これが人生初の一時帰国だ(東京)

私の所属する国際機関では、2年に1回の頻度で一時帰国休暇(Home Leave)が与えられる。

 職員本人だけでなく、同居する家族全員のチケットが(オーストリアから日本は遠いので)ビジネスクラスで手配されるので、かなりの厚遇である。

 だが私はこれを固辞し、トルコ航空のエコノミークラスに振り替えた。「幼いうちからビジネスクラスに乗りつけていると人間が駄目になる」という信念、いや偏見があったからだ。

 赴任時と同じく、イスタンブール経由。チケットを買ってまもなくANAから羽田=ウィーン線の発表があり落ち込む一幕もあったが、しかし帰国の機会をいただけるだけありがたい。

 アメリカに住んでいたときは一度も日本に帰らなかったので、考えてみれば、これが人生ではじめての一時帰国である。

 デュッセルドルフで郷愁の念に駆られた、あの新橋にも足を運ぶことができる。

 うれしくなって、飛行機の窓を意味もなく開け閉めしたりした。


ウィーンと私と、旅する子どもたち:みすず学苑の車内広告
みすず学苑の車内広告と、ひさしぶりの再会

ウィーンと私と、旅する子どもたち:「大金運」の車内広告
この人もひさしぶり


東京ミッドタウンの裏手に住む

一時帰国中は、六本木の瀟洒な住宅地に住まいを求めた。連日の予定が東京エリアに集中していたので、どうしても中心部に居を構える必要があったのだ。

 今回お世話になった物件は、家具付き、布団付き、Wi-Fi付き、ドラム洗濯機付き、浴室乾燥機付き(ぐんぐん乾いて最高だった)、ジェットバス付き(息子たちが喜んで最高だった)、ウォシュレット付き(私の肛門まわりが綺麗になって最高だった)、43平米の2Kで、家族4名あわせて1泊13,000円だった。

 これは、どういうことか。なぜ、こんなに安い物件があるのか。国連外交官の特権なのか。それとも前の居住者が六本木連続強姦殺人事件の犯人だったからか。

 そうではない。

 この物件には、何のコネクションも、何の事件性もない(私の知る限りは)。好条件の宅地にたどり着いたのは、ひとえに私がしつこく探しまくったからである。粘り腰の交渉を経て、泥水をすすって(比喩的な表現です)、ようやく契約にこぎつけたのが東京ミッドタウンから徒歩約5分のここだったのだ。

 今回はちょっとした事情があって、具体的な物件名を明らかにできない。でもひとつヒントを伝えるなら、Expediaではなく、Airbnbでもなく、といってUR都市機構でもなく、マンスリーマンションの系統に(一時帰国者にとっての)金の鉱脈が隠れている、ということだ。

 マンスリーマンションの物件は、文字どおり1ヶ月以上の滞在が前提となるのだが、場合によっては10日弱の滞在でもオーケーとなる(空室にしておくよりはマシということだろう)。このあたりの機微は、公開情報には決して出てこない。不動産業者とか大家さんにコンタクトを取った後の、あくまで交渉の世界なのである。


ウィーンと私と、旅する子どもたち:六本木でみかけたブルーボトルコーヒーの店舗
バークレーでよく飲んだブルーボトルコーヒーが日本でも人気になっていた


アークヒルズの裏手に住んでいた

ちなみに私は、ウィーンに来る前に港区麻布台に住んでいた。

 六本木一丁目駅神谷町駅の中間あたり、またロシア大使館アメリカ大使館の中間あたりの立地である。東京タワーだって大きく見える。

 要するに尋常ならざる好立地に住んでいたのだが、このアパートの家賃が、50平米の広さ、専用の庭もついて月額11.8万円。いよいよもって異常な安さなのであった。

 これは、どういうことか。なぜ、こんなに安い物件があったのか。ロシア大使館とアメリカ大使館の武力衝突に巻き込まれ、いわばボスニア紛争でいうところのノーマンズランドの状態にあったからか。

