著者解題【2019年】
このブログはまもなく終了となるが、その前に、2019年に公開した記事(全34本)を解説する試みを果たしたい。これは「著者解題【2018年】」の続篇である。
前回と同様に、付き合いの長い読者に向かって、ひっそりと種明かしをするような心持ちでやっていきたい。
前回と同様に、付き合いの長い読者に向かって、ひっそりと種明かしをするような心持ちでやっていきたい。
1. 壊されなかったのは偶然だった(クラクフ)
2019年の1本目。ポーランドの古都クラクフの家族旅行記。
この頃は、旅行ペースが執筆ペースを上回って、忘れないうちに原稿を完成しないとならないとの焦りがあった。
いまにして思えば、それはまったく無用な焦りだった。なぜなら、たしかな材料さえ揃っていれば、数か月程度のインターバルは、むしろ記憶の自然な浮き沈み(=無意識の力を借りた題材の取捨選択)を促すための適切な熟成期間となるからだ。
クラクフは訪れる価値のある、静かで美しい町だった。その1年後には北極圏に向かう旅のトランジットとして、同じポーランドのグダニスクに出かけた。この土地は第一次世界大戦後のある時期に、どの国にも属さない自由都市ダンツィヒと呼ばれていた。
西と東の列強に翻弄されつづけたポーランドは、私がウィーン滞在中に旅行したなかで最も心惹かれた国のひとつだ。
この頃は、旅行ペースが執筆ペースを上回って、忘れないうちに原稿を完成しないとならないとの焦りがあった。
いまにして思えば、それはまったく無用な焦りだった。なぜなら、たしかな材料さえ揃っていれば、数か月程度のインターバルは、むしろ記憶の自然な浮き沈み(=無意識の力を借りた題材の取捨選択)を促すための適切な熟成期間となるからだ。
クラクフは訪れる価値のある、静かで美しい町だった。その1年後には北極圏に向かう旅のトランジットとして、同じポーランドのグダニスクに出かけた。この土地は第一次世界大戦後のある時期に、どの国にも属さない自由都市ダンツィヒと呼ばれていた。
西と東の列強に翻弄されつづけたポーランドは、私がウィーン滞在中に旅行したなかで最も心惹かれた国のひとつだ。
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グダニスクの旧市街 |
2. ナチスドイツと東京メトロが共存する空間(ウィーン交通博物館)
ウィーン郊外にある交通博物館を子どもたちと訪問したときの記録。
ウィーンの観光名所の紹介は、基本的に拙ブログの射程外としていたのだが(ほかにも多くの適任者がいるだろうから)、この交通博物館にはなにしろ私も息子たちも大興奮であった。そのときの心の動きを封じ込めるようにして、すっと一息に書き上げた。自分でも気に入っている記事である。
ウィーンの観光名所の紹介は、基本的に拙ブログの射程外としていたのだが(ほかにも多くの適任者がいるだろうから)、この交通博物館にはなにしろ私も息子たちも大興奮であった。そのときの心の動きを封じ込めるようにして、すっと一息に書き上げた。自分でも気に入っている記事である。
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新型コロナウィルスの影響で、路線図の布マスクが新発売となった |
3. これが人生初の一時帰国だ(東京)
なかば旅行者の気分で訪れた、約1週間の東京滞在記。
これは海外在住者からの評判が良かった。文中で紹介した免税制度など、意外に知らない人が多かった(私も知らなかった)。ひさしぶりに実益のある記事を書いたかもしれない。
アパートの大家さんを訪ねるくだりは、いま読み返してもせつない気持ちになる。
結果として、本篇よりも多くのアクセス数を集めることになった(全記事中、第8位)。Googleで「イスラエル 入国審査」などと検索して漂着される方が大勢いらっしゃるようだ。
これは海外在住者からの評判が良かった。文中で紹介した免税制度など、意外に知らない人が多かった(私も知らなかった)。ひさしぶりに実益のある記事を書いたかもしれない。
アパートの大家さんを訪ねるくだりは、いま読み返してもせつない気持ちになる。
4. イスラエルの入出国審査、その詳細を書いておこう
旅行記の導入部として書きはじめたが、掘り下げていくうちに「これはもう独立した別記事にしよう」と思い立ったもの。結果として、本篇よりも多くのアクセス数を集めることになった(全記事中、第8位)。Googleで「イスラエル 入国審査」などと検索して漂着される方が大勢いらっしゃるようだ。
5. 理想の光、暴力の影(イスラエル)
https://wienandme.blogspot.com/2019/02/blog-post.html
イスラエルの随所を遊歩した日の記録。
拙ブログの記事は1万字未満にしようと決めているのだが、このときは書きたいことが続々と出てきて、初稿は約1万4千字。そこから削りに削って、どうにか制限内に抑えられた。
イスラエルのことを書くときに、センシティブな問題をどう書くか。これはじつに悩ましい事柄だった。
そうしたトピックは慎重に避け、物事の明るい面だけに焦点を当てるのも、ひとつの賢明なアプローチではある。
しかし私は、読み物としての面白さを担保した上で(これは書き手の技量による)、あえて正面から政治と歴史の話を書いてみたかった。ある方面からの批判を覚悟で、忌憚なき自分の考えを開陳してみたかった。「これまで文章を書く力を蓄えてきたのは、この難しいテーマに挑むための布石だったのだろう?」と自分を励まして、持てる戦力のすべてを、オールインで注ぎ込んでみたかった。私はいつしか死ぬのであるから、それまでに、私自身を超えるものをつくりたかった。
この記事を公開したあと、いちじるしい達成感と脱力感に襲われ、発熱して3日間ほど床に臥せった。
イスラエルの随所を遊歩した日の記録。
拙ブログの記事は1万字未満にしようと決めているのだが、このときは書きたいことが続々と出てきて、初稿は約1万4千字。そこから削りに削って、どうにか制限内に抑えられた。
イスラエルのことを書くときに、センシティブな問題をどう書くか。これはじつに悩ましい事柄だった。
そうしたトピックは慎重に避け、物事の明るい面だけに焦点を当てるのも、ひとつの賢明なアプローチではある。
しかし私は、読み物としての面白さを担保した上で(これは書き手の技量による)、あえて正面から政治と歴史の話を書いてみたかった。ある方面からの批判を覚悟で、忌憚なき自分の考えを開陳してみたかった。「これまで文章を書く力を蓄えてきたのは、この難しいテーマに挑むための布石だったのだろう?」と自分を励まして、持てる戦力のすべてを、オールインで注ぎ込んでみたかった。私はいつしか死ぬのであるから、それまでに、私自身を超えるものをつくりたかった。
この記事を公開したあと、いちじるしい達成感と脱力感に襲われ、発熱して3日間ほど床に臥せった。
6. 三賢人に聞く、ウィーンで豊かに暮らす方法
https://wienandme.blogspot.com/2019/02/blog-post_23.html
ウィーンに住む3名の日本人から、生活の知恵などを取材した記事。
ブログを1年ほども続けていると、ウィーンで新たにお会いする人から、「読んでますよ」「Satoruさんに会いたかった」などと言われる機会がときどきある。
