知らない国でのリスクを減らすため、私が集める3種類の情報

知らない国に行くことは、おもしろい。

 よくわからない土地を歩いて、よくわからない人間から話を聞いて、よくわからないものを食べる。突き詰めるとそれだけなのだが、ここにたまらない妙味がある。


トルクメニスタンの地方にある一般家屋


 知らない国に行くことは、しかし、ときに大きなリスクを伴う。

 いきなりお金を盗まれる。いきなり野良犬に追いかけられる。いきなりフライトがキャンセルになる。いきなりステーキを食べてお腹をこわす。いきなり路上で大便を漏らす。いきなりウージー・サブマシンガンで射殺される。

 こうしたリスクは、旅行をしていると増加する傾向にある。無用な危険を冒さぬためには、家でじっとしている方がずっといい。その方がずっと賢いし、ずっと安全だ。

 だが、隙あらば外国に行きたい人というのは、これはある種の病を得ている人と同じである(※個人の感想です)。端的に言って、あまり合理的な判断ができない状態になっている。

 まことに憐れむべき存在である。

 だからそういう人にとっては、所与のリスクを甘受した上で――「そこに行かない」という堅実なる選択肢を初手から排除した上で――現地で憂き目に遭うリスクをどこまで減らすか、そのための情報をどのように収集するか。これが当座の論点となる。

 というわけで、今回は「知らない国を訪れたときのリスクを最小化させるために、私が集めている3種類の情報」について語ることとしたい。




旅行の情報は3種類しかない

いたずらに情報を追い求めても、生産性は高まらない。インテリジェンスは、手持ちの情報を分類化する試みからはじまる。これは、先人たちが私に教えてくれたことだ。

 情報を分類化する方法はいくつもあるが、ここでは最もシンプルに、2軸のマトリックスを使って考えてみたい。たとえば、

(x)時間 (目的地に着く前 or 着いた後)
(y)出所 (一次情報 or 二次情報)

という2つの軸で分析してみるのはどうだろう。



 ここで「一次情報」は自らが現地で五感を使って得た情報、「二次情報」はそれ以外のすべての情報である。いささか詰めの甘い定義ではあるが、本稿ではわかりやすさを優先したい。

 この原理に則してみると、「現地に着く前」に「一次情報」を得ることは論理的に不可能だから(仮にあなたが無人偵察機を遠隔操縦して現地のリアルタイム映像をがんばって入手したとしても、それも結局は画面を通じた「二次情報」であるから)、



旅行に関するすべての情報は、

① 到着「前」に入手する「二次」情報
② 到着「後」に入手する「一次」情報
③ 到着「後」に入手する「二次」情報

の3種類のいずれかということになる。必ずそうなるはずである。

 この説明だけでは抽象的でわかりにくいので、それぞれの例を挙げてみよう。

① 到着「前」に入手する「二次」情報
 ・書籍(旅行記、ガイドブックなど)
 ・インターネット(ニュース、ブログ、Q&A掲示板、地図アプリなど)
 ・伝聞(旅行経験者、現地在住者など)

② 到着「後」に入手する「一次」情報
 ・視覚(人びとの顔つき、道路の整備状況、崖の岩石の特徴など)
 ・聴覚(現地のことば、動物の鳴き声、乗車を拒むエラー音など)
 ・嗅覚(バザールのスパイシーな香り、鼻を劈く大便の臭いなど)
 ・味覚(ローカルフードの異常な辛さ、口内に飛び込んだ虫など)
 ・触覚(屋根瓦の硬質感、裸足で踏みつけた大便の柔らかさなど)

 到着「後」に入手する「二次」情報
 ・パンフレット(観光案内所で配られる地図、博物館の割引券など)
 ・案内板(高速道路の簡易地図、トイレの位置を知らせる標識など)
 ・伝聞(地元民が教えるおいしいレストラン、山賊の出没場所など)


 ここで最も大事なのは――これはきっと多くの方にも賛同いただけると思うが――やはり「②」である。現地の体験が、そこで得られた情報が、何よりも優先する。

 たとえば、旅先で訪れたレストランが潰れていたとして、「でもトリップアドバイザーでは営業中とある。これは現実の方が間違っている。現実を訂正せよ!謝罪せよ!」と激怒する人がいたとしたら、どうだろう。これはもう、精神的に相当な領域にまで踏み込んでしまった人と思われても仕方がないのではないか。ポイント・オブ・ノーリターンの人である。

 とはいえ、一次情報を過信するあまりに、二次情報をすべてシャットダウンしてしまうのもうまくない。「現場を見ろ!」と連呼するだけで財務諸表も読まないし部下の意見も聞かない社長みたいなことになってしまう。そうなると経営は早晩破綻するであろうし、知らない国を旅するときには「死」というソリッドな結果を招くことになる。


