「トーゴ旅行記」アウトテイクス

(これは、デイリーポータルZへの寄稿記事「夜のビーチを歩いてはいけない(トーゴの歩き方)」で使われなかったエピソードをまとめたものです)




ガーナのビザ取得に失敗した

コートジボワールを起点に、ガーナを経由してトーゴに入国する。これが当初の旅程だった。「陸路で西アフリカを横断する」のが旅のコンセプトであったのだ。

 ところが、私の住むオーストリアのガーナ大使館では、査証(ビザ)を発行する権能が無いことが判明した。

 これは、どういうことか。

 オーストリアに対する査証(ビザ)の発行は、スイスに立地するガーナ大使館が受け持つことになっていたのだ。

 これは小国においてはままあることで、二国間の外交関係が相対的に軽めだったり、その国への訪問者が少なかったりするときに、大使館のリソースが節約されるのだ。(大使館自体を置かないこともある。たとえば、日本とコソボは外交関係を結んでいるが、コソボ国内に日本大使館は設置されていない。かわりにオーストリアの日本大使館がコソボも所掌する形となっている

 オーストリアからスイスへは、遠くもないが近くもない。ビザ発給のリードタイムを考慮すると、3日くらいは休暇を取らなくてはならない。費用対効果はいかにも悪い。私はガーナ当局に繰り返し照会し、ウィーンにいながら遠隔でガーナのビザを取得する方法を模索したが、結論としては「パスポートをスイスまで郵送してください」との由であった。

 「さようなら、私の届かなかった荷物たち」という小文をかつて書いた身としては、ここでパスポートを郵送するのは、控えめに表現して、落ちたら死ぬと分かっている谷底に進んで身を投じるようなものである。西アフリカどころか、どの国にも行けなくなってしまう。

 そうしたわけで、私は結局、コートジボワール・アビジャンから(自由席で知られる)ASKY航空でトーゴ・ロメに飛ぶことにした。「盗まれのプロ」である同行者のTさんは、独自の手段でガーナのビザを獲得したので、両者の旅程は一時的に分離して、私がトーゴに先乗りすることになった。

 ガーナに比べれば、トーゴのビザ取得はものすごく簡単だった。ウィーン郊外の一軒家で、好々爺に80ユーロを現金払いしたら、その場でパスポートにビザを貼ってくれた。わずか3分で手続きが終わった。私の人生において最速のビザ入手であった。

 しかし、これは現地でわかったことだが、ロメ空港でも徒手空拳でアライバル・ビザを取得できるのだった。練達の向きは、そちらのほうが安価で手間も少ないかもしれない。
(※ ロジスティクス周りは「水物」なので、最新状況は各自の責任で確認されたい)


ロメ空港

空港の両替所もレートは悪くない(とはいえロメ市中にも銀行はたくさんある)



 空港からロメ市内まで、あえて2時間かけて歩いて行った。トーゴの第一印象を深めるための、意図的な愚行だった。

 もし急ぎであれば、移動手段は簡単に見つかる。雲霞のごとく走り回っているバイクたちが、すぐに向こうから声をかけてくるからだ。これに乗れば、およそ300セーファーフラン(≒53円)で空港から市中まで連れて行ってくれるのだ。






中須俊治さんに取材した

トーゴへの旅行者は多くない。下調べには苦労があった。治安は良いと仄聞したが、私の好みとして、できれば現地の空気を知る人から、事前に生々しい話を聞いておきたかった。

 コートジボワールやナイジェリアの在住者とは(私の本業のコネクション等を使って)接触できていたが、小国トーゴの場合は、知己をたどるだけでは難しかった。

 そこで私はシンプルにインターネットで検索し、中須俊治さんのブログを発見した。そして「こういう文章を書かれる方なら大丈夫だろう」との直感を得て、日本に一時帰国するタイミングを捉えて初対面のアポを取った。

 怪僧のような格好で丸の内ビルディングに現れた私を、中須さんは爽やかに迎えてくれた。彼こそはright personであった。記事の本文で触れた「エウェ語」の話も、「優しいスラム」の存在も、この人に教わらなければ知りえなかったことだ。

 私がお会いした中須俊治さんは、夢をみる人であった。といっても夢想家ではない。現実の世界が吹きつける風の強さを覚え、リスクヘッジの大切さを学び、そこから自らの意志で夢をみる選択をした人であった。すでに「Leap before you look」は実行して、いま「Look after you leap」の局面にさしかかっている人であった。

 彼の挑戦の軌跡は、「Go to Togo 一着の服を旅してつくる」という書籍に織り込まれて、奇しくも本稿発表の2日後に上梓されるという。
















サンタさんも半ズボンになる暑さだった


トーゴの移動手段

地元民と旅行者の双方にポピュラーな乗り物は、前述のとおりバイクである。

 コートジボワールからやって来た私は、バイクの圧倒的な多さ(=普通自動車の少なさ)に驚かされた。これはおそらく、市井の人びとの経済水準が自動車を買えるまでに至っていないからだろう。ひと昔の東南アジアのような趣きがそこにはあった。

 ロメ近郊への移動ならバイクで足りるが、それ以上の距離を走るには(たとえば、パリメアネホベナンとの国境線近くなどに行きたいのなら)、やはり自動車に頼ったほうがよい。

 私が興味深く思ったのは、そこらへんを走っている車をつかまえても、ほとんど料金をぼられなかったことだ。それどころか、1000フランを渡したら500フランのお釣りを渡してくれたこともあった。

 これは、トーゴの国民のモラルが高いためか。最初はそのように思ったが(それも多分に当たっているだろうけど)、何度か乗りこなしていくうちに、どうやらここでも「公定価格」のようなものがあるらしいと気がついた。

 さらには、ギニア湾沿いの道路をびゅんびゅん飛ばしている自動車が、ある箇所に近づくと減速して、脇道のおじさんに接近。そこで運転手が何やら少額のお金を渡している。そうした光景もみられるのだった。

 高速道路の料金所でもなしに(それに類するものはまた別にあった)、これは一体どういうことか?

