理想の光、暴力の影(イスラエル)

イスラエルへ渡航するにあたっては、それなりに悩んだ。

 なにしろ、イラン北朝鮮パキスタンに次いで、世界でいちばん「悪影響を与えている」と見なされている国である(参考:BBC World Serviceの世論調査)。

 職場の人たちに、特にイラン人ヨルダン人の同僚に、どう説明すればよいのか。

 「冬休み、どこ行くの?」
 「ちょっと中東にね」

 「中東のどこ?」
 「うん、まあ中東にね」

 そうやって口ごもるだけで、大抵の人は「こいつはイスラエルに行くな」と勘づくだろう。

 といって、

 「ちょっとオマーンにね」

みたいな虚偽申告は避けたい。だいたいオマーンに行かずに、オマーン土産をどうやって調達するのか?

 いろいろ考えた結果、同僚の誰にも言わずに旅立つことにした。

 テルアビブにいたときスロヴァキア人の同僚から「いまどこ? ビール飲もうよ」とメールが来て、「ちょっといまイスラエル」と正直に応えざるを得ない場面もあったのだけれど。


イスラエル・テルアビブ近郊の路地


ビーチをたのしむだけなら来る必要はない

日本国外務省の海外安全ホームページによれば、イスラエルは一部地域を除いて「レベル1」(十分注意してください)の指定で、ほかの中東諸国に比べれば安全な部類とされている。

 とはいえ、2018年に起きたいくつかの出来事、たとえばトランプ大統領がエルサレムに米国大使館を移転したり、シリアからの米軍撤退を宣言したり、そうしたことが最近の情勢を変化(いち旅行者の観点からすれば悪化)させていることは間違いない。

 事実として、私がイスラエルに滞在した期間だけでも、

ガザで8千人デモ、少年ら死亡 イスラエル軍が銃撃も

 パレスチナ自治区ガザ地区のイスラエルとの境界付近で21日、イスラエルに対する抗議デモがあった。ガザの保健省などによると、イスラエル軍の銃撃などで16歳の少年を含む4人が死亡、地元記者を含む少なくとも40人が負傷した。

 イスラエル軍によると、抗議デモには約8千人が参加し、一部が爆発物を投げ込もうとしたため、軍は実弾などを発射して応じたという。70年前のイスラエル建国に伴って故郷を追われたパレスチナ難民の帰還を求めるデモは3月末から断続的に行われ、これまで220人以上が死亡、2万5千人超が負傷している。(エルサレム=渡辺丘)


シリア、イスラエル軍のミサイル迎撃 兵士3人負傷 国営通信

【12月26日 AFP】シリアの国営シリア・アラブ通信(SANA)は25日、首都ダマスカス近郊で同国の防空部隊がイスラエル軍が発射したミサイルを迎撃し、大部分を撃墜したと発表した。

 SANAが軍関係筋の話として伝えたところによると、ミサイルはイスラエル軍機がレバノン上空から発射したもので、シリア軍側の兵士3人が負傷、また武器庫が損壊したという。

 一方、イスラエル側はミサイル発射について対空攻撃への防御対応だったと主張。イスラエルはこれに先立ち、イランの軍事施設と主張する建物や、イランが支援するレバノンのイスラム教シーア派(Shiite)原理主義組織ヒズボラ(Hezbollah)に供給される高性能武器を標的に、空爆を複数回実施していた。

 イスラエルの軍報道官はミサイル発射に関するAFP記者の質問にコメントを拒否した。



こうした事件が起きている。子連れ旅行を逡巡させるには、かなり強い手駒が揃ってきた。

 もっとも、こうした「きな臭い」エリアに目をつむり、テルアビブ近郊の安全なリゾート地で終日を過ごす手もある。でも地中海のビーチをたのしむだけなら、無理にイスラエルに来る必要はない。マルタとか、ニースとか、世の中にはここよりも素敵な場所がいくらでもある。

 イスラエルに行くならば、いまそこで見るべきなにかを、しっかりと見届ければならない。少なくとも、そうするように心を傾けてから出発しなければならない。

 というのが、偏った視座を持つことで定評のある私の個人的意見であった。


イスラエル・テルアビブ近郊のビーチ
ビーチ自体は美しく、すばらしい場所ではあった


越えてはいけない一線を越えてしまった

イスラエルは、長らく迫害されてきたユダヤ人が苦吟の果てにつくり上げた、いわば理想国家である。千年単位の時間軸で見れば、長い旅路を経て「ついに奪還した」聖地でもある。

