世界中を旅した者は、やがてジョージアに辿り着く

デイリーポータルZで、ジョージアの廃墟の町を訪ねる記事を書いた。

 ひとつ驚くべきことがあった。

 本稿を編集部に提出した直後に、ジョージアの経済開発大臣が「ツカルトゥボを次期の重点開発特区にする」と宣言したことだ。

მთავრობამ წყალტუბოს განვითარებაში სახელმწიფოს მონაწილეობის გეგმა წარმოადგინა

 あの廃墟群は取り壊されるか、ぴかぴかに改築されることになるだろう。

 そうなると私の記事は――まったくの偶然の産物として――ほとんど誰も訪れなかった頃の(公式発表によると観光客は年間700人との由だが、さすがにそれは少なすぎやしないか)、大規模開発がなされる直前のツカルトゥボの様子を伝える、ある種の史料的な価値が生まれてくるのではないだろうか。

 私はそのように夢想した。


スターリン温泉の入り口で、はちみつ売りのおじさんに会った

森の中で結婚式をやっていた

参列者の子どもがヒマを持てあまして遊びにきた

スターリン温泉の受付のお兄さんには英語が通じた









やがてジョージアに辿り着く

ここを訪れる前から、素敵な場所だとは予想していた。

 なぜなら、私の周りの旅する者たちが(例:オーストリア人、クロアチア人、トルコ人)、口をそろえてジョージアを絶賛していたからだ。ほとんど唯一の例外は、この国と難しい関係にあるロシアの人くらいである。

(これはまったくの余談だが、とある国際機関でロシアの公用ビザを取得する際、アメリカ、イギリス、カナダと並んで、ジョージア国籍の職員だけには追加的な必要項目が課せられる。ことほどさように、ジョージアは旧ソ連国のなかでも特異な位置づけにある国なのである)

 「僕もずいぶんいろんな国に行きましたよ。まだ平和だったころのベネズエラ。軍事政権下のビルマ。仕事ではアフリカにもよく行きました」と語るのは、日本の経済を支える傍らで、少なからぬものを犠牲にしながら世界を歩いてきた老練なる先達だ。

 「でもまあ、いまひとつだけ選ぶとすれば、それはやっぱりジョージアだね。紛争リスクはゼロではないけれど、社会はおおむね安定してきた。ご飯もうまいし、交通機関もそれなりにある。山に親しみ温泉を愛する、日本人の感性に最もあう国のひとつだと思うよ」

 私の観察するところ、ジョージアという国は、多くの土地を渡り歩いた者ほど賛辞を呈する傾向がある。どういうわけかは分からないけれど、世界中を旅した者は、やがてジョージアに辿り着くのだ。


 トビリシクタイシバトゥミの3都市に宿をとり、合計8日間ほど滞在した。ジョージアの魅力は山奥の秘境にあるとも仄聞していたが、子どもが高山病にかかるリスクを恐れて今回は見送りとした。時間を味方につけて、次の機会を狙いたい。

 ともあれ、ジョージアは子どもたちにもすこぶる好評であった。その理由を質したところ、主として ①食べ物②乗り物③生き物の3点に集約されるように思えた。

 以下、ジョージアへの子連れ旅行を検討されている読者を念頭に、その各項目について簡単に述べてみたい。




1.  おいしい食べ物

この国を訪れた日本人たちが、ほとんど必ず言及することがある。

 ジョージア料理のおいしさと、東アジア料理との奇妙な類似性だ。


⇒ 私が滞在中に参照したページ:ブーバチカの呟き「食べるべきグルジア料理8選」


 レストランの店員さんから、「これに似た料理があなたの国にもあるんでしょう?」と先に言われる機会がいくつかあった。どうやらジョージア人にも周知の事実であるようだ。

(私のことを中国人と誤解されている可能性もあるが、それでも大筋においては正解だ)


ヒンカリ(グルジア小籠包)とビールさえあればオーケーだが、野菜もおいしい

壺焼きスープにも入っている。そして当然のように、うまい

冷凍のヒンカリをグラム単位で販売しているスーパーもある

世界的に有名なジョージア・ワイン。ちゃんとした店でも1,000円以下でボトルを頼める

人間をダメにする飲み物も大量に売っていた


 そのようなジョージア料理は、奥さんと私だけでなく、6歳と3歳の息子たちにも好評を博した。彼らはとくにオジャクリ(グルジア肉じゃが)をお気に召したようで、レストランに行くたびにこれを頼んだ。

 とはいえ、全体の味つけとして、ややピリ辛の――つまりは酒飲みを愛でるための――料理が散見され、私にはうれしいけれど幼児の舌には早すぎるので、気になるものはオーダー前に確認するようにした。


オジャクリがあれば生きていける気がした

アブハジア版オジャクリ・アブハズラ(Abkhazura)はハンバーグ入り

私的ベストは、にんにくとバターを豊富に入れた肉料理シュクメルリ(Shkmeruli)


 ジョージアにあるレストランは、どれもおいしくハズレがなかった。

 そして気づいたのは、ちょっと異様なくらいのジョージア料理店の多さだ。ロシアにおけるロシア料理店よりも、イタリアにおけるイタリア料理店よりも、その比率は大きいように私には思えた。