これは恥ずかしくも嬉しいもので、またアイスブレイクの時間を減らす効用もある。すると不思議なことに、「少しは役に立つことも書こうか」という仄かな責任感が生まれてきた。
といっても、私には有用な文章が書けるイメージが湧かない。そこで信頼する知人に寄稿をお願いしたのである。幸いなことに3名とも快諾くださり、多方面からの読み手を集める人気コンテンツとなった。さらには赴任者や旅行者の照会に対してもこの記事を示せば足りるようになって、つまりは最初から最後まで良いことしか起こらなかった。
ウィーンに住む3名の日本人から、生活の知恵などを取材した記事。
ブログを1年ほども続けていると、ウィーンで新たにお会いする人から、「読んでますよ」「Satoruさんに会いたかった」などと言われる機会がときどきある。
これは恥ずかしくも嬉しいもので、またアイスブレイクの時間を減らす効用もある。すると不思議なことに、「少しは役に立つことも書こうか」という仄かな責任感が生まれてきた。
といっても、私には有用な文章が書けるイメージが湧かない。そこで信頼する知人に寄稿をお願いしたのである。幸いなことに3名とも快諾くださり、多方面からの読み手を集める人気コンテンツとなった。さらには赴任者や旅行者の照会に対してもこの記事を示せば足りるようになって、つまりは最初から最後まで良いことしか起こらなかった。
7. 子どもたちは笑顔で中指を突き立てた(パレスチナ)
https://wienandme.blogspot.com/2019/02/blog-post_25.html
イスラエルとの暫定国境線を越えてパレスチナの古都ジェリコを訪れた日の記録。
前段のイスラエル滞在記の難所を乗り越えたので、パレスチナ篇ではするすると書き進めることができた。
タイトルにあるとおり「中指を突き立てた」写真を子どもたちと一緒に撮影したが、それは記事には載せなかった。子どもたちに迷惑をかけるリスクを排除したかったからだ。
日帰りの旅は忙しくも濃密な体験だったが、いまにして思えば、ラマッラーのあたりに宿を取って、もう1,2日くらいパレスチナに滞在しておけば良かったかもしれない。それがわずかな心残りである。
そうしたなかで、私なりのオリジナリティをどのように打ち出すべきか。これは毎回のように自問しているテーゼである。その結果、「あえて私が書くネタでもないかな」と止めることも少なくない。私のリソースは(能力的にも、時間的にも)限られているのだ。
でも今回は、紙の下書きの段階で「いつもの語り口でいけば良いだろう」という妙な手応えがあったしーーなにしろ携帯ウォシュレットを最も優先したり、Wizz Airを偏愛する日本人はそれほど多くないだろうからーー自らの備忘メモとしても役立ちそうな予感があった。あまり迷わずに筆運びもよろしく、3日くらいで書き上げた。読者からの反響も上々だった。
(この記事を書いたあと、洗濯物干しロープの有用性に目覚めた)
イスラエルとの暫定国境線を越えてパレスチナの古都ジェリコを訪れた日の記録。
前段のイスラエル滞在記の難所を乗り越えたので、パレスチナ篇ではするすると書き進めることができた。
タイトルにあるとおり「中指を突き立てた」写真を子どもたちと一緒に撮影したが、それは記事には載せなかった。子どもたちに迷惑をかけるリスクを排除したかったからだ。
日帰りの旅は忙しくも濃密な体験だったが、いまにして思えば、ラマッラーのあたりに宿を取って、もう1,2日くらいパレスチナに滞在しておけば良かったかもしれない。それがわずかな心残りである。
8. オーストリア航空で6万円のチケットを誤発注した
https://wienandme.blogspot.com/2019/03/6.html
タイトルのとおり、自ら招いた受難に対する模索と行動の記録。
「さようなら、私の届かなかった荷物たち」と「ドイツ鉄道のオンラインチケットが届かない」に連なる、「失敗三部作」のひとつ。
自慢話ではなく、失敗談で周りを笑わせる人間でありたい。
失敗談は、なぜ、おもしろいのか。それは、「問題が発生した前半パート」と「その問題に対処する後半パート」というフォーマットの手堅さがまずあって、とりわけ前半では哄笑を、後半では教訓(のようなもの)を授けてくれるからではないか。
この広大なインターネット空間には、極上の失敗談がたくさんある。私が好きな失敗談は、牧村朝子さんの「羽田と成田を間違えたけど間に合った話」だ。突き抜けた失敗談は、ときに読み手を勇気づけ、感動させることもできるのだ。
いま読み返すとどうにも冗長で、トピックの数も多すぎるきらいがある。物価/ペニス博物館/交通事故/地熱発電所/公衆銭湯。これはたぶん記事を小分けにすべきだろう。メディアに寄稿したら「話題をひとつに絞るべき」と指摘されるだろう。たとえば交通事故の顛末だけに絞って、2,000字くらいにまとめなさい、とか。
しかし、そのような真っ当な理屈は了承した上で、私はすべてを1記事にまとめたかった。あえて長文に挑戦して、哄笑にも抒情にも振り向けられる腰の入った文体や、緊張と緩和を織り交ぜて最後まで読ませるテクニックを実践したかった。要するに頑固な性格なのだ。
いまGoogleアナリティクスを確認すると、この記事の「平均ページ滞在時間」は、約8分。及第点には達したようである。
タイトルのとおり、自ら招いた受難に対する模索と行動の記録。
「さようなら、私の届かなかった荷物たち」と「ドイツ鉄道のオンラインチケットが届かない」に連なる、「失敗三部作」のひとつ。
自慢話ではなく、失敗談で周りを笑わせる人間でありたい。
失敗談は、なぜ、おもしろいのか。それは、「問題が発生した前半パート」と「その問題に対処する後半パート」というフォーマットの手堅さがまずあって、とりわけ前半では哄笑を、後半では教訓(のようなもの)を授けてくれるからではないか。
この広大なインターネット空間には、極上の失敗談がたくさんある。私が好きな失敗談は、牧村朝子さんの「羽田と成田を間違えたけど間に合った話」だ。突き抜けた失敗談は、ときに読み手を勇気づけ、感動させることもできるのだ。
9. 地中海の楽園はオフシーズンも悪くない(マヨルカ島)
https://wienandme.blogspot.com/2019/03/blog-post.html
地中海に浮かぶマヨルカ島に陽射しを求めた、冬の5日間の滞在記。
マヨルカ島はフエルテベントゥラ島よりも有名なので、あまり気負わず(観光名所の紹介には労力を割かず)、とにかく好きなように書こうと思って、その決意のままに書いたもの。
結句、最後のほうはもはや旅行記でも何でもなくなって、架空のお婆ちゃんの臨終シーンを描写することになった。「死の床に横たわりて」という小説のタイトルが妙に頭から離れない時期がーーおよそ十年前から断続的にーー私にはあって、本稿でその言葉をまぎれこませた。完全なる自己満足である。
地中海に浮かぶマヨルカ島に陽射しを求めた、冬の5日間の滞在記。
マヨルカ島はフエルテベントゥラ島よりも有名なので、あまり気負わず(観光名所の紹介には労力を割かず)、とにかく好きなように書こうと思って、その決意のままに書いたもの。
結句、最後のほうはもはや旅行記でも何でもなくなって、架空のお婆ちゃんの臨終シーンを描写することになった。「死の床に横たわりて」という小説のタイトルが妙に頭から離れない時期がーーおよそ十年前から断続的にーー私にはあって、本稿でその言葉をまぎれこませた。完全なる自己満足である。
