これが最後でも構わない(未承認国家アジャリア)

デイリーポータルZで、アジャリア自治共和国の記事を書いた。

 本稿は、前作「スターリン温泉」のほか、私がこれまでに書いたコソボイラントルクメニスタンの旅行記とも、わずかながら意味上のつながりを持たせている(気づかなくても読解に支障はない)。

 公に発表する文章として、これが最後となっても構わない。そんな気負いで書きあげた。

 「これが最後でも構わない」とは、文字どおりの意味だ。私が今月末に渡航を計画している西アフリカの地で、命を落とす可能性があるからだ。

 今回は家族は連れて行かないが、奥さんに依頼されて、旅行者用の死亡保険にも加入した。国連ビルで注射も打った。WHO(世界保健機関)が指定するワクチンのすべてを。

 あとは、もう、出かけるだけだ。










(上記8枚の写真は、アジャリア観光資源開発庁からの提供)


アジャリア

アジャリアの首都バトゥミには、たくさんの旅行者が訪れる。サマーシーズンは観光案内所が24時間オープンしている。観光産業を稼ぎ頭とするために、『自治』共和国をあげて営業努力をしているのだ。

 そういう背景もあってか、アジャリア政府の担当者は、私の取材に誠実に応えてくれた。

 ひとつ私が気になったのは、担当者のメール署名がなぜかキリル文字で、ウイルスチェックサービスのドメインに .ru が使われていたことだが、まあそれは些細なことだろう。

 まったく些細なことなのだ。


なぜか中国語の表記だった(トビリシでも同じものを見かけた)

猫はアジャリアでもよく見かけた

乗り合いバスもジョージアと同じシステム

「世界遺産」のカテゴリには収まらない路地裏の美しさ

バトゥミは交通の要地だけあって都会である

ユニークなデザインの国境検問所(トルコ側)


 バトゥミは多くの人に(アジャリアではなく)ジョージアの都市と認識されている。

 私が訪れたタイマッサージ店のご婦人も「ジョージア人は・・・」と言っていた。

 「ジョージア人の男は、きらいよ。騒がしいし、口先だけ。よく問題を起こして警察沙汰にもなる」と、さんざんな言われようだ。マッサージ店で警察沙汰になるというのは、どういうことか。なにか察せられるものがある。

 彼女は異国のタイマッサージ店にはめずらしく、真正のタイ人であった(註:インドネシア人や中国人などが多い)。「ジョージアの男はだめね。タイのほうがマシよ」

 タイの男性といえば、きわめて怠惰というステレオタイプがあるけれど、それにも負けないほどにジョージアの男性はだめらしい(ご婦人の意見です)。

 私はジョージアの男性を弁護しようとしたが、とくに言葉が見つからなかった。









 異国の地を旅行するときの最大の関心ポイントのひとつは、両替所のレートである。

 「少しでも損をしないように」という実利的な観点もあるが、「そもそもどの通貨を扱っているか」に注目するのもおもしろい。

 たとえば、私が訪れたときのイランではユーロでも米ドルでも歓迎されたのに対し、トルクメニスタンではユーロの信用はなく、米ドルだけが覇権を握っていた。

 またボスニア・ヘルツェゴビナでは、地方都市でも約20種類もの通貨を扱っていた。驚いたのは、ユーロの「販売価格」と「買取価格」が、小数点第二位まで完全に同じだったことだ。私は金融方面に明るくないが、スプレッド(価格差)がゼロの取引なんて聞いたことがない。


サラエボのショッピングモール内の両替所


 これは、どういうことか。

 両替所の行列のそばで、人びとの動きを20分ほど観察して(外形的にはパーフェクトな不審者だ)、私はひとつの仮説にたどりついた。

 ここでのユーロの両替は、旅行者よりも、むしろ地元民のためのサービスなのではないか。つまり彼らは、兌換マルク(Konvertibilna Marka)だけに貯金を集中するリスクをヘッジするために、一部または全部の持ち金を、ユーロの形で蓄える習慣があるのではないか。そうしたニーズに応えるサービス提供者(=両替所)たちの自由競争の結果として、スプレッドが自然とゼロに漸近していったのではないか。

 上記は私の想像にすぎないが、両替所の観察を足がかりにして、この国の実態に踏み込めたような気がしたものだった。




 いささか余談がすぎてしまったが、アジャリアの両替所もなかなかユニークだった。

 アルメニアアゼルバイジャンなどの近隣国の通貨が取り扱われているのは納得できるとして、なぜかイスラエルの通貨もよく見かけた。調べてみると、どうやらテルアビブからバトゥミに直行便が出ていて、イスラエル在住者には定番の旅行先となっているらしい。

 それから、トルコとの国境沿いにあるサルピの両替所におけるトルコ・リラの為替レートが、バトゥミのそれと比べて格段に悪かったのも興味深かった。素朴なトルコ人旅行者はここでボラれてしまうのだろう。そしてバトゥミに着いて判明するのだ。「だまされた!」と。

 とはいえ、悪レートながらも通貨間のスプレッドについてはバトゥミとあまり変わらない。そういうわけだから、「バトゥミからジョージア・ラリを大量に持ち込んで、サルピでそれをトリコ・リラに替え、再びバトゥミに戻ってラリに替えて・・・」といった行為を繰り返せば――ラリ⇒リラ⇒ラリ⇒リラ⇒ラリの反復に身をまかせれば――これは、FX取引などよりも、ずっと確実に、違法性もなく利ざやを稼げるのではなかろうか。