 そうではない。

 この物件にたどり着いたのは、ひとえに私がしつこく探しまくったからである。港区の不動産屋を渡り歩いて、年収欄を記入させられた上に「虎ノ門ヒルズの物件を見せてくれますか」とお願いしたら道端に捨てられたコンビニのレジ袋を見るような目で見られるといった辱めにも耐え(月額135万円だった)、ほふく前進を続け、ようやく契約にこぎつけたのだ。

 当時の私は、なぜ港区麻布台に住みたかったのか。それは、職場から徒歩圏内に住むことで「終電」の概念から解放されて、命が擦り切れるまで仕事ができるという、いまにして思えばそもそもの発想からして破綻しているような理由であった。けれども結果として、我が人生においてこれ以上を望めないほどの賃貸物件を発掘することができた。

 ナチスドイツがつくったアウトバーンを例に挙げるのは、あるいは不適切かもしれないが、間違った動機から優れた成果が生まれるケースも稀にはあるのだ。


六本木ヒルズの藤子不二雄A展


森ビルが日本を滅ぼす(※個人の感想です)

そんなわけで、ウィーン赴任のために港区麻布台を離れるのは忍びないものがあったが、実をいえば、もとより我々はここから立ち退かなければならない事情があった。

 森ビルという会社が、虎ノ門・麻布台地区の再開発計画を立ち上げていたからだ。

 同計画によれば、我々の住んでいた「A街区」のエリアには2~5LDK(約125~1,000平米)の住宅が56~65階に建設され、「高度人材を対象とするバリエーション豊かな居住・滞在施設の整備」が行われるという。

 これを聞いた私は、すばらしいな、と思った。高度人材を対象とするバリエーション豊かな居住・滞在施設の整備って、マジ最高じゃね?と思った。森ビル、マジ卍、と思った。

 というのは、まったくの嘘である。

 私は、ファック・オフ、と思った。世界中のうんこを集めて、森ビル本社の上空にテレポーテーションさせたいな、と思った。

 とはいえ私は、「利益追求はやめろ」「経済成長は不要」といった極論の持ち主ではない。私企業が利潤を求めるのは、中学生男子が性的な画像を求めるのと同じくらい自然なことだと考えている。そうしなければならない事情があるのだ。

 街が発展して便利になることは、その景観がクリーンになることは、基本的にはポジティブに捉えるべきことだろう。

 でもその一方で、「高度人材」に狙いを定めるあまり富裕層しか住めなくなったり、何世代も前からそこにあったコミュニティをまるごと奪うような行為は、その場所を心の拠りどころとする人の数を減らし、無形の資産を失うことにつながるのではないか。それは長期的には、誰にとっても不幸なことではないだろうか。

 森ビルなどの大手ディベロッパーで働く人たちは、いわば日本のエリート層である。私にも知り合いが何人かいる。頭脳明晰で人格的にも優れた人たちだ。でもだからこそ、そこにオルタナティブな判断基準が――都築響一の言葉を借りれば「混沌を尊ぶ慎ましさ」や「闇を理解する感性」が――備わっていれば、東京はもっと深みのある豊かな方向に発展していたんじゃないか(いけるんじゃないか)と私は思う。わりに真面目に、マジに卍にそう思うのだ。



菓子折りとスケベ心を持っていく

一時帰国中に、港区麻布台のアパートの大家さんに挨拶に伺った。ウィーンで買った菓子折り(Lindtのチョコレート)を持参して。

 息子によくしてくれた御礼を口頭で伝えたかった気持ちが半分。将来日本に戻ってきたときに「再びお世話になる」道筋を築いておこうというスケベ心が半分だ。

 大家さんはメールアドレスを持っていなかったので、不動産屋を通じて(もちろんご本人の許可を得て)教えてもらった電話番号に何度もかけたが、結局最後までつながらなかった。