10. YouTubeはバイリンガルを育てるか?
https://wienandme.blogspot.com/2019/03/youtube.html
2018年に書いた「英語の幼児教育は難しい」と「息子が英語を話しはじめた」に続く、子どもの外国語教育シリーズ第3弾。
これまでと同様に、価値観の正否を判定するとか、読み手の不安を煽るとか、そういうものからは距離を置いたスタンスで、あくまで極私的な事例として紹介するようにした。そのほうがたぶん読者の懐に届きやすいし、私自身もくつろいで書ける。
最近の息子は、「太陽系の解説」といった動画を自ら英語でつくるようになった。それをYouTubeに公開しようとは思わないが、本人たちがたのしんでやっているのは何よりである。
2018年に書いた「英語の幼児教育は難しい」と「息子が英語を話しはじめた」に続く、子どもの外国語教育シリーズ第3弾。
これまでと同様に、価値観の正否を判定するとか、読み手の不安を煽るとか、そういうものからは距離を置いたスタンスで、あくまで極私的な事例として紹介するようにした。そのほうがたぶん読者の懐に届きやすいし、私自身もくつろいで書ける。
最近の息子は、「太陽系の解説」といった動画を自ら英語でつくるようになった。それをYouTubeに公開しようとは思わないが、本人たちがたのしんでやっているのは何よりである。
11. NHKの支局長に新事業を提案した
https://wienandme.blogspot.com/2019/03/nhk.html
「NHKは子ども番組に特化したネット配信をやるべき」という意見文。
この記事は2018年の秋ごろから書こうと準備していたが、宿題のように溜まった旅行ネタを優先させるあまり、長らく手つかずになっていた。
そのようにぐずぐずしていたところへ、「YouTubeはバイリンガルを育てるか?」でネット動画について触れたので、その余勢を駆って一気に書き上げた。そうしたら(記事中でも紹介したように)2019年1月に「放送法改正案」の国会提出が決まり、主張の後ろ盾を得たみたいになった。サボっていたのがむしろ功を奏した形になる。そういうことって仕事でもある。
全体的にふざけたトーンの記事なのだが、読者の方からは意外なほど真摯な賛同コメントをいただいた。なんでも書いてみるものである。
「NHKは子ども番組に特化したネット配信をやるべき」という意見文。
この記事は2018年の秋ごろから書こうと準備していたが、宿題のように溜まった旅行ネタを優先させるあまり、長らく手つかずになっていた。
そのようにぐずぐずしていたところへ、「YouTubeはバイリンガルを育てるか?」でネット動画について触れたので、その余勢を駆って一気に書き上げた。そうしたら(記事中でも紹介したように)2019年1月に「放送法改正案」の国会提出が決まり、主張の後ろ盾を得たみたいになった。サボっていたのがむしろ功を奏した形になる。そういうことって仕事でもある。
全体的にふざけたトーンの記事なのだが、読者の方からは意外なほど真摯な賛同コメントをいただいた。なんでも書いてみるものである。
12. Bloggerでの旅行系ブログはやめるべきかもしれない
https://wienandme.blogspot.com/2019/04/blogger.html
Googleが提供するBloggerサービスの意外な欠点について述べた雑記。
イランなどからアクセスできないという小さな愚痴をこぼすとともに、来たるべきイラン&トルクメニスタン旅行記への予告篇として書くことを意識した。
実のところ、私はBloggerを嫌いではない。はてなブログにもnoteにも馴染まず、SNSとの連帯すら安易にしない(できない)。どこかスタンドアローンなところも気に入っている。
でもとにかく、サービス終了という事態だけは避けてほしい。
Googleが提供するBloggerサービスの意外な欠点について述べた雑記。
イランなどからアクセスできないという小さな愚痴をこぼすとともに、来たるべきイラン&トルクメニスタン旅行記への予告篇として書くことを意識した。
実のところ、私はBloggerを嫌いではない。はてなブログにもnoteにも馴染まず、SNSとの連帯すら安易にしない(できない)。どこかスタンドアローンなところも気に入っている。
でもとにかく、サービス終了という事態だけは避けてほしい。
13. 車は大破したが、この国にはまた来たい(アイスランド)
いま読み返すとどうにも冗長で、トピックの数も多すぎるきらいがある。物価/ペニス博物館/交通事故/地熱発電所/公衆銭湯。これはたぶん記事を小分けにすべきだろう。メディアに寄稿したら「話題をひとつに絞るべき」と指摘されるだろう。たとえば交通事故の顛末だけに絞って、2,000字くらいにまとめなさい、とか。
しかし、そのような真っ当な理屈は了承した上で、私はすべてを1記事にまとめたかった。あえて長文に挑戦して、哄笑にも抒情にも振り向けられる腰の入った文体や、緊張と緩和を織り交ぜて最後まで読ませるテクニックを実践したかった。要するに頑固な性格なのだ。
いまGoogleアナリティクスを確認すると、この記事の「平均ページ滞在時間」は、約8分。及第点には達したようである。
14. 1週間の旅行グッズは「40x30x20cm」に詰め込める
LCC(格安航空会社)に乗るときに荷物を減らすノウハウを説明した記事。
「旅行に持っていく荷物」というのは参入障壁の低いトピックで、インターネット上に無数のコンテンツがひしめいている。そうしたなかで、私なりのオリジナリティをどのように打ち出すべきか。これは毎回のように自問しているテーゼである。その結果、「あえて私が書くネタでもないかな」と止めることも少なくない。私のリソースは(能力的にも、時間的にも)限られているのだ。
でも今回は、紙の下書きの段階で「いつもの語り口でいけば良いだろう」という妙な手応えがあったしーーなにしろ携帯ウォシュレットを最も優先したり、Wizz Airを偏愛する日本人はそれほど多くないだろうからーー自らの備忘メモとしても役立ちそうな予感があった。あまり迷わずに筆運びもよろしく、3日くらいで書き上げた。読者からの反響も上々だった。
(この記事を書いたあと、洗濯物干しロープの有用性に目覚めた)
15. イラン政府からビザ申請を拒否された
イランのe-VISAを拒否されてから挽回するまでのプロセスを綴った雑記。
とにかくテンポのよい記事にしたかった。いつもの記事に比べてパラグラフが短く、改行も多い。画像を加工してマンガっぽい集中線をつける。「おもしろサイト」っぽさを出すように意識した。
私はe-VISAを獲得できたが、渡航前夜にうっかり映画「アルゴ」を観てしまったのでーーCIA職員が偽造パスポートでイランに潜入する話だーー空港での入国審査の緊張感が不必要に倍加された。あのとき私は、あの映画に没入する最高(最悪)の条件を満たしていた。
とにかくテンポのよい記事にしたかった。いつもの記事に比べてパラグラフが短く、改行も多い。画像を加工してマンガっぽい集中線をつける。「おもしろサイト」っぽさを出すように意識した。
