コロナ逡巡日記⑧ (4月13日~4月19日):小規模店舗が再開する
(本稿は、コロナ逡巡日記⑦の続きです)
外出規制も1ヶ月となれば、職場も学校も、リモートでの実施に慣れてくる。
たとえば6歳児(小学1年生)のクラスは、初めはSeesawアプリに配信される宿題をこなす形式だったが、最近になってリアルタイムでの授業が加えられた。本の音読とか、PE(体育)とか、演劇とか、そうした課目もiPadを通じて教えられるのだ。
授業のあいだ、息子は親の介入を望まない(恥ずかしいのだろう)。基本的には遠くから見守ることになる。彼は先生と英語でやり取りしている。テクノロジーの進歩と子どもの成長が「同期」している。
私の悪事が露見して、奥さんに激しく叱られた。
このとき息子は、iPadの前に座っていた。
画面の向こうの先生とクラスメートたちが、ふいに3秒ほど沈黙した。
マイクをミュートにしていなかったのだ。
家族で日本大使館を訪ねる。無償で配布される子どもの教科書を受け取るためだ。
規制緩和の初手として、今日から小型店舗の営業が許可されると聞いたが、Schottentorのあたりは閉店が目立つ。むしろ警察官が取り締まりをしていて、不要不急らしきサイクリングの若者をつかまえて尋問していた。
「我々は教科書を取りに来たのだから、うん、必要な外出だよな」と自分に言い聞かせる。
晩酌のワインが切れていたので、スーパーまで買い出しに行く。
「ワインを飲まずに生きることは難しいから、うん、必要な外出だよな」と言い聞かせる。
マリアヒルファー通りに出かける。ここはウィーンで最も有名な商店街のひとつだ。
外出規制が緩和されて、往来はどのくらい混雑しているのか。
この日の午後に観察した限りでは、平時のおよそ5~6割だった。
街から人が消えた1か月前に比べれば、これは驚くべき復興ぶりだ。
焼きソーセージ屋さんを筆頭として、屋台フードの次なる代表格ともいえるケバブ屋さんが営業を再開し、1メートル間隔で行列ができていた。
翻って、三番目の代表格たる焼きそば屋さんは、どこにも灯がついていない。アジア系ゆえの差別を恐れているのか、それとも店員さんが中国などに帰還してしまったのか。私はべつに熱心な客ではないのだけれど、なんとなく気になってしまう。
さらに通りを歩くと、「コロナ対策グッズ販売店」がオープンしていた。
店内を覗くと、品薄であったはずのマスクが大量に入荷されている。
よく見ると、どの製品にも中国語が印字されている。
そういうことか、と私は思った。
さらには大麻(CBD)ショップですら、コロナ対策と称するマスクを売っている。
でも、そのデザインはちょっと無いんじゃないか。
マスク50枚で37.5ユーロ。スーパー(SPAR)で売っていたマスクが最安値だったが、どの店でもマスクにお金は払わなかった。SPARの店頭で、1枚無料で配っていたからだ。
たまご1パック10個で1.99ユーロ。外出規制になってから消費スピードの著しい、たまごを結局は買うのであった。
定例のセクション会議がWebExで行われる。
開始から40分ほどして、ふと回線が悪くなって、ほぼ全員が画面から消えた。同僚のVさんとFさんだけが残された。
これが本当の会議室で起きたらどんな具合だろうか。
資料に目を落として、顔を上げたら、部屋の中心で強靭なトルネードが発生。一瞬で出席者たちが窓の外に吹き飛ばされる感じだろうか。そしてそのまま会議が終わる。
「さよなら」と、私は笑顔で言った。
「良い一日を」と、Fさんが言った。
「良い一日を」と、Vさんも言った。
その日はとても良い一日だった。
5月中旬から美術館や博物館などが再開されるとの報。ウィーンにもまだ足を運んでいない場所がいくつかある。帰国前にぎりぎり間に合うかもしれない。
雨雲もなく、砂塵もなく、強靭なトルネードも発生しない、気持ちのよい好天。
家族で近くのOberlaaを訪ねる。ウィーンの名高いカフェのなかで歴史は浅いが(それでも創業50年近い)、我が家ではここのケーキがいちばん人気だ。