 だから私は、そこにアポ無しで訪問することにした。


ウィーンと私と、旅する子どもたち:東京の風景


 アパートに向かう細道に入ると、あちこちで工事が進められている。かなりの騒音だ。でも問題はないのだろう。見渡す限り、このあたりの住民はほとんど居なくなったようだから。

 目的の場所に着いた。まだ建物は壊されていない。見るものすべてが懐かしい。

 でも人の気配はない。「遅かったか」と訝しみつつ、大家さんの部屋のチャイムを鳴らす。

 意外にも応答があった。

「どちらさまでしょう」
「あの・・・Satoruです」
「?」

 怪しい勧誘の者ではない、というメッセージを相手に伝えないとまずいことになる。

「ここに2年前くらいまで住んでて・・・ウィーンに行って・・・子どもが2人いて・・・」

 ああ、と納得した声があって、鍵が開いた。
 どうやら思い出してくれたみたいだ。

 それから私は、大家さんから短い話を聞く。いまは彼女のほかには誰も住んでいないこと。アパートの管理をされていた(大家さんの)妹さん夫婦も、ここにはもういないこと。妹さんの夫は脳梗塞で不帰の人となったこと。妹さん自身は認知症となって、いまは都内某所の施設に入っていること。

 「妹さん」は、いつも笑顔のおばあちゃんだった。いつも気持ちのよい挨拶をしてくれた。息子がぐずっているときには名前を呼んで頭を撫でてくれた。我々がウィーンに出発する日、「いままでこんな風に感じたことはなかったのに」と彼女は涙をこぼした。「あなたたち家族がいなくなってしまうのが、こんなにも寂しいなんて」

 まもなく大家さんもここを立ち退く。暮らす人を亡くした家は、取り壊されて更地になる。やがてそこに天を仰ぐ高層ビルが建つ。

 これで森ビルの計画どおり、高度人材を迎え入れる準備ができるというわけだ。


ウィーンと私と、旅する子どもたち:港区麻布台の某アパートの風景
さよなら


逆クレーマーとでも呼ぶべきか

日本に1週間と少し滞在して感じたのは――これは多くの人が指摘されることではあるけれど――お店のホスピタリティの質の高さだ。

 これは飲食店や小売店に限った話ではなくて、たとえば新宿駅であるとか、港区役所であるとか、あるいは鮫洲運転免許試験場であるとか(免許を更新してきました)、こうした窓口の人たちの丁寧な対応や細やかな配慮に、一時帰国の身としてはいちいち感動してしまう。

 アメリカから戻ってきたときにも似たようなことを思った。でも今回の私は、それを胸中に留めずに、大いに発露することにした。具体的には、働く人たちを面前で褒めまくった

 欧米圏の文化だと、レストランで店員さんに「ありがとう」とか、「おいしかった」とか、わりに普通に言いますよね。あれを日本語でやったわけだ。逆クレーマーとでも呼ぶべきか。

「いやー、あなたの接客の技術、これはもう世界で最高レベルですよ」

「ヨーロッパのお役所だったら、こんなに迅速には進まないな。感謝です」

「この全自動麻雀卓は、すごく綺麗だな。えっ、おしぼりも貰えるんですか?」

「うわ、お願いしていないのに幼児用の食器を供された。嬉しいなあ、嬉しいなあ」

 この人はちょっとヤバイ系かな? と誤解されるのは覚悟の上で、そういう賛辞を、初対面の相手にどんどん投げかけていった。アメリカ帰りのときには気恥ずかしくてできなかったが、この数年で私の羞恥心はいよいよ低下の一途を見せ、もはやまったく平気になった。

 そういう意味では、年を重ねるのも悪くないものである。


ウィーンと私と、旅する子どもたち:新橋の地下街の風景


功利主義としてのアプリシエーション

逆クレーマー的な行動を取り続けていたら、いろいろなお店で「規格外のサービス」を受ける機会が増えることに気がついた。

 日本の接客業(公務員含む)は、おそらく面と向かって褒められることが少ないのだろう。べつに私は余得にありつくために感謝(appreciation)の意を表明しまくったわけではないのだが、外形的にはそういうことになってしまった。

