外出できない子どもたちは、YouTubeで世界に接続する
新型コロナウィルスの感染被害がオーストリアでも拡大している。
私の職場も、子どもの学校も、実質的な閉鎖となった。
ウィーンでは(私の知る限りは)過度の買い占めや暴動などは起きていなくて、そこに私は古都に住む良さを見出してしまうが、楽観的なままで過ごせるわけにもいかないようだ。
クルツ首相は、ORF(オーストリアの公共放送局)のインタビューにて「我々は第二次世界大戦以来の困難に直面している」と発言した。
そしてオーストリア政府は、3月16日(月)からーーつまり本稿を書いている5時間後にーー以下の対策を実行するという。
そういうわけで、これから2-3週間(悪くするとさらに長期間)は、自宅で仕事と子どもが同居して、リモート会議中に子どもが闖入し、うんこの臭いを嗅ぎながら資料をつくる、混沌の新フェーズがやってくる。こうしたことを平時からこなされている有志の向きに対しては、もはや全方位的な敬意を表明するほかない。
ウィーンと私と、旅のできない子どもたち。
託児所やナニーさんに頼るのが難しそうな現状において、有効な打ち手をインターネットに求めるのは自然な展開であるだろう。
子どもとYouTubeの関係は、もう拙ブログで触れたテーマだ。息子は若干3歳にして、完璧な間合いで「広告をスキップ」をタッチする。さらに最近はNetflixに再入会して、ウィーンで視聴可能なスタジオジブリ作品などをたのしむ黄金の日々である。
(参考記事: YouTubeはバイリンガルを育てるか?、 NHKの支局長に新事業を提案した)
そんなわけで、もはや取り上げる必要もないとは思っていたが、自宅待機を迫られた子どもたちが多いであろう状況を鑑みて、わが息子たちがいま好んでいる動画コンテンツを、ここに開陳することといたしたい。この世界の片隅で悩める誰かに益なす可能性を信じつつ。
擬人化されたバスたちが優しいコメディをおりなすTayoの世界。
インターネット空間に広がる動画群を、すでに彼はほとんど踏破している。あとは同じ動画をどれだけ反復して身体にしみこませるか、なかば鍛錬の境地に至っている。
Tayoたちの話すジェントルな英語フレーズが子どもの耳にしみこむのは喜ばしいことだが、午睡にふけるお父さんを叩き起こしてiPadの操作を執拗に求めるのは勘弁してくれないかと、これは親の勝手な言い分ではあるけれど。
Tayoと似たタッチの作品で、Pororo the Little Penguinも大好物である。
TayoもPororoも韓国の同じ制作会社が作っている。長じて韓国人の友だちができた暁には、共通の話題となるかもしれない。「Tayo & Pororo世代」とか言われたりするのか。
古典アニメのなかでは、The Pink Pantherが最近のお気に入りだ。
こういう歴史的な作品でも公式から(違法ではなく)アップロードされているのがYouTubeの強みだと思う。やはり名作は鑑賞されてこそである。教科書に閉じ込められたままでは死にゆくだけだ。
ジブリの鈴木敏夫Pが宮崎駿を説得した逸話のように、レガシーの再活用から将来の製作費を捻出する流れが、これからのスタンダードになる気もする。それは悪くないトレンドだ。
とまあ、そんな親の考えとは1ミリも交わらない場所で、3歳児は邪気なく爆笑をしている。ピンクパンサーのテーマが頭に焼きついて離れない。
このアニメを私はまったく知らなかったが(Oddbodsのスペルが覚えられない私はしばしば息子の怒りを買う)、1億回くらい視聴されている動画もあるようだ。
再生回数も1億までくれば、これはもう「人気」の圏を超えて、もはや重心の低い「事象」であろう。
アニメのほかに、「メイキングもの」もよく観ている。
エレベーターをどうやって据え付けるか。
工場でスーツケースをどうやってつくるか。
エスカレーターの仕組みはどうなっているか。
こういうのは教育上も好ましく、私自身も勉強になるので、際限なくどんどん観てほしいとすら思う。
とはいえ、子どもはやっぱりジャンクなものが大好きだ。
英語のYouTubeには、「Detective Quiz」とでも呼ぶべきだろうか、殺人事件が起きたすぐあとに「犯人は誰だ?」「どうやって殺したか?」みたいな問いを数十秒で答えさせるような、簡易な(ときに安易な)謎解きが人気ジャンルとして存在する。
類似のジャンルとして、「危機的状況からどうやって生き延びるか」を選ぶクイズもある。まあこれも同じくらいしょうもないんだけど、数百万再生されているのもざらにある。
幼児のうちからそんなのを見せるのは気が進まないが、それらを全面禁止するのも違う気がする。なにしろ私自身がジャンクにまみれて育ってきた。
それから、National Geographicに代表されるようなーー私は個人的に「ナショジオ系」と呼んでいるのだがーー宇宙や自然の不思議にじりじりと漸近していくような動画も子どもたちは好んで見る。
ウィーンには津波も台風も地震もないので(この世はなんと不平等なのか…!)、こうした解説動画が、彼らの自然現象へのファースト・コンタクトにもなっている。
