前、観光地化の「黎明期」には、ここはロシアの富裕層向けリゾート地のような場所であったと聞く。欧州連合から渡航制限をかけられた一部のロシア人たちも、加盟国でないモンテネグロには随意に入国できたからだ。

 「ヨーロッパという地域の政治力学を理解するには、各国のロシアに対するスタンスの微妙なグラデーションを見るとよい」とは、私が最近とみに実感するようになったことだ。そしてモンテネグロは、歴史的にロシアと親しい関係を築いてきた国である。

 1904年の日露戦争でも、モンテネグロはロシア側について、日本に宣戦布告をしたらしい。もっとも、実際に軍隊が出動するような事態はなく(さすがに地理的に遠すぎるし、ロシアも特にモンテネグロを頼らなかったようだ)、西満州で義勇軍が「サムライ」を剣戦で負かしたという、いささか伝説っぽいエピソードが残されているだけである。

 しかし、この話には続きがある。モンテネグロは、1905年のポーツマス講和会議に招かれなかったので(戦闘的貢献がなかったので呼ばれなかったという説と、単純に忘れられていたという説がある)、戦争の終了条件を満たしておらず、つまり日本とモンテネグロは、名目上はずっと開戦状態にあったというのである。

 2006年にモンテネグロが独立宣言をした直後に、山中外務大臣政務官(当時)がモンテネグロを訪問した。その場で、日本からモンテネグロの独立を承認する旨を伝えるとともに、両国の「100年続いた」戦争状態の終結を正式に確認した・・・というのが、セルビアの現地報道を受けて米国の通信社などが伝えた内容である。

 とはいえ、日本政府の公式見解は、「千九百四年にモンテネグロ国が我が国に対して宣戦を布告したことを示す根拠があるとは承知していない」というもので(出所:2006年2月「衆議院議員鈴木宗男君提出一九五六年の日ソ共同宣言などに関する質問に対する答弁書」)、そもそも宣戦布告の存在自体を肯定していない。入り口のところで見解の相違が生じているのだ。


モンテネグロ、コトルの城壁


 歴史の真実を追求することは、本稿の目的ではもちろんない。でも個人的には、「宣戦布告はしたけど、終結するのを忘れていた」という説を、根拠なく支持したい気持ちがある。

 その展開はいかにもモンテネグロ的だし、それに一滴の血も流れず、一人の死者も出ていない百年戦争というのがキャッチーで素敵だ。いや、もしかしたら「打倒、日本!」とか叫んでラキヤ(蒸留酒)を飲み過ぎ、吐血して不帰の人となった114年前のお父さんがいたかもしれないけれど、そこは架空の合掌をしつつ、私としては未来に目を向けて平和を祈りたい。

 日本とモンテネグロの行く末に祝福あれ。
 世界のすべての怠け者たちにも祝福あれ。

コメント

bayreuth さんのコメント…
もう30年近く前の話になりますが、大学院生時代に初めて「モンテネグロ」を意識しました。1898年施行の日本民法典は、当時の諸外国の様々な法典を参考に作られたのですが、その参考とした中に、フランス(佛)、オーストリア(墺)、イタリア(伊)、ドイツ(獨、草案段階)、などに混じって「モンテネグロ」という名前もありました。オーストリア=ハンガリー帝国の影響もあり、モンテネグロ民法はオーストリア民法の影響も受けているようである、というところでモンテネグロから離れてしまいましたが、この記事を拝読し、また興味関心がわいてきました。実益を兼ねて、訪れたくなってきました。

十戒(はがきも含め)良いですね。これまた大昔の小学生の頃読んだ遠藤周作のエッセイに、遠藤さんが座右の銘としている(あるいは単に好きな?)トルコのことわざに、「明日できることを今日するな」というものがあるという話があり、それ以来僕の座右の銘でもあります。モンテネグロの十戒も取り入れるようにします。
Satoru さんの投稿…
なるほど、日本の民法草案にモンテネグロが影響を与えていた(可能性がある)のですか。これはまた滋養ある話を伺いました。それからバルカンのあたりは、国体としての連続性がなくても名称を断続的に受け継ぐケースがありますよね。このあたりも私の興味を惹きつけます。

「明日できることを今日するな」、私も好きな言葉です。本当はものすごく真面目で勤勉な人であると仄聞する遠藤周作が好むゆえんもわかる気もします。励まされます。
이용 さんの投稿…
무척 재미있게 읽었습니다. 번역기가 좋아진 덕분에 외국어로 된 이런 좋은 글을 읽을 수 있게 되었네요. 한적한 분위기에 몸을 던진 듯한 느낌이 듭니다. 저도 아들들과 함께 여행해보고 싶어요.
Satoru さんの投稿…
친절한 말씀 감사합니다. 한국어를 못 쓰지만, 이제 인공지능 번역 웹사이트를 이용해 답변해 드립니다!