「世界の半分」でフライトキャンセルに喘ぐ(イスファハーン)
テヘランを東京とするなら、イスファハーンは京都である。
16世紀末に、サファヴィー朝のアッバース大帝がここを首都に定めた。技術の粋を凝らした宮殿、寺院、バザールがつくられ、後世の人びとにEsfahan nesfe jahan(イスファハーンは世界の半分)と言わしめた。賛辞はそのまま古都の代名詞となり、現在に至る。
世界の半分、イスファハーン。
ゲーム「ドラゴンクエスト」の最終ボス・りゅうおうは、主人公に「もし わしの みかたになれば せかいの はんぶんを XXXXに やろう」と持ちかけて、日本全国の小学生に衝撃を与えた。
あのときの「せかいの はんぶん」とは、つまりイスファハーンのことだったのだ。
※ これは「経済制裁下のイランに、それでも行くべき3つの理由(テヘラン)」の続篇ですが、この記事だけを読まれても特に支障はありません。
あれっ、
イスラム教は、
豚って大丈夫なんだっけ?
心配になってイランの人に尋ねてみると、これは大丈夫、ということであった。
豚は「不浄の生き物」であるし、豚肉を食べるのは当然ながら禁忌だが(お酒は逮捕覚悟で隠れて飲んでいる人がわりにいるのだが)、干支の文脈における豚は、幸運を呼ぶものとしてむしろ歓迎されているらしい。なるほど。
しかし、この豚さんが被っている帽子にはどこかで見たことのあるキャラクターがプリントされているが、これについては大丈夫なのか、とも思ったが、その疑問は心のなかに留めた。
イランに著作権という概念が存在するのか、これは今後の研究課題である。
(⇒ どうやら無さそうだ)
16世紀末に、サファヴィー朝のアッバース大帝がここを首都に定めた。技術の粋を凝らした宮殿、寺院、バザールがつくられ、後世の人びとにEsfahan nesfe jahan(イスファハーンは世界の半分)と言わしめた。賛辞はそのまま古都の代名詞となり、現在に至る。
世界の半分、イスファハーン。
ゲーム「ドラゴンクエスト」の最終ボス・りゅうおうは、主人公に「もし わしの みかたになれば せかいの はんぶんを XXXXに やろう」と持ちかけて、日本全国の小学生に衝撃を与えた。
あのときの「せかいの はんぶん」とは、つまりイスファハーンのことだったのだ。
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悩ましいオファー(画像提供:日本を支えるスーパー銀行員 Tさん) |
※ これは「経済制裁下のイランに、それでも行くべき3つの理由(テヘラン)」の続篇ですが、この記事だけを読まれても特に支障はありません。
イランのご機嫌な正月ムード
イスファハーンを散歩して、イランのご機嫌な正月ムードをたっぷり味わう。
バザールの回廊に、イマーム広場に、ザーヤンデ川のほとりに、おばあちゃんが、おとうさんが、ちびっこが、それぞれにひしめきあっている。歩くのをたのしむために歩いている。
イランの正月は日本でいう春分の日の時期にあって、だいたい1週間くらいは役所も学校もお休みになる。その間、人びとは実家に帰省したり、親戚の家を訪ねたり、子どもにお年玉をあげたり、寺院に行ってお参りをしたり、家で縁起物をお供えしたりする。露店では金魚やらお菓子やらを売っている。こう書くと日本とイランの違いがわからなくなってくる。
そしてまた日本と同じく十二支もあって、今年(=イラン暦1398年)は豚年なのだという。
・・・「豚」?
あれっ、
イスラム教は、
豚って大丈夫なんだっけ?