 ここで店名などの固有名詞を列挙したいところだが、たぶん迷惑がかかるだろうからやめておこう(日本的な配慮)。でも接客業の人たちを面と向かって褒めるのは、自他ともに効用を底上げするという意味合いで、功利主義の原則にも適うことが今回わかった。

 実体験から学ぶことには、まあ実にいろいろなものがあるようでございます。


ウィーンと私と、旅する子どもたち:新橋の路地


観光客の視点になっている

接客レベルの高さのほかにも、ひさしぶりの日本には心を動かされることが多い。なんというか、3割くらい「観光客」の視点になっているのだ。

 歩行者に対峙するように置かれた看板の群れ。交通標語から風俗店の料金表まで。その情報の混沌を浴びて「ああ、ここはアジアの都市だな」と実感する。

 公衆トイレが無料というありがたさ。児童公園は思っていたより随所にある。銭湯はやはり最高の文化だ(竹の湯清水湯への再訪は叶わずも、光明泉には行けました)。

 無料Wi-Fiが増えたのも嬉しいこと。特に港区の無料Wi-Fiには助けられた。これで星ドラの「モガふり探索隊」をやって、1年半ぶりに「独りぼっち」ではない画面が表示されたときの私の感動は、今回の一時帰国のハイライトであった(※)。

(※ 星ドラとは、ソーシャルゲーム「星のドラゴンクエスト」の略称。筆者はこのゲームをやり込んでおり――「無課金で8段」と書けば伝わる人には伝わるだろう――いま最も愛読しているブログも星ドラ攻略系のそれだったりする。またこのゲームには、GPS検索で周囲のプレイヤーを見つけて、その人数に応じて毎日の入手アイテムの多寡が決まるという仕組みがある。だが私は、ウィーンでもクラクフでもニースでも釜山でもパレスチナでもユトレヒトでもサンクトペテルブルクでも自分以外のプレイヤーを見つけられず、孤独感・寂寥感に満ちた日々を過ごしていたのだ......!)


ウィーンと私と、旅する子どもたち:星ドラ(星のドラゴンクエスト)のモンスター闘技場の画面


免税で5千円ほど得をする

もちろん買い物もたくさんした。

 念願のiPad Pro(12.9インチ)を入手したり、子どもに好評だった磁石パズルを追加購入したり、山川出版社から教科書を10冊ほど取り寄せたり、ブルボン小林の「マンガホニャララ」最新刊のサイン本を衝動買いしたり、メガネ超音波洗浄機を買ったりした(失敗だった)。

 銀座メガネコンタクト中目黒駅前店でメガネを新調して(職場で入ったCignaの保険が適用された)、Amazonで男性用尿器「コ・ボレーヌ」を買って(もちろん自分用だ)、TAKA-Q新橋店でカジュアルジャケットを購入した(運よくブラックフライデーのセールだった)。

 一部の買い物では、免税制度を使ったおかげで消費税がかからなかった。

 空港などでよく免税店を見かけるが、これまであまり興味がなかった。ああいうところで売られている宝石や香水は、私の関心領域の埒外にあったのだ。4年前、アトランタ国際空港でアメリカンスピリットという煙草を買ったのが、記憶の限り唯一の「免税体験」であった。

 でも今回は、ウィーン在住の日本人Tさん(チュニジア駐在の経験あり)から熱心に説かれて、やや半信半疑ながら「Tax Free」表記の市中のお店で免税を申し込んでみることにした。

 そうしたら、これが最高だった。

 手続きが簡単なのが、まず愉快だった。基本的には、入出国スタンプのある(=海外在住者であることを示す)パスポートを提示するだけでよい。あとは作法に通暁した店員さんが必要書類をパスポートに貼りつけてくださるので、それを出国時に税関で渡せばオール・オーケーである。これだけで8%の消費税が免除されるのだから、世の中にうまい話はあるものだ。