 一方で、この国がつくられる前から住んでいた人びと、つまりパレスチナ人にしてみれば、ユダヤ人はまごうことなき侵略者(Invader)である。

 土地を奪われ、家族を殺され、憎しみが数世代にわたって累積されていく。

 2018年には、ガザ地区で抗議デモに参加したパレスチナ人がイスラエル軍に射殺される事件があった。非武装の民間人を軍隊が撃ち殺すというのは相当な事態だ。国際社会のみならず、イスラエルの元狙撃兵ですら「越えてはいけない一線を越えてしまった」と批判している。

 こうしたイスラエルの行為は、善か悪かでいえば、これはやはり「悪」だと私は思う。それもかなり底の深い、質量をはかり難いシステムとしての悪。「世界で悪影響を与えている国」とされるのもやむなし、と思わせるものがそこにはある。

 けれども、ここで現代の価値観から遠く離れたポイントに立てば、イスラエルがパレスチニアンにしていることは、かつてアメリカがインディアンにしてきたことや、オーストラリアがアボリジニにしてきたことや、あるいは日本がアイヌにしてきたことと、いったい何が違うのか、という根源的な疑問も生じる。


イスラエル・テルアビブ近郊のヘブライ語の看板


ある重要なポイントで、必ずこの国にたどり着く

なぜ、イスラエルだけが猛烈な非難を浴びて、先住民を駆逐できずにいるのか。

 それはたぶん、この国が20世紀の半ばにつくられた「遅れてきた青年」だからではないか。まだマスメディアも発達しておらず、国際機関などという面倒なものもなく、異人の迫害にもさして抵抗を感じない人たちがマジョリティを占めていた時代(実はonly a few centuries agoだけど)にことをなした先達たちとは、初期条件において圧倒的な隔たりがあるのだ。

 ウィーンに暮らしはじめてから、世界各地を訪れるようになってから、そんなことを考えるようになった。なにしろヨーロッパはユダヤ人をいじめ抜いてきた歴史がある。その因縁が、宿痾が、差し込みが、今日に至るまで、闇のなかで音を立てずに生き続けている。そのように実感する機会が、こちらに来てから一度ならずあった。

 そしてまた、ヨーロッパの問題も、アメリカの問題も、中東の問題も、掘り下げていくと、ある重要なポイントで、必ずイスラエルという国にたどり着くことにも気がついた。

 上に述べた内容は、しょせんは頭でこねくりあげた理屈である。繰り言の域を越えるには、やはり身銭を切って、その土地を踏んで、肺いっぱいに空気を吸い込んでみるほかはない。

 それに身銭を切るといっても、格安航空会社を使えばウィーンから往復100ユーロ弱。東京から名古屋まで新幹線に乗るよりも安い。こうなるともう「行かない理由」が見つからない。

 そうして私は奥さんを説得し、6日間の一人旅の権利を獲得した。具体的にどのような交渉プロセスを経て合意に至ったかについて、ここには明らかにしない。これは日米安全保障条約の機密外交記録が50年間にわたり情報公開されなかったのと同じ文脈である。


イスラエル・テルアビブの住宅地で見かけたアメリカンショートヘアーの猫

カジュアルファッションとしてのウージー・サブマシンガン

イスラエルに来てまず驚いたのは、マシンガンを携えた兵士の多さだ。

 治安情勢に緊張感のある国を訪れたとき、市中で武装した警護兵の姿を見るのは珍しいことではない。だがこの国では、ショッピングモールやら路面電車やら、ごく普通の場所で、ごくカジュアルに(というか)マシンガンを携えた軍人を見かけるのだ。

 ある兵士は、フードコートで番号札を握りしめて、焼きそばができあがるのを待っている。また別の兵士は、ジーンズにTシャツというラフな格好で、右手にiPhone、左手にマシンガンのスタイルだ。最初はぎょっとしたが、わりにすぐ目が慣れてくるから不思議なものだ。