私はe-VISAを獲得できたが、渡航前夜にうっかり映画「アルゴ」を観てしまったのでーーCIA職員が偽造パスポートでイランに潜入する話だーー空港での入国審査の緊張感が不必要に倍加された。あのとき私は、あの映画に没入する最高(最悪)の条件を満たしていた。
16. 経済制裁下のイランに、それでも行くべき3つの理由(テヘラン)
2019年の初春(現地の正月シーズン)にイランを訪れたときの紀行文。
イラン旅行の心象は格別だったので、訪問した都市ごとに別記事にしようと発案をした(このブログでは初の試みとなる)。その第一弾としてテヘランを取り上げ、旅全体を振り返った所感もたっぷり入れた。
「3つの理由」の3番目に、私は「この状況は(たぶん)いましかないから」と書いた。その翌年に米国がソレイマニ司令官を殺害し、新型コロナウィルスでは中東最悪の被害を蒙った。3番目の理由は、図らずも重い意味を持つようになってしまった。
イラン・イスラム共和国。
イラン旅行の心象は格別だったので、訪問した都市ごとに別記事にしようと発案をした(このブログでは初の試みとなる)。その第一弾としてテヘランを取り上げ、旅全体を振り返った所感もたっぷり入れた。
「3つの理由」の3番目に、私は「この状況は(たぶん)いましかないから」と書いた。その翌年に米国がソレイマニ司令官を殺害し、新型コロナウィルスでは中東最悪の被害を蒙った。3番目の理由は、図らずも重い意味を持つようになってしまった。
イラン・イスラム共和国。
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テレビ取材を受けたのも、今となっては懐かしい |
17. 「世界の半分」でフライトキャンセルに喘ぐ(イスファハーン)
前稿に続いて、イランの古都イスファハーンの地を踏んだときの紀行文。
イランを旅行する人は(例えばイギリスに比べたら)多くはないが、ものすごく僅少というわけでもない。だから、「イランすごい!」「イランに来た僕すごい!」などと鼻息の荒い、鼻腔から自意識が漏れ出るような文体からは距離を置いておこうと私は思った。
もちろん現地を歩き回っているときには「すごすぎる…」「なんだこりゃ…」と鼻息も荒くなるだろう。そのような揺さぶりがないならば、旅をする意義はどこにあるのか。
でも、そうした激情をべたべた貼り付けるより、重心の低い腹式呼吸の文体をつくっていくほうが、かえって長丁場でもテンションの落ちない旅行記を綴れるのではないか。なぜなら、冗談も抒情も、分析も考察も、物語風のトラブル報告も、重心を低く保っていれば、それぞれを書きこなしやすくなるからだ。
そして性質の異なるパーツを組み合わせた描写ができるようになれば、文章の流れにも自然と「波」ができて、結果として読み手に大きな揺さぶりを伝播できるのではないか。
このことを明確に意識するようになったのは、たしかイラン旅行シリーズに取り組んでからだったと記憶している。
空港から市内への移動手段について、その費用対効果を比較した記事。
カロリー高めのイラン旅行記が続いたのでーーこのあとにトルクメニスタン旅行記も控えているし、この時期には本業の仕事もわりに立て込んでいたこともあってーー「幕間」的に軽めの記事を書きたくなったもの。
なんだかCAT(専用快速)の営業妨害みたいな内容になってしまったが、思うところを忌憚なく述べたらこうなった。
イスラム教シーア派の聖地と称されるマシュハドを訪ねた旅行記。
トラブルが多発する旅というのは、その渦中においては苦しいものだが、あとで記事を書く段になって筆運びがよろしくなる。いや、べつに文章などを書かなくたって、飲み会などで旅行の話をするときに、場が盛り上がるのはたいてい受難のエピソードである。
記事を書きはじめる前段の準備として、「知り合いに受難のエピソードを披露して、どの部分で反応がよかったかを検証する」というのがある。毎回そうしているわけではないけれど、イラン旅行記ではこれが功を奏したようだ。
中央アジアの独裁国家トルクメニスタンの旅行記。
これが拙ブログで最もヒットした記事である。約8万PV(ページビュー)、平均滞在時間は約10分。デイリーポータルZで紹介いただいたのと、Twitterで拡散されたのが大きかった。
私が書いているものは旅行記なので、想定される読者は(当然ながら)旅行に関心のある人となる。でもこの記事では例外的に、そうした層のさらに圏外にもリーチした感がある。
それはたとえば、アニメやライトノベルを愛好する人々だ。どういうわけか。訝しんで感想の群れにあたってみると、どうやら「異世界転生もの」なるジャンルに親和性があるらしい、と私は推察した。
「異世界転生もの」では、現代社会に生きる主人公が、突如として価値観の異なる文明世界へとワープして、そこで痛快な出来事を次々に体験する。そういう筋書きがみられるらしい。つまりそれは、ごく普通の日本人がトルクメニスタンに行って、そこで痛快な(?)出来事を次々に体験するという本稿の流れに通じているのではないか、と私は推量したのだ。
当初は「銭湯パート」を書くつもりはなかった。書くべきではないと考えていた。それだから、独裁の権能が及ぶ範囲は都市部だけではないか、との仮説を提示して、「これが私の結論である。偏った視座を有することに定評のある私のエグゼクティブ・サマリー。」の言で本稿を結ぶつもりだった。これでも充分にボリュームのある記事となる。ここまで書くのに2か月近くも費やしていた。けじめをつけるべき頃合いだった。
けれども私の内部に、未消化な塊がくすぶっていた。公開ボタンを押すのを躊躇させる何かがあって、吐きそうで吐けないような状態が続いていた。そうしたなか、ふと「銭湯パートで文体をがらっと変えてみようか」とのアイデアが閃いた。そこから一気に集中力が深まって、時間を忘れた炎天下のバルコニーで初稿を書き終えた。「ようやく突き抜けられたかな」と、誰に言うともなく呟いた。
トルクメニスタンの記事が予想以上に大きな反響を得たので、アクセスが多いうちに新記事を発表しようと企んだもの。
はじめはノウハウ提供型の短い内容にしようと考えていたが、書き進むにつれてコントロールが効かなくなって、「時間の不可逆性に対する哀しみを背負って」とか、「治らない性癖を背負って」とか、ちょっとわけのわからないテンションのままで打ち切った。
通常であれば、ここからしかるべき推敲を重ね、文章の練度を上げていくプロセスがある。けれどもこのときは捨て鉢な気持ちで、いきおい「公開」ボタンを押してしまった。
そのように理知的とは言えない状態でものされた記事であったが、これが意外にも好評で、特に「治らない性癖」のフレーズには共鳴する感想も散見された。読者の反応というものは、つくづく予想できないものである。
本記事はデイリーポータルZの投稿コーナーには応募していなかったが、SNSにおける自然発生的な拡散があり、望外に多くの読者を得られることとなった。
「所持金を盗まれたのにウンコのフィギュアを買ってる場合ではないだろう」といった的確な批判も頂戴するなか(奥さんはその意見に首肯していた)、とある読者からはメールで寄付のお申し出をいただいた。「大変失礼なこととは存じますが、なにかドネーション的なことでお力になれたら…」との文面であった。
ドネーション的なこと?