 この免税制度を活用して、ブックオフ飯田橋東口店で30冊ほど古本を買って、コナカ・ザ・フラッグ新橋店でスラックスとベルトを買って、ドン・キホーテ六本木店で小型スーツケースを買って、東急ハンズ新宿店USBポート付きビジネスリュックを買った。これで5千円ほど得をした計算になる。(ブックオフでもちゃんと免税になるんですね)

 もっと気合の入った方であれば、もっと買い物しまくって、もっと免除額を増やせるに違いない。そうして得をした気になって、どんどん日本経済の活性化に貢献するのもよいだろう。


ウィーンと私と、旅する子どもたち:中目黒の地元密着型の理髪店
中目黒の理髪店で丸刈りにしてもらった。千円だった(免税対象外)


カザフスタン人にファミコンソフトを贈呈する

買い物だけでなく、個人間の取引も行った。

 「個人間の取引」と書くと、なんだか違法薬物感が出てきてしまう。でも今回は(というかどの回も)そうではなく、もっと健全なものであった。

 それはたとえば、日本で会った人すべてにマンナーのウェハースを配ったり、


ウィーンと私と、旅する子どもたち:ウィーンで買ったレコード「Beethoven, Klavierkonzert Nr.5, Wilhelm Backhaus, Wiener Philharmoniker」


大手電機メーカーで部長職を務めるチェリストのTさんにバックハウスの「皇帝」の中古レコードを手交したり、


ウィーンと私と、旅する子どもたち:ファミコンソフト「スペースシャドー」


大学の落語研究会の後輩であり、現在もセミプロとして活躍されている春眠亭あくびさんから中古のファミコンソフトを頂戴したりすることであった。

 最後の件は、職場の同僚であるカザフスタン出身のKさん(30歳、モスクワ国立大学卒)がファミコン世代で、動かないソフトを「ふうっ」と息で吹きかけるしぐさを含めて共通体験を有することが判明したことを受けて、彼へのお土産を調達していただいたものである。

 ウィーンに戻ってファミコンソフトを渡すと、Kさんは大喜び。
 日カザフスタン外交は、ここにさらなる進展をみたのであった。


ウィーンと私と、旅する子どもたち:東京ドームシティの週刊少年ジャンプのアンテナショップにて

 

あふれる元気を出し尽くしてもらう

それから子どもたちを連れて、東京のあちこちを渡り歩いた。

 東京大神宮で、5歳の息子の七五三をやって、

 西郷山公園で、バークレーで親しくなったFさんの家族と一緒に遊んで、

 多摩動物公園で、かつての職場の同期で出世頭のKくんの家族と走り回って、


東京ドームシティのアソボ~ノ!


 東京ドームシティのアソボ~ノ!で、あふれる元気を出し尽くしてもらって、

 
気象庁@竹橋の気象科学館


 気象庁の気象科学館で、津波や天気への知的好奇心を満たしてもらって、


ウィーンと私と、旅する子どもたち:小平市のふれあい下水道館


 小平市のふれあい下水道館で、下水処理の仕組みを学んでもらった。


ここには高度な批評性がある

これらの行き先は、友人家族と一緒のケースを除いて、すべて奥さんが決めた。

 子どもたちの関心のスウィートスポットを的確に突いてくるチョイスで、さすがは私の奥さんである。性格も穏やかで、徳の高さは富士山も顔負けだ。私にはもったいないくらいのすばらしい人である(と、おそるおそる後ろを振り向く)。

 でもふれあい下水道館というのはこれまで聞いたことがなくて、最初は何かふざけているのかと思った。とはいえ彼女はそういう冗談を好んで言うタイプではない。ネットで調べると、本当にそういう名前の施設があるのだった。

 しかし「ふれあい」ときて「下水道」である。これは一体どういうことか。

 これが仮にふれあい深夜サウナとか、ふれあい極太ウンコとか、ふれあい拷問研究所とか、ふれあい東京メトロ東西線とかいう名前だったら、「あ、これは関わったらヤバイやつだ」とすぐに理解できる。ブラウザの「閉じるボタン」をすぐに押すことができる。