ポイント・オブ・ノーリターンの人
画像引用:「ドラえもん」9巻(てんとう虫コミックス) 「世の中うそだらけ」


 一次情報にプライオリティを置きつつ、二次情報もバランスよく摂取する。これが平凡な私の基本方針だ。

 それでは、一次情報と二次情報は、それぞれどのくらい入手すればよいだろうか。この問いに歯切れよく答えるのは難しいが(そもそも「情報量」を正しく測る単位が存在しないが)、




私のこれまでの経験からすると、一次情報(②)と二次情報(①+③)の割合が、およそ7:3くらいに仕上がっているのが望ましい。

 もちろん、これは厳密な数字ではまったくない。たとえば情勢が不安定な国に行くときには、およそ6:4のあたりになってくる。旅先でのリスクを減らすため、二次情報(とくに①)の比重が増してくるわけだ。




 それでは、より具体的な方法論として、「①」「②」「③」の各分類について、どういった出所のどのような情報に着目し、それらをどのように活用したらよいのだろうか。

 これまた確信を持って答えにくい問いではあるが(人により最適解は異なるだろうから)、2019年7月12日現在における私の見解を陳述して、本稿を終えることとしたい。偏った視座を有することに定評のある私の見解を。




ガイドブック(① 到着前に入手する二次情報 その1)

旅行の下調べの王道といえば、これはやはりガイドブックである。

 私が最も頼りにしているのは、質量ともに比類なき充実ぶりをみせるLonely Planet(以下ロンプラ)シリーズである。私は電子書籍版を愛用している。その理由は以下の3点だ。

(1)本を片手に歩いている姿は、不逞の輩に「絶好のカモ」と思われがちだから。
 ⇒ 街なかで旅行本を開いている姿と比べて、iPadを閲覧している姿は「カモ感」が薄れる。セキュリティ上の観点からの、電子書籍のすすめである。

(2)Amazon Primeに加入していると、Kindleでロンプラ・シリーズが大量に無料でダウンロードできるから。
⇒ ウィーンに暮らす私が(配送料無料のインセンティブもないのに)日本のAmazon Primeに入り続けている理由は、ほとんどAmazon Prime Musicと「ロンプラ無料」のためである。
 ちなみにKindle Unlimitedの会員になるとロンプラの無料対象がさらに広がるが、個人的には書籍全体のラインナップに月額980円ほどの価値は感じられないので(すみません)、「4カ月で99円」といったセールのときにだけ加入するようにしている。

(3)電子書籍版にはGoogle Map等の直リンクがついているから。
Kindle Paperwhiteも持っているが、上記の観点から、ロンプラを読むならiPadが最適というのが私の意見だ。ロンプラは分冊のPDF版も安く売っていて、北マケドニア旅行の際には大いに助けられた。気になるページのスクリーンショットを撮っておき、「画像」からすぐに参照できるようにしておくのもうまいやり方である(もちろん個人利用のみ)。

 「地球の歩き方」シリーズも定番のガイドブックであるが(なにより日本語で書かれているというのがいい)、ロンプラの横綱相撲ぶりに魅了された身からすると、どうしても食い足りなさを感じてしまう。それでも「中欧篇」は白眉というべきで、情報の視覚化の巧みさ、わけても旧ユーゴ圏の陸路移動の説明のうまさには頭が下がった。編集部の方々には相当な知見が集積されているな、と感じさせるものがあった。


出所:「地球の歩き方 中欧 2019-2020」Kindle版(ダイヤモンド・ビッグ社) p.409


政府発表の安全情報(① 到着前に入手する二次情報 その2)

知らない国の治安情勢を調べるとき、政府の公式発表は頼もしい情報源である。

 まずは、日本国外務省の海外安全ホームページ。「スリ・置き引き等ではなく、あくまでもテロ・紛争等のリスクを評価したもの」である点には注意が必要だが(スリ天国のイタリアが安全とされていたりするが)、命のリスクを勘案する上で有用な情報であることは疑いない。

 私が最もよく参照するのは、英国政府のForeign Travel Adviceだ。インテリジェンスの扱いにかけては世界随一の国だけあって、日本の外務省よりも情報の精度が緻密で、地図の色分けの「きめ」も細かく、直近の事件の被害状況なども定量的なデータを公表している。

 たとえば、私はいま西アフリカのベナン共和国への旅行を検討しており(未確定)、同国の治安情勢に著しい関心を抱いているのだが、


出所:日本国外務省 海外安全HP「ベナン」(2019年7月12日現在)


