コロナ逡巡日記② (3月2日~3月8日):不穏な空気に包まれる
(本稿は、コロナ逡巡日記①の続きです)
インドネシア出張を終えての初出勤。
朝の定例会議で課員に出張報告をする。今回はわりに目に見える進捗があったので、ブリーフィングも気楽である。逆にめぼしい成果を得られなかったときには、fruitful discussionとかproactive participantsとか、定量化できない言葉が増えてくる。こういうのは日本語でも英語でも変わらない。
子持ちの同僚と、今日&明日の学校閉鎖について雑談をする。「明後日から再開してくれると助かるんだけどね」「まいったねぇ」「うちは娘と一緒に出勤するしかないかも」みたいな話。わが職場では、みんな気軽に子どもをオフィスに連れてくる(各職員には個室が与えられている)。この時点では、職場ビルの閉鎖を想定する同僚は少なかった。
この日の晩は、私が幹事を務める飲み会があったが、偉い人から「リスク回避のために止めておこう」と鶴の一声をいただく。残念だが適切な判断だろう。ギリシャ料理屋「Ouzeri Bistro Ellas」の予約もキャンセルだ。
今日も6歳の息子は自宅待機。出勤前に小学校に寄る必要がなくてありがたいが、なにか物足りない感じも(少しだけ)ある。
すると学校からメールが届いて、明日(4日)から授業再開との知らせであった。なんとか日常に戻れそうな気がしてくる。
たまった残務を処理して、夜は韓国人の同僚と痛飲する。レストラン「日本橋」。仕事やら家族やら趣味やら、共通の知己やら、災害の経験やら、あるいは我々がいま生きていることの偶然性などについて、形づくられた端から消えてゆく泡のような会話がなされる。
日本酒を二合。これではちょっと足りない。
職場でリモートワーク推奨の案内がある。先んじて自宅勤務をしている同僚もいて、通勤電車もちょっと空いている。
やらなくてはならないことがある。そのひとつは、デイリーポータルZ編集部に西アフリカ旅行記を提出することだ。「3月初旬」と自分で宣言しておきながら、思うように原稿が進まない。「バカをつかまえろ」という題名だけは決まったが、「何を書くべきか」の焦点が定まらない。正確に言えば、「何を捨てるべきか」の踏ん切りがつかない。それでは駄目なのだ。もうすこし粘って、しかるべき発酵を待たなくてはならない。
リシャルト・カプシチンスキ「黒檀」を読む。アフリカ諸国を渡り歩いたポーランド人作家によるルポルタージュ。こういうものを書きたい、と思う。
もちろん同じものは書けない。それならせめて、その極点を目指して、力を尽くした軌跡を見せようじゃないか。
ドイツ・ハンブルグで4月初旬に予定されていた航空機内装品エキスポ(AIX)の事務局からメールが届く。新型コロナウィルスの影響で、開催を延期したいとの由。
私は当該イベントにメディア枠で登録していた。「断言しよう、航空機のおもしろさは内装だ」という仮タイトルも決まっていた。残念至極。でもヨーロッパに感染拡大しつつある現況を鑑みれば合理的な判断だろう。むりやりポジティブに考えるなら、私がインドネシア出張や次世代乗り物エキスポの取材に間に合っただけでも幸運だったのかもしれない。
新型コロナの感染が世界で10万人を超えたとのニュースがある。
職場の偉い人(Deputy Director General)から全職員宛てにメールが送信される。「現時点では即座に深刻なリスクがあるわけではない」「新型コロナ感染者に接触した人物が罹患・発症する確率は約10%とのデータがある」「自宅での子どもの世話を要する職員に対しては万全の自宅勤務サポートを行う」「各自の過程で万全の対策を講じ、オーストリア政府当局や学校等の指示に従うこと」など。
これまで、新型コロナウィルスの対策については、ウィーンに複数ある国際機関の足並みは必ずしも揃っていなかった(例:ある機関で出張中止の指示があっても、べつの機関では依然OKとされていた)。そして私の所属する機関は相対的に「ゆるめ」のポジションであったが、ここにきて徐々にシリアスネスが高まってきている。
職員専用のスーパーマーケットで長蛇の列が並んでいた、と同僚から聞く。「なんだかみんな大変だねぇ」と達観したそぶりを見せる。その態度に偽りはないはずだが、「我が家もなにか買いだめしないとやばいかな」との気持ちが混ざりはじめるのを、視座の裏側から見つめる私がたしかに存在している。
「イタリアがまずいことになっている」情報が、さまざまなルートから耳に入る。こうなってくると、イタリアの隣国であるオーストリアも無事ではすまない。