 外資規制をしている風でもないのに――少数ながら存在する中華料理店に好奇心で入ったら時間の不可逆性について思いを馳せる味だった――このジョージア料理店の多さはどういうことなのか。

 これはやはり、ジョージアの人たちがジョージア料理を愛するあまり(排除するとまでは言えずとも)異国の料理に対する関心の総量が限定的になったためではあるまいか。英語表記のメニューでもしばしば「Ojakuri」とのみ記されているのは(それは肉じゃがを「Nikujaga」と訳すようなものだ)、そうした強固な主観性に支えられた愛情の顕れではなかろうか。私はそのように推量した。

 だからジョージアに駐在する外国人のなかには、「もうオジャクリはいいよ」「ヒンカリはちょっと勘弁してくれ」などと天をあおぐ向きもあられるかもしれない。しかし我々は旅行者なので、どこまでも新鮮な心持ちで、どこまでも純粋にジョージア料理を愛することができたのである。



Toma's Wine Cellarは最高だった。Googleの口コミで171件の平均が4.9という異常値

クタイシ郊外の住宅地にある、50年以上の歴史を有するワイン蔵を見せてもらった


2. ゆかいな乗り物

ジョージア国内の交通機関は、予想以上に充実したものだった。

 1日の本数は少ないが、長距離間を移動するならジョージア鉄道が便利だ。公式サイトから乗り換え検索もできるし(たとえばバトゥミ~トビリシは約5時間)、そこからダイレクトに指定席予約もできる。クレジットカード決済にも対応している。

 メールで送付される乗車券は、どこかパソコン黎明期のプログラミング画面を思わせる簡素なテキストファイルで、初見客の心に不安の雲を呼び起こすが、じつのところまったく問題はない。車掌さんの側にもデータが共有されているので、乗車時にそれを示せばよいだけだ。


高速鉄道は瑞シュタッドラー社の製造。ジョージアの国旗を模した美しいデザインだ

内装も快適だった。車内にもコーヒー屋さんやスナックの自販機がある



 乗り心地の面では少しく劣るが、鉄道よりもずっと頻繁に走っているのが乗り合いバスだ。ガイドブックなどではMarshrutkaと書かれているが、Mini-busと言えば普通に通じる。

 乗車ポイントがわからないときは、とにかく人に訊いてみるのがよい。あるいはタクシーをつかまえて(Uberは使えないがBoltは使える。5kmで100円程度の安さ)、ドライバーさんに最寄りの乗り場まで運んでもらうのも手っ取り早い方法だ。

 我々の場合は、市内の細かな移動でしばしば乗り合いバスを活用した。長距離の移動では、クタイシ~バトゥミ(約3時間)で利用した。地元の人たちとの交流もたのしめるし、子どもにとってもエキサイティングな経験だった。


停留所の概念はあまりなく、道中で遠慮なく乗り降りがなされる

首都トビリシには地下鉄もあった。旧ソ連圏でおなじみの長いエスカレーターだ

地下駅の感じもウクライナと同じだ

乗客たちが子どもに席をゆずってくれた


3. 自由な生き物たち

そして子どもたちが最も喜んだのは、生き物を見かける頻度の多さだ。

 いぬ、ねこ、うし、うま、ぶた、やぎ、にわとり。
 旅の途中、どこにいても動物を見かけた気がする。




 いちばん目立ったのは、よるべない野良犬たちだ。

 いずれもおとなしく、いずれも痩せている。他の動物、つまり猫や牛や豚たちは総じて幸せそうに肥えているのに、なぜか犬だけが骨と皮である。見ていると物悲しい気持ちになる。

 けれども、同情心を働かせてパンなどを与えると、次から次へと無言の犬たちが現れ、しつこく付きまとってきてけじめがつかない。

 それを知っているからか、ジョージアでは野良犬に厳しい態度を取る人が多かった。かごに入ったパンに近づいた犬を、ものすごい剣幕で怒鳴りつけているお婆ちゃんもいた。

 ジョージアの痩せた犬たち。





 不遇の犬に比べて、猫はずいぶん愛されていた。室内のやつも路上のやつも、どれも毛並みがよい状態だった。クラッカーの残り物などを与えても、にべもない反応をされてしまう。「なんだいこんなもの。あたしを馬鹿にしているのかい」と叱られたようだった。(なかには貪欲なやつもいた)

 我々が泊まったアパートホテルでもアメリカン・ショートヘアの子猫が飼われていて、朝になると我々の部屋にあそびに来てくれた。

 「ねこ、かいたいねえ」と、3歳児が言った。
 「日本で暮らすことになったら、猫を飼うのもいいかもね」と、私が言った。

 




 そういうわけで、ジョージアは我が息子たちからも無償の愛を注がれた国であった。

 そしていま、本稿を書き終えるタイミングで、「それじゃあ何がいちばんたのしかった?」と尋ねてみると、子どもたちから明快な答えが返ってきた。

 古いおうちがたくさんあって、ごみばこの底がなかった町がたのしかった。
 そこであったかいプールに入ったのが、たのしかった。

 ジョージアの廃墟の町で「スターリン温泉」に入る。

 この文章は、ジョージアのすばらしさについて複数の視点から語りつつも、結局はデイリーポータルZの記事に戻ってきたのである。



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