 でもテルアビブからティベリヤに向かう長距離バスで「出勤途中」の軍人たちに前後左右を囲まれたときには、さすがに私も緊張した。こういうところでいきなり四文字言葉を叫んだらどういうことになるかな、という危うい考えが頭をよぎったりもした。

 ちなみに「これが世に名高いIMI社のウージー・サブマシンガンかあ!」などと興奮して写真を撮りまくっていると、その場で即逮捕される可能性がある。現にいま国会では、イスラエル国防軍(IDF)の兵士を撮影した者に、最大で懲役10年を科す法律を検討しているという。

 そういう状況で私はどうしたか? 
 危険を顧みず写真を撮ったのか?

 ここではノーコメントとさせていただきたい。


イスラエル・エルサレムのバスターミナルの厳しいセキュリティチェック
バスターミナルのセキュリティチェックもなかなか厳しい

イスラエル・テルアビブ近郊で見かけた注意書き
ヘブライ語とアラビア語の併記が多い

イスラエル・テルアビブの路傍の商店のビール棚
全体的に物価は高い。でも所得の低そうなエリアに行けば安くなる


安息日(シャバット)をどう過ごすか

それからもちろん、ユダヤ教徒の姿もよく見かける。

 キッパだけを頭に載せている若者もいれば、黒スーツ・黒帽子の正統派スタイルでびしっと決めた御仁もおられる。私はこの黒帽子を見るとついハーポ・マルクスを思い出してしまう。そういえばマルクス兄弟もユダヤ系であった。


イスラエル・エルサレムの嘆きの壁
嘆きの壁では、観光客にも「貸しキッパ」の着用が求められる


 ユダヤ教では、金曜の夕方から土曜の夕方までを安息日(シャバット)として、労働をしてはいけないものと定めている(セックスはOKらしい)。

 この期間、ユダヤ系のお店は一斉に閉まるし、電車やバスも運休となる。だからたとえば金曜日の夜にベン・グリオン国際空港に到着した人は、アラブ系の乗り合いタクシーなどを使わない限り、市中にたどり着くことすらできなくなる。私の友人のTさんのように。

 私の滞在も安息日に重なったが、今回宿泊したアブラハム・ホステル・テルアビブ(12名の相部屋、朝食付きで1泊2,800円)のバーでは普通にお酒が飲めたし、少なくとも私が散歩したテルアビブとヤッファでは、ほとんどのレストランがオープンしていた。たぶん非ユダヤ教徒の従業員が働いているのだろう。


イスラエル・テルアビブ市内で見かけた正統派スタイルのユダヤ教徒のお爺ちゃん
信心深そうなお爺ちゃんは

イスラエル・テルアビブ市内で見かけた正統派スタイルのユダヤ教徒のお爺ちゃんが信号を無視してしまった
鮮やかに信号を無視した


 でも公共交通機関について言えば、その機能は完全な死を我々にみせている。

 私はテルアビブからヤッファを通過して、南に向かってバト・ヤムホロンのあたりを――観光ガイドブックにはまず掲載されていないような地域を――明確な目的もなしに、ひたすら歩いた。左腕にはめたGarminの活動量計は、約4万歩を記録した。


イスラエル・テルアビブ近郊の公園でベースボールっぽい遊びに興じる地元民たち
3人で野球っぽい遊びに興じる黒人たち。「3人でもできるんだ」と思った

イスラエル・テルアビブ近郊の公園でゲートボールっぽい遊びに興じる地元民たち
手投げのゲートボールっぽい遊びに興じる好々爺たち。よくわからないがたのしそう


アメリカとイスラエルは腹違いの兄弟だ(※個人の感想です)

この無目的な散歩が私にもたらしたもの。そのひとつは、「イスラエルはアメリカの都市部と似ているなあ」という素朴な気づきであった。

 たとえば、白人が住むエリアはクリーンで裕福だけれど、ある線をまたぐと有色人種の割合がいきなり増えて、ダーティーで貧しい建物ばかりになるところ。もちろんヨーロッパだって少なからずそうした傾向はあるのだが、ここまでわかりやすく露骨ではない。そういう意味でイスラエルとアメリカの都市部はすごく似ているなあ、と私は思った。

