NHKの支局長に新事業を提案した

前回の記事で、「YouTubeで日本語の子ども向けコンテンツがもっとあればいいのに」という趣旨のことを少し書いた。(⇒ YouTubeはバイリンガルを育てるか?

 もちろん、YouTubeだけが動画を見る手段というわけではまったくない。

 我が家には、「デザインあ」「ピタゴラスイッチ」「いないいないばあっ!」といったDVDがすでにある。ミッフィーちゃんの人形アニメも、ロシア映画史に輝く傑作「ミトン」も抜かりなく持ってきた。追って「となりのトトロ」を日本から取り寄せたりもした。


ウィーンで子どもが描いた「デザインあ」
「あ」を愛する5歳の息子による、線路の二次創作。見どころは左下の再生ボタン


 しかし、形あるものというのは常に有限である。子どもたちの映像記憶が海馬から大脳皮質へと完全に刷り込まれるほどに鑑賞を重ねると、どうしても手持ちの切り札に不足が生じる。

 そこでウィーンに住みはじめた頃は、海外在住者向けの日本語放送JSTVを重宝していた。

 でも幼児向け番組は放送時間が限られている(しかも相撲中継などでよく中止になった)。番組表に生活を合わせなければならない旧来型のスタイルも、YouTubeに慣れた身にはもはや耐えがたい。そういうわけで、申し訳ないけど1年足らずで解約してしまった。月額50ユーロの価値を見出せなかったのだ。

Netflixに加入する

JSTVの退会後は、Netflixに加入することにした。

 子ども向けというよりも、正直に言って自分のためだ。iPadにダウンロードしてオフラインでも視聴できるし、「ハウス・オブ・カード」とか「ブレイキング・バッド」(※)といった地上波では放送の難しい作品も揃っている。すばらしい、という言葉しか出てこない。

ブレイキング・バッドは、さえない高校の化学教師が、その知識を活かして覚せい剤のディーラーに転職して活躍する話。ウィーンで薬物政策に携わる国連職員も「非常に参考になる」と高く評価していた。

 これで万事解決と思われたが、私にとってはクリティカルな欠点がひとつあった。Netflixは地域によって視聴可能コンテンツが異なるので、オーストリア版だと日本語の作品がほとんどないということだ。

 「帰ってきたヒトラー」を見ようとしたら字幕も音声もドイツ語のみで、せめて英語を用意してくれよな、と唸る場面もあった。

 VPN接続を使えば海外でも日本版にアクセスできるらしいが、うーん、そこまでしようとは(いまのところ)思えない。そんなこんなで、結局は2か月で契約を止めてしまった。

 だが私はいまやNetflixのゲーム・チェンジャーっぷりを腹の底から信じるようになったし、先日「百年の孤独」ガルシア=マルケスの息子が映像化するとのニュースに接して、これが実現化した暁には必ず再加入するぞと誓ったところだ。人類史上初の有人動力飛行を試みる、およそ無謀なチャレンジャーを見届けるような気持ちになって。


ウィーンで段ボールの市営バスの車体をつくった息子(バスの自動運転技術に興味がある)
5歳の息子は最近「バスの自動運転技術」の実証実験を進めている

 

名を秘すべき放送局

そんなとき、とある場所にて、とある日本の放送局の支局長と雑談をする機会があった。

 ここから先は、実名を挙げるのが憚られる内容だ。名(Na)を秘(Hi)すべき局(Kyoku)の頭文字をとって、ここでは「NHK」という仮称で話を進めることとしたい。

 このNHK(仮称)という放送局は、日本の国民に対して受信料を課すことで知られており、当該方針に不満を唱える輩も少なくない。だが約10年前の私は、テレビを所持していないにもかかわらず、自ら率先して受信料を収めていた。

 テレビがあるのに受信料を払わない人は、それほど珍しい存在ではないだろう。けれども、テレビがないのに受信料をどんどん払う人というのは、もしかすると日本全国で私だけだったかもしれない。

 これは、どういうことか。

 当時の私は、なにか精神面に深刻な支障をきたす種類の電波を受信していたのか。

 そうではない。

 私はある時期に、内外の報道機関と丁々発止のやり取りをする業務をしていたことがある。その経験を通じてある種の傾向として認められたのは、数ある新聞社・放送局の中で、NHKの記者たちが能力・人格ともに特に卓抜しているということだ(※個人の感想です)。