心配になってイランの人に尋ねてみると、これは大丈夫、ということであった。
豚は「不浄の生き物」であるし、豚肉を食べるのは当然ながら禁忌だが(お酒は逮捕覚悟で隠れて飲んでいる人がわりにいるのだが)、干支の文脈における豚は、幸運を呼ぶものとしてむしろ歓迎されているらしい。なるほど。
しかし、この豚さんが被っている帽子にはどこかで見たことのあるキャラクターがプリントされているが、これについては大丈夫なのか、とも思ったが、その疑問は心のなかに留めた。
イランに著作権という概念が存在するのか、これは今後の研究課題である。
(⇒ どうやら無さそうだ)
正月のお供え物 (画像提供:同行者のEさん) |
ミニオンズのシートに「本物の信仰」を感じる
古都で買い物をたのしむなら、やはりバザールに足を運ぶのが王道だろう。
ペルシャ絨毯も、ムスリム衣装も、ケバブの香辛料も、ここではなんでも売っている。
けれども私は、ペルシャ絨毯も、ムスリム衣装も、ケバブの香辛料も、正直それほど欲しくはない。というか、ムスリムの衣装なら10年前にクウェートで買った。
バザールの雰囲気には、たしかに他所では得がたい妙味がある。でも私が時間をかけて散策したのは、むしろ観光地でもなんでもない、地元の人が普段使いしている商店街だった。
バザールと違ってアーケードもないので、雨の日には道に並べた商品が思いきり濡れてしまうのだが、店員さんもお客さんもさほど気にする風でもない、そういう市井のお店を覗くのがおもしろかった。
たとえば、私がおもちゃ屋さんで物色していると、店員さんたちが「ちょいと失礼するよ」と言って、床に跪いてお祈りをはじめた。まあそれ自体はイスラム教徒なら通常の所作だが、彼らが頭を擦りつけているのはなんとミニオンズ(アメリカのアニメ映画)のビニールシートである。そのギャップに私は感動した。「本物の信仰がここにある」とすら思った。
でも通路がふさがって店内を歩けなくなったので、何も買わずに退店した。
しかし、ここで私が奇妙に思ったのは、
靴屋さんの隣に靴屋さんがあって、またその隣に靴屋さんがあったりすることだ。
靴屋さん、ひとつのところに集まりすぎなんじゃないか。
これは靴屋さんに限らず、換気扇屋さんとか、カーシート屋さんとか、大便器屋さんとか、お店の専門性がやたらにはっきりしている。小区画ごとにそれぞれの立地が集中しているのも同じである(テヘラン郊外もそうだった)。
もちろん東京にもかっぱ橋道具街や日暮里繊維街などがある。でもこちらの方がより画一的というか、均質的というか、「これって、隣の店と値段も品物も同じじゃない?」と疑わせるポテンシャルを強力に秘めている感があった。
これは、どういうことか。
ある種の独裁国家では、店舗の立地をがちがちに統制した結果、合理性から幾光年の距離を置いたクレージーな商業エリアが誕生したりする。そのようなスポットを観察するのは旅行の(いくぶん歪んだ)たのしみのひとつではあるが、イランではそういう気配はあまり感じない(念のためジェトロの産業レポートも参照しました)。
しばらく自由に考えを巡らせて、私がたどり着いた暫定的結論は、「ギルド(同業者組合)の文化がまだ色濃く残っているから」というものだ。
つまり、「競合他者より良品を、お求めやすい価格で!」という資本主義的マインドセットのかわりに、「ま、あなたもわたしも換気扇でメシを食ってる身ですから。ひとつ仲良くやりましょうや」みたいな互助的なムードがあるのではないか。
換気扇ショップばかり一箇所に集中していたら不便で仕方ないと思うんだけど、そこで優先されるのは需要側よりも供給側の都合なのだ。例によって確たる根拠はほとんどないのだが、従業員たちの身のこなしを時間をかけて観察して、私はそう考えるに至った。
イランという国は総じて先進国のカテゴリに位置すると思うが、ときどきスープの「ダマ」みたいに前近代っぽいところが不思議にまるごと残っていたりする。そして私に言わせれば、イランの魅力はまさにそういうところにある。
「運よく社会に適応できたバックパッカー」TさんとEさんに連れられて行ったマスジェデ・ジャーメ(イラン最古のモスク)などは、世界遺産に興味のない私にもやはり圧巻で、
「どれだけの才能と情熱、そして労働力がこの建設に費やされたのか」
「これはやばいな」
「でもそれから千年以上も訪問者が絶えていないわけだから、その感動の総量を思えば完全に『モトが取れた』というわけか」