 ジョージア在住の剛の者がいらっしゃれば、上述の方法の実現可能性を検めてみてほしい。そのうち顔を覚えられて、出入り禁止になるかもしれないけれど。
 







アブハジア

私はアブハジアを訪れていない。だから本稿でも語るべきことはほとんどない。

 しかし、かの地を踏みし者の話を聞いた私の頭に、泡沫のように浮かんだのは、

「歴史が違えば、北海道もこうなっていたのかもしれない」

ということだった。

 ロシアとジョージアに挟まれた土地、アブハジア。

 本稿の締めとして、最後にふたつの「借り物」を交互に提示ししたい。

ふたつの「借り物」。それは、①私が撮影したものではない写真と、②半藤一利と佐藤優の対談からの引用だ。









(引用者註:太平洋戦争における「八月十五日」以降の、日本軍の武装解除などをめぐる連合国側の取り決めに関する話題が取り上げられている)

佐藤
こうした取り決めは、すでにヤルタ会談のときに話し合われていたものですが、日本の降伏後、「一般命令第一号」の案として、事前にトルーマンからスターリンに示されていました。それに対して、スターリンは抗議していますね。軍の武装解除は、実は戦後体制に密接に関わるものだからです。

半藤
有名なスターリンの八月十六日の手紙ですね。その手紙には、「『一般命令第一号』につぎのような修正をくわえることを提案します」と前置きがあって、

一 、ソビエト軍にたいする日本国軍隊の降伏区域に千島列島の全部をふくめること。千島列島は、クリミア(ヤルタ会談 )の三大国の決定によれば、ソビエト同盟の領有へ帰属すべきものです。

一 、ソビエト軍にたいする日本国軍隊の降伏地域に、樺太と北海道のあいだにある宗谷海峡と北方で接している、北海道島の北半をふくめること。北海道の北半と南半の境界線は、島の東岸にある釧路市から島の西岸にある留萌市にいたる線を通るものとし、右両市は島の北半にふくめること。

というような内容が書いてありました。二番目の要求に関しては、ヤルタ会談では話し合われていなかったものです。これを正当化するためスターリンは、北海道の北半分を占領することはロシアの世論にとって特別な意義を持っているというんです。なぜなら日本がシベリア出兵した際、日本軍はソ連領チタまで占領していたではないか、と。


引用:半藤一利、佐藤優「21世紀の戦争論 昭和史から考える」文藝春秋
「第四章 八月十五日は終戦ではない」(以下同様)









佐藤
ソ連に「世論」などありませんから、これはスターリンの執念以外、何ものでもありません。スターリンが本気で北海道を視野に入れていたとすれば、釧路─留萌線での分割という提案は、とても意味深長です。そこには、北海道の北半分と樺太、北方領土、千島列島を併せて、緩衝地帯とする構想がみえるからです。そしてその地に、「日本民主主義人民共和国」をつくる。

半藤
そうか、そういうことですか。フームなるほど、目からウロコが落ちました。佐藤さんのおっしゃるロシア人の国境観からすると、日本と直接国境を接するのが怖いからですね。だから、北海道の北半分を占領するのではなく、緩衝地帯にする。












佐藤
ソ連の息のかかった「日本民主主義人民共和国」は、日本全土の解放を目標とするため、本来の首都・東京ではなく、稚内に臨時首都を置くんです。そして主席には鈴木宗男さんが就く。北朝鮮の金王朝ならぬ鈴木王朝の誕生です(笑)。








佐藤
もちろん、鈴木さんでは時代が違いますが、彼のような北海道出身の有能な政治家が選ばれて主席になることは十分にあり得た。朝鮮半島の北半分は実際にそうなったのですから。「日本民主主義人民共和国」では、天皇制なき共和国化した日本が、どれだけ恐怖に満ちたものかという見本になったでしょう。

半藤
それはまた、冗談にしても恐ろしい話です。その北朝鮮ならぬ 「北日本」は相当な面積になります。そこが天皇制を廃した共和国になっていたら大変だ。





佐藤
この釧路―留萌線での分割によって、ソ連は道義性も示せます。日本人民の意思によって共和国をつくり、日本人民の要請に応えて北樺太まで渡すというわけですから、スターリンには領土的野心はまったくないという証明にもなる。そうすると冷戦が終わったとき、南北日本が統一されて、逆に樺太が「日本」になっていたかもしれない。

(略)

ただし、「北日本」が出来た場合には、「南日本」とどちらが本当の日本なのかが、国際社会で大変な問題になったと思います。

半藤
国内でも揉めるかもしれませんよ。樺太には油田がありますからね。「北」がクウェートのように豊かになる可能性があります。






佐藤
すると、原油を切り売りして「北日本」の住民は働かないでも食べていけるようになる。北海道の釧路―留萌線までパイプラインを通せば、おそらく「南日本」だって、「北日本」と仲良くしようと思うでしょう。

半藤
そうなると、日米同盟より「北日本」と組むべし、と主張する勢力が出てきますな。佐藤さんの「北海道分割案」が、荒唐無稽とばかりいってはいられなくなります。戦後日本はしっちゃかめっちゃかになりますね。

しかし現実は、トルーマンがこの提案に大反対で、スターリンの北海道北半分占領案はひっこめられます。ただし、占守島の戦いが十八日から始まったことを考えると、スターリンに「その気」が十分にあったことがうかがえます。









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