 彼らの仕事ぶりに感銘を受けた私は、テレビを持っていないのに受信料を支払うという形で敬意を表していたのである。


NHKの改革案を提示する

と、そのような話を支局長氏に展開したところ、「ありがとうございます」というポライトな反応が返ってきた。「そんなことを言われたのは初めてです」と。

 そこで私はいよいよ昂じて、かねてより温めていたアイデアをプレゼンすることにした。

 その概要を、以下に示したい。


NHKの新事業のアイデア(プレゼンテーション風のイメージ図)

 収益改善策、すなわち Revenue Improvement Planだ。略してRIPと呼びたいところだが、それだとラテン語の「Requiescat in Pace(安らかに眠れ)」の意味にも通じてしまうので、「NHKは永眠せよ」という間違ったメッセージを伝えてしまうおそれがある。

 このあたりについては、引き続き検討を重ねてまいりたい。


NHKの新事業のアイデア(プレゼンテーション風のイメージ図)

 子どものいる世帯の多くが、NHKの受信料を妥当と考えている。

 これはつまり、子ども向けのコンテンツがもたらす付加価値(またはWillingness to Pay)がきわめて高いということの証左である。


NHKの新事業のアイデア(プレゼンテーション風のイメージ図)


 さらに、海外在住者の多くが、NHKの視聴欲求を内に秘めている。

 これはつまり、旧来型の放送手段ではなく、インターネット配信などのニーズがあることの証左である。

 そしてこれらの調査結果(出所:筆者の想像)から導き出される新事業のアイデアは、


NHKの新事業のアイデア(プレゼンテーション風のイメージ図)


Netflixのようなスタイルの、子ども向け番組に特化したネット配信サービスである。

 NHK(仮称)には、すでに60年分の膨大なコンテンツが備蓄されている。つまり60年分の、各世代の敏感なスポットを貫く準備ができている。

 たとえば、30代半ばの私は、山猫とペンギンとネズミが主役の人形劇であるとか、丸眼鏡をかけた成人男性が自転車で町を巡って地図のイラストを完成させていく教育番組といったものを提示されると、もう腰がくだけてしまって立ち上がることすらままならず、コンテンツへの課金に「同意しますか?」⇒「はい」をクリックすることに、畢竟、これはなってしまう。

 「なるほど」と支局長氏が呟いた。「たしかにあのコンテンツ群には、意外なほどに根強いファン層が存在するんですよね」

 「その財布を狙うのです」と私は断言した。真に狙うべきターゲットは、現役の子どもではなく、一般会計・特別会計の許認可権限を有する、おかあさん・おとうさんの世代なのだ。

 そしてその世代の懐にリーチするには、既存のコンテンツに加えて、低予算ながら視聴者の潜在ニーズを掘り起こし、SNSでも拡散されやすい内容のオリジナル・コンテンツを制作するべきではないか。

 たとえば、歴代「歌のおねえさん」「体操のおにいさん」による飲み会の収録(無修正)。あるいは、山猫とペンギンとネズミの「着ぐるみの中の人」による鼎談というのはどうか。

「実はあの回の収録時、インフルエンザに罹患してしまったんです。それでディレクターのPさんに電話したら、つまらん言い訳をするな、と怒鳴りつけられましてね」

「ひどい」

「Pさんはガダルカナル戦の生き残りで、とにかく厳しい人でね。ずうっと着ぐるみの中にいれば誰にも感染しないはずだ、なんて無茶苦茶なことを言われてね。だから僕は熱海の自宅から、着ぐるみのまま国鉄に乗って出社することになりました」

「ははは」

「子どもに追いかけられてね。こら、こっちに来るな、と叱ったら泣かれて困りました」

「いや、すごい時代だったんですね」

「Pさんも、あの人も、みんな亡くなってしまいましたね」


 こんなコンテンツが見られるならば、これはもう課金するしかないだろう。

 (註:鼎談の内容は完全なるフィクションです)


NHKの新事業のアイデア(プレゼンテーション風のイメージ図)


 この事業について、国内外の世帯数などの統計をもとに「子どものいる世帯の5%が加入」という粗い仮定で試算をしてみると、年間102億円の売上が発生することになる。

 「いいですね」と支局長氏が応えた。「でも、現行の放送法だと、テレビ番組はネット配信ができないんですよね。Satoruさんが出演されたようなラジオ番組なら可能なのですが」