 しばらく観察を重ねてみると、どうやら「タクシーの労働者組合」みたいなものがあって、運転手はおじさんの前を通行するたびに、諸経費(300フラン程度)を彼に納めなければならない暗黙のルールがあるらしい。よく言えば同業者組合の維持費、悪く言えば「みかじめ料」みたいなものだろう。なんとなく息苦しさを感じてしまうが、私が乗車料をぼられなかったのも、おそらくはこうした秩序のおかげなのだ。

 後続の旅行者のために、2020年1月初旬における料金の相場を記しておきたい。ロメ市内からベナン国境沿いまで、乗り合いだと1,000フラン(1人あたり)、貸し切りだと6,000フランであった。


内側からドアが開かないが、これは監禁ではなく、老朽化のためだ

助手席に2人乗るのは通常のことだ(警察官の検問でも何も指摘されない)

車内でいきなり悲鳴があって肝をつぶしたら、トランクに詰められたヤギだった

鉄道網はあるが、現在は貨物列車のみ運行中との由(ロメ中央駅で取材した)

ロメ北部のスラムで馬をみかけた

レストランに行商人がやってくるが、がっついた感じはまるでない

おそらくはドイツ領だった影響で、ビールがおいしい(コップのふたはハエよけ)

大西洋の恵みゆえ、魚料理にもはずれなし


アネホのビーチに行く

デイリーポータルZの記事では紹介しなかったが、私がトーゴで最も美しいと思った場所のひとつは、アネホ(Aného)のビーチである。

 ここは観光客向けのココ・ビーチ(なにしろ砂浜に行くだけで入場料を取られるのだ…!)よりも、ずっとローカルで、ずっとリラックスできる場所だった。

 穏やかな大西洋のパノラマが目の端まで広がって、こんなにも絶景なのに、こんなにも観光客が不在とは。「この地球上で、そんなスポットは、もうほとんど存在しないのではないか」と思ってしまったほどである。(いや、この未知なるアフリカには、そうした場所がたくさんあるのだろう)

 アネホのあたりはミナ族が多く住むエリアで、そのせいか、エウェ族が暮らす首都ロメとはまた違った情緒がある。それもまた散歩の愉しみにつながってくる。

 私はつねづね思うのだが、旅行のおもしろさは、待っていれば先方から訪れてくるものではない。それは自らが求めれば求めるほど、どこまでも無辺際に押し広げられるものなのだ。





「ダム」と呼ばれるゲーム(日本でいうダイヤモンド・ゲームに似たものを感じた)



こんなところで北マケドニアの国旗を見かけるとは

ハトの足の毛がふさふさだった




【トーゴの宗教の多様性をめぐる余談】

 トーゴの国土は、高級店のケーキみたいな長方形のかたちをしている。横は短いが、縦が長いのだ(ロメから日帰りで北端に行くのは不可能だった)。そのため、民族や宗教のグラデーションは、緯度に応じてかなり変わってくるらしい。

 現地民の話によれば、中部のエリアにはイスラム教が多く、山岳地帯はブードゥー教キリスト教。さらに北部へと行けば、アニミズム・キリスト教・イスラム教が混淆した、南部の住民にも知れないディープな世界が広がっているようだ。

 もし再びトーゴを訪れることがあれば、ぜひとも北部を攻略してみたいと私は思う。











ビーチのお爺さん



 このお爺さんにはロメのビーチで遭遇した。ドイツのNGOと一緒に、両親を喪った黒人の子どもたちを支援する活動を長年つづけているとのことだった。

 私には哀しい習性があって、こういう話をまっすぐに信じることができない。どうせ無心をする口実だろうと身構えてしまう。

 けれども、お爺さんの訥々とした語り口には、妙に気持ちをほぐされるものがあった。私は半信半疑のまま、お爺さんの描いた絵を500フランで購入することにした。

 約1時間後に、私はビーチで暴漢に殺されかけたが、運よく助けが入って命拾いをした。

 「このお爺さんから絵を買わなかったら、あるいはあのとき死んでいたかもしれない」

 あらゆる信心から距離を置いて生きているはずの私は、がらにもなく、そのように思い出すのであった。





コメント

A さんの投稿…
satoruさん、ご無事に帰国できて本当に良かったですね。
一応非力な婦女子の端くれの私にはとてもできない旅ですが、興味ふかく拝見しました。
特にフランス語の看板がとても興味(滋味)深いものでした。
来世で男子に生まれることがあったらぜひ訪れてみたいものです。
Satoru さんの投稿…
Aさん、温かいコメントをありがとうございます。愚行を懺悔するような記事でお恥ずかしい限りです。

看板の滋味深さ、共感いただき嬉しいです。「Coiffure」とか、「Tresse」とか、美容室のそれを数多く見かけました。それだけトーゴの人たちは身だしなみに気を遣うのだな、と察せられるものがありました。

それから、壁などに書きなぐられた「Interdit de pisser」の注意書きについても、コートジボワールで「死刑」「呪殺刑」だったのが、トーゴでは「罰金5000フラン」といった按配で、やはりトーゴの方が全体に穏やかで治安が良いのだな、と思わされました。

アフリカにも比較的安全な国はありますので、来世といわず今世でも機会があれば、ぜひ…!