などと、やくたいもないことを自問自答してしまうのであった。
それから私は、イスファハーン水族館に足を運んだ。
知らない土地に着いたとき、私はまず動物園・水族館を探すようにしている。そこで観察するのは動物だけではない。「動物を観察する現地の人たちを観察する」のである。同じ文脈で「記念撮影をする人たちを撮影する」のも好きだ。よくない趣味とは自分でもわかっている。でも好きなものは好きなのだ。
こうした性癖に同行者諸氏の共感はあまり得られず、私はひとりでそこに向かった。自分の性癖は自分で責任を取らなくてはならない。
途中で道に迷って、片道で2時間以上もかかった。さらに大雨になって、私は濡れねずみとなった(いまにして思えばこれは洪水の前触れだった)。
ペルシャ絨毯も、ムスリム衣装も、ケバブの香辛料も、ここではなんでも売っている。
屋根つきの歩廊なので雨の日でも大丈夫 |
マネキンの顔がぜんぶ同じで、妙にどきどきしてしまう |
マンガ「20世紀少年」の「ともだち」みたいなやつもいた |
子どものマネキンもあったが、この並べ方はちょっとやばいんじゃないか |
けれども私は、ペルシャ絨毯も、ムスリム衣装も、ケバブの香辛料も、正直それほど欲しくはない。というか、ムスリムの衣装なら10年前にクウェートで買った。
バザールの雰囲気には、たしかに他所では得がたい妙味がある。でも私が時間をかけて散策したのは、むしろ観光地でもなんでもない、地元の人が普段使いしている商店街だった。
バザールと違ってアーケードもないので、雨の日には道に並べた商品が思いきり濡れてしまうのだが、店員さんもお客さんもさほど気にする風でもない、そういう市井のお店を覗くのがおもしろかった。
たとえば、私がおもちゃ屋さんで物色していると、店員さんたちが「ちょいと失礼するよ」と言って、床に跪いてお祈りをはじめた。まあそれ自体はイスラム教徒なら通常の所作だが、彼らが頭を擦りつけているのはなんとミニオンズ(アメリカのアニメ映画)のビニールシートである。そのギャップに私は感動した。「本物の信仰がここにある」とすら思った。
でも通路がふさがって店内を歩けなくなったので、何も買わずに退店した。
靴屋さんの隣に靴屋さん
イランではスーパーマーケットをあまり見かけない。だから商店街とは純粋な意味で個人店舗の連なりである。しかし、ここで私が奇妙に思ったのは、
靴屋さんの隣に靴屋さんがあって、またその隣に靴屋さんがあったりすることだ。
靴屋さん、ひとつのところに集まりすぎなんじゃないか。
これは靴屋さんに限らず、換気扇屋さんとか、カーシート屋さんとか、大便器屋さんとか、お店の専門性がやたらにはっきりしている。小区画ごとにそれぞれの立地が集中しているのも同じである(テヘラン郊外もそうだった)。
もちろん東京にもかっぱ橋道具街や日暮里繊維街などがある。でもこちらの方がより画一的というか、均質的というか、「これって、隣の店と値段も品物も同じじゃない?」と疑わせるポテンシャルを強力に秘めている感があった。
これは、どういうことか。
ある種の独裁国家では、店舗の立地をがちがちに統制した結果、合理性から幾光年の距離を置いたクレージーな商業エリアが誕生したりする。そのようなスポットを観察するのは旅行の(いくぶん歪んだ)たのしみのひとつではあるが、イランではそういう気配はあまり感じない(念のためジェトロの産業レポートも参照しました)。
しばらく自由に考えを巡らせて、私がたどり着いた暫定的結論は、「ギルド(同業者組合)の文化がまだ色濃く残っているから」というものだ。
つまり、「競合他者より良品を、お求めやすい価格で!」という資本主義的マインドセットのかわりに、「ま、あなたもわたしも換気扇でメシを食ってる身ですから。ひとつ仲良くやりましょうや」みたいな互助的なムードがあるのではないか。
換気扇ショップばかり一箇所に集中していたら不便で仕方ないと思うんだけど、そこで優先されるのは需要側よりも供給側の都合なのだ。例によって確たる根拠はほとんどないのだが、従業員たちの身のこなしを時間をかけて観察して、私はそう考えるに至った。
イランという国は総じて先進国のカテゴリに位置すると思うが、ときどきスープの「ダマ」みたいに前近代っぽいところが不思議にまるごと残っていたりする。そして私に言わせれば、イランの魅力はまさにそういうところにある。
大便器を購入するか迷ったが、あきらめた(トルクメニスタンへの持ち込みが難しい) |