A・Hと同じ日に生まれた3歳児が数日後には4歳児になるので、ちょっと前倒しでお祝いのケーキを買うことにする。
店内利用はできず、テイクアウトのみ。感染リスクのある現金手渡しではなく、カード払いを推奨。レジ前の行列は1メートル間隔で。
いろいろと制限はあるけれど、「いつもの」お店が復活した喜びには代えられない。マスクをつけた店員さんも、心なしか誇らしそうにしている。
1日あたりの感染者数がついに100名を割る(84名)。「ついに」である。
日本の同輩に伝えてもさほど共感は得られなかったが(それだけ日本の感染者数が少ないのだ)、ヨーロッパに住む者として、これは峠を越えたような気持ちがある。まあ、この先に新たな峠が待っていないとも限らないのだが。
各国の新型コロナ対策の明暗を分けたファクターについて、このところメディアでよく論じられるようになった。現時点で確たることは言えないのだろうが(収束から数年後あたりに、徹底的にアカデミックに検証された論文を読んでみたい)、私にも仮説することはある。
そのひとつは、やはり小国に優位性がある、ということだ。国土が小さいほど、国境封鎖の実効性が高くなる。でも国土の大きいアメリカなどでは、国内の移動を抑えきるのが難しい。「州境」封鎖も一策だろうけど(トルコは実際にそうしているらしい)、そこにはまたべつの政治リスクがある。昔から独立の気運がある自治州のようなところでは特にそうだ。
そして、「核家族の多さ」とか、「近所づきあいの薄さ」とか、「宗教心の乏しさ」とか、これまで一般的にネガティブな文脈で語られてきたものが、コロナの場合には(感染リスクを減じる)ポジティブな因子として捉えられるかもしれない。世のなかの価値観なんて、わりに簡単にひっくり返るのかもしれない。さまざまな感想が浮かんでは消える。
家がいきなり断水になる。
「この状況下で修理の業者は来てくれるのか」と危ぶまれたが、2時間くらいしたら自然に(いや、おそらく私の知らないところで何かしらの措置が講じられたのだ)復旧してくれた。
住宅のインフラがすこし立ち行かなくなるだけで、簡単に窮地に陥ってしまうものである。
6歳の息子と将棋をやる。
将棋を教えたのは約1年前だが、最近になって、当方が六枚落ち(飛角桂香なし)のハンデでも互角に戦えるようになってきた。
子どもとゲームで対決するとき、どれだけ手加減してやるか(手加減なしでやるか)。これを定めるのは難しい。息子は負けず嫌いの気質なので、こちらが完膚なきまでに叩きのめすと(たとえばオセロで全部を白にして勝ったりすると)、泣きじゃくったあげく、そのゲームの意欲自体を失ってしまう。じつは将棋にも幾度かそんな時期があった。
他方で、あからさまに故意に負けてやるのも愉快ではない。つまり私も負けず嫌いなのだ。すっと太刀筋を読むようにして、双方の機微をバランスするような手の抜きかたが求められるのだが、私の人間修養はとうていその域には達していない。
(コロナ逡巡日記⑨に続く)
4月13日(月)
墺連邦保健省によれば,13日(月)15時現在,新たにオーストリア国内で105名の新型コロナウイルス(COVID-19)感染の確定症例及び18名の死亡事例が報告されました。これでオーストリアにおける確定症例は13,999名(内死亡数:368名,治癒数:7,343名))となります。
引用:在オーストリア日本大使館「新型コロナウィルス関連情報:4月13日」
外出規制も1ヶ月となれば、職場も学校も、リモートでの実施に慣れてくる。
たとえば6歳児(小学1年生)のクラスは、初めはSeesawアプリに配信される宿題をこなす形式だったが、最近になってリアルタイムでの授業が加えられた。本の音読とか、PE(体育)とか、演劇とか、そうした課目もiPadを通じて教えられるのだ。
授業のあいだ、息子は親の介入を望まない(恥ずかしいのだろう)。基本的には遠くから見守ることになる。彼は先生と英語でやり取りしている。テクノロジーの進歩と子どもの成長が「同期」している。
授業中 |
私の悪事が露見して、奥さんに激しく叱られた。
このとき息子は、iPadの前に座っていた。