2時間くらい延々とオーロラを映している動画みたいなのもある。子どもの集中力はそんなに長くは続かないけれど、こうしたコンテンツからインセンティブが生まれて、北極圏でオーロラを見る旅につながったりもする。
息子は地底の世界にも惹きつけられる。それは私の幼少時にもおぼえのあることだ。
動画はキャッチーでよく練られていて、「世界最長の海底トンネルは日本にある」といった知識が与えられる(青函トンネル)。それが何の役に立つのか、などと詰まらないことを言わないのは子どもの長所のひとつである。
数学系も豊富にある。こうした動画は外形的には「おじさんがひたすら話しているだけ」の絵面で、語彙も内容も難解である。
それでも息子の心には煌めくものがあるようで、虚数のような表情でずうううううっと画面を見つめていたりする。偏った視座に定評のある私の理解によれば、数学というのは現実への復帰を困難にさせる合法ドラッグにも似た面がある。だからこうした動画を子どもに見せるのが教育に良いのか悪いのか、即座に判断のつかないところがある。健全と不健全の線引きはいつだって曖昧だ。
そして、わが息子がこのごろハマっているのは、テレビゲームのプレイ動画だ。
正直なところ、こんなわけのわからない動画に魂を吸い取られてほしくはない。
とはいえ、添加物たっぷりの、ぎとぎとの駄菓子ほど幼児の舌を喜ばせるものはない。これもまた一面の事実である。
そしてまた、Nintendo 3DSで遊べるスーパーマリオを購入したのは、ほかならぬ私であるという負い目もある。
そうしたわけで、叱るに叱りにくい息子たちのゲーム動画視聴であるが(あまりに長時間のときは叱るけど)、ついには私自身も「魔の手」に侵されつつあるようだ。調整ミスと高難度のけじめがつかない初期ファミコンソフトにもういちど総力戦をしかける気力のない中年男性にとって、ゲーム実況動画とは存在と時間が呼応するスウィート・スポットなのである。
新型コロナウィルスの問題が収束し、世界が平穏になることを願っております。
私の職場も、子どもの学校も、実質的な閉鎖となった。
ウィーンでは(私の知る限りは)過度の買い占めや暴動などは起きていなくて、そこに私は古都に住む良さを見出してしまうが、楽観的なままで過ごせるわけにもいかないようだ。
クルツ首相は、ORF(オーストリアの公共放送局)のインタビューにて「我々は第二次世界大戦以来の困難に直面している」と発言した。
そしてオーストリア政府は、3月16日(月)からーーつまり本稿を書いている5時間後にーー以下の対策を実行するという。
- 5名以上の集まりの禁止。ただしコロナ対策の活動は例外。
- 公的スペースでの自由制限。公園や運動施設等は閉鎖。
- 外出の禁止。例外は、①必須の職務、②生活必需品の買物、③他人の救助。
- 街中で警察官が巡回。違反者には最大3,600ユーロの罰金。
- 3月17日以降は飲食店も閉鎖。生活必需品はスーパーマーケット等で保証。
そういうわけで、これから2-3週間(悪くするとさらに長期間)は、自宅で仕事と子どもが同居して、リモート会議中に子どもが闖入し、うんこの臭いを嗅ぎながら資料をつくる、混沌の新フェーズがやってくる。こうしたことを平時からこなされている有志の向きに対しては、もはや全方位的な敬意を表明するほかない。
ウィーンと私と、旅のできない子どもたち。
6歳児はいま路線図づくりにハマっている。これはウィーン市内の地下鉄の路線図 |
駅名を書き込み過ぎて、なにか異様なテンションが宿っている |
託児所やナニーさんに頼るのが難しそうな現状において、有効な打ち手をインターネットに求めるのは自然な展開であるだろう。
子どもとYouTubeの関係は、もう拙ブログで触れたテーマだ。息子は若干3歳にして、完璧な間合いで「広告をスキップ」をタッチする。さらに最近はNetflixに再入会して、ウィーンで視聴可能なスタジオジブリ作品などをたのしむ黄金の日々である。
(参考記事: YouTubeはバイリンガルを育てるか?、 NHKの支局長に新事業を提案した)
そんなわけで、もはや取り上げる必要もないとは思っていたが、自宅待機を迫られた子どもたちが多いであろう状況を鑑みて、わが息子たちがいま好んでいる動画コンテンツを、ここに開陳することといたしたい。この世界の片隅で悩める誰かに益なす可能性を信じつつ。
3歳の息子がよく見る動画
小さな息子がもっとも愛する作品、これはもう圧倒的にTayo the Little Busである。擬人化されたバスたちが優しいコメディをおりなすTayoの世界。
インターネット空間に広がる動画群を、すでに彼はほとんど踏破している。あとは同じ動画をどれだけ反復して身体にしみこませるか、なかば鍛錬の境地に至っている。
Tayoたちの話すジェントルな英語フレーズが子どもの耳にしみこむのは喜ばしいことだが、午睡にふけるお父さんを叩き起こしてiPadの操作を執拗に求めるのは勘弁してくれないかと、これは親の勝手な言い分ではあるけれど。
