モビリティが世界を単一化させることはない、という仮説
デイリーポータルZで、「未来の乗り物」エキスポの記事を書いた。
その後にはベートーベンの家に行く記事を書いたが、これはウィーンの公共交通機関を乗り継いでいく話だ。その前に書いた北極圏に行く記事も、要すればLCCの紹介である。なんだか乗り物の話ばかりを書いているようだ。
実際のところ、乗り物はやっぱりおもしろい。
少年時代に着火した情熱が、おとなの視座を獲得して、いま再び加熱されたような按配だ。
その後にはベートーベンの家に行く記事を書いたが、これはウィーンの公共交通機関を乗り継いでいく話だ。その前に書いた北極圏に行く記事も、要すればLCCの紹介である。なんだか乗り物の話ばかりを書いているようだ。
「MOVE2020」に展示されていた折り畳み式の電動自転車。なんとウィーンが本拠地だった |
バッテリーがうしろの車輪についている。これで3割ほど省力できるという |
ロンドン郊外にあった自転車置き場。「絶対に守るぞ!」という決意を感じる |
実際のところ、乗り物はやっぱりおもしろい。
少年時代に着火した情熱が、おとなの視座を獲得して、いま再び加熱されたような按配だ。
移動距離ごとにわけた有望技術&プレイヤーの一覧表。 無人車やエアタクシーの位置づけがざっくりわかる(出所:travelandmobility.tech) |
最近とみに思うのは、「技術の浸透が世界を単一化させる」みたいな通説が、モビリティ(乗り物)の分野には必ずしもあてはまらないのではないか、ということだ。
これは、どういうことか。
たとえば、スマートフォン。
スマホという製品は、ロシアでも日本でも、ヨーロッパでもアメリカでも、中東でもアフリカでも、すでに多くの人びとの手にわたっている。テレビやパソコンより先に普及するケースもあるし、そこで閲覧されるウェブサイトやアプリには多様性がある。しかし、道行く人の(あるいは食べる人の、横たわる人の)多くの顔をスマホが照らす事象について、その地域差はあまりない。
これに対して、モビリティ技術の広がりかたは、スマホのそれとはまったく異なる(ように思える)。
無人車やMaasなどはヨーロッパが先行している、とは前述の記事に書いたとおりである。けれども、ほかの地域でも同じように一律に伝播されるかといえば、私にはそうも思えない。
その良き例として、私はいま本稿のドラフトをジャカルタで書いているが、
ここでは圧倒的にバイタク(バイク・タクシー)が幅を利かせている。
とくに人気なのはGojekとGrabというバイク版Uberみたいなアプリで、この制服を着た人があちこちにいる(制服にはインドネシア国旗が刺繍されていたりする)。
緑の制服を見かけないエリアが無い、と言いきりたくなるくらいの頻出ぶりだ。
ものはためしに、私もアプリを使ってみた。
バイクはすぐにやってきて、独立広場(Merdeka Square)からブロックMまで、小雨のなか約10kmを滑走した。代金はしめて19,000ルピア(140円)。
めちゃくちゃ安いし、運転ぶりも安定している。ヘルメットも渡してくれるのには驚いた(2ヶ月前に旅をした西アフリカでは誰もがノーヘルだった)。
このとき一緒に仕事をしたインドネシア政府の職員(中央省庁の課長補佐クラスの人)も、このGojekで2時間かけて通勤しているという。
「あなたはイスラム教徒の女性ですが、男性ドライバーの後ろに乗ることに抵抗はないのですか」と率直に問うたところ、
「ぜんぜん平気よ」と、笑顔の回答。
なるほど、と私は思った。
ここまでローカルな発展をとげた移動インフラが存在するのなら(これは大規模な雇用効果もあげているのだろう)、これを代替 and/or 駆逐するモビリティを投入するのは難しそうだ。
そうして私は、
ジャカルタの路地で見かけた電動スクーターがほとんど誰にも顧みられていなかったことや、
これは、どういうことか。
たとえば、スマートフォン。
スマホという製品は、ロシアでも日本でも、ヨーロッパでもアメリカでも、中東でもアフリカでも、すでに多くの人びとの手にわたっている。テレビやパソコンより先に普及するケースもあるし、そこで閲覧されるウェブサイトやアプリには多様性がある。しかし、道行く人の(あるいは食べる人の、横たわる人の)多くの顔をスマホが照らす事象について、その地域差はあまりない。
