「マココ滞在記」アウトテイクス

(これは、デイリーポータルZへの寄稿記事「存在しないことになっている水上スラムに行く」で使われなかったエピソードをまとめたものです)




セメ国境の好ましい変化

ベナン・ウィダーからナイジェリア・ラゴスまで陸路移動するときには、悪名高いセメ国境を通る必要がある。

 私が事前に読んだもので最も有益だったのは、「旅女 Tabijo 〜義眼のバックパッカー〜」というブログの、

【国境】ベナンからナイジェリア~名物セメ国境の今~

いよいよこの日が来た。 今まで行った国の中で一番怯えているためなかなか踏ん切りがつかなかったものの、ベナンの滞在期間に迫られる形でナイジェリアに向けて出発。 ...

この記事であった。

 内容は2017年の出来事だが、陸路の移動手段や両替商の記述については、2020年1月11日に私が体験したものとおおむね同じであった。ご関心の向きは、ぜひ参照ありたい。

 ただ一点、この記事で綴られた内容から大きな変化があった(と推察される)のは、検問所の建物の様子である。

 上記ブログの記事によれば、「簡易公衆トイレを2つ並べたくらいの大きさの掘っ建て小屋が、道の両脇にずらっと並んで」あり、随所で賄賂要求があったとのことだ。

 これに対して、私がセメ国境を訪れたときには、ベナンとナイジェリアの検問所は、一続きの立派なコンクリートの建物になっていた。



 このため、旅行者は窓口を順番に巡ってーーちょうど学生食堂の行列で一品ずつお皿を取るようにしてーー必要な手続きを終えればよい。なんというユーザーフレンドリーな検問所だろうか。私の予想は良い方向に外れたのであった。

 賄賂を要求されなかったことにも驚嘆した。これはおそらく、各窓口が近接しているので、悪事を働くと隣の係官に密告されるおそれがあるのではないか。空間設計が賄賂の欲求を阻害する効果(ディスインセンティブ)を生みだしている。そこまで考えられたデザインなのであれば、私はこの図面を引いた人に表彰状をあげたくなった。

 いや、じつは一度だけ賄賂を要求された。でもそれはむしろ私の過失が招いたものだった。ベナンの入国ビザ(e-Visaを印刷した紙)を紛失した私に対して、「何か贈り物が欲しいな」と、ベナンの係官から示唆があったのだ。

 「贈り物ですか。それならマルボロを一箱あげましょう」
 私がとぼけると、係官殿は破顔一笑。「マネーが欲しいな」と婉曲を脱ぎ捨てた。

 そうして私は、500ナイラ(約1.1ユーロ)でナイジェリアへの入国を果たしたのである。




スラムは都市部にできる

水上スラム・マココで私が理解したのは、「スラムは都市部にできる」という、考えてみれば当たり前の事実であった。

 貧しい地方にあるのは皆が平等に貧しい村で、それはスラムとは異なるものだ。貧富の差が生まれるところにスラムはできる。

 マココの学校は、コミュニティの自治で成り立っている。政府はこれを支援するどころか、むしろ破壊・撤去するなどして、住民との根深い確執を起こしている。
(出所:「子どもたちの生きるアフリカ: 伝統と開発がせめぎあう大地で」所収, 玉井隆「水上スラムで育つアイデンティティ――ナイジェリアの少数民族エグン」, p.218)

 その背景を追っていくと、記事本文でも書いた民族対立の問題にたどりつく。マイノリティゆえの勝ち目の薄さが見えてくる。けれどもこれは、どこにも救いのない話というわけでもなくて、①水上スラムの存在は注目を集めやすいこともあって国際支援プロジェクトがいくつも動いていること(例:ドローンを使って地図作成)、②マココの魚市場が外部経済との結節点として有効に機能していること、そしてなによりも、③子どもたちがみんな笑顔だったこと。異邦人である私には、このあたりにナイーブな希望が見えたのだった。





子どもが船頭として働いている



真っ白な服を着ているのは、日曜で教会に行くためか

  

マココの成り立ち

マココはなぜマココと呼ばれることになったか。初代酋長の孫によれば、それは集落で重い罪を犯した者を罰する儀式「マホホ」に由来するという。

 マホホでは、まず罪人を舟に縛り付けて、周りの者たちがドラムを叩く。そうして彼/彼女の名前を連呼して辱めながら、罪人をコミュニティから追放するのだ。

 このインパクトある儀式のために、周辺の住民からは「マホホの儀式を行う水上集落」として認識される。やがて「マホホ」は「マココ」に転じて、そのまま地名になったらしい。なかなか凄みのある成り立ちである。