この謙虚で身にしみる気遣いに対して、私は以下の返事をしたためた。
はたして恵みの雨は齎された。私は読者の好意に生かされていた。
プラハとチェスキー・クルムロフには異なる時期に出かけたのだが、この頃から再び旅行の頻度がブログ記事を上回るようになって、なかば債務を片付けるようにして本稿をまとめた。
チェコには強い思い入れがあったので、避けがたくペダンチックな文体になってしまった。といっても、ガルシア=マルケスと開高健がどちらも30歳に黄金時代のプラハを訪問していたという事実を発見したとき、私の心はたしかに震えたのだから、どうしても記さずにはいられなかった。
好きなことを好きなように書く。これはやはり大切なことである。
イランを旅行する人は(例えばイギリスに比べたら)多くはないが、ものすごく僅少というわけでもない。だから、「イランすごい!」「イランに来た僕すごい!」などと鼻息の荒い、鼻腔から自意識が漏れ出るような文体からは距離を置いておこうと私は思った。
もちろん現地を歩き回っているときには「すごすぎる…」「なんだこりゃ…」と鼻息も荒くなるだろう。そのような揺さぶりがないならば、旅をする意義はどこにあるのか。
でも、そうした激情をべたべた貼り付けるより、重心の低い腹式呼吸の文体をつくっていくほうが、かえって長丁場でもテンションの落ちない旅行記を綴れるのではないか。なぜなら、冗談も抒情も、分析も考察も、物語風のトラブル報告も、重心を低く保っていれば、それぞれを書きこなしやすくなるからだ。
そして性質の異なるパーツを組み合わせた描写ができるようになれば、文章の流れにも自然と「波」ができて、結果として読み手に大きな揺さぶりを伝播できるのではないか。
このことを明確に意識するようになったのは、たしかイラン旅行シリーズに取り組んでからだったと記憶している。
18. ウィーン空港から市内へは、普通電車Sバーンがより安い
空港から市内への移動手段について、その費用対効果を比較した記事。
カロリー高めのイラン旅行記が続いたのでーーこのあとにトルクメニスタン旅行記も控えているし、この時期には本業の仕事もわりに立て込んでいたこともあってーー「幕間」的に軽めの記事を書きたくなったもの。
なんだかCAT(専用快速)の営業妨害みたいな内容になってしまったが、思うところを忌憚なく述べたらこうなった。
19. イランの「お伊勢まいり」で雑踏に溶け込む(マシュハド)
イスラム教シーア派の聖地と称されるマシュハドを訪ねた旅行記。
トラブルが多発する旅というのは、その渦中においては苦しいものだが、あとで記事を書く段になって筆運びがよろしくなる。いや、べつに文章などを書かなくたって、飲み会などで旅行の話をするときに、場が盛り上がるのはたいてい受難のエピソードである。
記事を書きはじめる前段の準備として、「知り合いに受難のエピソードを披露して、どの部分で反応がよかったかを検証する」というのがある。毎回そうしているわけではないけれど、イラン旅行記ではこれが功を奏したようだ。
20. 「中央アジアの北朝鮮」に行ってきた(トルクメニスタン)
中央アジアの独裁国家トルクメニスタンの旅行記。
これが拙ブログで最もヒットした記事である。約8万PV(ページビュー)、平均滞在時間は約10分。デイリーポータルZで紹介いただいたのと、Twitterで拡散されたのが大きかった。
私が書いているものは旅行記なので、想定される読者は(当然ながら)旅行に関心のある人となる。でもこの記事では例外的に、そうした層のさらに圏外にもリーチした感がある。
それはたとえば、アニメやライトノベルを愛好する人々だ。どういうわけか。訝しんで感想の群れにあたってみると、どうやら「異世界転生もの」なるジャンルに親和性があるらしい、と私は推察した。
「異世界転生もの」では、現代社会に生きる主人公が、突如として価値観の異なる文明世界へとワープして、そこで痛快な出来事を次々に体験する。そういう筋書きがみられるらしい。つまりそれは、ごく普通の日本人がトルクメニスタンに行って、そこで痛快な(?)出来事を次々に体験するという本稿の流れに通じているのではないか、と私は推量したのだ。
当初は「銭湯パート」を書くつもりはなかった。書くべきではないと考えていた。それだから、独裁の権能が及ぶ範囲は都市部だけではないか、との仮説を提示して、「これが私の結論である。偏った視座を有することに定評のある私のエグゼクティブ・サマリー。」の言で本稿を結ぶつもりだった。これでも充分にボリュームのある記事となる。ここまで書くのに2か月近くも費やしていた。けじめをつけるべき頃合いだった。
けれども私の内部に、未消化な塊がくすぶっていた。公開ボタンを押すのを躊躇させる何かがあって、吐きそうで吐けないような状態が続いていた。そうしたなか、ふと「銭湯パートで文体をがらっと変えてみようか」とのアイデアが閃いた。そこから一気に集中力が深まって、時間を忘れた炎天下のバルコニーで初稿を書き終えた。「ようやく突き抜けられたかな」と、誰に言うともなく呟いた。
21. 知らない国でのリスクを減らすため、私が集める3種類の情報
トルクメニスタンの記事が予想以上に大きな反響を得たので、アクセスが多いうちに新記事を発表しようと企んだもの。
はじめはノウハウ提供型の短い内容にしようと考えていたが、書き進むにつれてコントロールが効かなくなって、「時間の不可逆性に対する哀しみを背負って」とか、「治らない性癖を背負って」とか、ちょっとわけのわからないテンションのままで打ち切った。
通常であれば、ここからしかるべき推敲を重ね、文章の練度を上げていくプロセスがある。けれどもこのときは捨て鉢な気持ちで、いきおい「公開」ボタンを押してしまった。
そのように理知的とは言えない状態でものされた記事であったが、これが意外にも好評で、特に「治らない性癖」のフレーズには共鳴する感想も散見された。読者の反応というものは、つくづく予想できないものである。
22. 所持金はすべて盗まれたけれど、私は元気です(キエフ)
本記事はデイリーポータルZの投稿コーナーには応募していなかったが、SNSにおける自然発生的な拡散があり、望外に多くの読者を得られることとなった。
「所持金を盗まれたのにウンコのフィギュアを買ってる場合ではないだろう」といった的確な批判も頂戴するなか(奥さんはその意見に首肯していた)、とある読者からはメールで寄付のお申し出をいただいた。「大変失礼なこととは存じますが、なにかドネーション的なことでお力になれたら…」との文面であった。
ドネーション的なこと?