これに対して、モビリティ技術の広がりかたは、スマホのそれとはまったく異なる(ように思える)。
無人車やMaasなどはヨーロッパが先行している、とは前述の記事に書いたとおりである。けれども、ほかの地域でも同じように一律に伝播されるかといえば、私にはそうも思えない。
その良き例として、私はいま本稿のドラフトをジャカルタで書いているが、
ここでは圧倒的にバイタク(バイク・タクシー)が幅を利かせている。
とくに人気なのはGojekとGrabというバイク版Uberみたいなアプリで、この制服を着た人があちこちにいる(制服にはインドネシア国旗が刺繍されていたりする)。
緑の制服を見かけないエリアが無い、と言いきりたくなるくらいの頻出ぶりだ。
この後部座席に乗る。慣れた乗客はスマホをいじっている |
ものはためしに、私もアプリを使ってみた。
バイクはすぐにやってきて、独立広場(Merdeka Square)からブロックMまで、小雨のなか約10kmを滑走した。代金はしめて19,000ルピア(140円)。
めちゃくちゃ安いし、運転ぶりも安定している。ヘルメットも渡してくれるのには驚いた(2ヶ月前に旅をした西アフリカでは誰もがノーヘルだった)。
このとき一緒に仕事をしたインドネシア政府の職員(中央省庁の課長補佐クラスの人)も、このGojekで2時間かけて通勤しているという。
「あなたはイスラム教徒の女性ですが、男性ドライバーの後ろに乗ることに抵抗はないのですか」と率直に問うたところ、
「ぜんぜん平気よ」と、笑顔の回答。
なるほど、と私は思った。
ここまでローカルな発展をとげた移動インフラが存在するのなら(これは大規模な雇用効果もあげているのだろう)、これを代替 and/or 駆逐するモビリティを投入するのは難しそうだ。
そうして私は、
ジャカルタの路地で見かけた電動スクーターがほとんど誰にも顧みられていなかったことや、
相当な準備期間をかけて建造された地下鉄の路線がどうにも中途半端であること、
その理由の大半が、「バイタクの生態系の豊かさ」から来ているのではないかと考えた。
モビリティはローカル要因に引っ張られる部分が大きいので、スマホのように「技術の浸透が世界を単一化させる」ことにはならないのではないか。これが私の当座の仮説である。
逆にいえば、乗り物こそ、世界の多様性がもっとも顕著に表れるファクターではないか。
「日本でUberの普及が広がらないのはけしからん」「日本で無人車の導入が遅れているのは愚かなことだ」といった主張は、たしかに賛同者を得やすいだろうし、かつては私もそう思っていた。でも最近は、「それもまた日本のローカル要因として、新たな解決策を生み出す土壌として、前向きに捉えてもよいのでは?」と思うようになってきた。ガラパゴス、悪くないのではないか、と。
最近の私のたのしみは、旅行先で乗り物をーーより正確には、その利用のされ方をーー観察して、どうしてそうなったのかを想像することだ。
そんなわけで、私がDPZで次に書きたい記事は、「西アフリカの乗り物事情」である。
これがまた、すごいことになっているんですよ。(つづく)
その理由の大半が、「バイタクの生態系の豊かさ」から来ているのではないかと考えた。
地下鉄自体はぴかぴかだった(私は誤って女性専用車両に乗ってしまった) |
モビリティはローカル要因に引っ張られる部分が大きいので、スマホのように「技術の浸透が世界を単一化させる」ことにはならないのではないか。これが私の当座の仮説である。
逆にいえば、乗り物こそ、世界の多様性がもっとも顕著に表れるファクターではないか。
「日本でUberの普及が広がらないのはけしからん」「日本で無人車の導入が遅れているのは愚かなことだ」といった主張は、たしかに賛同者を得やすいだろうし、かつては私もそう思っていた。でも最近は、「それもまた日本のローカル要因として、新たな解決策を生み出す土壌として、前向きに捉えてもよいのでは?」と思うようになってきた。ガラパゴス、悪くないのではないか、と。
最近の私のたのしみは、旅行先で乗り物をーーより正確には、その利用のされ方をーー観察して、どうしてそうなったのかを想像することだ。
そんなわけで、私がDPZで次に書きたい記事は、「西アフリカの乗り物事情」である。
これがまた、すごいことになっているんですよ。(つづく)
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