 この奇妙な類似性は、いったいどこから来たものなのか。
 「どちらも移民がつくった国家だから」というのが私の仮説だ。

 つまりイスラエルもアメリカも、ある特定の時期に大勢の人たちが一度に移住して、いわば後天的にできた国である。それゆえに住区画の仕切られ方も、草原ではなく庭園的というか、タイドプール(潮だまり)ではなくアクアリウム的というか、良くも悪くも人間の意思が反映されやすいものになっている。

 ここで人間の意思とは、身も蓋もなく言えば「自分に近い輩を近づけ、遠い輩を遠ざける」というものだ。でもこれが行き過ぎると国家という名のフィクションは早晩崩壊してしまう。そこは共同体としての美しい理念を掲げて国民をまとめつつ、地域レベルの区別(差別)には目をつむる。そういうところが、アメリカとイスラエルは実に兄弟のように似ているのだ。

 そしてその仮説を敷衍していくと、アメリカという国が(ときに自らの国益に反してまで)親イスラエル的な行動をしばしば取るのは、「ユダヤ系ロビイストの絶大なパワーが」みたいな理由だけでは必ずしもなくて、もしかしたら「苦労の末に大成した兄貴が、自身の若い頃に似た境遇にある腹違いの弟をつい可愛がってしまう」みたいな人情的な(東映任侠映画的な)理由もあるんじゃないか・・・などと勝手な想像を膨らませたりもした。


イスラエル・テルアビブ近郊のバス停で見かけた同性愛推奨らしきポスター
同性愛のポスター(たぶん)が貼られている程度には、表現の自由はあるようだ

イスラエル・エルサレムの土産物屋で見かけたTシャツ(もしかして:パレスチナ)
このTシャツが土産物屋で売られている程度には、表現の自由はあるようだ


 まあそれはともかく、私が散歩していて最もおもしろかったエリアは、ユダヤ人街とアラブ人街の、ちょうど境目のあたりであった。

 そこには、安息日でも開いているアラブ系の商店で買い物をするユダヤ人の姿があったり、アラビア語のカフェになぜかクリスマスツリーがあったりした。

 ムスリムとユダヤ人の子連れ女性たちが路地裏で談笑していた。「お母さん」の共通性が、宗教の相違性を軽快に飛び越える実証がそこにはあった。

 淡水と海水が混ざった汽水域のような、そこでしか成立しない類の生態系を見た気がした。


イスラエルのムスリム女性と赤ちゃん


現地ツアーでエルサレムに行く

滞在中は、パレスチナ(これは別の記事で詳述します)を含め基本的にずっと一人旅であったが、1日だけ、エルサレム死海をめぐる現地ツアーに参加した。

 エルサレムはイスラエルで最もアクセスの良い場所なので(テルアビブからバスで行くなら16シェケル≒480円)、交通手段を確保したいだけならツアーの意味はほとんどない。

 けれども、紀元前から現在に至るまで理想の光と暴力の影が交叉しつづけているエルサレムという土地の来し方についてガイドさんから丹念な説明を受けたり(例:ビザンティン帝国とオスマン帝国の建築様式はいかにして奇妙な混淆をみせるに至ったか)、くだらないことでもその場ですぐに質問できたりするのが、単独行動では得がたいツアーのメリットではある。

 「あのフランス語の団体、VIPっぽい待遇だけど何者ですか?」
 「イスラエル政府による10日間無料ツアーです。政府は西欧からのユダヤ系移民を積極的に受け入れる方針を取っています。チケット代もホテル代も補助金から出るので無料です」

 「なるほど、つまり政府はアラブ人がマジョリティになるのが嫌なのですね」
 「それについてはノーコメントです」

 でもこういうのって、耳学問というか、現場で人の話を聞くのがいちばん頭に入ってくるんですよね。まあこれは私の性向に過ぎないといえばそれまでだけど。


イスラエル・エルサレムの山の上から見下ろした光景:一面のお墓
一面の墓。ガイドさん(アラブ系ユダヤ教徒)の祖父もここに眠っているという

聖墳墓教会にて、イエス・キリストが磔刑にされた(と言われる)十字架
聖墳墓教会にて、イエス・キリストが磔刑にされた(と言われる)十字架

聖墳墓教会にて、イエスキリストの遺体に油を塗った(と言われる)板状の石
同じく聖墳墓教会にて、キリストの遺体に油を塗った(と言われる)板状の石


 このツアーの参加者は、サンフランシスコで不動産会社に勤める中国系アメリカ人の男女と(しかし恋愛っぽい空気は一切ない)、バンガロールでSDカードの製造会社に勤めるインド人男性と、ベルリンで近現代美術史を専攻する研究者のドイツ人女性と、ウィーンで国際機関に勤める日本人男性(つまり私)の5人であった。