子どもたちとの会話にもコロナウィルスが登場する。以前から彼らの頭のなかには「架空の国家」があって、隣国との外交関係やら、気候の特徴やら、都市内の路線図やら、なにかと詳細な設定を紙に書き出しては私に見せてくる。
息子たちによると、どうやらその国家にもコロナウィルスの感染者が5名ほど発生したようだ。「大変だ、どうしよう」「その国の偉い人はどうしてる?」「みんなで手を洗おう、って言ってる」「そうだね。しっかり洗おう」
子どもたちの衛生意識が、架空の国家を介して高まってゆく。
よい天気だが、あまり外出する気にならない。
「バカをつかまえろ」の素稿を少しずつ進める。「乗り物を紹介する」という骨組みができた。語り口のスタイルも、これはラテンアメリカ文学から拝借できる要素があるかもしれないと、書きながら思いついて実践する。敬意を表して、「百年の孤独」という文言をある箇所で用いる。
子どもたちが寝静まったあと、寝室でひっそりと3DS版「ドラクエ7」を進める。ここで決定的な悲劇が起こる。「世界樹のしずく」というアイテムを販売する店の入り口で、筋肉質の兄ィのような外貌のお客さんと主人公が、バグ的に合体してしまったのだ。
兄ィと主人公はシャム双生児のような体勢で硬直したまま、どのボタンを連打しても反応しない。最後に教会でセーブをしたのは約3時間前。まだ見ぬラスボスよりも恐るべきは、この筋肉質の兄ィであった。
それ以来、私はドラクエ7を触っていない。
(コロナ逡巡日記③に続く)
3月2日(月)
2日(月),新たにオーストリア国内で2名(ウィーン市1名,ザルツブルク州1名)の新型コロナウイルス(COVID-19)感染の確定症例が報告されました(累計確定症例数は16名)。
引用:在オーストリア日本大使館「新型コロナウィルス関連情報:3月2日」
インドネシア出張を終えての初出勤。
朝の定例会議で課員に出張報告をする。今回はわりに目に見える進捗があったので、ブリーフィングも気楽である。逆にめぼしい成果を得られなかったときには、fruitful discussionとかproactive participantsとか、定量化できない言葉が増えてくる。こういうのは日本語でも英語でも変わらない。
子持ちの同僚と、今日&明日の学校閉鎖について雑談をする。「明後日から再開してくれると助かるんだけどね」「まいったねぇ」「うちは娘と一緒に出勤するしかないかも」みたいな話。わが職場では、みんな気軽に子どもをオフィスに連れてくる(各職員には個室が与えられている)。この時点では、職場ビルの閉鎖を想定する同僚は少なかった。
この日の晩は、私が幹事を務める飲み会があったが、偉い人から「リスク回避のために止めておこう」と鶴の一声をいただく。残念だが適切な判断だろう。ギリシャ料理屋「Ouzeri Bistro Ellas」の予約もキャンセルだ。
3月3日(火)
3日,フーバー・ウィーン市新型コロナウィルス関連危機司令部広報担当官の発表によると,伊滞在後ウィーンに戻った夫婦のウイルス感染が確認されました。両名とも軽症のため自宅隔離となったとのことです。
3日,ウィーン市の弁護士事務所の発表によると,同市における最初の確定症例となった72才の弁護士事務所で新たに3名(弁護士2名,研修生1名)のウイルス感染が確認されました。
3日,ポーライ・墺連邦内務省タスクフォース報道官の発表によると,コールノイブルク地区居住の女性1名のウイルス感染が確認され,軽症のため自宅隔離となったとのことです。この女性は同地区で既に感染が確認されていると接触があった模様です。
3日,ウィーン市の弁護士事務所の発表によると,同市における最初の確定症例となった72才の弁護士事務所で新たに3名(弁護士2名,研修生1名)のウイルス感染が確認されました。
3日,ポーライ・墺連邦内務省タスクフォース報道官の発表によると,コールノイブルク地区居住の女性1名のウイルス感染が確認され,軽症のため自宅隔離となったとのことです。この女性は同地区で既に感染が確認されていると接触があった模様です。
引用:在オーストリア日本大使館「新型コロナウィルス関連情報:3月3日」
今日も6歳の息子は自宅待機。出勤前に小学校に寄る必要がなくてありがたいが、なにか物足りない感じも(少しだけ)ある。
すると学校からメールが届いて、明日(4日)から授業再開との知らせであった。なんとか日常に戻れそうな気がしてくる。
たまった残務を処理して、夜は韓国人の同僚と痛飲する。レストラン「日本橋」。仕事やら家族やら趣味やら、共通の知己やら、災害の経験やら、あるいは我々がいま生きていることの偶然性などについて、形づくられた端から消えてゆく泡のような会話がなされる。
日本酒を二合。これではちょっと足りない。
3月4日(水)