画面の向こうの先生とクラスメートたちが、ふいに3秒ほど沈黙した。
マイクをミュートにしていなかったのだ。
4月14日(火)
14日(火)15時現在,新たにオーストリア国内で160名の新型コロナウイルス(COVID-19)感染の確定症例及び16名の死亡事例が報告されました(累計確定症例数は14,159名(内死亡数:384名,治癒数:7,633名))。
引用:在オーストリア日本大使館「新型コロナウィルス関連情報:4月14日」
家族で日本大使館を訪ねる。無償で配布される子どもの教科書を受け取るためだ。
規制緩和の初手として、今日から小型店舗の営業が許可されると聞いたが、Schottentorのあたりは閉店が目立つ。むしろ警察官が取り締まりをしていて、不要不急らしきサイクリングの若者をつかまえて尋問していた。
「我々は教科書を取りに来たのだから、うん、必要な外出だよな」と自分に言い聞かせる。
古本の無料回収&譲渡ボックスがあった |
晩酌のワインが切れていたので、スーパーまで買い出しに行く。
「ワインを飲まずに生きることは難しいから、うん、必要な外出だよな」と言い聞かせる。
4月15日(水)
15日(水)15時現在,新たにオーストリア国内で162名の新型コロナウイルス(COVID-19)感染の確定症例及び10名の死亡事例が報告されました(累計確定症例数は14,321名(内死亡数:393名,治癒数:8,098名))。
引用:在オーストリア日本大使館「新型コロナウィルス関連情報:4月15日」
マリアヒルファー通りに出かける。ここはウィーンで最も有名な商店街のひとつだ。
外出規制が緩和されて、往来はどのくらい混雑しているのか。
この日の午後に観察した限りでは、平時のおよそ5~6割だった。
街から人が消えた1か月前に比べれば、これは驚くべき復興ぶりだ。
焼きソーセージ屋さんを筆頭として、屋台フードの次なる代表格ともいえるケバブ屋さんが営業を再開し、1メートル間隔で行列ができていた。
翻って、三番目の代表格たる焼きそば屋さんは、どこにも灯がついていない。アジア系ゆえの差別を恐れているのか、それとも店員さんが中国などに帰還してしまったのか。私はべつに熱心な客ではないのだけれど、なんとなく気になってしまう。
さらに通りを歩くと、「コロナ対策グッズ販売店」がオープンしていた。
店内を覗くと、品薄であったはずのマスクが大量に入荷されている。
しかし、値段がちょっと高すぎやしないか。
よく見ると、どの製品にも中国語が印字されている。
そういうことか、と私は思った。
さらには大麻(CBD)ショップですら、コロナ対策と称するマスクを売っている。
でも、そのデザインはちょっと無いんじゃないか。
マスク50枚で37.5ユーロ。スーパー(SPAR)で売っていたマスクが最安値だったが、どの店でもマスクにお金は払わなかった。SPARの店頭で、1枚無料で配っていたからだ。
たまご1パック10個で1.99ユーロ。外出規制になってから消費スピードの著しい、たまごを結局は買うのであった。
4月16日(木)
16日(木)15時現在,新たにオーストリア国内で130名の新型コロナウイルス(COVID-19)感染の確定症例及び17名の死亡事例が報告されました(累計確定症例数は14,451名(内死亡数:410名,治癒数:8,986名))。
16日,オーストリア航空は,同社定期便の運休を5月17日まで延長する旨発表しました。
16日,オーストリア航空は,同社定期便の運休を5月17日まで延長する旨発表しました。
引用:在オーストリア日本大使館「新型コロナウィルス関連情報:4月16日」
定例のセクション会議がWebExで行われる。
開始から40分ほどして、ふと回線が悪くなって、ほぼ全員が画面から消えた。同僚のVさんとFさんだけが残された。
これが本当の会議室で起きたらどんな具合だろうか。
資料に目を落として、顔を上げたら、部屋の中心で強靭なトルネードが発生。一瞬で出席者たちが窓の外に吹き飛ばされる感じだろうか。そしてそのまま会議が終わる。
「さよなら」と、私は笑顔で言った。