 この少人数ながら多国籍のチームで過ごした一日は、なかなかに愉快なものであった。旅行代理店と提携しているお土産屋さんに寄っても、「このアクセサリーは素敵だね」「いいね」といった世辞を惜しみなく提供しつつ、結局は誰も何も買っていない。愛想がよくても金銭の出入りにはシビアなところが、それぞれの分野の最前線で生きしのぐビジネスパースンの気配を感じさせてとてもよかった。

 彼らと話してみて驚いたのは、私以外の全員が出張のついでに来たということだ。この日をまるごと「予備日」に充てて、そうして現地ツアーに参加している。スケジュールをぎちぎちに詰めがちな日本の組織では考えられないというか、これぞ理想の働き方という気がする。

 といっても、インド人にはツアー催行中にも仕事の電話がじゃんじゃんかかってきていて、イエス・キリストが最後に歩いた道とされるヴィア・ドロローサで「その契約では無理です」「代案を考える時間をください」などと交渉する背中は少しくかわいそうではあった。人間の苦悩は時代を問わないのだな、としんみりした気持ちになった。もっとも彼はヒンドゥー教徒なので、キリスト氏の受難にあんまりシンパシーはないみたいだったけれど。


イスラエルの死海
溺れているのではなく、死海で浮かんでいるところ。例のインド人に撮ってもらった

イスラエルの死海ビーチ
オフシーズンの12月は人も少ない。ナイジェリアの団体客が異様に興奮してたけど


ごみのにおいを嗅ぎにいく

最後の日は北部のティベリヤを訪れた。テルアビブから高速バスが出ていて、37.5シェケル≒1,100円。約3時間の行程だ。

 この古都はキリストが数々の奇蹟を起こした場所として知られていて、バイブル・スタディに興味のある方には、一日かけても見切れない史跡が揃っている。

 だが私は、聖書の記述に特段の情熱を傾ける者ではない。私の関心は、もっと卑俗に、古代ローマ時代に端を発する温泉の文化がそこにあるという、その一点にほぼ集中していた。

 ローマ帝国の第2代皇帝ティベリウス(精神的な問題をたくさん抱えて、晩年にはカプリ島に引きこもった人)にちなんだ名前というのも、個人的に興味を惹かれるポイントだ。これは行くしかないな、と思った30分後、私はもうバスに乗り込んでいた。


イスラエル北部の古都・ティベリヤにあったおもちゃ屋さん
おもちゃ屋さんに「銃もの」がやたら多いのもイスラエルならでは

イスラエル北部の古都・ティベリヤのガリラヤ湖
ガリラヤ湖はイスラエル国内最大の湖

イスラエル北部の古都・ティベリヤの観光案内所(十字軍の史跡)
十字軍の史跡の「居抜き物件」みたいになっている観光案内所


 ティベリヤには全部で17カ所の温泉があるという。そのなかでたぶん最も有名なのが、市の中心部から南に30分ほど歩いた先にあるティベリヤ温泉(Tiberias Hot Springs)だ。

 しかしインターネットで調べると、この施設の評判があまりよくない。いくつかのサイトでレビューを読むと、

「設備が1960年代のまま」
「BGMの電子音楽がうるさい」
「職員のホスピタリティがゼロ」
「プールから生ごみのにおいがする」
「観光客向けではなく地元民向け」
「ロシア人のデブが多すぎる」

といった酷評がやけに目立つ。

 こういうコメントを見ると、もちろん私としてはテンションが高まる。その老朽化した設備とやらを、やかましい電子音楽とやらを、生ごみのにおいとやらを、自分の目で/耳で/鼻でたしかめてみようという気に俄然なってくる。観光客向けではなく地元民向けというのも私の望むところである。

