YouTubeはバイリンガルを育てるか?

2019年の現在、我が子にとってテレビとはYouTubeのことである。

 半年前に在ウィーン国際機関日本政府代表部のSさんからスマートテレビを頂戴して以来、完全にそういうことになっている。

 5歳と2歳の息子たちが何を好んで視聴しているかといえば、


 


BabyBus(中国)だったり、


 


Tayo the Little Bus(韓国)だったり、


 


Chuggington(英国)だったりする。

 特に強制したわけでもないのに、いつのまにか英語の番組ばかりを見ている。これは息子が勤勉というわけではなく、単純に英語のコンテンツが充実しているからだ。

 英語圏であれば、視聴者の母集団も相応に大きい。YouTubeの広告収入でがっちり稼いで、それを今後の制作費用に充てていく。そうした循環がすでに確立されている感がある。

 私としては、著作権法に抵触しない範囲でもっと日本語のコンテンツに親しんでほしいが、市販のビニール人形を動かして「ア~ンパンマンがァ~、バ~イキンマンをォ~、やっつけたア~」などと奇妙な抑揚で話す同人誌的YouTuberが跋扈しているのが現状だ(子どもはそれを大喜びで見るのだが)。

 もっとも上述のBabyBusは、英語と中国語だけでなく、日本語版も用意されている。英語の同じ動画と見比べることで、子どもたちの頭のなかに「日⇔英」の対照が自然にできあがる。中国のコンテンツ産業の恩恵に、我々は大いにあずかっているのだ。


テレビを見すぎるとどうなるか

とはいえ、テレビを見せるばかりでよいのか、という後ろめたい気持ちも若干はある。

 テレビを見すぎると、幼児の言語習得にどんな影響があるのか。これは学術分野でも長らく耳目を集めるテーマのようで、ちょっと探しただけでも、

Nichols, Deborah & Walker, D. (2005). Infants' and Toddlers' Television Viewing and Language Outcomes. American Behavioral Scientist. 48. 10.1177/0002764204271505. 

Christakis, Dimitri. A. et al. (2009). Audible Television and Decreased Adult Words, Infant Vocalizations, and Conversational Turns. The Archives of Pediatrics & Adolescent Medicine. 2009;163(6):554-558.

Byeon, H., & Hong, S. (2015). Relationship between Television Viewing and Language Delay in Toddlers: Evidence from a Korea National Cross-sectional Survey. PloS one, 10(3), e0120663. doi:10.1371/journal.pone.0120663

などの先行研究がいろいろとみつかる。

 そのアプローチや手捌きはそれぞれに異なるものの、テレビを長時間視聴している乳幼児は言語の習得が遅れがちというのが大筋の結論となっているようだ。親とのコミュニケーションが大切である、との示唆をしばしば添えて。


夜中に食べるラーメンはうまい

テレビを長時間視聴している乳幼児は言語の習得が遅れがちで、親とのコミュニケーションが大切である。

 そのステートメントは、直感的にもよく理解できるものだ。というか、ずいぶん当たり前のようにも聞こえる。「夜中にラーメンを食べると太る」。そりゃそうだろう、という気持ちが湧出してくる。

 だがここで我々が向き合うべきイシューは、むしろ、テレビをずっと見せていたらいけないのはわかっているけど、そうせざるを得ないシチュエーションが往々にしてあるということではあるまいか。「夜中にラーメンを食べたらよくないんだけど、でも夜中に食べるラーメンは最高にうまい」ということではあるまいか。いやちょっと違うか?