同行者のTさんは、古道具屋で大日本帝国の軍票を買った |
電車内に物売りが来て、スマホの充電コードや自撮り棒などを勧めてくる |
降りる人が先ですよ |
次の電車のお知らせがWindowsのデスクトップになっていた |
自分の性癖は自分で責任を取らなくてはならない
もちろん普通の観光もした。わざわざイスファハーンに来て、換気扇ショップばかり見ていては仕方がない。「運よく社会に適応できたバックパッカー」TさんとEさんに連れられて行ったマスジェデ・ジャーメ(イラン最古のモスク)などは、世界遺産に興味のない私にもやはり圧巻で、
「どれだけの才能と情熱、そして労働力がこの建設に費やされたのか」
「これはやばいな」
「でもそれから千年以上も訪問者が絶えていないわけだから、その感動の総量を思えば完全に『モトが取れた』というわけか」
などと、やくたいもないことを自問自答してしまうのであった。
大量の参拝者を「さばく」ためのトイレの動線設計もすばらしかった |
それから私は、イスファハーン水族館に足を運んだ。
知らない土地に着いたとき、私はまず動物園・水族館を探すようにしている。そこで観察するのは動物だけではない。「動物を観察する現地の人たちを観察する」のである。同じ文脈で「記念撮影をする人たちを撮影する」のも好きだ。よくない趣味とは自分でもわかっている。でも好きなものは好きなのだ。
こうした性癖に同行者諸氏の共感はあまり得られず、私はひとりでそこに向かった。自分の性癖は自分で責任を取らなくてはならない。
途中で道に迷って、片道で2時間以上もかかった。さらに大雨になって、私は濡れねずみとなった(いまにして思えばこれは洪水の前触れだった)。
ビニール袋を頭にかぶって雨を避ける人。東南アジアでもときどき見る光景だ |
任天堂はイスファハーンにも進出していた |
ビールっぽいけど、味は全然違った(ルートビアみたいな甘いやつだった) |
爬虫類動物園にも行った。入り口に行列のできるほどの人気だった |
水族館はさらに盛況だった。外国人は私だけで、再びスーパースターになった |
水族館自体も見ごたえがあった |
妙にリアルな魚のぬいぐるみを買った(子どもたちにすごく喜ばれた) |
シャッターは閉まったが、私はそこに居続けた
イスファハーンは夜も元気だった。
おもちゃ屋さんが深夜24時までオープンしている。そんな時間にお客さんが来るのかと思うけれど、普通に子連れが入店してくる。モラルが云々というより、日射の強い時間帯の活動を避けるためかもしれない。そういえば中東のほかの国も総じて夜更かしだった。
治安も明らかによい感じだ。カフェに行けば、隣のお客さんが財布をテーブルに置いたままトイレに行く。真夜中の路地裏では、女の子がスマホ片手にひとりで歩いている。ウィーンとイスファハーン、どちらが安全なのかだんだんわからなくなってくる。
繁華街から少し離れた区画に、地下に通じる小さな扉があった。水煙草の絵がひっそり描かれている。ときどき中年の男が現れて、人生にくたびれた背中を階下の闇に沈ませてゆく。
こういうお店を見つけると、つい入ってみたくなるのが私の治らない性癖である。
私は同行者に別れを告げ、ドアを開けて入店した。
自分の性癖は自分で責任を取らなくてはならない。
料金表のようなものはどこにもなく、英語が通じる人は誰もいない。でも私には「旅の指さし会話帳 イラン」という無敵のアイテムがある。
スイカ味の水煙草を注文し、仕切られた絨毯のスペースに寝そべった。
深夜24時30分。シャッターはとうに閉められていたが、まだ若干の常連が残っていた。私も不思議に居場所を許されて、体内に煙を入れては出し、入れては出して、その反復運動のなかに溶け込んでいった。目を閉じると、イスファハーンの歴史が私を抱擁するのがわかった。
「エイディー」と帰りぎわに店員さんが言った。
「いまさら身分証明書(ID)?」と訝しみつつパスポートを見せたが、そうではなかった。彼は私に「お年玉(エイディー)」を乞うたのだ。
いい年をしたおっさんにお年玉を渡す謂われは無かったが、なにしろ私は良い按配になっていたので、10万リアルを握らせた。10万リアルといっても実勢レートで約100円だ。
お会計は「エイディー」込みで50万リアルであった。
まず、料金がべらぼうに安い。1泊13ユーロ(40ユーロを3人で割った数字)で、朝食つき、空港送迎つき、観光案内つき、これらがすべて無料である。