この謙虚で身にしみる気遣いに対して、私は以下の返事をしたためた。
(前略)
とはいえ、私がキエフ旅行をした(スリにやられてオーストリア銀行の残高が32ユーロだった)のは、去る2019年4月のことです。爾後、国際機関から給与及び教育手当等も無事に振り込まれまして、いまは悠々自適の生活を過ごしております(と書くと引退した人みたいですが...)。ですので、XXXさまの温かいお気持ちだけを頂ければ、それで私は十分でございます。本当に。
【ここから独り言】
ただし、もし愚生に多少なりとものインセンティブを付与することに吝かでなければ、拙ブログ内で紹介した書籍等(e.g. キエフ旅行記の後半で引用した「チェルノブイリの祈り」)のリンクをクリックいただき、そこから当該書籍又はAmazonサイトに滞在したままで何か別のご入用な商品(e.g. お米1kg)を購入いただくと、愚生の懐に数パーセントのAmazonギフト券という形での恵みの雨が齎されるかもしれません。
【/独り言おわり】
(後略)
とはいえ、私がキエフ旅行をした(スリにやられてオーストリア銀行の残高が32ユーロだった)のは、去る2019年4月のことです。爾後、国際機関から給与及び教育手当等も無事に振り込まれまして、いまは悠々自適の生活を過ごしております(と書くと引退した人みたいですが...)。ですので、XXXさまの温かいお気持ちだけを頂ければ、それで私は十分でございます。本当に。
【ここから独り言】
ただし、もし愚生に多少なりとものインセンティブを付与することに吝かでなければ、拙ブログ内で紹介した書籍等(e.g. キエフ旅行記の後半で引用した「チェルノブイリの祈り」)のリンクをクリックいただき、そこから当該書籍又はAmazonサイトに滞在したままで何か別のご入用な商品(e.g. お米1kg)を購入いただくと、愚生の懐に数パーセントのAmazonギフト券という形での恵みの雨が齎されるかもしれません。
【/独り言おわり】
(後略)
はたして恵みの雨は齎された。私は読者の好意に生かされていた。
23. うんこと私のデッド・ヒート
https://wienandme.blogspot.com/2019/08/blog-post.html
3歳児の好感度を上げるべく奮闘するさまを描いた雑文。
このところ分量の厚い旅行記が続いたので、ひさしぶりに肩の力を抜いた不真面目な雑文を書きたくなった。ほとんど迷わずに、頭からすらすらと書き進められた記憶がある。
やくたいもない内容であるが、個人的にはベスト5に数えられるお気に入りの記事だ。
3歳児の好感度を上げるべく奮闘するさまを描いた雑文。
このところ分量の厚い旅行記が続いたので、ひさしぶりに肩の力を抜いた不真面目な雑文を書きたくなった。ほとんど迷わずに、頭からすらすらと書き進められた記憶がある。
やくたいもない内容であるが、個人的にはベスト5に数えられるお気に入りの記事だ。
24. 踏みにじられた孤峰(プラハ、チェスキー・クルムロフ)
プラハとチェスキー・クルムロフには異なる時期に出かけたのだが、この頃から再び旅行の頻度がブログ記事を上回るようになって、なかば債務を片付けるようにして本稿をまとめた。
チェコには強い思い入れがあったので、避けがたくペダンチックな文体になってしまった。といっても、ガルシア=マルケスと開高健がどちらも30歳に黄金時代のプラハを訪問していたという事実を発見したとき、私の心はたしかに震えたのだから、どうしても記さずにはいられなかった。
好きなことを好きなように書く。これはやはり大切なことである。
25. ウィーン、2018-2019
https://wienandme.blogspot.com/2019/09/2018-2019.html
かつて「バークレーと私」で、写真リッチで文字数が極端に少ない記事を書いたことがある(⇒ バークレーにさよならを言う日が近づいていること)。これをもう一度やりたくなった。
文字のないぶん、写真の選定にたっぷり時間をかけた。「これを載せようか、やめようか」「この順番を入れ替えたほうがインパクトが強いかな」などと考えるのは、いつもと違う部分の筋肉を使うようで心地よかった。
ウィーンで撮影した写真を並べた、文字のない記事。
かつて「バークレーと私」で、写真リッチで文字数が極端に少ない記事を書いたことがある(⇒ バークレーにさよならを言う日が近づいていること)。これをもう一度やりたくなった。
文字のないぶん、写真の選定にたっぷり時間をかけた。「これを載せようか、やめようか」「この順番を入れ替えたほうがインパクトが強いかな」などと考えるのは、いつもと違う部分の筋肉を使うようで心地よかった。
26. 著者解題【2018年】
https://wienandme.blogspot.com/2019/09/2018.html
私は昔から文庫本の解説を先に読む(あまり行儀のよくない)癖がある。だから自分でも小文をなにか書きたくなって、そうしたらやっぱりおもしろかった。
解題にかこつけて私の愛する創作物について語ることもできて、欲望がストレートに解消される感覚があった。文章を書くことで解消される類の欲望があるのだ。
私の結論は、「デイリーポータルZに収まらなかったアウトテイクス的な逸話を載せよう」というものだった。編集部のアドバイスを得られるデイリーには間口の広い記事を書きつつ、ブログではより好き勝手に、呼吸の間隔を長く、ときに重たい内容でも「ついてきてくれる」読者に宛てたものを書きたい。私はそのように企図したのである。
2018年に書いた全記事の解説を試みたもの。
私は昔から文庫本の解説を先に読む(あまり行儀のよくない)癖がある。だから自分でも小文をなにか書きたくなって、そうしたらやっぱりおもしろかった。
解題にかこつけて私の愛する創作物について語ることもできて、欲望がストレートに解消される感覚があった。文章を書くことで解消される類の欲望があるのだ。
27. 「コソボであそぼ」アウトテイクス
https://wienandme.blogspot.com/2019/10/blog-post.html
デイリーポータルZのデビュー作「コソボであそぼ」に漏れた逸話を集めた小文。
2019年の8月末、ボスニア・ヘルツェゴビナの地方都市トゥズラからサラエボ行きの長距離バスに揺られていたとき、デイリーポータルZ編集部の石川大樹さんから執筆依頼のメールを受信した。「自由ポータルZ」という投稿コーナーに通算で5回採用されたからとの由。