 それにしても「ロシア人のデブが多すぎる」というのはさすがにひどい。それはもう施設の評価でもなんでもないじゃないか。


イスラエルのティベリヤ温泉(Tiberias Hot Springs)


ムスリムの女性と混浴をする

入場料は88シェケル≒2,600円で、タイマッサージ(30分)は170シェケル≒5,100円。事前に調べたとおりだったが、ちょっと高い。お台場の大江戸温泉物語なみの高さである。

 けれども私は、サモ・ハン・キンポーのアラブ版みたいな窓口のおじさんに交渉をしかけ、入場料と30分のマッサージのセットで150シェケルにまけてもらった。

 これは、「こんなに高いなら別のところに行くよ」と(ほかに行くあてもないのに)ブラフをしかけたのが効いたのと、このサモ・ハンが無類のサッカー好きで「おまえは日本人か?」「ナカタホンダカガワは俺のヒーローだ」と一方的に好感をもってくれたのが大きい。

 私のサッカー方面の知識はゼロに等しいが、「ナカタ、ホンダ、カガワという名の知り合いは私にもいる」などといい加減なことを言って調子を合わせたところ、「それはすごいな!」とサモ・ハンの歓心を得ることに成功した。これも日本代表の方々の活躍のおかげである。


イスラエルのティベリヤ温泉(Tiberias Hot Springs)の顧客と思われるおばさん
バスローブのまま公道に出てきた「おのぼりさん」風のおばさん


 施設内には温泉プールとサウナ(乾式と湿式の両方)がある。水着着用の男女混浴、これはヨーロッパでもよく見る方式だ。ウィーンから持参した海パンの出番がやってきた。

 プールは水温40度くらいで、硫黄の匂いがむんむん立ち込めている。「生ごみのにおい」はこれのことか。もちろん私には何の問題もなくて、むしろ湯上がりの幸福な二の腕に温泉の匂いが染みつく感じ(くんくん)、これが妙に懐かしくて最高だった。

 「ロシア人のデブ」の姿もどこにもない(タイマッサージの施術者はロシア人のスリムマッチョな男性だったけど)。ざっと見た限りでは、ユダヤ系とイスラム系が7:3くらいの割合。オフシーズンの平日の夕方だったからか、私以外のお客さんはほぼ地元民らしかった。

 ロッカーの使用権が料金に含まれておらず、プールサイドに荷物一式を置くのは不安だったけれど(なにしろこれが盗まれたら、私は海パン一丁でイスラエル北部に放り出されることになるわけだから)、地元民向けの施設ならではの気の抜けた雰囲気が、治安の良さを担保してくれているようだった。

 それから、あまりじろじろ見てはいけないのだけれど、ムスリム女性の水着(ブルキニ)は明治時代の女性用水着に似たところがあって、かえってセクシーな感じでとてもよかった。

 しかしここで「コーランでは誰が好き?」みたいな按配でしつこく女性に絡んだりすると、たちまちのうちに捕縛され、最悪の場合は斬首ということになりかねない。斬首については、私はこれをできれば避けたいと思う人間であるので、かわりにアラブ系の小さな男の子と話をした。この子は(名前を教えてもらったが忘れてしまった)なんと明日が5歳の誕生日ということであった。おめでとう、と私は言った。うちにも君と同い年の息子がいるんだよ、と。


イスラエルのティベリヤ温泉(Tiberias Hot Springs)


羊を連れた青年

イスラエル北部に伸びてゆく高速道路の両脇には、どこまでも荒れ野が広がっている。バスの窓ぎわの席で、私はそれを無感動に眺めていた。

 ある瞬間、そこへ閃くものがあって、何十頭もの羊の群れと、それを率いて歩くアラブ風の青年が目に飛び込んできた。

 わずか5秒ほどの出来事で、写真におさめる時間もなかった。

 普通に考えれば、彼は羊飼いを生業とする人なのだろう。はてなき曠野を進む青年と羊たちの姿は、しかしそこだけ現実から遊離しているように見えた。そしてこの5秒間に限っては、近代も中世もすっ飛ばして、紀元前、つまり聖書の世界と地続きにつながった気がした。

 この風景に出会ったことが、イスラエル旅行の最大の収穫であった。

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