目下のイランは経済制裁の影響でExpediaもBooking.comも使えない。よって今回の旅ではHostelworld.comという、名称からして「安宿ならまかせろ」的なサイトを利用した。
だから今回の宿についても部屋のクオリティにはまったく期待しておらず、なんなら「水がちゃんと出れば90点」みたいな採点基準を胸中に抱えていた。
ところが、このNarcis BnBは、
我々の予想に反して(というのも失礼だけど)すこぶる快適で、

トイレもイラン屈指の清潔さで、

なんだかインテリア雑誌「美しい部屋」(主婦と生活社)に出てくる家に間違えて入ってしまったのではないか、と一抹の不安を覚えるほどだった。これで1泊13ユーロというのだから、ちょっと信じられない。
オーナーのNarcisさんは、ギリシャ神話に出てくる自己愛の強い美少年・・・ではもちろんなくて、なんと私より若い女性であった。すでに遠方の学校に通う娘さんもいらして、ご自身も自適の暮らしをされている風で、つまりアパートホテルはちょっとした趣味の副業みたいな位置づけにあると推察された。なるほど、だからこんなに安い料金設定ができるのか。
しかしNarcisさんにも悩みはあって、それは「わざわざ経済制裁下のイランを訪れる旅行者がほとんどいない」ために、賓客をもてなす機会が限られてしまうことである。さらに最近は違法民泊も増えてきているらしい。需要(=旅行者)が減って供給(=違法民泊)が増えて、その結果は当然ながら競争の激化なのであった。
「なるほど、それなら私はブログを通じて、まずイラン旅行の魅力を語りましょう。そしてNarcis BnBについても紹介しましょう」と私は言った。アドセンスとか、コミッションとか、そういう資本主義の手続きから自由な場所で。
前回の記事にこの文章を添えて、私はようやくNarcisさんへの約束を果たしたことになる。

おもちゃ屋さんが深夜24時までオープンしている。そんな時間にお客さんが来るのかと思うけれど、普通に子連れが入店してくる。モラルが云々というより、日射の強い時間帯の活動を避けるためかもしれない。そういえば中東のほかの国も総じて夜更かしだった。
治安も明らかによい感じだ。カフェに行けば、隣のお客さんが財布をテーブルに置いたままトイレに行く。真夜中の路地裏では、女の子がスマホ片手にひとりで歩いている。ウィーンとイスファハーン、どちらが安全なのかだんだんわからなくなってくる。
繁華街から少し離れた区画に、地下に通じる小さな扉があった。水煙草の絵がひっそり描かれている。ときどき中年の男が現れて、人生にくたびれた背中を階下の闇に沈ませてゆく。
こういうお店を見つけると、つい入ってみたくなるのが私の治らない性癖である。
私は同行者に別れを告げ、ドアを開けて入店した。
自分の性癖は自分で責任を取らなくてはならない。
料金表のようなものはどこにもなく、英語が通じる人は誰もいない。でも私には「旅の指さし会話帳 イラン」という無敵のアイテムがある。
スイカ味の水煙草を注文し、仕切られた絨毯のスペースに寝そべった。
深夜24時30分。シャッターはとうに閉められていたが、まだ若干の常連が残っていた。私も不思議に居場所を許されて、体内に煙を入れては出し、入れては出して、その反復運動のなかに溶け込んでいった。目を閉じると、イスファハーンの歴史が私を抱擁するのがわかった。
「エイディー」と帰りぎわに店員さんが言った。
「いまさら身分証明書(ID)?」と訝しみつつパスポートを見せたが、そうではなかった。彼は私に「お年玉(エイディー)」を乞うたのだ。
いい年をしたおっさんにお年玉を渡す謂われは無かったが、なにしろ私は良い按配になっていたので、10万リアルを握らせた。10万リアルといっても実勢レートで約100円だ。
お会計は「エイディー」込みで50万リアルであった。
ExpediaもBooking.comも使えない世界
イスファハーンではNarcis BnBというアパートホテルに泊まったが、ここは我が人生において最高の宿であった。まず、料金がべらぼうに安い。1泊13ユーロ(40ユーロを3人で割った数字)で、朝食つき、空港送迎つき、観光案内つき、これらがすべて無料である。
目下のイランは経済制裁の影響でExpediaもBooking.comも使えない。よって今回の旅ではHostelworld.comという、名称からして「安宿ならまかせろ」的なサイトを利用した。