はじめは単発掲載の話だったが、「コソボであそぼ」の素稿を提出したあとに、月1回程度の連載という話に変わった。
そのとき私は、拙ブログの今後の方針について少し悩んだ。このころ本業もわりに繁盛していたから、むやみに手を広げるわけにもいかなかった。他方で、愛着のある「ウィーンと私」をむげに放擲したくもない。
どうすればよいだろうか。
2019年の8月末、ボスニア・ヘルツェゴビナの地方都市トゥズラからサラエボ行きの長距離バスに揺られていたとき、デイリーポータルZ編集部の石川大樹さんから執筆依頼のメールを受信した。「自由ポータルZ」という投稿コーナーに通算で5回採用されたからとの由。
はじめは単発掲載の話だったが、「コソボであそぼ」の素稿を提出したあとに、月1回程度の連載という話に変わった。
そのとき私は、拙ブログの今後の方針について少し悩んだ。このころ本業もわりに繁盛していたから、むやみに手を広げるわけにもいかなかった。他方で、愛着のある「ウィーンと私」をむげに放擲したくもない。
どうすればよいだろうか。
私の結論は、「デイリーポータルZに収まらなかったアウトテイクス的な逸話を載せよう」というものだった。編集部のアドバイスを得られるデイリーには間口の広い記事を書きつつ、ブログではより好き勝手に、呼吸の間隔を長く、ときに重たい内容でも「ついてきてくれる」読者に宛てたものを書きたい。私はそのように企図したのである。
28. 可愛い子どもと旅をしよう
https://wienandme.blogspot.com/2019/10/blog-post_24.html
旅行には子どもの「考える力」を鍛えさせる副次効果がある、と主張したエッセイ。
小さい息子たちが成長するにつれ、私は子連れ旅行の希少性(あるいは一回性)にようやく気づいた。彼らが小学校にあがれば、親の都合だけで簡単に休みを取れなくなる。ウィーンに住んだ私は、偶然の冪乗の働きのおかげで、頻々と旅行できていたのだ。
そのように自覚した私は、子育ての徒然を、自分の言葉で記録しておきたくなった。主張の正しさは担保できないが、自らの考えを嘘偽りなく吐露したことだけは約束できる。
小さい息子たちが成長するにつれ、私は子連れ旅行の希少性(あるいは一回性)にようやく気づいた。彼らが小学校にあがれば、親の都合だけで簡単に休みを取れなくなる。ウィーンに住んだ私は、偶然の冪乗の働きのおかげで、頻々と旅行できていたのだ。
そのように自覚した私は、子育ての徒然を、自分の言葉で記録しておきたくなった。主張の正しさは担保できないが、自らの考えを嘘偽りなく吐露したことだけは約束できる。
29. 村上春樹の力を借りて、デイリーポータルZの記事を書く
https://wienandme.blogspot.com/2019/10/z.html
「村上春樹の真似をして、僕と同じ名の場所に行く」のアウトテイクス。
ハンガリーの「Sátor u.」は以前から気になっていたが、「でもどうせ何もないだろうな」「これを見るためだけに足を運んでも仕方ないよな」と躊躇していた。しかし、記事の取材という名目をいま獲得して、私の行動範囲は少しだけ拡がったのであった。
「村上春樹の文体を模倣する人は多いけど、行動を模倣するというパターンは新鮮だ」との感想を見た。嬉しいぞ、と私は思った。読んでほしいところを読んでもらっている。
ちなみに、このデイリーポータルZの記事においては、あるポイントで一人称を「僕」から「私」に変えている。私なりに村上春樹へのリスペクトを表したつもりなのだ。
これを書いたあとに(本業の関係で)東京に出張する機会があり、岡田さんに夕食のお誘いをした。このときが初対面だった。岡田さんは、やがてキャンセルをされる運命にある結婚式ーー当時は誰にも知りえないことであったがーーの準備に奔走されているようだった。
新橋の居酒屋で3時間ほど飲んで、1万円を私が払って、そのあとガード下の店に移動して、さらに3時間ほど痛飲して、今度は岡田さんが1万円を払われた。もはや酒しか頼まなかった。臓腑に流し込むような飲みかたをして、前後左右が集まって互い違いになって、その12時間後に行われる招待講演の中止が危ぶまれたーー質疑を含む90分枠が私に割り当てられ、メディアも取材に来るとのことだった。
結論としては、岡田さんは最高だった。
デイリーポータルZではツカルトゥボに焦点を当てたので、そこに収まらないジョージアの逸話はいくらでもあった。そうしたものを思いつくままに書けばよいので、じつにスムースに言葉が出てきた。
いつかジョージアを再訪したいが、アルメニアやアゼルバイジャンにも行ってみたい。ナゴルノ・カラバフはいまどうなっているのか。未踏の地が私の好奇心をくすぐりつづける。
ハンガリーの「Sátor u.」は以前から気になっていたが、「でもどうせ何もないだろうな」「これを見るためだけに足を運んでも仕方ないよな」と躊躇していた。しかし、記事の取材という名目をいま獲得して、私の行動範囲は少しだけ拡がったのであった。
「村上春樹の文体を模倣する人は多いけど、行動を模倣するというパターンは新鮮だ」との感想を見た。嬉しいぞ、と私は思った。読んでほしいところを読んでもらっている。
ちなみに、このデイリーポータルZの記事においては、あるポイントで一人称を「僕」から「私」に変えている。私なりに村上春樹へのリスペクトを表したつもりなのだ。
30. 「世界ウェブ記事大賞」を岡田悠さんが受賞した
これを書いたあとに(本業の関係で)東京に出張する機会があり、岡田さんに夕食のお誘いをした。このときが初対面だった。岡田さんは、やがてキャンセルをされる運命にある結婚式ーー当時は誰にも知りえないことであったがーーの準備に奔走されているようだった。
新橋の居酒屋で3時間ほど飲んで、1万円を私が払って、そのあとガード下の店に移動して、さらに3時間ほど痛飲して、今度は岡田さんが1万円を払われた。もはや酒しか頼まなかった。臓腑に流し込むような飲みかたをして、前後左右が集まって互い違いになって、その12時間後に行われる招待講演の中止が危ぶまれたーー質疑を含む90分枠が私に割り当てられ、メディアも取材に来るとのことだった。
結論としては、岡田さんは最高だった。
31. 世界中を旅した者は、やがてジョージアに辿り着く
デイリーポータルZではツカルトゥボに焦点を当てたので、そこに収まらないジョージアの逸話はいくらでもあった。そうしたものを思いつくままに書けばよいので、じつにスムースに言葉が出てきた。
いつかジョージアを再訪したいが、アルメニアやアゼルバイジャンにも行ってみたい。ナゴルノ・カラバフはいまどうなっているのか。未踏の地が私の好奇心をくすぐりつづける。