 でもふれあい下水道館には、冗談なのか真面目なのか、にわかに判別しがたいものがある。ストライクゾーンぎりぎりを攻めてきている気配があるのだ。

 私がそのとき思ったのは、「ここには高度な批評性がある」ということだ。すなわち、とりあえず「ふれあい」と言っておけばいいだろう、みたいな、我が国の行政機関に見られがちな前例主義と思考停止のハイブリッド状態と、組織の意思決定プロセスにそれが蔓延することのシリアスネス。この点を痛烈に批判するため、「ふれあい」と「下水道」の2語をあえてダイレクトに接続することでヴィクトル・シクロフスキーがいうところの異化作用を生じせしめ、我々の固定観念を揺さぶろうとしているのだ。とはいえその批評精神にはユーモアを捨て去るほどの冷たさはなくて、「でもまあ下水道とふれあったら衛生的には問題ですけど」というおかしみを無言のうちに抱擁している。だからそのメッセージは結果として我々のより深い部分にまで届く。ふれあい下水道館とは、そういう仕掛けをすべて計算した上でのネーミングだ。


ウィーンと私と、旅する子どもたち:小平市のふれあい下水道館
子どもにもわかりやすい展示内容

ウィーンと私と、旅する子どもたち:小平市のふれあい下水道館 - し尿の運搬
「東京都は西武鉄道に糞尿輸送をお願いし・・・」の記述に興奮

ウィーンと私と、旅する子どもたち:小平市のふれあい下水道館
この注意書きの説得力はどうだ

ウィーンと私と、旅する子どもたち:小平市のふれあい下水道館 ― 体験コーナー
「体験コーナー」とだけ表記された不穏なムード

ウィーンと私と、旅する子どもたち:小平市のふれあい下水道館
新世界へ


すべてに勝利する者はいない

一時帰国の日々はまた、私の人生を総ざらいするような日々でもあった。

 妻子を置いて、私は高校時代の悪友たちと新橋の雀荘で戦った。大学の落語研究会の同志たちと飯田橋のバーで、10年前に胡錦涛国家主席(当時)の尊顔を仰ぐために訪中した異業種の大兄たちと新橋の中華料理屋で、かつてお世話になった、または現在進行形でお世話になっている企業・官庁の戦う者たちと、神田で、豊洲で、狸穴で、銀座で・・・どこまでも杯を重ねていった。大便を漏らす機会が一度だけあったが、それを含めて満ち足りた時間であった。

 そうしてひとつわかったのは、すべてに勝利する者はいない、という基本的事実である。

 ある者は子会社の社長となった。ある者は自己破産してその名を官報に轟かせた。ある者は浅草のストリップ劇場でマルクス「資本論」を読んで隣の客と喧嘩になった。ある者は配偶者の浮気が発覚した。ある者はALSで余命3年と診断された(一時帰国の最大の目的はこの人に会うことだった)。ある者は鬱病となって自殺未遂をした。ある者は実際に命を絶った。

 我々の人生は、最後に必ず敗けるゲームである。Facebookで充実した風の写真ばかりアップしている人も、新橋のガード下で崩れ落ちる人も、最後に敗けるという意味では等価値だ。

 といって私は虚無主義に陥るには若すぎるし、同時にそれほど若くもない。私にできる最善の対抗手段は、せめて機嫌よくしていること(あるいは機嫌よくふるまうこと)ではないか。懐かしい人に会ったときは、ここまで生きしのいできたことさえ寿げば、それでもうほとんど充分なのだ。

 それが私の当座の結論である。なかなかポジティブな考え方ではないだろうか?