だから今回の宿についても部屋のクオリティにはまったく期待しておらず、なんなら「水がちゃんと出れば90点」みたいな採点基準を胸中に抱えていた。
ところが、このNarcis BnBは、
我々の予想に反して(というのも失礼だけど)すこぶる快適で、
トイレもイラン屈指の清潔さで、
なんだかインテリア雑誌「美しい部屋」(主婦と生活社)に出てくる家に間違えて入ってしまったのではないか、と一抹の不安を覚えるほどだった。これで1泊13ユーロというのだから、ちょっと信じられない。
オーナーのNarcisさんは、ギリシャ神話に出てくる自己愛の強い美少年・・・ではもちろんなくて、なんと私より若い女性であった。すでに遠方の学校に通う娘さんもいらして、ご自身も自適の暮らしをされている風で、つまりアパートホテルはちょっとした趣味の副業みたいな位置づけにあると推察された。なるほど、だからこんなに安い料金設定ができるのか。
しかしNarcisさんにも悩みはあって、それは「わざわざ経済制裁下のイランを訪れる旅行者がほとんどいない」ために、賓客をもてなす機会が限られてしまうことである。さらに最近は違法民泊も増えてきているらしい。需要(=旅行者)が減って供給(=違法民泊)が増えて、その結果は当然ながら競争の激化なのであった。
「なるほど、それなら私はブログを通じて、まずイラン旅行の魅力を語りましょう。そしてNarcis BnBについても紹介しましょう」と私は言った。アドセンスとか、コミッションとか、そういう資本主義の手続きから自由な場所で。
前回の記事にこの文章を添えて、私はようやくNarcisさんへの約束を果たしたことになる。
我々の旅は順調である
Narcisさんの好意で空港まで送ってもらって、お礼にマルボロを一箱さしあげる(煙草を渡すとコミュニケーションが円滑になると聞いて、ウィーンから1カートンを持参していた)。
車が空港に到着した。「またいつか」と別れを告げるときだ。
【いつか】が今晩でないことを祈って、と私は冗談を言う。
この季節にしてはめずらしく、激しい雨が降っていたのだ。
我々は、まず21時25分のイスファハーン発テヘラン行き(イラン航空 IR3312)に搭乗し、一昨日に泊まったホステルを訪ねて荷物をピックアップし、わずかに睡眠をとってから朝8時のテヘラン発マシュハド行き(マハン航空 W51033)で飛び立つ予定であった。
なぜこんなにキツめのスケジュールなのか、なぜイスファハーン発マシュハド行きの直行便を利用しないのか、とあなたは思われるかもしれない。私もそう思った。
しかしそこには事情がある。これまた経済制裁の影響で、イラン国外からチケットを予約することが難しく、ウィーンで事前に調達可能なチケットがイラン航空とマハン航空の2社しかなかったのだ。
「我々のフライトは、あと1時間後ですか」
「なんだか雨が強くなってきましたね」
「いちおうオンタイムとなってるけど、他のはいくつかキャンセルになってますね」
「いやな予感がしますね」
「イラン航空を信じましょう」
「でも、仮にキャンセルになったらどうするべきか、少しブレストしてみましょうか」
あとになって思えば、このときコンティンジェンシー・プランについて話し合ったことが、約20分後の【出来事】に対する意思決定に大いなる貢献をはたした。
「あれ、なんか急にざわついてきましたね」
「なんだ、あの人だかりは?」

「え、これゎ・・・えっ?」
【出来事】とはもちろん、フライトキャンセルのことである。

イラン航空のおじさんを中心に、怒号の渦が巻き起こった。
アナウンスも罵声もぜんぶペルシャ語なので、なにを言っているかがまったくわからない。
ひとりだけ英語を解する人がいたので、いまの状況を訊いてみた。
「今回のキャンセルは補償されないと説明されている」「だからみんな怒っている」
時刻は21時10分。
これはだめだ、と私は思った。
この状況はもう改善しないだろう。おじさんには補償云々の権限がそもそもないのだろう。返金交渉は追ってイラン航空ウィーン支店を通じて進めるとして、いまやるべきことは、コンティンジェンシー・プランの実行だろう。すなわち、いますぐテヘラン行きの夜行バスに飛び乗ることだ。
けれども、そんな夜行バスは存在するのか?
もしあったとして、どこから出発するのか?
そのバスの予約は、どうすればできるのか?