4日,フーバー・ウィーン市新型コロナウイルス関連危機対策本部広報担当官の発表によると,ウィーン市内で新たに1名のウイルス感染が確認されました。この女性はイタリア滞在後に検査で陽性となったとのことであり,軽症のため自宅隔離となる見込みです。
引用:在オーストリア日本大使館「新型コロナウィルス関連情報:3月3日」
職場でリモートワーク推奨の案内がある。先んじて自宅勤務をしている同僚もいて、通勤電車もちょっと空いている。
やらなくてはならないことがある。そのひとつは、デイリーポータルZ編集部に西アフリカ旅行記を提出することだ。「3月初旬」と自分で宣言しておきながら、思うように原稿が進まない。「バカをつかまえろ」という題名だけは決まったが、「何を書くべきか」の焦点が定まらない。正確に言えば、「何を捨てるべきか」の踏ん切りがつかない。それでは駄目なのだ。もうすこし粘って、しかるべき発酵を待たなくてはならない。
リシャルト・カプシチンスキ「黒檀」を読む。アフリカ諸国を渡り歩いたポーランド人作家によるルポルタージュ。こういうものを書きたい、と思う。
もちろん同じものは書けない。それならせめて、その極点を目指して、力を尽くした軌跡を見せようじゃないか。
3月5日(木)
5日,ウィーン市当局の発表によると,ウィーンで新たに男性1名のウイルス感染が確認されました。この男性はイラン滞在歴があるとのことです。
(略)
オーストリア保健・栄養安全機関(AGES)は,新型コロナウイルスへの感染の疑いがない人については通常の石鹸で十分であると強調し,消毒液は医療目的で消毒が必要な人・機関により使用されるべきであるとしています。
参考:コロナウイルス感染予防措置
・定期的に,約30秒間石鹸で手洗いをする
・顔(特に口,目,鼻)を指で触らない
・握手と抱擁を避ける
・鼻をかむ際,咳をする際は使い捨てティッシュに行うか,腕で口・鼻を覆って行う。ハンカチを使う場合は使用した後で捨てる。
(略)
オーストリア保健・栄養安全機関(AGES)は,新型コロナウイルスへの感染の疑いがない人については通常の石鹸で十分であると強調し,消毒液は医療目的で消毒が必要な人・機関により使用されるべきであるとしています。
参考:コロナウイルス感染予防措置
・定期的に,約30秒間石鹸で手洗いをする
・顔(特に口,目,鼻)を指で触らない
・握手と抱擁を避ける
・鼻をかむ際,咳をする際は使い捨てティッシュに行うか,腕で口・鼻を覆って行う。ハンカチを使う場合は使用した後で捨てる。
引用:在オーストリア日本大使館「新型コロナウィルス関連情報:3月5日」
ドイツ・ハンブルグで4月初旬に予定されていた航空機内装品エキスポ(AIX)の事務局からメールが届く。新型コロナウィルスの影響で、開催を延期したいとの由。
私は当該イベントにメディア枠で登録していた。「断言しよう、航空機のおもしろさは内装だ」という仮タイトルも決まっていた。残念至極。でもヨーロッパに感染拡大しつつある現況を鑑みれば合理的な判断だろう。むりやりポジティブに考えるなら、私がインドネシア出張や次世代乗り物エキスポの取材に間に合っただけでも幸運だったのかもしれない。
3月6日(金)
5日(木)夜から6日(金),新たにオーストリア国内で15名(ウィーン市7名,ニーダーエーステライヒ州3,シュタイヤーマルク州2,ザルツブルグ州1,チロル州1名,オーバーエーステライヒ州1名)の新型コロナウイルス(COVID-19)感染の確定症例が報告されました(累計確定症例数は56名)
引用:在オーストリア日本大使館「新型コロナウィルス関連情報:3月6日」
新型コロナの感染が世界で10万人を超えたとのニュースがある。
職場の偉い人(Deputy Director General)から全職員宛てにメールが送信される。「現時点では即座に深刻なリスクがあるわけではない」「新型コロナ感染者に接触した人物が罹患・発症する確率は約10%とのデータがある」「自宅での子どもの世話を要する職員に対しては万全の自宅勤務サポートを行う」「各自の過程で万全の対策を講じ、オーストリア政府当局や学校等の指示に従うこと」など。
これまで、新型コロナウィルスの対策については、ウィーンに複数ある国際機関の足並みは必ずしも揃っていなかった(例:ある機関で出張中止の指示があっても、べつの機関では依然OKとされていた)。そして私の所属する機関は相対的に「ゆるめ」のポジションであったが、ここにきて徐々にシリアスネスが高まってきている。
職員専用のスーパーマーケットで長蛇の列が並んでいた、と同僚から聞く。「なんだかみんな大変だねぇ」と達観したそぶりを見せる。その態度に偽りはないはずだが、「我が家もなにか買いだめしないとやばいかな」との気持ちが混ざりはじめるのを、視座の裏側から見つめる私がたしかに存在している。