「良い一日を」と、Fさんが言った。
「良い一日を」と、Vさんも言った。
その日はとても良い一日だった。
4月17日(金)
17日(金)15時現在,新たにオーストリア国内で102名の新型コロナウイルス(COVID-19)感染の確定症例及び21名の死亡事例が報告されました(累計確定症例数は14,553名(内死亡数:431名,治癒数:9,704名))。
(中略)
17日,コーグラー副首相(兼文化・芸術・公共サービス・スポーツ大臣)及びルナチェック芸術・文化担当副大臣は記者会見を行い,新型コロナウイルス対策のための規制措置の段階的緩和として,芸術・文化活動の今後の方針を発表しました。発表内容の概要は以下のとおりです。
(1)5月中旬から,美術館,図書館(貸し出しのみ)及び芸術・文化展示施設(Orte der Praesentation)は活動を再開できる(当館注:具体的な再開日は今後協議されるとのことです)。連邦美術館は,運営上の理由から6月末に再開される。
(2)市の祭りや音楽祭のような,大人数が密集する大規模行事は8月31日まで開催禁止(当館注:これまではすべての催しが6月末まで禁止となっていました)。
(3)感染者数の減少が見られれば,7月初めから,例えば屋外での映画上映といった一定の行事に対するさらなる緩和措置をとることができるか,5月中旬に詳細を発表する。この場合でも,常に他者との距離を少なくとも1m保つこと,屋内の場合は一人当たり20平米のスペースを,屋外の場合はさらに広いスペースを取らなければならない。さらに,消毒が遵守され,入退場の方法が定められなければならない。
(4)声楽や舞台といったプロの芸術・文化活動においては,5月18日から,個人のトレーニングや稽古が可能となる。感染対策が守られる形であれば,グループによる劇場での稽古(Probe)は6月1日から可能となる見込み。これらの措置は,当面の間,アマチュアの活動には適用されない。なお,芸術大学や音楽大学におけるレッスンの扱いについては,ファスマン教育・学術・研究大臣と協議中。
(中略)
17日,コーグラー副首相(兼文化・芸術・公共サービス・スポーツ大臣)及びルナチェック芸術・文化担当副大臣は記者会見を行い,新型コロナウイルス対策のための規制措置の段階的緩和として,芸術・文化活動の今後の方針を発表しました。発表内容の概要は以下のとおりです。
(1)5月中旬から,美術館,図書館(貸し出しのみ)及び芸術・文化展示施設(Orte der Praesentation)は活動を再開できる(当館注:具体的な再開日は今後協議されるとのことです)。連邦美術館は,運営上の理由から6月末に再開される。
(2)市の祭りや音楽祭のような,大人数が密集する大規模行事は8月31日まで開催禁止(当館注:これまではすべての催しが6月末まで禁止となっていました)。
(3)感染者数の減少が見られれば,7月初めから,例えば屋外での映画上映といった一定の行事に対するさらなる緩和措置をとることができるか,5月中旬に詳細を発表する。この場合でも,常に他者との距離を少なくとも1m保つこと,屋内の場合は一人当たり20平米のスペースを,屋外の場合はさらに広いスペースを取らなければならない。さらに,消毒が遵守され,入退場の方法が定められなければならない。
(4)声楽や舞台といったプロの芸術・文化活動においては,5月18日から,個人のトレーニングや稽古が可能となる。感染対策が守られる形であれば,グループによる劇場での稽古(Probe)は6月1日から可能となる見込み。これらの措置は,当面の間,アマチュアの活動には適用されない。なお,芸術大学や音楽大学におけるレッスンの扱いについては,ファスマン教育・学術・研究大臣と協議中。
引用:在オーストリア日本大使館「新型コロナウィルス関連情報:4月16日」
5月中旬から美術館や博物館などが再開されるとの報。ウィーンにもまだ足を運んでいない場所がいくつかある。帰国前にぎりぎり間に合うかもしれない。
雨雲もなく、砂塵もなく、強靭なトルネードも発生しない、気持ちのよい好天。