日本の外務省のサイトも大いに参考になるものの、


出所:GOV.UK, Foreign Travel Advice "Benin"(2019年7月12日現在)


英国政府のサイトの方が、情報量がたしかに多い。マップの色分け(=治安レベルの判断)が日英で違っているのも興味深い。これはどちらの政府が正しいという話ではなく――アフリカ地域についていえば、やはり英国に一日の長がありそうな気もするけれど――2つの情報源にあたることで、より複眼的にリスクを把握できるようになる、という話である。

 治安情勢だけでなく、国全般の事実関係を調べたいなら、米国CIAのThe World Factbookが出色だ。熟読すれば熟読するほど、アメリカの情報機関のすごさを知ることになるだろう。


CIAは旅行情報も提供している(出所:CIA, Travel Facts "Benin"


経験者の話(① 到着前に入手する二次情報 その3)

インターネット上には多様な旅行記が掲載されているが(このブログもそのひとつだ)、どこよりも色濃いコンテンツは、その土地を実際に訪れた/そこで暮らしていた人から産地直売的にダイレクトに得られるケースが多い。インターネットに公開するとたちまち問題が発生し、当人が社会的に抹殺される種類の機微情報が、そこではしばしば取引される。

 といっても、その話をリスク判断の根拠とするには注意が必要だ。なぜなら、それはもはや現在の情勢とは違っているかもしれないし(※)、その人が連呼する「大丈夫」は、たまたま運よく生きのびただけ、を意味することもあるからだ。「大丈夫」じゃなかった人は、すでに現世から卒業してしまっているわけだ。これを生存者バイアスという。

※ 私はカリフォルニア州バークレーに住んでいたことがあって、「米国でもトップクラスに安全な街」との印象を抱いていた。しかし、私の先輩であられるKenji Shiraishi氏によると、最近はそうでもないらしい。状況は数年でがらりと変わってしまうことがあるのだ。




 そうした点を留保しつつも、経験者の口から語られるストーリーには掘り下げるに足る価値がある。とくに、一般にあまり知られていない国に旅行するときには、その地を踏んだ者から直接に話を聞けるか否かが、ときに旅行のクオリティを左右する分水嶺となる。

 たとえば、私はいまベナンという国に避けがたく惹きつけられているのだが(さっきからベナンの話ばかりしているな)、ナイジェリアコートジボワールガーナなどの近隣国にご縁のある方はわりにすぐ見つかったのだが、ベナンを知る人は見つからなかった。

 こういうとき、私は「the right person knows another right person」という自分で拵えた格言に寄りかかる。適格な人物は、別の適格な人物を知っている(公算が高い)というわけだ。

 そこで私は、年齢・性別・所属組織が見事にばらばらな10名弱の「right people」に対して、ベナンに知悉した知人の有無を問うてみた。各々に500名の知り合いがいたとして、粗く見積もって「10×500=5,000名」の母集団から該当者を探すことになる。

 この方策はたちまち功を奏した。2種類のチャネルが交叉して、ひとりの人物の名を浮き上がらせた。その人はなんと私の直接の知己であったが、「彼がベナンの某省庁で働いていた」事実をそれまで知らなかったのだ。

 そのことが判明したのは2019年7月12日。つまり、ちょうど今日の出来事であった。




その土地の風景(② 到着後に入手する一次情報)

ここまで「二次情報」の事例を紹介してきた。本項では、知らない国に到着したあと、現地で接する「一次情報」について論じたい。

 旅先で得る一次情報は、冒頭に記したように「7:3」の「7」を占める。それは膨大な分量となりがちだが、ここでは「リスク判断に資する情報」に絞って、例によって私の独断を連ねていく。その取捨選択を読者に委ねるスタイルだ。

 まず私は、「住宅地の窓」を観察する。窓ガラスが割れたまま放置されていないか。窓枠に鉄格子がされていないか(堅牢な鉄格子で守られているなら、そこにはそうせざるを得ない理由があるはずだ)。

 「壁の落書き」も重要なポイントだ。グラフィック・アート風の落書きが多いのか。男性器や女性器を模した稚拙なイラストの頻度はどうか。社会に対する怨嗟であるとか、特定人物に対する殺害予告とおぼしきメッセージを、どのくらい見かけるか(その土地の言語がわからなくても、「そっち系」の言葉は不思議にわかるものである)。