コメント

匿名 さんのコメント…
Satoruさんこんにちは
ご紹介ありがとうございます。とても面白いブログで読みふけってしまいました
国際色豊かなテーマを扱ってるかと思えば、思わず笑ってしまう圧巻の表現力。
同世代らしく子供を連れての旅、苦労話には思い当たることしかありません・・様々な所へ行かれているSatoruさんや奥様の行動力には脱帽です
あっヤムチャの回アウグストゥス君のリアクション最高でした
早速お気に入りに登録させていただきました
こうれからも更新期待してます!
Satoru さんの投稿…
「匿名」とありますが、文面から星ドラブログ「試用期間」のしよさんご本人と推察して(違ってたら平謝りですが)、返信させていただきます。

恥の塊りのような拙ブログをご笑覧いただき感謝です。記事中では述べておりませんが、この一時帰国中に「Nintendo DS」本体と「ドラクエ11」を購入しました。それというのも、「試用期間」の愉快なドラクエ11記事を拝読した影響にほかなりません。星ドラで破壊神シドー(8段)を倒せたのも、ひとえに貴ブログ(と黄金竜の槌・覚醒)のおかげです。改めて御礼申し上げます。

直接お会いしたことがないのに、そして物理的には地球の裏側にいるのに、こうしてやり取りができるのもインターネットの(ブログ文化の)すばらしい効用だなぁといま再び実感しております。仕事に子育てにご多忙とは思いますが、どうぞご自愛いただき、今後もたのしい星ドラ記事をご執筆ください・・・!
しよ さんの投稿…
最初のコメントは私のもので間違いありません。すみません間違って匿名欄をチェックしていたみたいです
ドラクエ11、かなり壮絶にネタバレしてますが是非ストーリーを追って長く楽しんでいただければと思います
あと前回書き忘れたのですが、ハルシュタット、ドブロブニク、旅の雰囲気を感じさせてくれる記事が素晴らしいっすね!いつか行ってみたい所から聞いたことがない町まで、思わずグーグルマップで旅してしまいました
Satoruさんも責任ある立場のようで大変そうですがこれからもお互いがんばりましょう!
Satoru さんの投稿…
しよさん、重ねてコメントありがとうございます。

「ドラクエ11」は、無事に真ENDまで辿り着きました(全員レベル99)。家庭用ゲームをやるのは約10年ぶりでしたが、大満足でした。

個人的に打ちのめされたのは「過ぎ去りし時を求める」シーンでした。あそこで「はい/いいえ」をどうしても選べなくて、電源をオフにして、一晩寝込みました。あれは小学生の私を苦しめた「ビアンカ or フローラ」以上の呻吟でした。(いまにして思えば)主人公にうっかり息子の名前をつけてしまったのが失敗で、ロウに感情移入するあまり、画面が滲んで見えなくなりました。

そんな具合に満喫したあとに貴ブログを改めて拝読したので(プレイ前はネタバレっぽい箇所を避けて「つまみ読み」だったので)、そのおもしろさは格別でした。グレイグ(36歳)の振る舞いをサラリーマンの視点から解釈されたり(声を出して笑いました)、ドラクエらしい言葉遣いの微妙な味わいを漏らさず着目されていたり、ドラクエ11をもう一回余計に楽ませていただいたような気持ちになりました。ちょうど優れた旅行記がある種の「代理経験」としての価値を持つように。

これからも応援しております!
インフラ開発会社勤務 さんのコメント…

麻布再開発やら下水道館のネーミングは 日本社会への皮肉かナンセンス・ギャグか... トピックが右に左に変わると思いきや 実は太い一本の線で繋がっていたと気づく読後感! 色んなネットのブログを拝読して来ましたが こんな凄味ある文章読んだこと無いです.

イスラエル/パレスティナ紀行文もアップ楽しみにしてます
Satoru さんの投稿…
ありがとうございます。検索エンジンかなにかでたまたま見つけて読んでみて、海外旅行に興味はないし子どももいないのに、なぜか引きずり込まれるようにして他の記事まで一気に読まされてしまう・・・・みたいなのが、私の理想のパターンです。その領域にたどり着くにはまだまだ文章修行が必要ですが、どうぞリラックスしてたのしんでくださいませ!