 私は先行研究への反論を試みるつもりはない。なにしろN=2(5歳児と2歳児)のサンプル数で判断するのだから、およそアカデミックな議論にはなり得ない。その前提において、我が家についていえば、YouTubeは子どもたちの言語能力の向上にかなり貢献しているようだ。


応援上映みたいになっている

まず、幼児番組に特有のミュージカル調がよい。子どもたちは登場人物と一緒になって、シンプルなメロディーを繰り返し歌う。「Don't be afraid, try to stay calm♪」と、朝でも夜でも、何十回でも何百回でも、飽きずに歌う。続けざまの Don't be afraid、寝耳に Don't be afraidである。私としてはもう I'm afraidである。

 とはいえ、語学でいうところのシャドーイングをそれだけ熱心に(私の耳元で)やるわけだから、これは確実に言語野が育ってくる。この点、すぐに再生できるYouTubeの強みだろう。日本語/英語の字幕がついてくるのも、文字への関心を呼び起こす上で重要なポイントだ。


 


 それから、息子たちは、番組を見ながら感想を――5歳と2歳のそれぞれのボキャブラリーで――声に出して述べあう傾向にある。

 「モンスタートラックが来た!」とか、「地震だ、あぶない!」とか、まことに素朴なものではあるけれど、そしてまた見解の不一致から殴り合いの喧嘩に発展する場合もあるけれど、実質としては応援上映みたいな能動的なビューイングとなっている。

 英語の音声を聞き分けて、その感想を日本語で伝える(家の中では日本語を話している)。こういう鑑賞スタイルは、おそらく子どもの脳にも好影響を与えるはずだ。

 これは兄弟がいることのメリットだろう。私は一人っ子だったので、ときどき息子たちの姿をまぶしく感じることがある。


熱心な創作活動

我が子から観察されるもうひとつの特徴は、二次創作の活動にもすこぶる熱心ということだ。

 これはいま通っている幼稚園の教育方針に拠るところも大きいのだが、一度たのしんだコンテンツを、自らの手で新たな表現として立ち上げようとする意欲に満ちているのだ。

 たとえば、いま我が家のリビングの柱に貼られているのは、トム&ジェリーの漫画である。


ウィーンに住む子どもが描いたトム&ジェリーの漫画①

ウィーンに住む子どもが描いたトム&ジェリーの漫画②

ウィーンに住む子どもが描いたトム&ジェリーの漫画③


 どうだろう、この味わい深さは。トムもジェリーも、常に笑顔。やさしい世界なのである。

 しかしこの作品はなぜか無言劇の手法をとっているため、語学教育についてのエビデンスとしてはいささか不適切である。

 そこで改めて提示したいのは、5歳の息子が大好きなオバケのQ太郎の二次創作だ。


ウィーンに住む子どもが描いたオバケのQ太郎の漫画①


 おばけやしきがこわい。

 あなたが藤子不二雄マニアであれば、よいこ1966年7月号掲載の傑作回「おばけやしき」をすぐに思い出すことだろう。

 そこで表紙をめくると(といっても全部で2ページなのだが)、


ウィーンに住む子どもが描いたオバケのQ太郎の漫画②


凝縮されたストーリーが、あなたの心に揺さぶりをかけてくる。

 手塚治虫の「火の鳥」を思わせるトリッキーなコマ割り(右下から始まる)。「S」という帽子で「正ちゃん」を表すミニマリズム的技法。おばけやしきがこわいので旅客機に搭乗しておばけの国に帰る(=最終回)というまさかの超展開。

 我が子ながら、天才と言わざるを得ない。

 まあそれはともかく、ここから分かることは、ウィーンの暮らしで必ずしもマストではない日本語を、(多少の表記ミスには目をつぶるとして)それなりに習得できていることである。これはやはり、YouTubeと漫画に負うところが大きいのではないか。私はそう信じている。

 結論:YouTubeはバイリンガルを育てるのに役に立つ(という蓋然性が高いであろうと判断されるとの見解を表明するに吝かではないと思量される部分が存在する旨は否定されない)。


コメント

匿名 さんのコメント…
デイリーポータルZからパレスチナの紀行文を初読しました。

このユーチューブの噺に爆笑しましたが同時に論文引用の記述ぶりが正当で知性を感じました! これからも楽しみにしてます。
Satoru さんの投稿…
APAスタイルってこうだったかしら、と調べながら書いてました。もしかしたらちょっと間違ってるかも。

それにしてもGoogle Scholarは良いですね。仕事で国連の図書館サービスを利用しますが、正直それよりGoogle Scholarを便利に感じることもままあります。でも日本語の論文があまり公開されてないのが玉に瑕ですが.....それは期せずして本稿で述べた状況と似ていますが....。