 「道端の犬」に視線をやるのも大切だ。貧しい国に生きる犬たちは一般に痩せているが、そのなかでも「見知らぬ人間に敵意を示すか」には注意を払う価値がある。道端の犬が見せる敵意は、しばしば「その土地の人たちに犬を愛する心があるか」を映す鏡となる。繰り返し攻撃を受けてきた生き物は、生き抜くために攻撃性を備えるケースが多い(※)。とはいえ、私がパレスチナで受難したように、その犬が「番犬」的な役割を立派に果たし、不法侵入した人物に攻撃を加えてくるケースもあるから要注意だ。この場合、悪いのはもちろん私である。

※ 外国で犬に遭遇したときは、まず狂犬病のリスクを考えるべきだ。本稿では詳細を述べないかわりに、質問投稿サイト「Quora」から、「最も人生の役に立つ回答でした」とのコメントが寄せられたKenn Ejima氏の名回答へのリンクを貼ることとしたい。

 陽が落ちたあとに外出しても良いものか。この判断は難しいが、「地元の人たちがどういう構成で街を歩いているか」を眺めることで有用な示唆が得られるだろう。成人男性のグループしか見かけないか。子連れで歩く家族もいるか。特殊な武装をした警官たちは散見されるか。女性の姿を見かけるか。その人はどの程度リラックスしているか(あまり熱心に見つめているとあなた自身が不審者となって逮捕されるリスクがあるので注意)。イランのイスファハーンでは、真夜中にもスマホ片手の女性のひとり歩きをあちこちで見かけて驚いたことがある。

 それから、これは昼間でも通用するテクニックであるが、「道ゆく人にこちらから笑顔を見せたときに、先方がどういう表情をするか」を観察するのも一案である。それは素朴な好意の打ち返しなのか、外国人を見慣れぬゆえの緊張が生む(敵意のない)ぎこちない笑顔なのか、めずらしい生物に邂逅したときのような驚愕の表情なのか、黄色人種への差別感情をむき出しにした嘲笑なのか、それとも敵味方をすぐさま見抜かないと生き残れない世界で凌ぐ者だけがみせる鋭利な脇差のような一瞥なのか。20組の人びとに笑顔を見せたとき、最も多く示された反応はどれであったか。こうした分析を試みたときに、その土地でどのくらい慎重にふるまうべきか、そのヒントが実感として得られることだろう。ときには傷口に塗り込まれた塩のようにひりひりした実感として。




観光マップなど(③ 到着後に入手する二次情報)

現地に着いてから入手すべき「二次情報」は、それほど多いものではない。

 旅のプロセスを通じて最も大切なのは、前項に記した「一次情報」(および、それらを基に自分の頭で考えた仮説の連なり)であって、旅先で入手する二次情報(=③)は、あくまで事前に得た二次情報(=①)を補足するものでしかない、というのが私の考えだ。

 とはいえ、私は往々にして「①」の準備を怠る人間だ。飛行機が出発してからガイドブックをひもとくような人間だ。(ことに仕事の出張ではそうである)

 そういうときには、観光案内所やホテルなどで配られる観光マップや、タクシーの運ちゃんが教えてくれるおいしいレストランの位置情報などが臓腑にしみわたる。

 治安リスクの高そうな土地では、「どのスポットに足を踏み入れてはいけないか」を現地のおじさんやおばさんに直接質問してしまうのも手だ。しかし、ここで注意しなければならないのは、仮にあなたが「問題ないヨ」「心配ナッシング」などの前向きな回答を得たとしても、その土地固有の他律的要因によって、具体的には「旅行者にネガティブな情報を知らせるのを恥とする文化がある」「外国人観光客だけをターゲットとする職業的武装集団がいる」という要因によって、その託宣を信じたあなたに厳しい試練が与えられる場合もあるということだ。これは冗談でもなんでもなく、マジに真面目に起こり得る話である。




 というわけで、本稿の結論を申し上げるなら、それは「情報をうまく集めることでリスクは減らせるが、ゼロにはできない」という、ものすごく当たり前の事実である。

 それならば、知らない国などには行かない方がいい、とあなたは言うかもしれない。

 じつにそのとおりである。

 だが、隙あらば外国に行きたい人とは、ある種の病を得ている人と同じである。
 合理的な判断ができない状態になっている。まことに憐れむべき存在である。

 まことに憐れむべき存在であるところのあなたは、だから未踏の国を目指すべきである。

 双肩にのしかかる責任を背負って。ゼロにはできないリスクを背負って。人生の有限性に対する恐れを背負って。時間の不可逆性に対する哀しみを背負って。治らない性癖を背負って。振り落とせない宿業を背負って。

 このブログを読んでいる、すべての旅する者に幸運あれ。




(本稿の写真は、すべてトルクメニスタンで撮影したもの)


コメント