3月7日(土)
墺連邦保健省によれば,7日(土)15時現在,新たにオーストリア国内で23名の新型コロナウイルス(COVID-19)感染の確定症例が報告されました。これでオーストリアにおける確定症例は79名となります。
(中略)
6日夜,クルツ首相,アンショーバー社会・保健・介護・消費者保護相及びネーハマー内相は記者会見を行い,新型コロナウイルスに係る以下の新たな対策を発表しました。
各措置は翌週から2週間の期間で実施され,その後の対応につき評価が行われるとのことです。
同会見でアンショーバー保健相は記者の質問に答え,オーストリアにおいては今のところ大規模イベントを中止する必要はない旨発言しました。
クルツ首相は,各措置が過度とならないように週ごとに改めて評価が行われる旨述べました。
(中略)
6日夜,クルツ首相,アンショーバー社会・保健・介護・消費者保護相及びネーハマー内相は記者会見を行い,新型コロナウイルスに係る以下の新たな対策を発表しました。
各措置は翌週から2週間の期間で実施され,その後の対応につき評価が行われるとのことです。
- コロナウイルスの感染拡大抑制のため,オーストリアからイラン,韓国,イタリア・ボローニャ及びミラノへの直行便の運航を停止する。
- 対イタリア国境でオーストリアへの入国者への健康テストを実施する。本措置は警察及び検温を行う保健チームの協働により実施され,クルツ首相によれば,感染者を発見するとともに,危機意識を向上させて国境通過者数を減らすのが目的。
- 中国の一部地域,韓国及びイランに滞在歴のある外国人には,今後,到着時にコロナウイルスに感染していない旨の診断の提示が求められる。
同会見でアンショーバー保健相は記者の質問に答え,オーストリアにおいては今のところ大規模イベントを中止する必要はない旨発言しました。
クルツ首相は,各措置が過度とならないように週ごとに改めて評価が行われる旨述べました。
引用:在オーストリア日本大使館「新型コロナウィルス関連情報:3月7日」
「イタリアがまずいことになっている」情報が、さまざまなルートから耳に入る。こうなってくると、イタリアの隣国であるオーストリアも無事ではすまない。
子どもたちとの会話にもコロナウィルスが登場する。以前から彼らの頭のなかには「架空の国家」があって、隣国との外交関係やら、気候の特徴やら、都市内の路線図やら、なにかと詳細な設定を紙に書き出しては私に見せてくる。
息子たちによると、どうやらその国家にもコロナウィルスの感染者が5名ほど発生したようだ。「大変だ、どうしよう」「その国の偉い人はどうしてる?」「みんなで手を洗おう、って言ってる」「そうだね。しっかり洗おう」
子どもたちの衛生意識が、架空の国家を介して高まってゆく。
6歳の息子による架空の国旗 |
3月8日(日)
8日(日)15時現在,新たにオーストリア国内で23名の新型コロナウイルス(COVID-19)感染の確定症例が報告されました(累計確定症例数は102名)。
8日未明に発表されたイタリア首相令を受けて,オーストリア外務省はイタリア・ロンバルディア州、ヴェネト州、エミリア=ロマーニャ州、マルケ州、ピエモンテ州に対して「渡航中止・避難」を求める危険レベル5を発出しました。
8日未明に発表されたイタリア首相令を受けて,オーストリア外務省はイタリア・ロンバルディア州、ヴェネト州、エミリア=ロマーニャ州、マルケ州、ピエモンテ州に対して「渡航中止・避難」を求める危険レベル5を発出しました。
引用:在オーストリア日本大使館「新型コロナウィルス関連情報:3月8日」
よい天気だが、あまり外出する気にならない。
「バカをつかまえろ」の素稿を少しずつ進める。「乗り物を紹介する」という骨組みができた。語り口のスタイルも、これはラテンアメリカ文学から拝借できる要素があるかもしれないと、書きながら思いついて実践する。敬意を表して、「百年の孤独」という文言をある箇所で用いる。
子どもたちが寝静まったあと、寝室でひっそりと3DS版「ドラクエ7」を進める。ここで決定的な悲劇が起こる。「世界樹のしずく」というアイテムを販売する店の入り口で、筋肉質の兄ィのような外貌のお客さんと主人公が、バグ的に合体してしまったのだ。
兄ィと主人公はシャム双生児のような体勢で硬直したまま、どのボタンを連打しても反応しない。最後に教会でセーブをしたのは約3時間前。まだ見ぬラスボスよりも恐るべきは、この筋肉質の兄ィであった。
それ以来、私はドラクエ7を触っていない。
(コロナ逡巡日記③に続く)
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