「いいからとにかくタクシーを掴まえろ! 走りながら考えるぞ!」と私は叫んだ。
こうして我々はおじさんを見限り、タクシーの運ちゃんに「とにかく猛スピードで市内まで走ってくれ! 具体的な下車地点はあとで伝える・・・!」とスパイ映画のような指示をした。どこで下車すべきか、実際そのときにはわからなかった。
再び、自画自賛をしてしまおうか。
このときの我々の動きは、最高に俊敏であった。Narcisさんに電話して今日の夜行バスの有無を調べてもらう傍ら、テヘランでの宿泊を「損切り」して荷物だけ運んでもらうよう依頼。同時にそれぞれの前提がワークしなかった場合のプランを即座に組み立て、その場で議論しながらプロアクティブに作業責任を分担していった。
社会の歯車として生きてきた苦労と経験の蓄積は、すべていまこの瞬間に果実を結ぶためにあったのではないか、と私は錯覚した。
さらにすばらしかったのは、「23時ジャストに中央ターミナルからテヘラン行きの最終バスが出ている」という事実をおさえたNarcisさんが、先回りして3名ぶんの座席を予約してくれたことである。「言われたことをやってくれる」だけで加点評価されがちな海外生活において、「言われていないことまで気を利かせてやってくれる」のは、ほとんど奇蹟のようなものだ。Narcisさんの助けがなければ、我々の旅はイスファハーンで頓挫していたに違いない。
イスファハーンからテヘランへの夜行バス(6時間弱)の運賃は、50万リアル。実勢レートで換算すると約3.3ユーロという異様な安さであった。
こうして我々は、まだ日も明けぬテヘランに到着した。
バスのなかで眠ったおかげで(意外にも広くて快適な座席だった)、ヒートアップした頭がほどよく冷えた。これでひとまず大丈夫だ。次の目的地は「シーア派の聖廟都市」マシュハドである。
見ると、Tさんが浮かない顔をしている。睡眠不足なのかもしれない。
「どうしたんですか」
「ひとつ悪いニュースがあります」とTさんは言った。「例の洪水被害が拡大したために、マシュハドからトルクメニスタンの国境線まで明日運転してくれるはずだったドライバーから先ほどキャンセルの連絡がありました」
我々の旅は順調である。まったく順調でないという点を除けば順調である。
車が空港に到着した。「またいつか」と別れを告げるときだ。
【いつか】が今晩でないことを祈って、と私は冗談を言う。
この季節にしてはめずらしく、激しい雨が降っていたのだ。
我々は、まず21時25分のイスファハーン発テヘラン行き(イラン航空 IR3312)に搭乗し、一昨日に泊まったホステルを訪ねて荷物をピックアップし、わずかに睡眠をとってから朝8時のテヘラン発マシュハド行き(マハン航空 W51033)で飛び立つ予定であった。
なぜこんなにキツめのスケジュールなのか、なぜイスファハーン発マシュハド行きの直行便を利用しないのか、とあなたは思われるかもしれない。私もそう思った。
しかしそこには事情がある。これまた経済制裁の影響で、イラン国外からチケットを予約することが難しく、ウィーンで事前に調達可能なチケットがイラン航空とマハン航空の2社しかなかったのだ。
「我々のフライトは、あと1時間後ですか」
「なんだか雨が強くなってきましたね」
「いちおうオンタイムとなってるけど、他のはいくつかキャンセルになってますね」
「いやな予感がしますね」
「イラン航空を信じましょう」
「でも、仮にキャンセルになったらどうするべきか、少しブレストしてみましょうか」
あとになって思えば、このときコンティンジェンシー・プランについて話し合ったことが、約20分後の【出来事】に対する意思決定に大いなる貢献をはたした。
「あれ、なんか急にざわついてきましたね」
「なんだ、あの人だかりは?」
「え、これゎ・・・えっ?」
【出来事】とはもちろん、フライトキャンセルのことである。
イラン航空のおじさんを中心に、怒号の渦が巻き起こった。
アナウンスも罵声もぜんぶペルシャ語なので、なにを言っているかがまったくわからない。
ひとりだけ英語を解する人がいたので、いまの状況を訊いてみた。
「今回のキャンセルは補償されないと説明されている」「だからみんな怒っている」
時刻は21時10分。
これはだめだ、と私は思った。
この状況はもう改善しないだろう。おじさんには補償云々の権限がそもそもないのだろう。返金交渉は追ってイラン航空ウィーン支店を通じて進めるとして、いまやるべきことは、コンティンジェンシー・プランの実行だろう。すなわち、いますぐテヘラン行きの夜行バスに飛び乗ることだ。
けれども、そんな夜行バスは存在するのか?
もしあったとして、どこから出発するのか?
そのバスの予約は、どうすればできるのか?
