英語の幼児教育は難しい

英語の幼児教育は難しい。 その難しさは、「どのように教えたらよいか」という方法論の難しさだけではない。「幼児に英語を教えるのは本当に良いことなのか」という根源的な問いに、自信を持ってそうだと答えられない種類の難しさがある。少なくとも私にとってはそうである。 私の英語 息子の英語教育には、いまでもずっと戸惑っている。それはたぶん、自分の経験に依って立つものが無いからだ。 私は就職するまで、一度も外国に行ったことが無かった。TOEICも400点くらいで、まったく論外の英語力であった。 初めて海外に行ったのは、社会人2年目のときのシドニー出張だ。「出発前にビザを取っておくように」と上司に言われて、クレジットカードのVISAを見せたら、えらく叱られた記憶がある。当時の私は、ビザ(査証)という概念すら知らなかったのだ。 そんなレベルであるから、英語には当然ながら苦労した。いまでも苦労は続いている。言葉がうまく出てこないばかりに、愚かな人間のように思われて――いや、実際に私は愚かなのだが――その実際以上にさらに愚かに思われてしまう悔しさは、私にはたぶん、どこまでいっても振り切ることのできないものだろう。 とはいえ、「帰国子女はいいよな」「私も子どもの頃に外国に住んでいればな」「両親が貧乏じゃなかったらな」などと呑気な願望を口にしていたのは、もはや昔のことである。 いまの私は、帰国子女のよるべない苦しさや、セミリンガル(複数の言語を話せるが、どれもネイティブレベルには未達の状態)のまま年齢を重ねることのつらさを想像できるくらいには経験を重ねてきた。愚かは愚かなりに、複合的な視座を得るに至ったのである。 「幼児に英語を教えるのは、本当に良いことなのか?」 だから私は、その問いに正面から答えることができないのだ。 息子の英語 4歳の息子は、バークレーで生まれた。アメリカと日本の二重国籍である。「息子は3億分の1の確率でアメリカ大統領になりますよ」というのは、私がよく言っていたつまらない冗談だ。 日本に帰国したのは彼が1歳のときで、そこから東京都内のプリスクールに通いはじめた。息子が英語を学びはじめたのは、実質的にはこのときからだ。 まあ、学ぶといっても、「ABCの歌」などの童謡を歌ったり、りんごの絵を見て「Ap...