中年男の出自

記事本文にも書いたとおり、訪問時には中年男とのトラブルがあった。

 あの男はもともと「陸の者」だった、と酋長の孫が私に弁解した。彼は「海の者」になって日が浅い。だからコミュニティにまだ馴染みきれていないのだ、と。


トラブル後には水上レストランでもてなされ、屈強なボディーガードがつくようになった


 そのあと調べてわかったのは、「陸の者」と「海の者」は、その出身(流浪する前に住んでいた土地)が異なるということだ。魚を採るのに適した場所で暮らしていた人々は「海の者」となり、また別の生計を立てていた人々は「陸の者」となった。少数民族たるエグン族のなかにも、そこでひとつの線引きがあるのだ。

 エグン族と対立するヨルバ族も、ルーツをたどれば先祖は同じとの研究もある。どこまでもローカルな話なのだし、それなら似たもの同士で仲良くやればいいじゃないか、と思わなくもない。でもそれは私が異邦人だから言えることなのだ。どこからともなく「それなら東アジアはどうなんだ」と影の声がする。私は静かにうつむいて、カプシチンスキの言葉を思い出す。


 こうした国でぼくらが最も驚くのは、そこに住まう人々の思考に巣食う、根深い田舎気質です。ぼくらの世界は、一見するとグローバル化しているかのようですが、根本的には、互いに出合うこともない何千何万もの多様な田舎が集まってできている惑星です。

 世界を旅するとは、田舎から田舎への移動であって、それぞれの田舎は、自らのためだけに独り光を放つ恒星に似ています。

 そこの住人にとっての現実世界は、自宅の敷居で終わりか、または村の境界か、せいぜい谷の端っこでおしまいです。その先に広がる世界は、もはや現実味も重要性もなく、必要でさえないのです。

 一方、彼らの足元、目の届く場所は、ひとつの宇宙くらいの大きさに膨張し、他のものをすべて覆い隠してしまいます。よく現地の人々と遠方からの来訪者がわかり合うのは難しいと言われますが、それは同じ場所を違ったレンズで見ているからです。

 来訪者が使うのは広角レンズ、これは、見るものを遠景としてちいさく捉える代わりに、長い地平線が見渡せます。かたや現地の人は、望遠レンズや、それどころか、針を棒にも見せるような望遠鏡を使うのです。

引用:リシャルト・カプシチンスキ「黒檀」(河出書房新社)
「ルワンダ講義」pp.202-3(段落及び太字下線の追加は引用者による)






マココに幸あれ


コメント

SHIHO さんの投稿…
ご紹介頂きありがとうございます!
私のセメの記事でも、こちらの記事を紹介させて頂きました。
コロナが落ち着いたら、また最新の旅行記事楽しみにしております。
Satoru さんの投稿…
Shihoさん、ご丁寧にありがとうございます! Shihoさんの旅ブログの愛読者として、拙記事で紹介させていただくのはむしろ光栄でした。改めて御礼まで。
古今亭 さんのコメント…
いつもながらアグレッシブで。。。笑
マココ
瀬戸内に多くいた家船の人を彷彿とさせますね

マージナルマン...何故か惹かれますね
柳田国男や宮本常一、沖浦和光や小沢昭一..,彼らの功績なくては誰知られることもなく消えていった人々ですね
Satoruさんにもその一翼を担ってほしいものです


願わくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ

お元気で。
ぺんぎん さんの投稿…
昨年、夫とウィーンを旅行する前に、このブログを見つけました。
シンガーストラスというアパートメントの宿泊だったのでSatoruさんのお住まいにも
ちかいようで、街の様子も参考になりました。

ブログいい意味で、ぶっ飛んでいて、とても新鮮でした。
二人の息子さんも、かわいくて、こんな小さい頃から、なかなか行けないようなところ
を旅して、色々な経験をして、どんな大人になるんだろうと楽しみですね。
のびのびと育ってSatoruさんのお子さんとのかかわり方もすてきです。

いつもブログ楽しみにしていました。また、どこかで、再開してほしいです。
Satoru さんの投稿…
古今亭さん、仰るとおり「水上の民」はそう遠くない過去の日本にもいましたよね。ナイジェリアのスラムと聞くと別世界のように思えますが、我々がいま生きている世界に通じる部分もあるのだ…というのが私の思うところでした。お読みいただきありがとうございました。またどこかで…!
Satoru さんの投稿…
ぺんぎんさん、温かいコメントをありがとうございます。Singerstraßeのあたりは観光拠点とするには絶好の場所ですね。拙ブログがお役に立てたようで幸いです。これまで書いてきてよかったです。

ぶっ飛んだ記事をものした覚えはあまりございませんが、楽しんで頂けたなら何よりです。息子たちは今のところアイスランドとノルウェーがお気に入りのようです。私は幼少期を小笠原諸島で暮らしたので寒いところは苦手なのですが、どうも私とは対照的に育ちそうです。

ぺんぎんさんとご家族の多幸をお祈り申し上げます。