 つまらん言い訳をするな、と私は思った。

 でも私は経験を積んだ社会人なので、そのような無礼な気配はおくびにも出さずに、「それならば永田町にロビイングをされてはいかがでしょう」と穏やかに提案をした。

 「御社には、そういう性質の業務に長けた人材が、上層部に少なからずいらっしゃるのではありませんか?」

 しばらく沈黙があった。

 「貴重なご意見、ありがとうございました」と支局長氏はディフェンスを固めた。


その時 歴史が動いた

それから数ヶ月が経って、2019年の1月某日。

 自宅でインターネットを閲覧していた私は、「NHKのネット配信を容認する方向で放送法が改正されるかもしれない」という趣旨のニュースに接した。

総務省、放送法改正案提出へ=NHKネット同時配信を容認

 総務省は25日、NHKによる放送番組のインターネット常時同時配信を容認するための放送法改正案を、28日召集の通常国会に提出することを決めた。ネット回線を活用した配信業務拡大や、組織統治強化策を盛り込んだ改正案を近くまとめ、3月上旬に国会に提出する。NHKは2019年度からの配信開始を目指す。


 あの時を境に、支局長氏はNHKの上層部を粘り強く説得し、ロビイング活動に励まれた――かどうかはわからないけれども――日本の放送局の歴史が、目に見えない大きな力でもって、いまゆっくりと動きはじめる音が聞こえてきた。

 YouTubeのアプリをしばし傍らに置いて、NHKが世界に誇る、60年分の贅沢なコンテンツを自宅で息子たちと味わい尽くす。その日が来るのを、私はウィーンで座して待っているのだ。



NHKの新事業のアイデア(プレゼンテーション風のイメージ図)

こちらの提案は一顧だにされなかった

コメント

匿名 さんのコメント…
DPZ経由でたどり着いてから定期的に拝読させていただいております。私も小さい子持ちの海外在住(バルト海北側ですが)なので、今までのお話で激しく同意したり参考にさせていただいたりしておりましたが、今回のお話は私も全く同じ流れを辿って、NHKネット化ご提案はまさに私も声を大にして(全く影響しないところで)訴えていたことで、現実化した際にはSatoruさんには感謝しきれません!ニシンの酢漬け1年分送らせていただきます。
Satoru さんの投稿…
貴重なご意見、ありがとうございました。

NHK(仮称)は上からも下からも右からも左からも批判されがちな存在で、実際に組織としての問題もいろいろとありますが(ここでは詳らかにしませんが)、報道特集番組や語学番組、そして教育番組のクオリティの高さは世界屈指だと確信しております。だからこそ、その価値を提供するチャネルをなぜもっと広く持たないのかと常より思っていたところ、北欧からの同志を得て心強い限りです。

ニシンの酢漬けは、(私には)1年に1個食べれば充分かもしれませんが。。。
匿名 さんのコメント…
いつも楽しく読ませて頂いています。
僕も10年ほど前に(仮)NHK様にFMのネット放送を問い合わせましたが、考えていませんとの返信でした。

Satoruさんご在住のオーストリアのORF、僕の住んでいる国や多くのヨーロッパの様に、今回の(仮)NHKのテレビのネット配信は日本国内のみなのかなと思っています。radikoも日本国内のみですしね。VPNを通せば見れるかもしれませんが、どうなりますかね?

ニシンの酢漬けが駄目でしたら、北国の黒いお菓子は如何でしょうか?
Satoru さんの投稿…
貴重なご意見、ありがとうございました。

あっ、ORFも国内オンリーなんですね。知りませんでした。たしかに地域限定のトレンドはいまなお根強くあるのかもしれませんが、でもNHKの「ちきゅうラジオ」の聞き逃し配信はウィーンでもばっちり聴けますし、英BBCや米CNNのESL向けのポッドキャストなどは日本在住時から親しんでます。最近は自宅のスマートTVのアプリでBBCの短信ニュースを子どもたちと観たりもしてます。

NHK(仮称)のネット推進派の人たちには、局内の抵抗勢力をうまく突破して、ぜひ迷える海外在住者たちの拠りどころとなる環境を(VPN接続なしでもたどり着ける場所に)構築していただきたいものです。最近はNHK(仮称)のニュースサイトも気合の入った独自コンテンツが目立つようになってきましたし、希望の光は射しているように感ぜられるのですが・・・。

「北国の黒いお菓子」というと、フィンランドのサルミアッキを連想します。北欧のものって、日本のメディアで持ち上げられているほど美しいばかりじゃないよな、もっと底の知れないダークな部分から出てきているものがたくさんあるよな、と私はよく思います。