「いいからとにかくタクシーを掴まえろ! 走りながら考えるぞ!」と私は叫んだ。
こうして我々はおじさんを見限り、タクシーの運ちゃんに「とにかく猛スピードで市内まで走ってくれ! 具体的な下車地点はあとで伝える・・・!」とスパイ映画のような指示をした。どこで下車すべきか、実際そのときにはわからなかった。
再び、自画自賛をしてしまおうか。
このときの我々の動きは、最高に俊敏であった。Narcisさんに電話して今日の夜行バスの有無を調べてもらう傍ら、テヘランでの宿泊を「損切り」して荷物だけ運んでもらうよう依頼。同時にそれぞれの前提がワークしなかった場合のプランを即座に組み立て、その場で議論しながらプロアクティブに作業責任を分担していった。
社会の歯車として生きてきた苦労と経験の蓄積は、すべていまこの瞬間に果実を結ぶためにあったのではないか、と私は錯覚した。
さらにすばらしかったのは、「23時ジャストに中央ターミナルからテヘラン行きの最終バスが出ている」という事実をおさえたNarcisさんが、先回りして3名ぶんの座席を予約してくれたことである。「言われたことをやってくれる」だけで加点評価されがちな海外生活において、「言われていないことまで気を利かせてやってくれる」のは、ほとんど奇蹟のようなものだ。Narcisさんの助けがなければ、我々の旅はイスファハーンで頓挫していたに違いない。
イスファハーンからテヘランへの夜行バス(6時間弱)の運賃は、50万リアル。実勢レートで換算すると約3.3ユーロという異様な安さであった。
こうして我々は、まだ日も明けぬテヘランに到着した。
バスのなかで眠ったおかげで(意外にも広くて快適な座席だった)、ヒートアップした頭がほどよく冷えた。これでひとまず大丈夫だ。次の目的地は「シーア派の聖廟都市」マシュハドである。
見ると、Tさんが浮かない顔をしている。睡眠不足なのかもしれない。
「どうしたんですか」
「ひとつ悪いニュースがあります」とTさんは言った。「例の洪水被害が拡大したために、マシュハドからトルクメニスタンの国境線まで明日運転してくれるはずだったドライバーから先ほどキャンセルの連絡がありました」
我々の旅は順調である。まったく順調でないという点を除けば順調である。
コメント
Go Bears~!!!!
そうそう、レジリエンス(回復力)って大事ですよね・・・。この過酷な世界にあって、それは意識して鍛えないと育たない能力でもある。でも同時に、変なベクトルの現実逃避にイキすぎないように注意しなくてはならない。そのバランスの取り方は、いまでも私の大いなる課題です。
実は先ほどサンクトペテルブルグから帰ってきて、明日から爆破テロのあったコロンボに行ってきます。そしてその翌週には、「バークレーと私」の若きブログ読者からの依頼を受け、その方とウィーンのカフェで面会する予定です。Hideyasuさんとも、この地球上のどこかで、いつかお会いできる日が来るのをたのしみにしております・・・!
それでは、また。
ご連絡ありがとうございます。誠に恐縮ながら、今回は見送りさせていただければ幸いです。貴メディアの益々の繁栄をお祈り申し上げます。
Satoru
ブログ大変楽しく読ませて頂いています。ぼくも先日ウズベキスタンに男3人で行ってきました。
さて、「同業種が並んでいることによる消費者側の利便性と店舗側の合理性」というのもあるのかなと思います。
最近よく思うのは「まとまってある商店の方が集客効果があるのでは」という考えです。
今からフライトなので細かくはまた機会あれば描きたいと思いますが、個人商店ごとで集客するよりかは「ここに来れば靴(又は換気扇)が買える」という消費者マインドを持たせるのはメディアに継続的に広告掲載をするのと同じくらいの経済効果があるのではないかと考えてます。
「まとまってある商店の方が集客効果があるのでは」とのご意見、私もそう思います。昭和中期の秋葉原の電気街も、おそらく似たような経緯の成り立ちなのだと思います。地場産業が発展してゆく上でのひとつの「定石」というか。そういえば、先月に子連れで出かけた北マケドニア共和国のストゥルガ(Струга)という町では100円ショップ(99den shop)があちこちにあって、思わずビーチサンダルを買ってしまいました。隣町のオフリド(Охрид)にはそういうお店は全然みかけないのに、なぜかストゥルガだけにはある。その理由はまったくわからない。
そういう小さな気づきみたいなものが向こうから自然にやってくるところが、外国の街歩きのおもしろさですよね。