Tayoと似たタッチの作品で、Pororo the Little Penguinも大好物である。
TayoもPororoも韓国の同じ制作会社が作っている。長じて韓国人の友だちができた暁には、共通の話題となるかもしれない。「Tayo & Pororo世代」とか言われたりするのか。
古典アニメのなかでは、The Pink Pantherが最近のお気に入りだ。
こういう歴史的な作品でも公式から(違法ではなく)アップロードされているのがYouTubeの強みだと思う。やはり名作は鑑賞されてこそである。教科書に閉じ込められたままでは死にゆくだけだ。
ジブリの鈴木敏夫Pが宮崎駿を説得した逸話のように、レガシーの再活用から将来の製作費を捻出する流れが、これからのスタンダードになる気もする。それは悪くないトレンドだ。
とまあ、そんな親の考えとは1ミリも交わらない場所で、3歳児は邪気なく爆笑をしている。ピンクパンサーのテーマが頭に焼きついて離れない。
6歳の息子がよく見る動画
翻って、上の息子がもっとも愛するアニメはOddbodsである。このアニメを私はまったく知らなかったが(Oddbodsのスペルが覚えられない私はしばしば息子の怒りを買う)、1億回くらい視聴されている動画もあるようだ。
再生回数も1億までくれば、これはもう「人気」の圏を超えて、もはや重心の低い「事象」であろう。
息子はOddbodsが好きすぎて「二次創作」にも手を出した |
アニメのほかに、「メイキングもの」もよく観ている。
エレベーターをどうやって据え付けるか。
工場でスーツケースをどうやってつくるか。
エスカレーターの仕組みはどうなっているか。
こういうのは教育上も好ましく、私自身も勉強になるので、際限なくどんどん観てほしいとすら思う。
とはいえ、子どもはやっぱりジャンクなものが大好きだ。
英語のYouTubeには、「Detective Quiz」とでも呼ぶべきだろうか、殺人事件が起きたすぐあとに「犯人は誰だ?」「どうやって殺したか?」みたいな問いを数十秒で答えさせるような、簡易な(ときに安易な)謎解きが人気ジャンルとして存在する。
類似のジャンルとして、「危機的状況からどうやって生き延びるか」を選ぶクイズもある。まあこれも同じくらいしょうもないんだけど、数百万再生されているのもざらにある。
幼児のうちからそんなのを見せるのは気が進まないが、それらを全面禁止するのも違う気がする。なにしろ私自身がジャンクにまみれて育ってきた。
それから、National Geographicに代表されるようなーー私は個人的に「ナショジオ系」と呼んでいるのだがーー宇宙や自然の不思議にじりじりと漸近していくような動画も子どもたちは好んで見る。
ウィーンには津波も台風も地震もないので(この世はなんと不平等なのか…!)、こうした解説動画が、彼らの自然現象へのファースト・コンタクトにもなっている。
2時間くらい延々とオーロラを映している動画みたいなのもある。子どもの集中力はそんなに長くは続かないけれど、こうしたコンテンツからインセンティブが生まれて、北極圏でオーロラを見る旅につながったりもする。
息子は地底の世界にも惹きつけられる。それは私の幼少時にもおぼえのあることだ。
動画はキャッチーでよく練られていて、「世界最長の海底トンネルは日本にある」といった知識が与えられる(青函トンネル)。それが何の役に立つのか、などと詰まらないことを言わないのは子どもの長所のひとつである。
数学系も豊富にある。こうした動画は外形的には「おじさんがひたすら話しているだけ」の絵面で、語彙も内容も難解である。
それでも息子の心には煌めくものがあるようで、虚数のような表情でずうううううっと画面を見つめていたりする。偏った視座に定評のある私の理解によれば、数学というのは現実への復帰を困難にさせる合法ドラッグにも似た面がある。だからこうした動画を子どもに見せるのが教育に良いのか悪いのか、即座に判断のつかないところがある。健全と不健全の線引きはいつだって曖昧だ。
そして、わが息子がこのごろハマっているのは、テレビゲームのプレイ動画だ。
正直なところ、こんなわけのわからない動画に魂を吸い取られてほしくはない。
とはいえ、添加物たっぷりの、ぎとぎとの駄菓子ほど幼児の舌を喜ばせるものはない。これもまた一面の事実である。
そしてまた、Nintendo 3DSで遊べるスーパーマリオを購入したのは、ほかならぬ私であるという負い目もある。
そうしたわけで、叱るに叱りにくい息子たちのゲーム動画視聴であるが(あまりに長時間のときは叱るけど)、ついには私自身も「魔の手」に侵されつつあるようだ。調整ミスと高難度のけじめがつかない初期ファミコンソフトにもういちど総力戦をしかける気力のない中年男性にとって、ゲーム実況動画とは存在と時間が呼応するスウィート・スポットなのである。
新型コロナウィルスの問題が収束し、世界が平穏になることを願っております。
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