32. 「コソボであそぼ」を朗読した
https://wienandme.blogspot.com/2019/12/blog-post_7.html
デイリーポータルZの企画で自作記事を朗読したことの報告。
ここで発表したあとの音声は聞いてないが(恥ずかしいから)、真夜中の冷えきったホテルのベッドに坐して録音をした、その感触だけは鮮明に残っている。
ここで発表したあとの音声は聞いてないが(恥ずかしいから)、真夜中の冷えきったホテルのベッドに坐して録音をした、その感触だけは鮮明に残っている。
33. これが最後でも構わない(未承認国家アジャリア)
https://wienandme.blogspot.com/2019/12/blog-post_12.html
「どの国からも承認されていない国家『アジャリア』に行く」のアウトテイクス。
「これが最後でも構わない」のタイトルは妙に大げさでおかしいが、このときは西アフリカ旅行で落命するリスクを真剣に憂慮していたので(それは必ずしも杞憂とは言えなかった)、肩肘を張ってパソコンに対峙した覚えがある。
バトゥミは秘境でも何でもない港湾都市で、日本からの旅行者もそれなりにいる(先行記事も複数ある)。だからこのネタは没にすることもできた。しかしながら、西アフリカで死んでしまえば発表の機会は永遠に失われてしまうのだ、と私は思った。要するに貧乏性なのだが、そういうわけで手持ちの材料をふたたび寄せ集めて、その順列・組み合わせに頭をひねりつつ(それでも構成の崩れは否めなかった)、わりに時間をかけて書き進めた。
そのようにして未承認国家アジャリアの記事が生まれた。
「これが最後でも構わない」のタイトルは妙に大げさでおかしいが、このときは西アフリカ旅行で落命するリスクを真剣に憂慮していたので(それは必ずしも杞憂とは言えなかった)、肩肘を張ってパソコンに対峙した覚えがある。
バトゥミは秘境でも何でもない港湾都市で、日本からの旅行者もそれなりにいる(先行記事も複数ある)。だからこのネタは没にすることもできた。しかしながら、西アフリカで死んでしまえば発表の機会は永遠に失われてしまうのだ、と私は思った。要するに貧乏性なのだが、そういうわけで手持ちの材料をふたたび寄せ集めて、その順列・組み合わせに頭をひねりつつ(それでも構成の崩れは否めなかった)、わりに時間をかけて書き進めた。
そのようにして未承認国家アジャリアの記事が生まれた。
34. 私たちは、やがて、死ぬ(ウィーン中央墓地と葬儀博物館)
https://wienandme.blogspot.com/2019/12/blog-post.html
楽聖も眠るウィーン中央墓地と葬儀博物館の紹介記事。
「ウィーンの不思議な名所」シリーズはもっと続けたかったが、旅行記にかまけて後回しとなり、結局はこれが最後の記事になってしまった。マリア・グギング精神科病院にある芸術家の家とか、シュピッテラウ焼却場とか、取材したいところはいくつもあったのだが。
死ぬことについて考えるとき、不安になることもあるし、粛然とすることもある。
ときには高揚することもある。「いずれは死んでしまうのだから、なにかひとつでも、自らが信じうる善きものを残したい」。それはあえて声に出す必要のない、無言のままに発展してゆく高揚である。
そうした気持ちを駆動力として、私はこれまで仕事に打ち込んできた気がする。拙ブログをここまで書き続けられたのも、そのような心の動きが介在していたようだ。他者からの評価も大切だけど、それだけを頼みにするのは危うさがある。しかるべきタイミングで死を想うことで、自分の位置をいったん原点に戻す。
「ウィーンの不思議な名所」シリーズはもっと続けたかったが、旅行記にかまけて後回しとなり、結局はこれが最後の記事になってしまった。マリア・グギング精神科病院にある芸術家の家とか、シュピッテラウ焼却場とか、取材したいところはいくつもあったのだが。
死ぬことについて考えるとき、不安になることもあるし、粛然とすることもある。
ときには高揚することもある。「いずれは死んでしまうのだから、なにかひとつでも、自らが信じうる善きものを残したい」。それはあえて声に出す必要のない、無言のままに発展してゆく高揚である。
そうした気持ちを駆動力として、私はこれまで仕事に打ち込んできた気がする。拙ブログをここまで書き続けられたのも、そのような心の動きが介在していたようだ。他者からの評価も大切だけど、それだけを頼みにするのは危うさがある。しかるべきタイミングで死を想うことで、自分の位置をいったん原点に戻す。
コメント
サトルさんのブログ、記事ごとに楽しく読んでいました。
楽しく充実した東京生活をお過ごしください!
運命の巡り合わせで再び機会がありましたら、コクがあり軽やかなスタイルの文章をまた綴ってください。
貴殿が世界で活躍するキャリアを歩まれることを祈っております。いろいろあって違う道を歩まれたとしても、ひとまず健康で、機嫌よく暮らせることを祈っております。それでは、また。
同時に、終わりが近づいてきているさみしさも。
今まで楽しませてくれてありがとうございます。
また次の場所でsatoruさんに出会いたいのです。
気の早い話ですが、お互い生き延びましょうね。
私としては、はじめに設定した期限のとおり終えることができて何よりです。
生き延びてまいりましょう。
いつも面白く、時に色々考えさせられながら拝見しておりました。
私は海外経験等がなく日本で人生を送っておりますので、世界を知るSatoruさんの視座がとても興味深かったです。
最期と伺い、面白い文章を読ませて頂いた感謝をお伝えしたく、コメントさせて頂きました。
またタイミングが合えば、ぜひnoteなどで文章を書いていただけませんでしょうか。
何卒よろしくお願い申し上げます。
また文章を書く機会があるかは分かりませんが、まずは生きのびることを目標に、生きていこうと思います。
大変失礼いたしました。
ぜひ生きのびて、日本に帰国した際は免税で沢山お買い物を楽しんでください。
ちなみに今、虎ノ門5丁目から麻布台1丁目、落合坂の辺りは焼け野原みたいなものです。
永井荷風も通ったという我善坊谷の町の情緒は失われてしまいました。寂しいです・
麻布台の再開発には胸を痛めております(すでに日本に戻ってきており、最新状況を目視しました)。ヨーロッパは「旧市街」を大切にする文化があり、日本も相違ないものと信じておりますが、時の流れはしばしば残酷であるようです。
生き延びてまいりましょう。