家族で近くのOberlaaを訪ねる。ウィーンの名高いカフェのなかで歴史は浅いが(それでも創業50年近い)、我が家ではここのケーキがいちばん人気だ。
A・Hと同じ日に生まれた3歳児が数日後には4歳児になるので、ちょっと前倒しでお祝いのケーキを買うことにする。
店内利用はできず、テイクアウトのみ。感染リスクのある現金手渡しではなく、カード払いを推奨。レジ前の行列は1メートル間隔で。
いろいろと制限はあるけれど、「いつもの」お店が復活した喜びには代えられない。マスクをつけた店員さんも、心なしか誇らしそうにしている。
4月18日(土)
18日(土)15時現在,新たにオーストリア国内で84名の新型コロナウイルス(COVID-19)感染の確定症例及び12名の死亡事例が報告されました(累計確定症例数は14,637名(内死亡数:443名,治癒数:10,214名))。
引用:在オーストリア日本大使館「新型コロナウィルス関連情報:4月18日」
1日あたりの感染者数がついに100名を割る(84名)。「ついに」である。
日本の同輩に伝えてもさほど共感は得られなかったが(それだけ日本の感染者数が少ないのだ)、ヨーロッパに住む者として、これは峠を越えたような気持ちがある。まあ、この先に新たな峠が待っていないとも限らないのだが。
各国の新型コロナ対策の明暗を分けたファクターについて、このところメディアでよく論じられるようになった。現時点で確たることは言えないのだろうが(収束から数年後あたりに、徹底的にアカデミックに検証された論文を読んでみたい)、私にも仮説することはある。
そのひとつは、やはり小国に優位性がある、ということだ。国土が小さいほど、国境封鎖の実効性が高くなる。でも国土の大きいアメリカなどでは、国内の移動を抑えきるのが難しい。「州境」封鎖も一策だろうけど(トルコは実際にそうしているらしい)、そこにはまたべつの政治リスクがある。昔から独立の気運がある自治州のようなところでは特にそうだ。
そして、「核家族の多さ」とか、「近所づきあいの薄さ」とか、「宗教心の乏しさ」とか、これまで一般的にネガティブな文脈で語られてきたものが、コロナの場合には(感染リスクを減じる)ポジティブな因子として捉えられるかもしれない。世のなかの価値観なんて、わりに簡単にひっくり返るのかもしれない。さまざまな感想が浮かんでは消える。
4月19日(日)
19日(日)15時現在,新たにオーストリア国内で59名の新型コロナウイルス(COVID-19)感染の確定症例及び9名の死亡事例が報告されました(累計確定症例数は14,696名(内死亡数:452名,治癒数:10,501名))。
引用:在オーストリア日本大使館「新型コロナウィルス関連情報:4月19日」
家がいきなり断水になる。
「この状況下で修理の業者は来てくれるのか」と危ぶまれたが、2時間くらいしたら自然に(いや、おそらく私の知らないところで何かしらの措置が講じられたのだ)復旧してくれた。
住宅のインフラがすこし立ち行かなくなるだけで、簡単に窮地に陥ってしまうものである。
6歳の息子と将棋をやる。
将棋を教えたのは約1年前だが、最近になって、当方が六枚落ち(飛角桂香なし)のハンデでも互角に戦えるようになってきた。
子どもとゲームで対決するとき、どれだけ手加減してやるか(手加減なしでやるか)。これを定めるのは難しい。息子は負けず嫌いの気質なので、こちらが完膚なきまでに叩きのめすと(たとえばオセロで全部を白にして勝ったりすると)、泣きじゃくったあげく、そのゲームの意欲自体を失ってしまう。じつは将棋にも幾度かそんな時期があった。
他方で、あからさまに故意に負けてやるのも愉快ではない。つまり私も負けず嫌いなのだ。すっと太刀筋を読むようにして、双方の機微をバランスするような手の抜きかたが求められるのだが、私の人間修養はとうていその域には達していない。
△8八成銀で6歳児の勝ち |
(コロナ逡巡日記⑨に続く)
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